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「…………」
轟音。結界に遮られているにも拘わらず『深き森』さえ激震させる衝撃が辺り一面に烈風となって吹き抜けた。
フォールはその豪風から大樹に背中を預けて視界を護りつつ、ちらりと後方に振り返る。そこからは暗雲へ立ち上る、塔のように巨大な黒煙が見えた。言うまでもなくリゼラ達による戦闘が開始された、ということだろう。
しかし彼は僅かに横目でそれを確認しただけで戻ったり、何かを考えたりということはしなかった。ただ、前へと進むのみである。
「流石に……、疲れるか」
彼が移動している『深き森』は本来、街道を通れば魔道駆輪でも半日はかかる距離だ。徒歩となれば丸一日かかってもおかしくはない。
それを徒歩数時間で抜けるとなれば当然、直進の獣道を進むことになる。数週間前の彼であれば多少苦労はすれども通り抜けることは難しくなかったはずだ。しかし今のフォールには、木の根の怪談や少し急な斜面でさえも難しい。簡単に呼吸が乱れ、全身を疲弊感が襲うからである。
弱体化、いや、浸蝕は既に彼の全身を蝕んでいる。初代魔王の影響か、それともまた別の要因かは解らないが、緩やかだろうと確実に、そして彼の予測よりも早く進行しているのだ。
「……だが、止まるわけにはいかん」
それでも、やはり、彼は止まらない。
枯木を掴み、斜面からはみ出た樹根を踏み締めて進んでいく。脚を踏み込む度に肌が突っ張るような感触とそこが段々と裂けて行く感触に襲われるが、進んでいく。まだ、進んでいく。
不意に額へ汗が伝ったような感触もあったが、いや、彼が拭ったのは砂利混じりの雫だ。フォールはその雫を掌で握り潰し、さらに歩みを急がせた。
「…………嗚呼、くそ」
その耳に届くのは自身の体躯に亀裂が走る音ばかりではない。
何処かの影からか、獣の唸り声が聞こえて来る。恐らくモンスターのものであろう、奇っ怪な声も聞こえてくる。それ等全てが彼を屠りうる存在であるが、そんなモノにくれてやる意識は一片足りとて無かった。
魔眼による結界で、ローの臭いによる威嚇で近付けないからか? いいや、そんな理由ではない。例え彼が素手で結界もなく、目の前に獣達が現れたとしても彼は止まらなかっただろう。止まるはずなど、なかっただろう。
これこそが、彼にとっての決戦なのだから。
「道が、遠いな……」
フォールは、この状況を楽しんでいるようですらあった。少なくとも悲観はしていない。
その双眸に宿る意志の強さがそう魅せるのか、或いは崩壊しつつあるにも関わらず衰えることなき足取りが、そう思わせるのか。
だが、もしかすればーーー……、彼にとって、初めて自分の力で道を歩んでいくという行為とその実感が彼に忠実を与えていたとしても不思議ではない。むしろそう思うのが必然と言うものだ。
「こんなにも、遠いものか」
偽物の記憶、偽物の体、偽物の力。それがフォールを創り出す礎だった。
けれど、今の彼に偽物は何もない。求めるモノも、その体も、その力も、何も偽物など存在しない。
だから、嗚呼、だからこそ彼は前に進めているのだろう。彼にとってこの歩みこそが決戦であり、この先にあるモノこそが、彼にとっての真実だから。
「だが……、近い。もう少しだけ……」
他ならぬ、勇者ではない彼にとって、ただ一つの。
「歩むと、しようか」




