【2】
【2】
「行くぞ、ロー! 併せるんだ!!」
「任せロー!!」
慟哭。『最強』と『最速』による挟撃は、ただ華奢な体躯を持つ異貌へと撃ち抜かれる。
しかし異貌はそれを片腕と片足で受け止め、難なく弾き返す。しかし次撃に到ることはない。攻撃を防いだにも拘わらず対象が既に遠方へと遠ざかっているからだ。まるで態と攻撃を受け止めさせてから誘うように、直ぐさま撤退するからだ。
異貌は摩擦により白煙を上げる手足を見つめ、僅かに揺れる体躯のまま安定を保った。それでもなお体躯の振動は止まらず歩みのために進めた脚も覚束ないが、カルデアにとっては些細な問題だ。多少体勢を崩そうとも、未だこの臓腹から生まれ出でる亡者達がどうにかするだろう。
「うへぇ、灼き尽くしたっつーのにまだぼろっぼろ出て来やがるぜ……。キモいなぁ。リゼラちゃん、アレ無尽蔵なの?」
「ふん、初代魔王カルデアの口振りや伝承からして、恐らく奴が今まで殺め苦しめた魂が尽きるまでか、奴自身の魔力が果てるまでか……。どちらにせよ無尽蔵と考えた方が易かろう。無尽蔵に雑魚を産み続けるボスはクソゲーってそれ一番言われてるから」
「まぁ実際クソゲーだよねこれ。……魔力抵抗が高いのか、それとも単純に防御力が高いのか。こっちの攻撃が全く通じてない。魔方陣の砲撃は兎も角、シャルナちゃんとローちゃんの攻撃が通らないとか化け物かよ」
「……フォールの言い分が正しいのであれば、奴の力は今かつてのフォール並ということになる。封印によりフォールの力が全て移ったわけじゃからな、完全とは言えなかろうと……。筋は通っておるが通って欲しくはなかった。アレとか完全トラウマなんじゃが」
「ははは、僕も戦いたくない。……けど、やるしかないんだよねコレが」
「はーマジにクソゲーじゃわ」
閃光、一閃。障壁展開、相殺。
カルデアは吐き捨てるように、しかし当然かと言わんばかりに一撃の失敗を気にすることなく再び迫り来る双撃を受け続ける。無論、リゼラと障壁を展開したルヴィリアも一撃が放たれたことに同様はない。ただ出来るワケがないだろうと言わんばかりに舌を出して挑発するだけだ。
現在、戦況は拮抗している。シャルナとローによる接近戦にカルデアが応対し、またカルデアから生み出される亡者を戦況を観測し続けるリゼラとルヴィリアが細かく焼き滅ぼしていくだけの単純な状態だ。双方、様子見に徹していると言って良い。
尤も、仮にも理外の戦いである。高が様子見でも一瞬だろうと気を抜けば勝負が付くし、事実、接近戦を行っているシャルナとローは決して迂闊に踏み込むことはしない。カルデアの手の内が解らない以上、例え勝利を確信しても踏み込むなというルヴィリアの忠告あってこそだ。
「…………」
しかし、それは同時にカルデアへも思考の時間を与えることになる。
――――ひとつ、疑問がある。この戦況において奴等が踏み込んでこないのは様子見と判断して間違いないだろう。
だが何故だ? 何故踏み込まない? この亡者達を見れば長期戦は不利と理解できるはず。少なくとも魔王リゼラならばこの戦況は良しとしないはずだ。いや、違う。奴等の司令塔はあの魔眼持ちだろう。ならばこれは奴の策か? だがどちらにせよ魔王リゼラが動かない理由にはならない。
そしてその魔王の行動が謎だ。奴等にとって最大火力は仕込んだ魔方陣や接近戦の者共でもなく、他ならぬ魔王自身のはず。ならばどうして動かない? 先刻の臨界点火力で大技は無駄だと判断したからか? いや、ならば他にもやり様があるはずだ。
「……何を、企んでいる?」
カルデアの鋭い視線を受け、リゼラは僅かに眉根を吊り上げる。
酷く面倒臭そうに、頬に一筋の汗を流しながら。
「やっべ。気付かれたかも」
「だろうね。そろそろ気付かれるとは思ってた。……できればその前にあの防御力の謎を解き明かしときたかったんだけど」
「そう簡単な話ではあるまい。……さて」
こきり、と首を鳴らして。
「来るぞ」
ぞるり、と。それは正しく剃り込むかのような回避だった。
片脚でローの拳撃を踏み砕くように叩き落とし、逆肘でシャルナの覇龍剣を弾くと共に首を捻るのみで回避。僅かに頬へ擦りはしたが、しかしその程度でカルデアは止まらない。彼はそのまま地面を抉る疾駆により一気にリゼラ達への距離を詰めた、
腹から零れ落ちる亡者達が余りの速度に墜ちるなり砕け散るが、気に留めることなく駆け抜ける。様子見などと言う生温い次元ではない探り。或いはこの一撃で決着すらという気概の元、カルデアはーーー……。
だが、その真正面に緋色の双眸が立ちはだかる。
「ハッハァ! 見た目マジでフォール君かよ気持ち悪いなぁ!!」
「失せろ、出来損ない」
魔眼起動による後方からの魔方陣八連鎖。
それ等は弾倉のように均等に、等速で回転しながら中央へ魔力を収束させる。さらに銃口だと言わんばかりに魔眼による三連魔方陣が展開され、ノータイムで弾倉からその魔術は撃ち放たれた。
八つの砲撃を三つの魔方陣により収束させた一極集中の超火力だ。先の臨界点には及ばないが、それでも体躯一つ貫くには充分な威力がある、にも関わらずカルデアは回避しない。真正面から、その一撃を自らの顔面へと被弾させて突貫したのだ。
「んなっーーー……!」
反応、一手遅れて。
ルヴィリアの回避は間に合わない。否、カルデアは有象無象を狙ってはいない。ただ一閃、魔王へ放つべく深淵の刃を突き立てる。
それは刹那であった。自身が狙われていないと判断するや否やルヴィリアは魔方陣による防御を展開。密接したそれは何連かも定かではないが、数メートルに及ぶ極臨防御を発揮する。だが、カルデアはその防御すら厭わず深淵の刀を一挙に振り抜いた。
結果として、その刃がリゼラに到達することはない。僅か、薄皮一枚、到達することはなかった。刃は全ての防御魔方陣を貫通したが、ルヴィリアが腹から溢れ出る亡者の腕を掴んでカルデアの体勢を僅かに崩させたからだ。
「…………出来損ないが。冥府に送られたいのならば、そう言え」
「新婚旅行先は景色眺めながららぶらぶえっちできるトコって決めてるんでね……! ノーセンキューだぜぃ……!!」
返す刃で振り抜かれる深淵。然れど、その体躯を後方からローが引き裂いた。
頭部を失い、臓腑に穴が開き、然れどなおカルデアは素早く後退して距離を取る。リゼラ達もまた亡者の腕を掴んだことで負傷したルヴィリアを庇うようにローとシャルナの二枚盾が前へと立ちはだかる。
そして訪れるのは再びの硬直。一呼吸のみの、隙間。
「あああああああ痛い痛い痛いリゼラちゃんのおっぱいでぱふぱふしなきゃ治らないぃいいいい!!」
「かーっ、ぺェッ!!」
「ありがとうございます治りましたァ!!」
「そもそも妾の次に魔力抵抗高いんじゃからあの亡者に触れようと軽い火傷程度じゃろーが甘えんな。……ったく、余計なことしおってからに。あの刃が触れたらその瞬間に魔力逆流してブチ殺してやったものを」
「それじゃあ綺麗な顔に傷がついちゃうでしょ! ……ま、どのみちそれやってても無意味だっただろうけどね」
「じゃろうな」
カルデアの体躯と顔面は崩壊したはずだ。ルヴィルアによる収束砲撃とローの一撃は確かに直撃したに違いない。事実、体躯と顔面は崩壊している。
にも関わらずの再生。まるで透明のフラスコへ黒い煙を吹き込むかのように、瞬く間にカルデアの全身は傷一つない体へと再生してみせた。
「何だアレ気持ちわりーっ!!」
「そりゃそうだよねぇ、霊体だもんねぇ。……質量を持った霊体とか分身よりタチ悪くね?」
「だが確実に核が存在するはずじゃ。そもそもあの肉体の年齢をどうやって保つ? 霊体ならば魔力は何処に宿る? 再生するならば何処を基点にする? あのテの奴はまず間違いなく核を持っておる。……雑魚量産で攻撃無効とかやっぱりクソゲーじゃないか!」
「アゼスちゃんでもレビューで☆1にするレベルだねぇ……」
今の会話の内にカルデアは完全に再生を終えた上、何やら見抜いたらしく、再び突貫をかけるためかそれとも何かを探るためか深淵の刃を構え直す。
シャルナとローもまたそれに対抗すべく構えを取るが、しかし、これでは千日手。こちらの目論見がバレるのが先だろうとルヴィリアは判断を下した。
「仕掛けよう。たぶん見抜かれてる」
「上等じゃやったるわオラァーーーーーーーーーーーッ!!」
ルヴィリアの掌がリゼラの肩に触れ、魔力を通すと共に念話でシャルナとローに指令を送る。
二人は同時に指示へ従って左右へ展開。どうぞ通って下さいと言わんばかりにカルデアの真正面にリゼラ達への通り道を開いた。
「……侮辱も過ぎれば道化だぞ」
そしてカルデアは疾駆する。先と全く同じ、しかし通されるという形で異なる構図だ。
いや、異なる点は他にも幾つかある。一つはルヴィリアが立ちはだからないという点、リゼラがその場に掌を突いて屈み込んだという点。明らかに仕込んであった魔方陣を発動させる体勢に入ったことでカルデアは警戒を行うが、しかし、砲撃が飛んでくるわけでも魔方陣が展開されるわけでもない。
当然だろう。それは、彼の視界に収まるような魔方陣ではないのだから。リゼラが基点に立つことで永遠と魔力を込め続けたその魔方陣は草原一帯を追いつくす程に巨大であり、同時に、膨大である。
ならばそこから出でるのは何か? とても単純な話、彼女達がこの旅路で学んだ一つの真理ーーー……。
「デカさは、強さじゃ」
超巨大リゼラ魔神である。
「……グラマーリゼラちゃんじゃないんですか!?」
「却下じゃ却下。アホかお前」
なお当初の予定とは異なる姿でお送りしております。
「フハハハハハハ見たかカルデアァ! 御主とは発想のスケールが違うのよ発想のスケールが!! オラ踏み潰せ妾魔神!! オルタと(偽)とミニマム達とキノコ妾の敵を取るが良いィ!!」
完全に八つ当たりだし発想はむしろこちらがパクりだしと色々言いたいことはあるが、しかし確かに質量は強さだ。曇天を貫くほど挙だなリゼラ魔神の拳撃一発で結界内の半分は地形が変わることだろう。
だが、カルデアはこれを予期していた。こんな馬鹿げた芸当で来るとは予測していなかったが少なくとも大規模な魔方陣が発動することはリゼラがその場から動かない理由から逆算的に推測していたのだ。
「道化にすら劣るか」
カルデアは己の口に指を突っ込んだ。二本や一本ではなく、むしろ腕ごと全て。そしてそのまま、一気に顎を引き裂いて臓腑まで引き剥がす。人体を無視した奇行は彼の全身を虚空と化させ、そこから大量の亡者を溢れ出させた。
いいや、大量などという生易しいものではない。それは最早、濁流に近い。深淵と怨嗟の濁流が草原を満たすが如く雪崩れ、そのまま途方もない質量を持って巨大な怪物と成り果てたのだ。
それはまるで、地底都市で生まれ落ちたあの異貌のように。
「児戯だ。貴様等の意志も目的も、何もかも。吐き気すら催す。いったいどうしてそんなモノに本気になれるか全く理解に及ばん」
亡者の巨魁は瞬く間にリゼラ魔神を飲み込んでいく。その体躯は魔力で創られた闇の結晶だが、なればこそ尚更浸蝕しやすいのだろう。瞬く間に、その体は深淵へとーーー……。
「夢も語れぬ傍観者が他人の意志を嘲笑うかァアッッッ!!」
しかし、その浸蝕さえも、魔神の拳は打ち砕く。
「自惚れるなよカルデア! 例えそれが如何に下らぬモノであろうと、鼻で笑い肩を透かし蹴り飛ばされるようなものであろうと、夢は夢! 生きる意味であり、意志である!! 生きる意志とは即ち、魂である!! 亡者に成り果てその程度のことも忘れたか? 夢とは魂であることすら、忘れたか!!」
「区切りを付けろ。それを妄言と言うのだ」
「妄言上等! 語れば良かろう!! 夢すら語れぬ者がいったい何を語る!! 現実という名の敗北か!!」
「夢に惑う堕落者に成り果てるのが勝利だとでも言いたげだな」
「ほざけ傍観者! 何度でも繰り返してやろう……、現実に逃げた貴様なぞに妾達が敗れることは決して有り得ぬのだと!!」
魔神、咆吼。その双眸より放たれる熱線は瞬く間に亡者の濁流を灼き尽くす。
無論、亡者とて灼き尽くされる端から幾度も再生し、己等を灼き尽くした黒煙すら消えない内に怨嗟の産声を上げて巨魁を為していく。膨大な魔力により生まれ出でた魔神と、死を奪われた異貌の果てなき激闘。その終わりは、決して訪れない。訪れるわけがない。
即ち均衡か? 否、これは変化である。魔神発動により、戦況は大きく変化していく。
「動くぞルヴィリア! 援護せよ!!」
「アイアイサー! シャルナちゃん、ローちゃん、今からちょっと地獄見ようぜい!!」
「地獄は……、勘弁して欲しいものだな……!」
「にゃーーーッ! やるゾー!! やったるゾー!!」
魔方陣への魔力注入をする必要がなくなった事により、遂に最強の魔王リゼラが起動する。
ただ一歩、踏み出しただけで辺り一面に炸裂する魔力。歴代最高峰と讃えられた魔力は幾千の魔方陣を稼動させてもなお、魔神を召喚してもなお尽きることはない。どころか蓋で抑えられた瓶の上澄みを掬い上げたかのように、むしろ本調子すら発揮していると言えよう。
ここからが本番だ。理外すら超越した神世に生きた邪悪と、現世魔族にて最強の覇王。その戦力は計算や推測の域を遙かに凌駕する。
「滅せよ敗北者! 魔王の道に御主は要らんッ!!」
「愚物めが。貴様は魔王の器ではなかった」
召喚。魔王龍対、深淵の龍。
魔神リゼラと亡者の巨魁を縫うように現れた魔力の龍達は互いの首音に食い付きながら結界すら砕くように激しく衝突しつつ、辺りを飛翔する。否、その程度ではまだ終わらない。リゼラは一切の挙動なしに龍を召喚した魔方陣を振り払うと、直後に新たなる数千近い魔方陣を展開。
しかし、カルデアも同じ数だけの魔方陣を召喚。縦横無限の砲滅戦が始まる瞬間であった。
「言ったであろう!! 発想のスケールが違うと!!」
否、それでは終わらない。
リゼラが天に指差した瞬間に曇天は晴れ渡り、否、雲が裂けて陽の日輪が現れる。
日輪の天幕は瞬く間に巨大な魔方陣に覆われたかと思うと、刹那の瞬間のみ世界から太陽の光が失われた。それは本当に瞬きすら赦されないほどの刹那であったが、しかし、リゼラはその刹那のみであろうとこの世界に降り注ぐ光を屈折させ、魔方陣に一極集中させたのである。
そして放たれるのは正しく天の墜落。魔力抵抗だろうが抗魔力だろうが一切無視した物理的な光の消滅である!
「堕ちろ不敬者!! 御主の時代は疾うに終わったのだ!! これより来たるは我が時代、魔王リゼラの時代であるぞ!!」
結界ごと吹き飛ばすつもりかと疑うほどの超砲撃は巨魁諸共一切の容赦なく灼き尽くす。全く回避も防御も、どころか反応すら赦されぬ至上の一撃である。必然、カルデアさえもがリゼラ達の視界から一瞬で消え去った。怨嗟の泥さえ瞬く間に黒煙すら残さず、影の後を残して消滅した程だ。
だが、その黒焦げの闇からすら亡者は復活する。正しく無尽蔵にして無敵、これは再生と言うよりも不滅と例える他あるまい。そして、無論、語るまでもなくカルデアも同様にこれ程の一撃を受けてもなお、深淵により構築された体は欠けることさえしてくれない。
だがリゼラもこれは了解済みだった。重要なのは、消滅とその僅かな時間である。
「ルヴィリアッ! 核は見えたか!!」
「待ってもうちょい! 今それっぽいのが見えたけど確信は持てない!!」
そう、彼女達の目的はまずカルデアの不滅性を探ることにある。
このまま千日手で攻め続けようと先に訪れるのはこちらの綻び。ならばあの無敵性を解き明かさなければ勝機はないのだから。
「……この、下衆共が」
しかし、カルデアもそれは見抜いている。
――――奴等は間もなくこの体の謎を解き明かすだろう。それは間違いない。
リゼラを動かしたのは失敗だった。あの馬鹿げるほど巨大な像でこちらの亡者が封じられた以上、小手先の策略は通じまい。超火力のリゼラが遠距離を詰め、高速の『最速』が中距離、剛力の『最強』が近距離、魔眼持ちの『最智』が全ての戦況を把握して盤面を整える。全く、隙の無い陣形だ。
面倒なことこの上ない。それ等全てを現世最高峰が担っているというのだから、尚のこと面倒だ。
「だが」
所詮、それは現世に過ぎない。
相手の脅威も見抜けない下衆共の戯れだ。世界を超えさせる贅肉と、その成れ果てすら解らない者共の児戯だ。
ならば打ち砕こう。あの土塊に心酔する不出来共など、相手取るだけ馬鹿馬鹿しい。
「必要なのは……、答えだ」
「あ?」
「人は……、獣もだが……、必ず自問する。この獲物は食べられるのか? この河は渡れるのか? この道の先には何があるのか? 虫螻のような矮小な脳味噌でさえ……、相手が敵かどうか、これは毒があるのかどうかすら自問する……。生命とは問うことだ。生命とは追求することだ……。生命は追求する事で呼吸する……」
「……何じゃ? トチ狂ったか」
「生命の自問は呼吸。生命の自問は鼓動。生命の自問は共鳴。進化は自問によりもたらされ、退化は不問によって与えられる……。死は、疑問により生み出される……」
その時、カルデアの核を探るべく彼の魔力反応を観察していたルヴィリアは気付く。
カルデアの周囲に魔力が集まっていくのを。否、その深淵により形作られた肉無きはずの体に魔力が渦巻いていることを。
「リゼラちゃん違う! それ最上級魔法の詠唱ーーー……!!」
「故に、問うことこそ生命の証明なり」
灼き尽くされ、灰燼と化した草原地帯。
その辺り一面を亡者の汚泥が埋め尽くし、余りに巨大な腕が表れた。それは亡者により組み上げられた巨魁とは比べものにならない異形の腕。かつて世界に正気を振りまき死の象徴として恐れられたーーー……、邪龍ニーボルトの骸だ。
「この規模でも、楽々召喚するってのか……!」
邪龍の骸に群がる亡者達。彼等の泥は瞬く間に邪龍を覆い尽くし、その深淵なる姿を露わにする。
リゼラ魔神すらも凌ぐ巨大さはそのまま彼女達の理論を乗っ取るかのように強大さを証明していた。剥き出しになった牙も、虚ろに惑う黄金の眼球も、何もかもがただ規格外。亡者により創られた肉さえ、その白き骨を覆い尽くせないほどに、巨大。
かつて『死の荒野』で出会った邪龍ニーボルトとは格が違う。魔族の守護神とまで言われた始祖の姿は、ただそれだけで邪悪を体現しているかのようですらあった。
「ッ……! ぅっ……!!」
「ちょ、シャルナちゃん大丈夫!?」
「問題ない……! 少し角が痛んだだけだっ……。始祖様に共鳴しているらしい……!!」
「おい変態! アレ何とかならないのカー? 流石にあんなでっかいのどーにもできないゾー!!」
「大丈夫! 召喚魔法ならちとキツいけど想定範囲だ!! 後手万能の……」
それは、悪夢か。
「範……疇…………」
或いは、絶望か。
「誰が……、一体だけだと言った?」
憎悪の汚泥より現れる無限の軍勢。
あらゆる魔物、あらゆる亡者、あらゆる終焉がその姿を現した。既にこの世より消滅した神世の始祖が、数多の始まりにして終わりが、汚泥より這い出てきたのである。
その姿は決して形あるモノではない。邪龍のように亡者が肉になっているわけでもない。ただ、黒い靄の塊が這い出てきただけだ。終焉という概念が、蒙昧な形を持って現れただけだ。だが、その『だけ』がーーー……。
「……強力な個に対する策も、膨大な数に対する策も、用意してたんだけどな」
現状において、絶対の一手を誇る。
「膨大な個は完全に予想外だぜ、オイ……!!」
その絶望を刻み付けるが如く、瞬間、亡者により形作られた邪龍の口腔が緩やかに開かれる。
辺りの灰燼ごと収束させる豪快な呼吸が何を撃ち放つのかなど、問うまでもない。全員がそれを感じ取った瞬間、ただ一様に、叫びを上げる。
「「「防御ォオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーーーーッッッ!!!」」」
瞬間、結界の七割が崩壊した。
邪龍による咆吼は瞬く間に草原の地盤さえも捲り上げ、『深淵の森』の一角さえも爆ぜ飛ばす。いや、どころか咆吼はそのまま一面を薙ぎ払い、彼女達の立っていた一面を焦土と化した。漆黒の炎と深淵の汚泥で燃やし尽くす、生命の息吹すら赦さぬ絶望の焦土へと、だ。
「………………」
業火が、吹き荒ぶ。衝撃一つ取っても至上類を見ない一撃だった。
濛々と巻き起こる爆煙の、何と黒きことか。小さな生命など容易く燃やし尽くした呪われた焔は、邪龍の咆吼は、ただ吸うだけで魂を蝕まれる瘴気となって空へと昇っていく。
その濃煙は僅かに残った結界で抑え込まれるが、しかし、この大地に刻まれた破壊の痕だけは、余りに残酷なほどに。
「……点呼。はい、ルヴィリア」
「シャルナ」
「ロー!」
「リゼラじゃ。……ふん、形振り構わなくなってきたな」
そんな瘴気の中、リゼラは三人を護った防御魔方陣を振り払って解除し、再び邪龍へと向き合った。
咆吼の凄まじい威力は草原と結界を吹っ飛ばすどころか邪龍自身の肉さえも崩壊させており、目の前には汚泥から抜け出すに抜け出せない半身だけの異形なる骸が怨嗟に唸り声を上げている。ただその光景だけでも絶望と称するに相応しいだろうが、いや、何より厄介なのは汚泥の海を渡って迫り来る新たな亡者達であろう。
それは文字通り絶望の濁流。一体一体が、先の雑魚とは比べものにならないほどの脅威を持って迫り来る軍勢だ。
「……ルヴィリア、カルデアの不滅性を突き止めるのと結界を張り直すまでにどれぐらいかかる?」
「リゼラちゃんの魔力を借りて、短くても五分、長くて十分かな」
「つまりその間、後ろの森へ一体も通さない足止め役が要るわけだ」
「そんでそれを筋肉馬鹿とローがやれば良いワケだナー?」
一歩。迫り来る濁流に、『最強』と『最速』が歩み出た。
その手には覇龍剣と漆黒の義手。濁流という膨大にして強大な個を前には、余りに頼りない刃だろう。
しかし、二人の眼差しに迷いはなかった。あるのはただ、その刃に込める信念の決意のみ。
「……悪いね。迷惑かけるよ」
「何……。生憎と、私とローには結界術の心得はない。それができるのはルヴィリア、貴殿だけだ」
「こっから通したらフォールが危ないからナー。フォールの邪魔させない為にはアイツ等通すわけにはいかないからナー。だったら頑張るゾー」
「はっはっは、頼もしいなぁ……。だけどリゼラちゃんと僕の援護は無しだ。いけるかい?」
「「誰にモノを言っている」」
戦塵、いざ。
「幾千と鍛練を重ね磨き上げた我が太刀筋……、古の虚兵に劣るほど柔ではないぞ」
「ローの婿に、ローの群れに手ェ出した奴はなー、絶対赦さないって決めてるからナー」
参る。
「「行くぞ、有象無象」」
幕間の鐘を打ったのは覇龍剣の剣閃だった。
いや、それは剣による閃光という意味ではない。跳ね上がり、抉れ返った岩盤同士が激突したことによる烈火とでも例えるべきか。シャルナは覇龍剣を地面に全力で打ち付けることで直系数十メートル近い岩盤を空へと跳ね上げたのだ。
その岩盤に巻き込まれて跳ね上がった亡者は数体程度。しかし、その数体さえも跳ね上げられて終わるはずはなく素早い速度で耐性を立て直して、岩盤を脚場にシャルナに向かって跳躍、否、突貫した。
にも関わらずその亡者達の刃がシャルナに届くことはない。死の深淵により形作られた体は、ままにシャルナによって受け止められたからだ。真正面から覇龍剣を振り抜いた片腕で、難なく、受け止められたからだ。深淵が肌を焼き憎悪が心を蝕み、然れどなお、眉根一つ動かすことなく、受け止められたからだ。
「……高が、この程度の痛みが何だと言うのだ」
受け止められた数体の亡者はそのまま地面に叩き落とされて弾け飛ぶ。
彼女はその飛沫を頬に受けて肌を焼かれながらも、覇龍剣を引き抜いて再び前進する。亡者に向かって一歩、一歩、一歩。確実に、追い詰めるように。
「薄皮を焼かれた程度が何だと言うのだ。深淵に蝕まれる程度が、何だと言うのだ!」
各々の武器を手に迅速に斬り掛かる、数十体の亡者。
しかしそれすらも覇龍剣の乱舞を前に、彼女の皮膚に一閃を入れることすら叶わない。
「フォールの苦しみはこんなモノではない! この程度で、止まると思ったか!!」
襲い掛かる濁流に対し、シャルナという一つの異物は波を見事に引き裂いた。
流れ狂う大瀑布に一本の柱が立っていればどうなるか、などという次元ではない。
かつてカルデアはその恐怖により人々を貶め、力を増したという。だが彼女には絶望だろうが浸蝕だろうが、全く持って無意味なのだ。ただ一片たりとて、力を分け与えることなど決してない。
彼女は剣だ。全ての濁流を押し留める、鋭利にして強固なる剣だ。その鉄塊が如き刃と強靱なる筋肉、不屈の意志により押し留める、『最強』の剣なのだから。
「妄執、盲信、耄碌……。哀れなことだ」
しかし、その剣を前に現れる一刃の深淵。
「カルデアーーー……ッ!!」
「貴様等の騙る強さとやらがそうさせるのか? 形もなく、証明もなく……、ただ縋るのみの強さが」
濁流による槍兵、魔道兵の応酬。
亡者共はシャルナにより前線が砕かれると同時に隊列を編成。ただ怨嗟の声に藻掻き苦しむだけだったはずのそれ等が、カルデアの出現と共に瞬く間もなく統率された兵士と化す。ただ一振りの剣を砕くための、無慈悲なまでに最適化された陣形に。
「ならば否定してやろう。我が意志で、貴様の心を砕いてやる」
「ッ…………!!」
彼女を襲う数多の挟撃は、近接戦を得意とする彼女を確実に追い詰めていく。
しかしその一撃が彼女に届くことはない。槍刃も砲撃も、何もかも全てが空中で叩き落とされ、音すらなく弾け飛んだからだ。『最速』の牙が、脆き亡者の群れなど容易く斬り裂いたからだ。
「筋肉馬鹿。こんな変な奴に負けるのカー? じゃあ『最強』はやっぱりローの方だナー」
シャルナの側に降り立ち、獰猛なる牙と漆黒の刃を剥き出しにするロー。
その眼差しには獲物を捕らえる野生の戦意があった。ただ純心に真っ直ぐ、獲物を捕らえる野生の意志があった。
「……ほざけ、馬鹿虎娘」
「やれるカ?」
「無論だ!!」
一挙に、打ち砕く。彼女達の刃は最適化された布陣だろうが不滅だろうが、一切合切を打ち砕く。
接近という選択がある以上、彼女達に敗北はない。例え無尽蔵な亡者の軍勢だろうが、深淵の刃振るう神世の創造者だろうが、だ。
「……不快だ」
創造者は嗚咽する。
――――何故、こんなにも折れない? 絶対的な戦力に抗う力があるからか? ならばさらに絶望を召喚すれば、奴等は折れるのか? 違う。そんなはずはない。この者達はそんな事で折れるわけがない。
違う、違う。そうではない。折れるはずだ。その絶望に砕けない者はいない。誰もが膝を屈し、最期は赦しを乞うはずだ。その恐怖がまた己の力となり、蹂躙するはずだ。だと言うのに、何故、こうも砕けない? 何が奴等を支える? 矜持ではない。違う。矜持では、ないはずだ。この程度の者達がそれを持ち得るわけがない。
違う、違う、違う。何だ、何なのだこの不快感は。思考が纏まらない。何かに押し返されるように、何が、違う。答えに到達することを拒んでいる。何故? 誰が? どうして?
「全く、不快だ」
他ならぬ我自身が、かーーー……?
「カルデアァアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
斬軌がなぞるは必殺の境。
カルデアはそれを片手で受け止めるが、しかし、砲撃すら受け止めた掌は斬撃により弾き飛ばされる。
その一撃で引き戻された彼の思考が捉えるのは引き裂かれた汚泥。自身まで到達されたワケではないが、自身まで斬り拓かれた濁流の波と、そしてその頭上を振り払う、出来損ないの邪龍と組み合う魔神の激闘だった。
一騎当千の亡者をこれだけ並べてもなお、打ち払う。彼が風情と嘲り捨てたはずの者達が、好もうじゃ一人にすら勝てないはずの者達が、それでもなおと立ちはだかる。カルデアにとってその事実は不快と言うよりも毒に近かった。
脳裏の果て、記憶の隅に押しやった一つの記憶を甦らせる、途轍もない猛毒ーーー……。
「何故、絶望に堕ちない? 何故、希望を見る? 貴様等は何だ? 希望の奴隷か、希望の中毒者か……。どうしてそこまで希望に縋ることができる。滅び逝くだけの中に光を見いだそうと藻掻こうと思える? 解らぬ。全く……、解らぬ」
彼女達の自身に対する認識は不快だ。全く、無礼極まりない。
しかし、何故か。それ以上に不快な感情がカルデアの中に渦巻いている。彼の鼓動を目覚めさせようと何かを吐き出している。それが猛毒なのだと未だに彼は気付いていないが、だが、着実に不快という鈍痛となって彼の脳裏を貪っているのは間違いない。
カルデアは気付かないだろう。決して、気付けないだろう。今この圧倒している戦況でさえ、絶対の勝利を確信できる戦況でさえ、彼はその理由に気付かない。いいや、例え苦難訪れ危機にさらされたとしてもカルデアは決して気付けない。気付けるわけがない。
「嗚呼……、不快だ」
当事者ではなく傍観者たる立場を望んだ時点で、彼はその答えには、決して辿り着けないのだから。
「不快だぞ……、愚物ども」
描き出す古代の韻律。紡がれる怨嗟の音色に、深淵の魔方陣が空中へ刻まれる。
それとほぼ同時だっただろうか。カルデアの眼前に、閃光が現れた。超加速の果てに雷鳴すら纏った『最速』を誇る猛獣の牙、ローだ。
彼女はカルデアが何かを発動させようとしたことを野生の直感で感じ取ったのだろう。濁流の阻止をシャルナに任せ、彼女が一太刀振るう瞬間にのみ牽制の一撃を与えに来たのである。
そしてそれは事実、完全な不意打ちとなった。『最速』の速度、濁流による圧倒という慢心、自身の独白への意識という三つの条件が重なったことで、カルデアはその不意打ちに反応できなかったのだ。無論、臓腹から溢れ出る亡者達とてその速度には追いつけない。
カルデアの不滅性が解らない以上、やはりその一撃は牽制でしかないだろう。だがカルデアが起こそうとしている何かを阻止するには、充分なーーー……。
「最早、刹那とてその戯れ言を吐くこと罷り成らん」
牙は、邪悪にはとどかない。
カルデアはその一撃を受け止めたのだ。軽々しく、羽虫でも振り払うかのように、ただ、受け止めたのである。
「奴隷よ……。贅肉すら付けることもできぬ敗者の末路……。貴様等はその階位まで下り堕ちた……」
ローの義手が、僅かに違和感を覚える。
粉砕ではない。腐敗でもない。溶解ですらない。それは、まるで、消え去るかのように。
「去ね。我が運命に貴様等は不要である」
「フシャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!」
瞬間、ローの野生の直感が感じ取ったのはいったい何だったのか。
深淵などというものではない。深さの淵などという、ものではない。それより遙か彼方、虚空よりも深く、虚無よりも恐ろしく、虚構よりも果てしない闇ーーー……。この世界に刻まれ悲劇を生み続けてきた全ての因果の成れの果て。亡者が恐れ、怨嗟に泣き叫ぶ邪悪の正体。
初代魔王カルデア。それは彼が、不快なる憤怒の元に己の枷を消し去った瞬間だった。
「貴様等の何がここまで我を不快にさせる……? 解らぬ。全く、解らぬ……。それが、また不快の芽を生む……」
戦慄。ローは聞き慣れた、然れど聞いたこともないその声を耳にした瞬間、後方へと撤退した。
いや、撤退と言えば聞こえは良いが実際は逃亡だ。辺り一面の残塵が風圧で全て森へ吹き付けられるほどの速度で、彼女は逃亡したのだ。そうしなければ何が起こっていたのか想像に難くないほどに、冷酷な現実が目の前に突き付けられたのである。
「かつての時代、輝きの刻にこんなモノはなかった……。こんな不純物は、決してなかった」
深淵の刃が、ただ振り上げられただけの刃が空間に軌跡を刻む。
それは凍土で吐いた息が解れるような流れであったが、しかしそんな現象とは全く異なったものだった。
割れて、いるのだ。空間が文字通り、その刃によって引き裂かれているのだ。
「赦してはならぬ。我が時代に、これより訪れる混沌に、このような不純なるモノは、決して……」
その時空より覗くのは躍動する生物の臓腑であった。
否、それは断じて臓腑などではない。心臓のように躍動し、血脈のように潤い、眼球のように蠢いているが、決して臓腑などではない。それは偏に、魔方陣であった。如何なる芸術品よりも繊細に、如何なる月光よりも鮮明に刻まれた一種の魔方陣であった。
ルヴィリアが草原に仕掛けた途方も無い極小の魔方陣とは文字通り次元が違う。魔眼を使わずとも理解できてしまうほどに、その、魔方陣は。
「……リゼラちゃん、急で悪いんだけど悪いニュースともっと悪いニュース、どっち聞きたい?」
「夕飯のメニュー」
「じゃあ悪いニュースから行こうか。……まず奴の不滅性が解明した。奴が霊体なのは解ってると思うけど、端的に言おうか。核も霊体だ。信じられないけど奴は核まで霊体だから破壊は不可能だ」
「もうこの時点でマジ不死身としか言えないんじゃが、もっと悪いニュースって何?」
「結界再構築やめなきゃダメなんだよね」
「…………一応聞いといてやる。何でじゃ」
すぅ、と息を吐いてルヴィリアはリゼラから掌を引き離した。
ただそれだけの所作にも一切の油断を含まず、ただ、眼前の存在を見定めながら。
「今から、たぶん自分ぐらいしか護れない」
「……じゃろうな」
まず始めに動き出したのは、空だった。
リゼラの一撃により張れたはずの暗転が再び漆黒へと染まったのだ。それは再び暗雲が亀裂を塞いだだとか太陽が雲に隠れただとか、単純な理由ではない。しかし単純な原因ではある。
空が、塞がれたのだ。雲ではなく空そのものがーーー……、十二対の深淵の刃によって。
「雑魚量産、攻撃無効、勝手に本気モード、んでチート戦闘力とか……、これなんてクソゲー?」
「気持ちは解るけどさっきからクソゲーしか言ってないぜ、リゼラちゃん……」
そして、墜落する十二対。
ただ一本のみですら邪龍を上回る質量を持って、純粋な魔力と深淵の結晶たる殺意を振るう刃。
受ければ、どころの話ではない。墜落させた時点でこの草原に生き残るのは不滅のカルデアのみだ。それが今、十二対となって天より降り注ぐのである。
「チィッ、ラスボス気取りおって小物めがァッ! フィールド破壊は禁じ手じゃろうがぁ!!」
「リゼラちゃんそれどころじゃない! 魔力貸して、僕がアレを魔眼で打ち消す!! 君は消し漏らした刃を打ち消してくれ!!」
結界再生を中断した魔力全てを魔眼による相殺に回し、天極の刃を凝視する。
肌で感じ取るだけでも凍てつくような魔力濃度だ。魔眼で見れば、目眩すら覚えるほどの密度が流れ込んでくる。打ち消すには例えリゼラと自身の魔力を持ってしても全て打ち消すことは不可能だ。そして、それよりも遙かに撃ち落とすことの方が難しいだろう。
即ち、その攻撃を打ち消すにはルヴィリアが魔眼によって十二対を幾つ消滅させられるかに掛かっている。六つ、いや、最低でも九つは消さなければこの盤面の余りに脆い均衡は、瞬く間にーーー……。
「おい、まだかルヴィリア!? さっさと魔力を使え!!」
「……悪い冗談だぜ、リゼラちゃん」
「あ!? 何が!!」
「魔眼が、打ち消されてる……」
直感的に天より視線を逸らしたルヴィリアが捉えたのは、深淵を放つカルデアの眼だった。
――――必然だ。そうだ、可能性としては既に存在していたはずだ。自身のこの権能は数多くの魔族の混血、そして人間の魔力が混ざったことにより奇跡的に発現した一種の先祖返りに近い権能だ。そう、遙か古代に誰か、先祖が持ち得ていたはずの権能なのだ。
それが例え全ての魔族の始祖たる初代魔王だとしても、カルデアが魔眼という権能を持ち得ていたとしても、何ら不思議ではない。
「魔眼で、魔眼をッ……!!」
十二対の深淵は墜落する。加速度的に、墜落してくる。
しかしカルデアはそんな猶予を下すほど甘くはない。彼は汚泥を打ち払うシャルナを余所目に邪龍の頭蓋へ飛び乗り、その脳髄から深淵の汚泥を覆い被せていく。己の咆吼一つで散った憎悪の血肉が瞬く間に覆い尽くされ、邪龍はかつての姿を取り戻した。例え汚泥から出でる半身のみであれど、かつて世界に正気を振りまいた邪龍ニーボルトの復活だ。ただ僅かな呼吸のみで、漆黒の毒素は辺り一面へと振りまかれていく。
結界外の草原を焦がし、森を枯らし、空舞う鳥や地を這う蟲たちまで磨り潰して、刻々と、拡がっていく。
「カ、ルデア…………!!」
シャルナの屈辱に、カルデアは視線さえくれてやることはない。
ただ、自身の背後にある亀裂から覗く魔方陣を加速させていく。臓腑が如き魔方陣を、一つ、一つと時を刻む秒針のように鼓動させながら、邪龍を汚泥から這いずり出させていく。
空中に、飛ぶつもりだ。邪龍を完全に復活させて、あの十二対の刃より高く、飛翔するつもりだ。
そうすれば待っているのは空中からの一方的な挟撃だ。地上の亡者と空中の邪龍の双方を撃ち落とすだけの戦力は、彼女達にはない。
「やるしかないナー」
「ロー!? 貴殿、先刻は……、待て、腕はどうした!? 義手は!」
「うっせーナ。砕けちまったゾ。何か知んねーけどボロボロ崩れちまったんダ」
漆黒の義手は、それこそ腐り落ちるかのようにぼとりぼとりと、泥のように地面へと落ちていく。
恐らくカルデアによる深淵を直接、真正面から受けた故のことだろう。如何に『最速』の加速すら耐えるその義手であろうと、深淵には敵わなかったのだ。
「カルデアに掴まれたからか……! ちぃ、下がれ!! 幾ら貴殿でも片腕でこの亡者達の濁流を止めるのは無理だ!!」
「だけどあの龍なら止められるだロー」
ローの双眸は肉を得ていく邪龍を睨め付けていた。
群れを護る長として、ただ一本の腕という牙を持って、鋭く。
「ローの義手すっごいんだゾ。何か知んねーけど『滅亡の帆』の一部なんだロ? だったら、同じ『覚醒の実』と『不魂の軍』で創られてるあの龍だって撃ち抜けるはずだろーナ」
「それは、だが……!」
「こんなトコで止まるつもりないんだロ? お前、フォールの妻になるんだロ? まぁ一番はローの婿だから二番目だけど、なるんだロ? ……アイツ飛ばせたら、きっと森も焼かれる。この先の街だって焼かれる。フォールの夢は叶えられない。それで良いのカ?」
ぺちり、と隻腕の義手がシャルナの頬を叩く。
『最速』にしては酷くノロマな、掌だった。
「お前はノロマだから、無理だナ。けどローの速さなら撃ち抜ける。きっとあの龍を飛ばす前にブチ抜いてやれル。『最強』より『最速』の方が適任なんダ」
「……しかし、ロー」
「お前の先祖だからブチ抜くんだゾ。スカッとするナ」
迫り来る濁流、汚泥より現れる大翼、墜落してくる十二対の深淵の刃。
間もなくその時は訪れるだろう。例え邪龍を撃ち落としても濁流は止まらないだろう、十二対の刃は止まらないだろう。濁流を打ち払ったとしても邪龍は飛び立つだろう、十二対の刃は振り落とされるだろう。十二対の刃を消滅させたとしても濁流は森を飲むだろう、邪龍は飛翔するだろう。
だが、一歩だ。ただ一歩、一太刀、一撃で良い。彼女達は誰も、一人として諦めようとはしなかった。
その強さ故に、彼女達は決して目の前に拡がる絶望の道だろうと、立ち止まるという選択肢を取ることはなかった。
「リゼラちゃん、やっぱもっかい魔力貸してくんない?」
「あ? 何じゃ御主さっきから。リポ払いさせるぞ」
「いやそれ返済できないんで……。そうじゃなくて、ちょっとこっちもマジに取り掛かってやろうってだけの話さ」
既に魔眼は封じられた。唯一にして絶対とも言える権能を封じられた以上、ルヴィリアンできることは限られている。
ならばその限られたことの中で出来ることをするだけだ。選択肢が一刻一刻と削られていくことなど既に百も承知。フォールのように消される度に無理やり引き出してくるようなことは、彼女にはできない。
だから準備した。自分に出来得る限りの選択肢を準備した。十か、百か、千か? ならば削りきられた今でもなお残っているのは、果たして幾つだ?
「嗚呼……、全く無謀なことたよ」
例えそれが零の彼方でも。
「だけど今までの旅よりはよっぽどマシだネ」
「ふん、同感じゃな」
リゼラとルヴィリア、シャルナとロー。彼女達の距離は数十メートルと離れていない。
しかしこの瞬間、彼女達の意志は奇しくも一致した。絶望に絶望を上塗りされ、然れどなお諦めの意志など微塵もなく、彼女達は再び天を見たのだ。覆い隠され、塗り潰され、消し重ねられた空の、その果てにある光を、見たのだ。
「最期の懺悔を……、聞いてやろうか」
故にその光に陰りを落とす者に対する返事は、ただ一つ。
「「「「FUCK YOU」」」」
「……失せろ、愚物ども」
天剣、墜つ。
曇天を斬り裂いた警鐘と共にまず動いたのはルヴィリアだった。彼女はリゼラから膨大な、普遍的な魔族ならば数千体分すら超越する魔力を受け取ったのだ。その魔力量たるや彼女の許容量を遙かに超越しており、魔眼を封じられた彼女には決して扱いきれる量ではない。
だが、それこそルヴィリアが用意した最大の策略だった。刻々と削られていく数多の策略の内、最大の火力と最大の効力を発揮できる、最大の策略だった。
「魔道は事象の組み合わせだ。単純な事象を無限に組み合わせ、一つに纏め上げたのが魔術や魔法になる……。じゃあ、解けば良いわけだ。無限を解いてやれば、馬鹿みたいに簡単な事象になる」
そして、と。
「魔眼は……、理解を現実にできる唯一の権能だ」
しかし、その魔眼は封じられている。
そうだ、封じられているのだ。一瞬だって発動できない。次元も格も違う初代魔王による魔眼はただ一瞥で彼女の魔眼を相殺した。そう、どうしようもなく発動できない。魔眼という権能は既に死んだ。
異端たる彼女に赦された唯一にして絶対の権能は、余りに呆気なく崩壊したのだ。そんな事は、ルヴィリア自身も嫌というほど理解できている。同時に、今この瞬間を魔眼なしに脱することができないということも、知っている。
ならばどうすれば良い? 魔眼が使えず、しかし魔眼を使わなければならないというこの矛盾、彼女ならば、どうするかーーー……。
「魔眼、発動」
簡単だ。子供にだって解る。
魔眼をーーー……、使えば良いのだ。
「…………貴様、何を」
瞬間、カルデアの片目を覆っていた魔眼の深淵が破裂した。
錯覚ではない。彼の魔眼は強制的に解除され、魔眼の為に通じていた魔力が暴発的に破裂したのだ。
つまり今、彼女は初代魔王の魔眼を上回ったことになる。自身を束縛する深淵の鎖を無理やり力業で引き剥がした、というわけではない。
「おいおい、説明中だぜ。よく聞けよ……。魔道は単純な事象の組み合わせなんだ」
緋色の光が煌々と草原を照らす。しかしその彩りは決して彼女の双眸から放たれているわけではない。
そんな、次元ではないのだ。その双眸すら上回る絶対的熱量! 膨大すら超越した魔力量が誇る幾億の魔方陣が爛々と輝きを放つその様の、何と芸術的なことか。星空すらもこの天爛には敵うまい。それほどに、この輝きは美しかった。
「突き詰めれば……、魔眼も魔道の一種なんだぜ」
その、リゼラ魔神の双眸より放たれる輝きは。だ。
「貴様……、まさか魔神を召喚したのは……」
「いいや? リゼラ魔神を召喚したのはリゼラちゃんだぜ。それを操作できるのもリゼラちゃんだ。……だけどこれを設計したのは僕なんだ。そして、彼女から今、魔力を受け取っているのも僕。魔神の操作権を得ているのは、僕なんだ」
「自身を回路にしているのか。魔眼権能特有の、魔力操作が成せる技とでも……」
ただ、一言。
「下らぬ」
カルデアは侮蔑を吐く。
「良かろう。魔眼の制眼権はくれてやる。ただ気は抜かないことだ……。刹那でも緩めれば、再び我が魔眼は制眼権を取りに」
「まーまー、そう慌てるなって」
態とらしく落ち着かせながら、ルヴィリアはその場から歩み出した。
リゼラの肩をぽんと叩きながら、いつも通り飄々とした微笑みのままに。
「繰り返すようだけど、魔道は単純な『事象の組み合わせ』なんだよ。ぶっちゃけ上に向かう力と炎を放つ力なんてモノを組み合わせれば、それだけで魔道が完成する。それを幾千、幾万、幾億と組み合わせれば……、魔眼相当の魔道を生み出すことも可能になる」
「…………何が、言いたい」
「その逆も可能だってことだぜ」
瞬間、カルデアは眼を見開き砲撃を撃ち放った。
しかしその砲撃は魔方陣による障壁によって防ぎ弾かれる。捉えるのは真髄の眼差しであり、ただ力すら持たぬ視線だった。魔王の、不屈の双眸だった。
「魔眼も魔方陣なんだ……。単純な事象は、解けば何てことはない、馬鹿馬鹿しくなっちまうほどシンプルな現象の組み合わせなんだよ」
緋色の輝きが、増していく。
「本当はね……、結構捨て身の策略だからさ。こんな使い方はしたくなかったんだ」
「させると、思うか…………!!」
「するんだよ。僕がね」
輝きは雷鳴に等しく、暗雲すら晴らす天陽の煌めきと化す。
それに呼応するが如くルヴィリアの片眼もまた、刻一刻と光を収束させ、否、その光をむしろ霧散させるように解け歪んでいく。雷鳴はそのまま閃光となって辺りの地面を砕き割り、緋色の光を潰していく。それでもなお、ルヴィリアは魔眼を止めることはなかった。魔神と通じ合ったその眼差しを、緩めることはなかった。
「魔眼の恐ろしさは誰よりも僕が知ってる。その強さも……、異端さも……。僕の一部だ。僕の力で、僕の姿だ。それを否定するワケじゃないけど……、はは、なーに、単純な話でね」
魔眼の光は、今。
「テメェごときに使わせるほど安い権能じゃないんだよ。……僕の、魔眼は」
「出来損ないがぁああああああああああああああああああああああああああッッッッッ!!!」
邪龍、飛翔。瘴気を振りまき、悪しき龍は天へと飛び立った。
収束された咆吼は魔神へと撃ち放たれてその体躯を撃ち貫き、絶対不可侵の領域の元、十二対の破滅と共に魔眼の光ごと希望全てを躙り潰す、かに思われた。
龍の大翼が、引き裂かれたのだ。飛翔しかけた龍は大きく体勢を崩し、いや、そればかりかその体躯を無限に等しい境界線が引き裂いていく。瘴気に痕跡すら残すことなく、ただ、乱雑に線を引いたかのように幾度も幾度も幾度も、斬り裂いていく。
ただ一匹の、獣によって。
「流石はローちゃんだぜ……。ん、じゃあ、まぁ、リゼラちゃん。後は頼んだぜ」
「おう」
閃光は臨界点まで到達する。遂に魔眼の輝きは緋色を超えて真紅にまで成り果てた。
魔神は駆動し、強大なる一歩を歩み出した。その豪快に過ぎる腕は墜落する十二対の深淵の刃をその腕に抱え込み、魔眼の光ごと内部へと収縮させていく。刃を、その体躯に飲み込み、喰らい尽くしていく。
「初代魔王カルデア。教えてやるぜ……。君は確かに強い。まー、クソゲーレベルのチートも良いトコだ。けどね、君は絶対僕達には勝てない。いいや僕達一人にだって君は勝てないだろう。例えフォール君にだって……、勝てないさ」
そして、魔眼は。
「道を歩める強さを知らない君なんかに……、僕達が負けるわけないんだよ」
周囲一帯、その光が届く範囲の事象を一挙に書き換えた。
カルデアはそれに気付いた瞬間に魔眼の制眼権を放棄したが、遅い。事象の書き換えは容赦なくその身まで蝕み、彼が放棄するまでに戸惑った刹那の間に、カルデアの霊体までもを大きく蝕んだ。
即ち、彼女は覚醒『不魂の軍』達、深淵の魔眼、天空に君臨する十二対の深淵の刃の全てを書き換えたのだ。決して全てを掻き消しただとか無効化しただとか、そんな大層なことはしていない。いいや、厳密にはできなかったのだが、不要だったのだ。
彼女が書き換えたのは魔道の深淵にして真髄、ただそれだけだったのだから。
十二対の刃を花弁に、汚泥を花畑に、魔眼を盲目にーーー……、書き換えただけだったのだから。
「貴様、魔眼をッ……! この俺の霊体をォッ……!! 出来損ない風情共がァアアアアッッ…………!!」
さらに、彼女の残したモノはそれだけでは終わらなかった。
魔眼の権能は多岐にわたる。それはつまり、魔眼はそれだけで万物の魔道を納めていると言って良い。
そう、万物だ。幾億という事象を、さらに幾億に隔て、さらに、さらに、さらに。その中の一つに、例え霊体を崩壊させるモノがあったとしても何ら不思議ではない。
「ニーボルトォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッッッ!!」
舞い散る彩色の花雨に雄叫びを上げる邪龍。引き裂かれた体はカルデアの慟哭と共に再び深遠に覆われ、砕け折れた骨格さえも修復していく。瞬く間に、恐るべき速度で、修復していく。
だがーーー……、速度という事象において、彼女に敵う者などこの世には存在しないのだ。
「ルヴィリアはナー、変態でナ、馬鹿みてーな奴だけど……。スゲー奴なんだゾ」
隻腕の獣が、花弁の雨に舞い上がり。
「誰かを護るためか、自分を護る為か……。どんな理由だって良いけどナ、アイツも、ロー達も、それを持ってる。道を歩む意味を、その先に拡がる意志を……。だから、強いんだ。どんな形だって、どんな心だって良い。目指すべき夢があるから……、進むべき道があるからロー達は強いんだよ」
天地に一閃の境界を、穿つ。
「だから、勝てるんダ」
虚空の果て、舞い荒ぶ邪龍の首根。
骨格も汚泥も何もかも、超速を極めし一撃は全てを斬り裂いた。
一匹の獣の元に、その片腕ごと全てを撃ち砕き、ただーーー……、閃光の果てに。
「……こんな」
滅び果て逝く邪龍の骸。汚泥に甦ることすら出来ず、彩り豊かな花弁の波間へ消えていく。
鎮魂の歌は奏でられない。ただ、亡者に対する手向けの花だけがそこにあった。数多の個を斬り貫く刃が、決して砕けぬ意志が、そこにはあった。
この旅路、幾千幾度と意志を重ね、戦って来た者達がいた。それを間近で見て来た者達がいた。本来の歴史ならば敢えなく倒れ、正義の意志を知ることはなく、己の意志に準じることもなく、倒れていった者達がいた。
いや、今もなお彼女達は正義など知らないのだろう。悪辣なのかも知れない、悪癖なのか、悪意なのか。その果てにあるものは、定かではない。
だがそれでも彼女達の意志なのだ。他ならぬ、彼女達が望み、信じ、魂を賭けるに値する、意志なのだ。
「塵芥共に、この、我が」
花弁に舞う二つの体。その体は優しく、包み込むように魔方陣の結界によって保護された。
それを護るのは『最強』を誇る一人の剣士か、或いは最強を謳う一人の魔王か。
「強かろう、カルデア。我が部下達は……」
「この、我が……! この我がぁああああ……!!」
「妾はもっと、強いがな」
「ほざけ塵芥ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
展開する無尽蔵の魔方陣。収束される砲撃と、深淵の暗黒。
天空を埋め尽くした十二対の刃と魔神が花弁となって降り注ぐにも拘わらず、未だその魔力は尽きることはない。彼の背後に展開される亀裂の魔方陣はさらに鼓動を加速させ、深淵の泥を吐き出していく。それは濁流すら越えた雪崩れ、いや、崩壊に近い。草原一帯を埋め尽くす深淵の、何という脅威。
現れる亡者の質も、まだ上がる。一体一体が有象無象の靄に覆われた姿ではなく、歴戦の勇士が如く名のある武を構えるほどに、精度が上昇しているのだ。
「自惚れるな、阿呆」
しかし、魔王はそれを一掃する。
「ルヴィリアに魔力を与えておる間……、妾が呑気に突っ立っておったと思うか。それともあ奴に与えた魔力で妾が疲弊するとでも思ったか?」
灰燼冷め要らぬ間に放たれる砲撃の乱舞。
しかしその砲撃さえも鉄塊の剣閃が撃ち落とす。忠義の騎士による斬歌は未だ、幕引きを赦さない。
「与えられた時間は……、充分であったぞ」
召喚される幾億の火球。圧倒的なほど無慈悲に、それ等は地平の彼方までを埋め尽くした。
カルデアの直感にすらそれ等は真っ直ぐ訴えかけてくる。ただの火球にも関わらず、それを受ければただでは済まないという純然たる事実のみが、突き付けられる。霊体が崩壊しかけている今、それを受ければ間違いなくただでは済まないのだ、と。
否、その事実さえも彼は拒んだ。深淵の刃を振るい、消滅する邪龍の頭蓋から飛び降り、突貫した。
「何故……」
ただ、その事実を拒む自身という現実さえも、拒みながら。
「何故だ……!」
収束されゆく火球と、腕を組み君臨する魔王の眼前に現れるのは忠義の騎士。
暴嵐が如き剣舞は瞬く間に激突し、烈火を散らす。それは初撃の激突より遙かに速く、遙かに強く、遙かに鈍かった。まるで鋼鉄の銃弾を真正面から衝突させ会うかのような、そんな衝撃音ばかりが炸裂する。
カルデアの剣閃は軌跡すら捉えられぬはずの速攻だ。にも関わらず、深淵の刃より数倍は巨大な覇龍剣が同じ速度で、いや、それさえも上回って剣戟を繰り広げているのである。
相手の攻撃を流れのままに逸らす『往なし』、剛力を持って衝撃を返す『打ち返し』、極限の集中を持って急所へ最速の一閃を放つ『斬り抜き』、防御の間に合わない斬撃に対し柄で殴ることで叩き落とす『柄撃ち』、相手に刃を当てるのではなく剣圧のみで斬り裂くことで速度を重視した『流し剃り』、大剣の腹で視界を覆い顔面を撃ち抜く『無明』、斬撃を峰で弾く『峰盾』、相手の斬撃に対し突技で弾く『一輝の針』、斬撃に併せて体を回転させて加速力を上げて薙ぎ払う『龍舞』、覇龍剣を左逆手の盾として右肘による叩き上げを行う『山崩し』、上段より渾身の力を持って振り下ろす『斬断の剣』。
これ等はあくまで彼女が撃ち放つ技の一部だが、シャルナが日々鍛練を積み受け継いできた斬撃の一部でもある。先代より、ただ、日々を鍛錬に込めて受け継いできた、他ならぬ剣である。
「何故撃ち破れないッッッッッッッ!!」
断言しよう。剣術は明らかにカルデアが上回っている。威力も速度も持続力も、カルデアが上だ。
ただ一つだけ、技術。それのみがシャルナに劣っている。故に幾百幾千と斬撃を撃ち込もうと貫くことができない。打ち勝つことが、できない。全てに置いて圧倒しているというのに、勝利まで到達することができない!
――――何故だ。こちらの何が劣っているという? 高が技術か? 僅かな、ほんの僅かな差ではないか。埋めて有り余るモノがこちらにはあるはずだ。だと言うのに何故、どうして、勝てない? この女を打ち破れない?
これ程の斬撃を浴びせかけてもなおーーー……、倒れない?
「意志無き力に、何の意味がある」
それは刹那にも満たない、針先ほどの隙間。
その隙間に、カルデアは確かに聞いたのだ。
「歩んできた道に意味がある。歩んでいく道に意志がある。歩むべき道に意義がある」
剣戟の烈火に撃ち弾かれる狭間、確かに。
「……薄っぺらいぞ、カルデア」
その言葉を、聞いたのだ。
「恐れたな?」
瞬間、カルデアの脳裏に甦るのは一人の男の姿。
その者は決して強者ではなかった。ただの人間であり、驚くほど脆弱だった。恐らく鍛え上げた人間の方がどれほど強かったことだろうか。
だが、その者は折れなかった。度重なる策謀をくれてやったと言うのに、精神を蝕み砕くに充分な絶望をくれたやったと言うのに、その膝を屈するに値する試練を暮れてやったと言うのに、決して諦めることをしなかった。
「……その眼を」
――――不快だ。嗚呼、不快だ。
不快な、はずなのだ。この心に渦めく感情は間違いなく不快というモノのはずなのだ。
違う、違うのか。これは不快などでは、ないのか。知っている。自分は知っているはずだ。この感情の正体を、知っているはずだ。
あの時ーーー……、記憶の彼方、薄れ陰る追憶の果てにある、あの時。業火と咆吼の果てに、天空の玉座で刃を突き立てられたあの時。脆弱で、触れれば壊れるほど脆い人間と刃を交わしたあの時、感じた感情だ。この身から溢れ出た、どうしようもない感情だ。
「その眼を、やめろ」
自分は、まさか。
「その眼を、やめろォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」
この愚物を、恐れているのか。
「やはり……、器などではなかったな」
瞬間、剣戟の応酬は余りに呆気なく終わりを迎えた。
カルデアが絶叫した隙にシャルナが飛び退いたのだ。防ぎ隔てていた道を、自ら明け渡したのである。
当然であろうーーー……、砲撃の射線に立ちはだかる者は、標的しかいないのだから。
「これならまだ、妾達の前に立ちはだかってきた愚か者達の方が難敵であったわ」
炎球、収束。唯一の炎剣と化す。
「終焉の焔剣」
「愚物がぁあああああああああああああああああああああああああああッッッッッッ!!!!」
その一撃は今、撃ち放たれる。
終焉刻む一閃は遙か彼方、『凍土の山』ごと初代魔王を両断した。僅かに残っていた丘すら溶かし尽くし、暗雲すらも斬り拓き天を映し出す天輪の剣刃。それは例え、霊体であろうと業火の果てに燃やし尽くす。紅蒼の焔すら超えた、純白の炎によって、微塵すら残さずに。
魔眼という権能が封じられ、深淵の泥を消滅させられ、機動力の要たる竜馬まで奪われたカルデアにその一撃を回避する手立ても防ぐ手立てもあるわけがない。始祖にして最強を誇った過去の栄光は、魔王の斬撃が放つ業火により、炎獄の彼方へ葬られたのだ。
「……リゼラ様」
「ルヴィリアが魔眼を通じてこちらの事象まで引っ張り出した霊体の核を燃やした。あの炎は対象を燃やし尽くすまで決して消えぬ終焉の炎……。如何にカルデアであろうと核を燃やされては一溜まりもなかろうよ」
轟々と燃え盛り、白き焔の中で藻掻き狂う異貌を背に、リゼラは踵を返した。
「ふん……。己の道も逝けぬ阿呆めが。愚物はどちらだ」
彼女はその一言を吐き捨て、結界で守護していたルヴィリアとローの元へ歩んでいく。
二人とも魔力と死力を尽くしたことで気絶しており、もう戦える状態ではない。だが奇跡と言うべきか意志の執念と言うべきか、命に別状はないようだ。
彼女達の決死の突貫のお陰で初代魔王カルデアを討ち取ることができたのだから、その功績は素直に讃えねばなるまい。まぁ、起きた時の第一声次第ではあるけれど。
「行くぞ、シャルナ。最早ここに用はない……。さっさと『始まりの街』へ向かおう」
「……えぇ、そうですね。フォールが気掛かりです」
「ケッ、あ奴などどーでも良いのだ! 妾は疲れたからとっとと飯を食いたいだけでだなぁ!!」
「それこそ街が一つ滅びそうなので手加減いただきたいところですがーーー……」
やいのやいのと騒ぎつつ、森へ歩んでいくリゼラとシャルナ、そしてそんな彼女達に背負われたルヴィリアとロー。
こうして、彼女達の戦いは終わったのだ。創り出された運命に決着は着けられ、因果の物語もまた終わりを迎えることになる。立ち塞がった幾つもの因果が、捕らわれた幾つもの魂が、弄ばれた運命の糸が、ようやくその手から解放されたと言って良いーーー……。
――――然れど、未だ。
「…………ぬ、のだ」
邪悪、潰えず。
「有り得ぬのだ……。この我が、敗北するなど……」
業火より歩み出て来るその姿は、骨の髄まで灼き尽くされた骸のようだった。
皮肉にもその姿は彼が消耗品のように弄んだ亡者達に似通っている。彼の臓腹から零れ出る僅かな汚泥と見分けも付かないほど焼け焦がれており、とても尋常な状態とは思えない。
例え霊体だろうと純魔力による終焉の焔を受ければ無事では済まないという何よりの証明だろう。
「引き際すら忘れたか、愚か者。それでも一時は我が憧れにあった者か」
「黙れ下衆めが……! この計画に何年掛けたと思っている……!! あの忌々しい我が半身めと手を組む屈辱に耐え、堅苦しい秘宝なぞに閉じ込められ……! それでもなお耐えた! 美しき時代のため、輝かしき時代のため、耐えた! 耐えたのだ!! 他ならぬこの我が、耐えたのだぞ!!」
「一度や二度耐えたぐらいで威張るな小物が!! 耐えるという事は己の意志を心に秘めること!! 誇るならば意志の果てに成し得た功績で誇れ!! 耐えたことだけ誇るのは何も成し得ていないと言い触らすのと同義ぞ!!」
「黙れ! 我が力、我が魔力……!! 全ての魔族の頂点として生まれたこの我こそが、時代を創り上げる始祖となるのだ!!」
亀裂の魔方陣が、止まった。
鼓動は静かに衰え、萎縮するように臓腑が如き魔方陣は色褪せていき、やがて崩れ去る。それは他ならぬカルデアがその魔方陣を破壊したが故のことだった。
「時は……、動き出す」
その瞬間、カルデアの全身が再生を開始した。
いや、それは再生などと呼ぶべきではない。全ての血肉が余りに異様な速度で、幻煙による再構成すら上回る速度で、瞬く間に元の状態へと巻き戻ったのだ。まるで時間そのものでも巻き戻したかのように。
そして、リゼラは見た。その再生しゆくカルデアの血肉の果て、深淵で彩られた臓腑に背後の亀裂と同じ魔方陣があるのを。そしてその魔方陣が徐々に崩壊を始め、カルデアの体へ取り込まれていくのを。彼の体から溢れ出る魔力が、可視化できるほどの濃度を持って行くのをーーー……。
「く、は、はははははははッ! はァはははははははははははァッッッ!!」
絶嗤。カルデアの体躯から一切の傷が消え失せ、彼の周囲にあった花畑が枯れていく。
違う、枯れているのではない。ルヴィリアの臨界点爆破により燃え尽きた状態まで戻っているのだ。どころか地面は魔方陣を仕掛けられる前まで、種、荒れ地、岩、水と異様な速度で巻き戻っていく。カルデアは時間が巻き戻ったかのように再生したのではない、事実巻き戻して再生したのだ。
その範囲は刻々と汚水が真っ白な紙へ染み渡るかのように拡がり、瞬く間に草原を浸蝕していった。
遙か古代ーーー……、恐らく、神世の時代まで。
「リゼラ様……! これは!?」
「解らん、が。恐らく時間の概念まで到る桁外れの魔道じゃの。……なァーるほど、えらく調子の良いことばかり抜かすから違和感があったがこれで合点がいった。奴め、初代勇者に負けたことを忘却しておったな? じゃが、妾達が再びそこを刺激することで枷を外しおった」
「ちょ、ちょっと待ってください! どういう事です!?」
「簡単な話じゃ。アレはどういうワケだか時間を巻き戻しておる。その結果、奴は自分の状態どころか脳味噌の記憶まで巻き戻して消失させたのじゃ。初代勇者めに敗北した記憶も、当然のことな。……無論、記憶は完全に消えたわけではなく奴の中に幾つかの欠片として残っておった」
「それが我々に対する『敗北』という切っ掛けで甦った……?」
「で、あろう。一定範囲とは言え時間を手に掛けるなど正気の沙汰ではない。流石は神世の象徴……、と言いたいところじゃが、これはちとマズいな」
先刻まで執念に滲んでいたカルデアの表情は、気付けば歓喜のそれに染まっていた。
そして彼は手を掲げる。その表情の意味を証明するために、ゆっくりと、掲げて見せる。
そこから展開されるのはーーー……、数え切れるわけもない魔方陣と、そこから溢れる汚泥だった。
「奴め、今までの状態をリセットしおった……!」
汚泥より現れるおびただし数の亡者達。
それ等もまた、ルヴィリアにより縛られリゼラによって灼き尽くされたにも関わらず、依然として猛威そのものを象徴するかのように武器を構えていた。幾百幾千、下手な軍勢より遙かに数多くの崩落になって、リゼラ達へ押し寄せる。
「雑魚量産、攻撃無効、勝手に本気モード、チート戦闘力……、さらにHP&MP全回復か! アゼスでも叩き割るレベルじゃぞ!!」
「何の悪い冗談ですか、それは!」
「知るか妾に聞くな!! だが、四方やすればそれこそが初代魔王カルデアの本質ーーー……」
亡者を掻き分け、その者は現れる。
リゼラの眼前、その刹那に、深淵の刃を構えて。
「リゼラ様ッッッ!!」
それは高速で逆回転し合う歯車と歯車を接触させたかのような激音だった。
深淵の刃は振り切られ、跳ね上がったのは覇龍剣だ。斬撃はリゼラに直撃こそしなかったが彼女の服裾を引き千切っており、そこから瞬く間に深淵が浸蝕を開始、生命の存在目掛けて亡者の憎悪が全てを喰らうべく闇を拡げていく。
リゼラとシャルナが、それぞれ自身の服裾を焼き払うのと覇龍剣を構え直して体勢を立て直すのはほぼ同時。そしてその脅威に気付くのもーーー……、ほぼ同時。
「お下がりを! 私が食い止めます!!」
「ならん! あのカルデアのみでもキツいっつーのに亡者まで請け負うつもりか!!」
「しかし、もう結界は!」
その言葉に、リゼラは奥歯を噛み締める。
彼女の魔力は膨大だ。ただ、それはあくまで量の問題であって彼女の魔術や魔法は良くも悪くも大味である。巨大な砲撃や爆炎などが良い例だ。
つまり、それを唯一制御できるのがルヴィリアで、彼女の魔眼と技術あってこそ結界や魔方陣の罠などの細かな芸当が出来ていたのであり、彼女単身では巨大な砲撃兵器程度の役割しか果たせない。
にも関わらず眼前から迫り来るのは刻々と拡がる崩壊と、その戦闘を歩む亡者の深淵に覆われていくカルデアの姿。こちらの戦力は機動力の要たるローと全体を補助するルヴィリアの欠員。状況はーーー……、最悪を極める。
「カルデアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」
天より降り注ぐ刹那の闇。それより放たれるのは陽光の失墜。
しかし、それすらもカルデアは受け止める。ただ片腕で、児戯を薙ぎ払うかのように。
「どうした? 嗤うと良い。先程のように……、勝ち誇ると良い」
「ッ……! 御主……、いったい、何処まで……!!」
「何処? それは正しくないな……。いや、貴様等の騙る論理そのものが異なっている。道を歩む力だと? 嗤わせるな……。我こそが到達点だ。我こそが終わりであり、我こそが始まりだ。全ては我に通じ我が歩ませる。世界は我の為の盤面に過ぎない……」
崩壊が、解放される。
草原一帯より撃ち放たれた亡者達はそのまま森へと雪崩れ込み、小さな砂粒ほどしかない彼女達などに構うこともなく、全てを飲み込んでいく。
「させると思うかァアッッ!」
しかし、その濁流すら灼き尽くす天焔の霹靂。
だがそれも一瞬だ。絶え間なく放たなければ森という境界線は瞬く間に越えられ、濁流によりこの先一帯が飲み込まれることだろう。
そして、その危機を見逃すほど邪悪の隻眼は甘くない。邪悪は狂乱に近い絶叫を持って、深淵の刃を振り翳す。
「リゼラ様! ここはお任せを!!」
然れどその眼前に再び立ちはだかるのはシャルナだった。
――――先刻撃ち合ったカルデアとは次元が違う。時間を巻き戻して傷や魔力を回復したから、などというレベルではない。リゼラの言った通り『枷』を外したのだ。どういう理屈かは解らないが、少なくとも先程まで相手取っていたただの霊体とは何もかもが違う!
亡者に覆われ魔族としての姿すら怪しくなったこの貌が本性とでも言うのか? 邪悪の成れの果てが、深淵に飲まれ言葉すら蒙昧になるほど恐ろしいモノとでも言うのか? 魔力の、魔族の始祖の深淵はこれ程までに深いというのか?
それは、何と悍ましいーーー……!!
「我と撃ち合うか……? 愚物」
「通すわけには、いかないんだ……!!」
再びの猛攻。覇龍剣と深淵の刃が激突し合う。
しかしシャルナは違和感を感じていた。いや、それは確実に浸蝕として彼女の体を蝕んでいると言って良い。
カルデアを中心に拡がる時間の逆流は、無機物は当然として明らかに生物に対しても効果を発揮する。
覇龍剣は神世の時代に生み出された秘宝だから深淵の刃と撃ち合っても耐えることができているが、しかし、シャルナ自身はそういうわけにはいかない。今はまだ強靱な精神力で耐えているが、深淵の刃が直撃すれば瞬く間に深淵へ浸蝕されて亡者の一帯と化すだろう。
「ッ……! ぐっ…………!!」
そして、最悪なことにカルデア自身の能力も格段に進化している。いや、取り戻した、と言うべきか。
霊体という枷を外した以上、彼の実力は本来の全盛期に果てしなく近い状態まで巻き戻っている。例えその果てに待ち構えているのが自身の崩壊だったとしても、この深淵に覆われた怪物は何ら躊躇することなくそれを実行し尽くすだろう。
文字通り、捨て身の剣撃。敗北を拒み続けたことで生まれる狂気の剣は、例え技術という壁があろうと、その差額僅か一片を容易く乗り越える。
シャルナはもう、この邪悪には打ち勝てないのだ。
「オ、ォオ、ォオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!」
然れど彼女は退かなかった。決して退こうとはしなかった。
無謀も良いところだ。勝てる要素など一つもない。希望も、それに向かう意志さえも砕けて当然だろう。
だが、退かないのだ。彼女も、リゼラも、決して退かない。この絶望敵状況に合ってもなお、退くという選択肢を、諦めるという選択肢を取ることだけは決してない。
「運命に、決着を着けよう」
だが、現実は無慈悲なものだ。
彼女達は次第に圧されていく。膨大な物量により、容赦なく、ただ、圧されていく。
例え僅かに覇龍剣の一撃が擦ろうとそれは傷にすらならず時間の濁流に呑み込まれ、如何なる攻撃も、ただ無意味に終わる。
「来るべき輝きの時代を迎えよう。忌むべき呪いの時代に決別しよう」
一閃が、覇龍剣を擦り。
「滅べ、運命の反逆者たち……。貴様等はもはや、我が時代には不要である」
一体が、天焔の霹靂を抜け。
「来たれ世界。我が肉体を持って、この滅びをこの世のモノとせよ。世界の鳴動よ、嗚呼、我が産声となれ……。再び来る。混沌の時代が、人々が美しく光輝き、誰もが生に渇望する時代が! この堕落した世界を斬り捨て、また、美しく苛烈なる世界が、来たる!!」
数閃が、覇龍剣を弾き。
数体が、天焔の霹靂を抜け。
「世界よ、在るべき姿に! 運命よ、選ばれし形に!! この世からありとあらゆる堕落を斬り捨て、我が求めた、あの美しき時代を、今こそーーー……!!」
境界線は、崩壊する。
「この世にィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッッッッ!!!」
その絶叫を耳にしながら、シャルナは走馬燈のように刻々と変化する世界を見ていた。
斬撃の軌跡すら、雨粒が弾ける瞬間を描くかのように遅い。然れどそれを捉える力は、もうない。
――――終わりは全てに存在する。それが今この時なのだろう。斬撃を受ける手が痺れ、感覚がなくなってきた。背後では亡者の怨嗟が森を薙いでいく音がする。自身の背後へ、全てが這い出ていく音がする。護るべきモノが崩れる音がする。
終わりは今だ。この旅が終わりを迎えたように、剣閃が終わりを迎えるように、今この時もその終わりが訪れたのだろう。幾千幾度と繰り返した剣撃の果てに、終わりがやってきた、ただそれだけの事なのだろう。
「……私は、誓ったんだ」
だが、彼の夢の終わりはーーー……。
「彼の剣になると!!」
今では、ない。
「おォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!」
咆吼。その慟哭は深淵の刃を弾き、カルデアさえも押し返す。
一歩だ。たった、一歩だ。しかし一歩だ。それでも、一歩だ。
「私は誓ったんだ!!」
烈火より熱く。
「あの夢を叶えさせてやりたいと!!」
剣刃より堅く。
「私は……、誓ったんだ!!」
魂の慟哭はーーー……。
「もう、迷わないとッッッ!!」
魂の閃光を、刻み付ける。
「私はーーー……ッ!!」
それは刹那だったのだろう。時間稼ぎにもならない、瞬きほどの時間だったのだろう。
然れど、彼女は圧倒した。僅か一瞬、剣撃にして五回の刃を、圧倒した。神代の創造者にして摂理の破壊者を、確かに圧倒したのだ。『最強』の称号に恥じぬ、剣武を魅せたのだ。
能力はカルデアに比べるまでもなく劣っている。にも関わらず彼女は圧倒した。たった五回、然れど五回。鉄塊と深淵の激突を、確かに制したのである。
「その、眼を」
故に、その一閃がカルデアの記憶を呼び覚ます。
「その……! 眼を……!!」
――――『カルデア。愚かで、孤独な者よ。貴様の魂はこの剣を持ってしても救われないだろう』。
『嗚呼ーーー……、すまない。どうかお前だけを救えなかった俺を、赦してくれ』。
「我に向けるなぁああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!」
臓腑の魔方陣がさらに鼓動を速める。カルデアの体躯全てから深淵という深淵を嘔吐する。
亀裂の入った硝子瓶から零れるのは水滴だ。亀裂すら超えれば濁流が、そして崩壊が待ち受ける。
だがその硝子瓶の崩壊すらーーー……、硝子瓶全てを壊すほどの事象が起これば、それはいったいどうなるのか。カルデアは今、それを証明した。
「これ、は……」
シャルナの視界を覆い尽くす深淵。何ら比喩ではなく、それは文字通りに太陽を埋め尽くしていた。
否、それは深淵ではない。亡者だ。この草原どころか一つの島すらも覆い尽くしてしまいそうな亡者の濁流が、巻き起こったのだ。
それを止める手立てなどない。止められるわけがない。どうしたって、どうしようもなく、止められるわけがない。カルデア同様、それは最早現象だ。一つの嵐で、一つの波で、一つの揺れだ。滅びという現象なのだ。
終焉という、現象なのだ。
「貴様等に、いったい何ができる……! 貴様等に、いったい何が赦される……!!」
血走った眼で、深淵の奥底から怨嗟を吐き出すカルデア。
その姿は最早、異貌と例える他ないほどに、歪み、捻れ、壊れていた。それでもなお、それは一つの生物だった。
記憶の彼方に封じ込めたその姿を恐れ続ける、硝子よりも脆いーーー……。
「運命の反逆者風情が、この我の時代にいられると思うたかァッッ!!」
今この怨讐を持って、勝負は決着した。彼等の舞台に幕が落とされた。
亡者の崩壊はやがて『深き森』どころか『始まりの街』、この世界をも飲み込むだろう。
そして、それには瞬きほどの時間も要らないだろう。つまるところ、敗北だ。リゼラ達の奮戦は僅かな時間を開いただけで、結局カルデアの邪悪を阻止することはできなかった。
しかし、それは必然である。その敗北は初めから解りきっていたことだ。ただ、カルデアがその敗北を色濃く刻み付けたに過ぎない。何度も何度も何度も、敗北という刃を突き立てたに過ぎない。
「失せろ愚物ども! 貴様等はーーー……」
幕は、堕ちたのだ。
「煉獄の果てへ堕ちるが良いィイイイッッッッ!!!」
運命の反逆者たる彼女達の幕は、落ちたのだ。
「嗚呼ーーー……」
ぽつり、とシャルナは呟いた。
迫り来る崩壊と、背後から響くリゼラの絶叫。それ等を耳にしながらもなお、シャルナはぽつりと呟いた。
未だ構えを解かない覇龍剣のように静かに、然れどその双眸に燃ゆる焔よりも熱く、呟いた。
「フォール…………!!」
約束を交わした、男の名を。
「――――フォール?」
彼女達の幕は落ちた。この戦いはカルデアの絶対的な勝利照幕を閉じた。
無慈悲に、容赦なく、邪悪の根源は全てを飲み込み、勝利を確定付けたのだ。
運命の反逆者達に一縷の奮戦すら嘲笑い、踏み躙り、彼等の仮初めの運命さえも握り潰して、勝利の二文字を確定付けたのだ。
「フォォオオオオオルゥウウウウ……?」
だが、カルデアは知らない。いいや、知ろうとすらしなかった。
運命の反逆者は彼女達だけではないことを。彼が嘲笑ったこの時代の有象無象の塵芥共のことを。自らが創り出した偽物の運命の果てに、紡がれた必然のことを。
「フォォオオオオオオオオオオオオオルゥウウウウウウウウウ…………!?」
故に、それは訪れたのだ。
リゼラの絶叫と共にーーー……、その斬閃は。
「伏せろシャルナぁあああああああああああああああああああああああああああッッッッッ!!!!!」
一瞬ーーー……、シャルナ自身も何が起こったのかは解らなかった。
ただ体が反応しただけだ。反射的に、思わず膝を落として、それが余りに急だったものでぺたんと情けない尻餅をついてしまうぐらい、呆気なく反応しただけだったのだ。
まさか、彼女自身も思わなかっただろう。いや、それを眼にした瞬間さえも、彼女は理解できていなかった。
あの天を支配していた濁流が、ただの一撃で消し飛んだという事実など。
「フォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオルゥウウウウウウウウウウウウウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!!!!!」
一人、いる。
この旅路の果て、幾度も幾度も幾度も敗北を重ね、然れどなお戦い続け、夢を追い続けた人間が。
その勇者と鏡併せのような存在でありながら、然れど『決して諦めない』という点のみにおいて、同じだった人間が。
偽物の運命に嘲笑われ、然れどなおと走り続け、やがてその果てに摂理を外れた人間が。
「見つけたぜェエエエエエエエアアアアアアアッッ!!! フォォオオルゥウウウウウウウウウウウウウウウッッッッ!!!!」
メタルという、規格外の怪物が、ただ一人。
「だから突っ走るなと……、まぁ無理もない話ですが」
そしてその斬撃の跡を追い、森へ浸蝕し始めていた亡者達が一斉に圧殺された。
数百体近いゴーレムによる物量の壁だ。天空から降り注いだそれ等が、一切の容赦なく亡者達を圧殺したのである。
「……こ、これは、いったい」
さらに、草原へ歩み出してくる一人の男。
規格外の怪物というわけでもなくゴーレムという物量の壁でもなく、ただ一人、ふらふらと病人のように歩み出してくる、男。
シャルナは思わず『逃げろ』と叫びそうになった。余りに覚束ない足取りと生気なく絶望しきったその姿にーーー……。
「フ、フフフフ……」
そしてその者へと亡者が迫る、はずだった。
「フヘヘ、フヘッ、フヘヘヘヘヘッ。フヘヘヘヘヘッッ! フヒッ、フヒャヒャヒャヒャッ!!」
その者が両腕を拡げた瞬間、背後に展開される無限無比たる兵器の数々。
全てが男の背中へ連結されたそれ等は、ただ、人間が創り出した魔道兵器の果ても果て、全ての技術を収束させ切った、口に出すのも馬鹿らしいほど火力と浪漫に全振りしたかのような、攻城兵器にすら匹敵する超火力の大演奏だった。
「祠のモン全部売っ払って買った最終兵器だクソがぁああああああああああああああああああああッッッ!!!!」
砲撃、開始。余りに容赦ない絨毯爆撃は瞬く間に亡者達を消滅させていく。
斬撃は深淵を斬り裂き、ゴーレムは亡者を押し潰し、一切容赦のない猛攻、激撃、超攻! 戦況という戦況は、まるで盤面自体を引っ繰り返したかのように逆転したのだ。たった三人の登場と、人間が誇りうる最大最強の火力群によって!
「な、何じゃ、これ……」
困惑するリゼラとシャルナの前へ、不意にそよ風が舞う。
その風から降り立ったのはとても見覚えのある一人の好青年だった。爽やかすぎる笑みの中にとってもあくどい彩りを魅せた、人物だった。
「御二人とも、こんなところで遊んでいる暇はないのでは?」
「「え? いや……、はっ!?」」
「あの単細胞にはしっかり嘘を教え込んでおきました。なので、まぁ、たぶん気付くことはないでしょう」
「い、いやいやいや、待て貴殿! しかしだな……!!」
「あんな雑魚に構っている暇はあるのか、と聞いているんです」
彼の、ガルスの真剣な眼差しに、シャルナは思わず喉を詰まらせた。
いやーーー……、『気付かされた』と言うべきか。
「きっとフォっちは今この時も戦っていることでしょう。そんな時、剣である貴方が側にいなくてどうしますか」
「…………あぁ、そうだな! すまない、ここは任せて良いか!!」
「えぇ、もちろん。任せていただかないと困ります。カネダさんのお宝全部売り払わせて準備した兵器とカネダさんとメタルさんのヌード写真を代償に預かってきたゴーレム達が無駄になりますから」
「サラッととんでもなく腹黒いこと言わなかった御主?」
しかも自分は被害無しという徹底ぶりである。
「さぁ、行ってください。雑魚は僕達が請け負いました。……どうか、僕の掛け替えのない親友の夢を、よろしくお願いします」
彼の微笑みに頷き、リゼラとシャルナは気絶したルヴィリアとローを抱えて走り出す。向かう先はもちろん『深き森』の果て、『始まりの街』だ。
だが、そんな彼女達をカルデアが逃がすわけがない。愚物と嘲笑った獲物が見す見す目の前から逃げるのを、自身を『器ではない』と侮蔑した下衆共が逃げるのを、あの記憶を呼び覚まさせた塵芥共を、逃すわけがない。
カルデアは深淵の刃、二十対のそれを天空に展開させた。自身の領域から数えることすらままならない亡者を生み出し、個と数を持ってその一撃を撃ち放った。森どころか辺り一帯全てを滅ぼし尽くす為に、ただ、撃ち放った。
その一撃は目論見通り『深き森』を灼き尽くす。ゴーレムの壁などという物量を簡単に引っ繰り返し、自身から『逃亡』ですらない『無視』を行った連中ごと、全てを深淵の果てに灼き尽くしたのだ。
「よォ、何処見てんだ?」
尤も、それはこの化け物さえいなければ、の話だが。
「邪魔だ! 失せろ人間風ぜ」
振り抜かれた深淵の刃が、止まる。
魔力抵抗だとか抗魔力だとか関係なく、事象そのものを浸蝕し滅ぼすはずの刃が、止まる。
ただの人間のーーー……、たった今、カルデア自身が人間風情と言い放った男の素手により、止まる。
「こっちはなァ……、焦がれてんだよ。焦がれて焦がれて欲して欲して欲して求めて求めて求めて求めて求めて藻掻いて藻掻いて藻掻いて藻掻いて藻掻いて足掻いて足掻いて足掻いて足掻いて足掻いて足掻いてーーー……。この時を、いったいどれほど待ち望んだか」
その男の、僅か、指二本により。
「なァ、やっと会えたんだ……。嗤えよフォォオオルゥウウウ……」
粉砕、される。
「運命の出逢いを楽しもうぜェエエエエエエエエエアアアアアッッ!!!」




