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最強勇者は強すぎた  作者: MTL2
氷河の城(後)
405/421

【4】


【4】


「……勇者、フォール」


 爆煙、硝煙、毒煙。数多の残骸から立ち上る戦いの爪痕。

 フォールは一度として真正面から戦うようなことはしなかった。逃げて、隙を突き、確実な一手で仕留めるような類いのことを繰り返す、余りに鮮やかで迷いのない戦い方だった。少なくとも勇者の戦い方でないのは確かだが、同時にそれが彼にとっての最適解であることもまた、明白だった。

 アゼスはその様子を遠視越しに眺めながら歯を食い縛っていた。その心に渦巻く感情が何なのかはもう、彼女自身も見分けが付かないだろう。だが少なくとも、怒りに分類できるモノであるのは間違いないはずだ。


「認めるッスよ……、俺様はアンタを舐めてた。ゲーム方式なんかにせず、速攻で倒すべきだった。アンタを自由にするよりも前に、一つの部屋に押し込めて、一切抵抗できない状態にして物量で圧倒すべきだった……。初代魔王様の言葉の意味はアンタを倒す方法じゃなくアンタを倒す以前に必要不可欠な方法だった、ってワケッスね」


 その感情に頷くように、パタンと扉が閉められる。

 『氷河の城』最上層、アゼスが待ち構えるその場所にようやく彼は到達したのだ。


「もっと早く実戦しておけば……、こんなに苦労しなかったかも知れないのに」


 余りに疲弊しきった、状態で。


「だがアンタは負けた」


 フォールの全身に走る傷の数々。

 左腕は力なく垂れ下がり、全身には切り傷や打撲傷が走り、粋は酷く荒れ果て右膝には力が入っていない。ここに到るまで数百近い様々なゴーレムと戦い、勝ち抜いてきたのは全く見事と言わざるを得ないだろう。例えそれが策謀策略策戦の果てにあったのだとしても、様々な道具を駆使しての勝利だったのだとしても、間違いなくそれはフォール自身の功績だ。

 だが、それまでだ。彼はここに到達するまでに数百体のゴーレムを倒したが『氷河の城』全土のゴーレムを倒しきったわけではない。間もなくアゼスが今この時も生み出している新たなゴーレムが彼を追い立てるだろう。いや、そうするまでもなく、『最硬』の四天王アゼスにより彼が敗北するのは余りに明白な事実だった。

 例えその双眸に未だ焔灯ろうとも、消え逝く炎は誰の目にも明らかなのだ。


「ホンットーに、マジヤバかったッス。初代魔王様から話を聞いてなきゃ、俺様が前もって準備する時間がなけりゃ、アンタが今の強さじゃなきゃ……、確実に負けてたッスねぇ。きっと手も足も出ないほどこてんぱんにされてたに違いないッス」


「……勝ち誇るか、アゼス。俺はまだ立って居るがな」


「立つだけで何ができるッスか? 解ってるんでしょう? アンタは時間を掛けすぎた」


 絶望が、攻め立てる。

 未だ声色に憤怒を孕むアゼスの背後より現れるのは漆黒の影。否、全身を白銀で覆い尽くした一匹の獣である。氷結よりも遙かに純銀たる鎧は、映し身たる獣の姿を確たるモノとし、ただ一歩歩むだけで純然過ぎるほどの存在感を証明する。

 鎧の僅かな隙間から覗く眼光はそれだけで獲物を狩り殺すような鋭さを放ち、双腕の漆黒に輝く義手の何と凶悪なことか。


「俺様はね、見ての通りアンデット族ッス。その中でも選ばれたアンデット・キングっつー魔族なんスけど、アンデット・キングは屍に命を与えることができるんスよ。その技術を応用すれば生命創造魔法も、こんな風にゴーレムに模倣した記憶を植え付けて命を与えることも可能ッス……。素体は『最速』の四天王、体躯は世界最高硬度を誇る伝説の鉱石オリハルコン。義手はロー先輩のをそのままお借りしてるッス」


 怒りに震える声が、段々と上擦り始める。


「解るッスか? ……この銀狼型は、俺様が創り上げた完全無欠のゴーレムなんスよ。コイツ一体で今まで創り上げたゴーレム達全てより強いと言っても過言じゃない」


「…………」


「ゴーレムだから疲労もない、油断もない、隙もないし加減もない。『最速』の速度と俺様が誇る最硬高度並の鉱石で創り上げた『最硬』の鎧……、これぞ正しく『最高』のゴーレムッス」


 そして、と付け加えるアゼスの周囲に氷結が集い始める。

 この頃にはもう彼女の声は、完全に上擦りきり、怒りなど途方の彼方へ消え失せていた。


「『最硬』の四天王、このアゼス・ゲンヴ……。アンタを倒すためにこの銀狼型と一緒に戦うッスよ。容赦も、手加減も、油断もなく、確実にアンタを倒すッス」


 アゼスの体を覆っていく氷結は、瞬く間に彼女の全身を巨人の体躯へと変貌させた。

 通常のゴーレムと変わらない身長ではあるもののその密度は桁違いであり、決して炎で溶かせるようなものではない。また術者であるアゼスが直接取り込まれることによって動作の精度も段違いだ。さらにそのゴーレムの鎧は、いや言うまでもないかも知れないが彼女自身を護る盾となり、同時に重量にて全てを圧砕する矛ともなっている。例えフォールの刀剣であろうと彼女に刃が届くことはないだろう。

 またアンデット族というだけあって何処まで体温が下がろうと機能が落ちることはなく、その氷結に時間制限はない。

 ただし。


「あと五分もしない内に、ゴーレムの軍勢がこの部屋に到着するッス」


 フォールには、時間制限が存在する。


「アンタが生き残るには五分以内に銀狼型を倒し、この俺様も倒すこと。若しくは今迫ってきている途方もない数のゴーレム達を倒しながら銀狼型と俺様から逃げ切ること……。この二つに一つッス。まぁ、『最速』から逃げ切るなんて無謀なことはオススメしないッスけどね」


 アゼスは、繰り返す。何度でも、繰り返す。


「アンタの負けッスよ、勇者フォール! そして俺様の勝ちッス!! 絶対的な勝利だからこそ宣言できる!! 俺様の勝利だと!! 確かに余裕扱いて痛い目見たのは良い勉強だったッスけど……、ぬひひっ、終わってみれば油断していたのは、俺様を侮っていたのは! フォール!! 他ならぬアンタだったようッスねェ!!」


 階層に呼応するアゼスの笑い声。勝ち誇り、いや事実勝利した者の圧倒的宣言。

 しかしフォールはその言葉に頭を垂れるでも赦しを乞うでもなく、懐に収まった最後のポーションの瓶を牙で押し開けていた。その栓を吐き捨てて中の薄黄色の液体を飲み込み、口端を伝う雫を袖で拭き取りーーー……。


「カルデアは……、俺がこの程度で諦める人間ではないという事は教えてくれなかったようだな」


 ただ、一言。


「絶望が、足を止める理由になるのか」


「……は?」


「不可能が、挑戦しない理由になるのか。敗北が、全てを投げ捨てる理由になるのか」


 投げ捨てられた瓶が、転がっていく。

 氷の地面を、何処までも、転がっていく。


「なりは、しないのだ。……俺の始まりは偽物だった。創られた運命、操られた意志、創り上げられた体躯。何を取っても本物など一つもなかった。だが、俺の運命は今、ここにある。俺が求めるモノへの意志は、ここにある。俺の体はまだ、ここにある。ならば何故諦める理由になる? 絶望が、不可能が、敗北が! いったい何の理由になる!!」


 双眸に宿る焔は消えない。決して、消えない。消えるわけがない。

 この男はいつだってそうだった。圧倒的な力を失ってもなお求めるものがあった。幾ら絶望が降りかかろうと止まらない脚があった。数多の試練を冷静に見通す眼があった。

 今も、そうだ。装備は既に使い果たし、この手には何もない。あるのは牙に咥えた刀剣が一本のみ。その双眸に宿る、決意の焔があるのみ。その魂に吼える、求め欲すものがあるのみ。

 彼には、勇者フォールには、ただそれだけがあれば、充分過ぎたのだ。


「……妄想ゆめッスね」


妄想ゆめではない。俺の願望(ゆめ)は、成す為にある」


 獣と巨躯が、構える。

 勇者もまた、剣を掴む。


「アゼス・ゲンヴ。……貴様はその夢に破れるだろう」


「煽りは、もう効かないッスよ」


 爆ぜたのは、閃光だった。

 その刹那でフォールの視界からアゼスが遙か彼方へ遠ざかっていく。否、遠ざかっているのは彼自身だ。氷結の壁に叩き付けられ、亀裂と噴煙をその身に浴びることになったのは、彼自身だ。

 開幕の鐘として成らされたのはローを模した銀狼型による突貫。ただの突撃と侮るなかれ、『最速』の速度とオリハルコンの鎧による一撃は砲弾すら凌駕する威力を誇り、回避不可能の一撃たり得るのだ。

 だが、フォールはその一撃を受けてもなお立ち上がる。自身の腹部に刀剣を構えることで盾とする戦法をまた執ったことで致命傷は避けられたのだ。ローの戦い方や挙動、獲物を仕留めるには真正面からという戦い方を熟知しているが故の、奇跡的な防御だった。

 だが、最早、その奇跡は二度とないだろう。一度防がれた攻撃を繰り返す獣はいない。


「ほらほら、休む暇ないッスよォ!!」


 さらに、追撃。フォールが苦悶を吐く暇さえなく、獣の姿は彼の眼前より消え失せ、その代わり蒼白の豪拳が壁面ごと容赦なく撃ち抜いた。

 亀裂の走っていた氷結の壁は絶やすく砕け散り、残骸が外の氷河へと落下して凄まじい高さの水柱を上げる。しかし、フォールがその柱の飛沫を浴びることはない。何故なら撃ち抜いた先から、彼の背後に開いた空白が瞬く間に修繕されていくからだ。


「外には逃がさねーッス。いいや、何処にも! それでもなお希望を語るなら、語れるのなら! 語ってみるが良いッスよォ!!」


 噴煙から逃れたフォールは疾駆する。先刻の一撃はどうにか躱したようだが、しかし初撃の爪痕は確実に彼の体を蝕んでいた。現に、迷いなく走り抜けているはずの足取りは重々しく、時折もつれるように覚束ない。

 ゴーレム達との激闘で傷付き垂れ下がった腕は上げられることはなく、やはり、その疾駆は鈍重だった。


「希望? 違うな」


 然れど、走る。勇者は走る。如何に朧気だろうと、走り抜ける。

 

「俺には語るべき希望などない。とある少年のように未来を見て居るわけでも、とある少女のように自分を見つめているわけでもない。俺はただ、願いを見つめている。俺はただ、己の願いを見つめ、求めている……。これは希望ではない。願望だ」


 彼は壁を背にすることによって真正面、或いは前後に意識を集中させる。銀狼型の襲撃に備えるためだ。

 そして事実、銀狼型は彼の後方、比べるまでもない速度によって襲撃を行う。氷結の粉塵を斬り裂き音すら置き去りにして、突貫したのである。

 対し、防御も回避も行えないのならフォールに取れる手段は一つ。往なし(・・・)のみだ。


「だったら希望でも願望でも唱えてるが良いッスよ」


 火花、などというモノではない。フォールの腕に刀剣の痕が刻まれるほど苛烈な交錯。

 その往なしにより、確かに銀狼型の一撃を受け流すことはできた。しかし、そんな彼の一瞬の停止を突くかのように、再び豪腕は振り被られて。


「それがアンタのゲームオーバー・メッセージになるッスから」


 豪腕、一閃。


「そうか。ならば、言葉には気を付けよう」


 しかし、その一撃が決着を刻むことにはならない。フォールに向かって振り抜いたはずの豪腕が文字通り両断されたからである。

 無論、フォールが断ち斬ったわけではない。彼にこの堅牢なる氷結の腕を斬り裂くだけの力などあるはずがない。しかし、彼にはないがアゼスの纏うゴーレム自体にはある。そう、これもまたシャルナとの鍛錬により彼が体得した剣術の一つ。『打ち返し』である。

 『往なし』が相手の攻撃の力を別方向に逃がす技と言うならば、この『打ち返し』は相手の力そのものを相手に返す一撃と言えよう。刀に沿わせて方向を転換させる往なし同様に理論は単純で、刀をその身で支えて無理やり力を跳ね返す、文字通りの力業である。

 だが、今の彼には、いいや万全であろうとも彼にゴーレムの豪腕を跳ね返すだけの力はない。だから彼は使ったのだ。自身の真後ろにある壁面を体代わりの支えにして、その力を丸ごとアゼスへと跳ね返したのである。


「尤も……、こんなところで貴様風情に負けるつもりはないがな」


 勝てる見込みはない。希望も、勝機も、やはりない。

 しかし願望がある。この男にはそれだけの願いがある。他の誰かから見れば下らないかも知れない。狂気的かも知れない。鼻で笑うようなモノかも知れない。

 だが、嗚呼、この男には命を賭けるだけの理由なのだ。敗北の二文字を払い除け、絶望に立ち向かう理由になるのだ。

 星を砕き山を持ち上げるほどの力はない。空を駆け抜け海を走るほどの速さもない。邪龍の一撃も大砲の弾撃を受け止める防御もない。だが、決して屈せぬ意志がある。負けられない決意がある! この男には、ただ、それだけがあれば良い! それこそがこの男の強さの意味なのだから!!


「どうした? まだ俺は立って居るぞ、アゼス……。その腕を止めるにはまだ早いんじゃないか」


 アゼスは圧倒的に不利、否、もう敗北していると言っても過言ではないにも関わらず、未だ双眸の焔を失おうとしない男に対して一つの確信を得ていた。

 ――――手加減とか容赦とか、そういう次元ではない。この男にとって敗北なんか存在しないのだ。ゲージ1ドットになってもまだ諦めようとしない。絶対にコントローラーを投げることも、リセットボタンに手を伸ばすこともない。

 死にゲークソゲー上等とでも、言うつもりか。死にゲークソゲーを本気でノーコンクリアするつもりなのか、この男は。

 それは最早ーーー……、一種の狂気ではないか。


「来ないなら……、こちらから行くぞ」


 一歩。それは高が半歩ほどの幅しかなく、踏み締める力も酷く弱々しい一歩だった。

 しかしアゼスはそれを恐れた。ただ一撃でも直撃すれば力なく倒れるであろう彼を、その男の双眸に宿る焔を、恐れたのだ。


「ッ……! こ、のッ!!」


 だが、アゼスは攻勢を緩めることはしない。彼女が選択したのは遠距離からの魔法による砲撃だった。

 彼女の専門はゴーレム創造魔法である。無論、ルヴィリアのように途方もない魔力を有しているわけでも、それを消費するほどの高機能な機関を有しているわけでもない。だがあの『最智』が天才と称した彼女にはそれだけの知識がある。少なくとも魔術五大元素などの基本的な魔道を納めるだけの知識が、ある。

 そして、結果論ではあるが、それは最適解と言えよう。接近戦であれば銀狼型と攻撃を交錯させてしまうし、何よりフォールには『往なし』と『打ち返し』がある。『打ち返し』に限れば壁際でなければ使えないという限定があるものの、いや、これ以上他に何か剣術を持ち出してくる可能性がないわけではない。

 『打ち返し』の及ばない遠距離からの一方的な砲撃、及び受け身技である『往なし』以外の技が聞かない銀狼型による接近戦。フォールによる覚悟の意志がアゼスに恐れを、そしてその恐れが対フォールにおいて最適解とも言える戦法を導き出させたのだ。


「狂人がぁあああああああああああああああああああああーーーーッッッ!!」


 展開される幾多の魔方陣。放たれる閃光と、或いは爆炎、或いは氷柱、或いは烈風、或いは岩塊、或いは雷鳴。縦横無尽に穿たれる数多の一撃は、敢えて己の逃げ道を断つことで光明を見いだした男を容赦なく撃ち貫いていく。

 体が爆ぜ鮮血が飛び皮膚が焼ける。時折差し込まれる銀狼の斬撃を往なせど、やはり、その砲撃を回避し尽くすことはできなかった。だから、それで良かった。男にとってそこに唯一の道があるから、それで良かった。

 フォールは、駆ける。壁際という唯一の光明を捨て去り、走り抜ける。自身に向かってくる幾多の砲撃に向かって、走り抜ける。

 真正面から、アゼスに向かい、その双眸の焔を燃え上がらせて、疾駆する!


「狂気、か」


 男は走り抜ける。決して速い速度でなく、決して確かな一歩でなく、然れど走り抜ける。

 砲撃が肩を穿ち、脚を削り、然れど止まらない。直撃の一撃を刀剣で打ち払いながら、ただ進む。傷付き疲弊し、それでもなお焦れる体を、ただ前へ、前へ! 前へ!!


「そんなものは……」


 しかし、閃光が再び舞い散った。

 数多の砲撃により眩く点滅する視界の端々に、氷壁を砕いたことによる粉塵の煌めきが交錯する。鋼鉄を弾丸で剃るかのように鋭利な破裂と共に、その閃光は点滅する。

 『最速』による攻撃である。彼女の速度は音を、光を置き去りにし、ただその余波のみで氷壁を切り裂いているのだ。


「疾うに、捨てたさ」


 だがフォールは立ち止まらなかった。銀狼型による速度は既に理外、ならば下手な防御も回避も、往なしさえも無駄と判断したのだ。

 砲撃の隙間を塗って銀狼型がフォールを仕留めるのが先か、それともフォールの刃がアゼスへ届くのが先か。一瞬より長く数秒より遠く、然れど刹那すら赦されない賭けがそこにはあった。勝率など微塵もない、然れど勇敢なる決断と迷いがき疾駆が押し上げた僅か数パーセントを掴み取る賭けが、そこにはあったのだ。


「俺にあるのは純粋な願いだけだ」


 刀剣の柄が、翻された。閃光の爪痕が、消えた。

 刹那、フォールの視界から全ての閃光が消え失せた気がした。それは数え切れないほど無尽蔵に放たれる砲撃の、ほんの僅かな隙間であったが、彼にはその刹那さえあれば充分だった。

 苦痛奔る体から間隔が消え失せ刃が導かれるように振り抜かれる。風による抵抗も傷による戸惑いもなく、ただ、そうあるべきだと言わんばかりに、一閃をーーー……。


「…………が」


 刻む事は、赦されない。

 刹那だったのだ。嗚呼、やはり刹那だった。本当に刹那、僅かに刹那、彼は動きを止めたのである。

 答えは単純なもので、ポーションによる揺り戻しというだけのこと。この決戦に到るまでの道程が負債として今この刹那に彼の体へのし掛かったのだ。

 そしてその果てにある答えはただ一つ。如何に残酷であろうと、如何に悲惨であろうと、明確に突き付けられる答えは一つだけ。必然であり、避けようはなく、無慈悲に容赦なき答えは、たった一つだけしかない。


「あぁ……、くそ」


 『最速』による超速度の加速を得た、鋼鉄より堅牢なる塊の突撃。

 その一撃は彼の右肩を捕らえ、振り抜かれかけた刀剣ごとその体躯を地面に叩き付けた。

 衝撃は空間一帯の地面に深い亀裂を走らせ、いや、その速度は直撃でさえ止まらず亀裂を抉り返すように壁面、天井、地面、さらに壁面と螺旋を描いてフォールを引き摺っていった。或いは引き貫いたと表現すべきほどに、階層に巨大な亀裂と一本の螺旋を描ききったのである。


「…………は」


 アゼスでさえも、その結末は予想していなかった。

 いや、勝利は揺るがないと確信していたのだ。ただ彼の双眸に恐れ怯んだのがこの結果を生むとは考えていなかっただけのこと。終わってみれば当初の予想通り圧勝だったし『最速』を模した銀狼型ゴーレムが勝負の決め手になるであろうことも予想していた。そう、何もかも思い通りに事は進んだではないか。

 だが、予想していなかったのだ。圧勝であるにも拘わらずこんなに追い詰められようものとは、考えもしなかったのだ。まさか並の冒険者ほどしか能力のないあの男に、ここまで追い詰められようとは、思いもしなかったのだ。


「は、ははは……」


 そして、もう一つ。


「狂ってる……」


 その男が未だ立ち上がるとは、予想しなかったのだ。


「………………」


 先の一撃で肩を撃ち抜かれた影響だろう。男の両手はぶら下がり、上がることはない。

 しかしその牙が剣を噛んでいた。直撃は彼の体を撃ち抜き、その身に多大なダメージを与えたはずだ。立ち上がることも、或いは呼吸することだってままならない程の一撃を与えたはずだ。それは彼自身そう確信していたし、銀狼型もアゼスも、この場にいる誰もがそう信じて止まない決着の形だった。

 だが、立っている。この男はまだ、立っている。刀剣一振り以外を失い、両腕は使い物にならなくなり、眉間を浅黒い血が伝えども、まだ、立っている。未だ、立っている。


「……存外、堅かったらしい」


 その勇者は、まだ。


「俺の意志は……、どんな一撃よりも……」


 立って、いるのだ。


「……どうした、アゼス・ゲンヴ」


 アゼスは最早、地面の亀裂を修復する余裕すらなかった。

 魔力は残っている。体力も残っている。傷はないし、あったとしてもアンデット族である自身であれば直ぐに修復できる上に痛みもない。さらにアンデット・キングの治癒力は通常のアンデット族を遙かに上回るそれだ。彼女が『最硬』の称号を冠することになったのは秀でたゴーレム創造魔法とその体質故のものだ。

 そんな彼女に、もう余裕がない。銀狼型という最強の手駒を残してもなお、余裕がない。油断という余裕を排除したという意味ではなく、ただ、あるべき行動の意志という意味の余裕が、失せているのだ。

 余りに狂気的なその勇者を前に、どうしようもなく、亡失してしまっているのである。


「俺はまだ……、下らん戯れ言を吐いた覚えはないが」


 ずるり、と。

 決意の焔宿る眼差しが、一歩を歩み出す。


「ぁ、ッ……、ひっ……」


 その一歩と同じだけ、アゼスは後退る。

 ――――執着、妄執、固執などという次元ではない。この男はいったい何にここまで命を賭けることができる? どうしてまだ諦めない? 何故、未だに倒れない?

 圧倒的じゃないか、こちらは。もう砲撃が擦るだけだって倒せそうじゃないか。何なら転んだって、決着が着きそうだ。そうだ、何も恐れることなどない。こちらも一歩踏み出して攻撃すれば良い。先程と同じく絨毯砲撃を放ち銀狼型の接近戦を交錯させれば良い。それだけで簡単に決着は着くだろう。

 だと言うのに、どうして踏み出せない? あんな傷だらけの男に、歩くことすらままならない男にどうして歩み出せない? 一撃すらも、放てない?

 どうしてーーー……、『迂闊に踏み込めば負けるのではないか』などという考えが頭を過ぎる?


「貴様は知るまい」


 また、一歩。


「俺はその姿に触れたことも、見たことも、足跡だって知らないんだ。書物で眺め、模型を愛で、それでもなお満たされない……。それは偽物だからか? 触れることも見ることも、知る事さえもできない贋作だからか? 俺が……、偽物だからか? いいや、違う」


 さらに、一歩。


「偽物だろうと、本物だろうと、俺が求め欲すものは変わらないからだ。あの姿を、あの形を、あの柔らかさを、愛し、欲し、願ったからだ……。この魂が愛し、欲し、願ったからだ! 泥の体だろうと、土塊の魂だろうと、この俺が望んだからだ! その意志だけは本物だった。どうしようもなく、正しくはなかろうと、間違っていようと、善悪など関係なくただどうしようもなく、求めたからだ!!」


 勇者は、歩む。


「この渇きを、貴様は知るまい! このどうしようもない魂の渇望を、貴様は知るまい!!」


 彼は焼け焦げた指先の震える腕を、然れど未だ動くその腕で、血に塗れてボロ絹のようになった上着を剥ぎ取った。

 現れるのは傷だらけの体、ではない。古びた陶磁器のように亀裂が走り、傷口からは鮮血と泥が溢れ、皮膚の一部は欠け壊れているような、そんな泥と土塊の体だ。厄災の人形(パンドラ)として、有り得ぬ道を選んだが故の代償だった。

 しかし、それが何だと言うのだ。この男にとって、たったそれだけのことが、何になろうと言うのだ。


「ならば貴様は勝てん! この俺にとて、貴様は勝てまい!!」


 そして、疾駆。

 幾度となき突貫が冷静に冷徹に冷酷に、然れど燃ゆる決意の双眸の焔を猛らせる。

 瞬間、アゼスは反射的に魔術砲撃を行った。遠距離からの最適解を再度実戦し、その絨毯砲撃により擦るだけで倒れるであろう男を打倒すべく、撃ち放ったのである。

 だが、足りない。圧倒的戦力、絶対的優位、確実的勝利を持ってしてもまだ、足りない! その男を倒すには、まだ!!


「この渇きは魂の鼓動だッ! 他ならぬ俺自身の証明だ!!」


 距離が詰まっていく。一刻一刻と、決して速いわけでもないその疾駆が距離を詰めていく。

 それは先刻とはほぼ同じ状況にあった。否、彼の負傷分だけアゼスに有利だろう。しかし、にも関わらず、その男の速度は遅く傷は深く砲撃は強力になったにも拘わらず、倒れない。未だ、止まらない。それでもなお、倒せない!


「この魂、貴様に打ち壊すことなど出来んッ!!」


 邂逅は、今、そこにーーー……、否!

 その刹那、彼の眼前より穿たれる『最速』の一撃。音も閃光もなく、放たれる最大全力の破壊たる突貫。

 例え指先だろうと擦れば先刻の螺旋が如く巻き込まれ決着が着くだろう。アゼスはその様に一瞬の安堵すら浮かべた。『嗚呼、これで決着する』と。『これでこの男を倒せる』と。その最適解故の答えを得た。この戦い方が成功なのだと、ようやく確信することができた。

 安堵という、隙を作った。


「贋作には贋作の生き様がある」


 そしてその隙を突かない勇者ではない。


「贋作を、舐めるな」


 交錯。それは怪我人にあるまじき挙動だった。

 全ての負傷を忘れたかのように軽やかに、その軌跡を知っていたかのように迷いなく、彼は銀狼型による最速の一撃を回避したのである。真正面から突貫して来るその猛獣を、ただ、半歩と体を逸らすことで完全に回避して見せたのである。

 その回避を見た瞬間にアゼスの脳裏へ浮かぶのは先刻、彼が仰ぎ飲んだあの最後のポーション。たった一回、たった一瞬。然れど、刹那! この刹那の為だけに体力を温存していたのだ。ただ、その刹那の為だけに堪え忍んでいたのだ! 冷徹に冷静に冷酷に、己の負傷もアゼスの動揺も何もかも、見極めて!!


「ガッ、カッ……!?」


 そして、それだけではない。彼に回避された銀狼型はそのまま無残に壁へと突貫した。

 反射して返す一撃を放つわけでもなく、速度余って壁に着地することもなく激突したのである。交錯ざま、その顔に被せられたボロ布によって視界を防がれたが故に、ただ受け身を取ることさえできなかったのだ。

 そう、被せられたのはフォールの上着である。血と泥でベタ着いた上着は銀狼型の、いや、ローの鋭利な義手で引っ掻けば引っ掻くほど顔に絡まり、この凍土故に堅牢な鎧に接着する。剥ぐことができないワケではないが、しかし、ほんの数十秒ならば時間を稼げるだろう。

 フォールにとって、ただ、その数十秒があれば充分だった。その一閃を放つ隙さえ、できたのなら!


「させるかぁあああああああああああああああああああああああああああああああッッッッッ!!!!」


 しかし、砲撃、収束。

 僅か一瞬だろうと怯んだ氷結のゴーレムが、フォールが到達しその腕に刀剣を持ち変えると同時に魔術砲撃を完全に収束させ、そして同時にその豪腕を振り被っていた。

 ――――回避は間に合わない! 防御も間に合わない!! いいや、必要ない。自分は『最硬』だ! 魔族一の硬度を、世界一の硬さを誇るこの鎧がある! ならば回避も防御も必要ない!! 受けて、壊す! 受けて、穿つ!! 受けて、放つ!! この超近接の連撃で決着を付ける!!

 これは彼の意志と自身の硬さの勝負だ! 真正面からの、ただ、刹那の勝負だ!!


「……あぁ、そうさせるだろうと思っていたさ」


 カチンッ。

 それは、余りに情けない音だった。


「……はっ?」


 豪腕を振り下ろし、砲撃を撃ち放ったアゼスでさえも呆気にとられるほど、弱々しい一撃。

 いやーーー……、至極当然の結果と言えよう。彼には『往なし』『打ち返し』に続く、『斬り抜き』という技がある。それは相手の間接や急所を狙って斬撃を放つことで斬れぬものすら斬り抜く必殺の一撃、だが、それはあくまで達人級の話であり、基礎を極めるのは早くとも応用には弱い彼にそれだけの技は使えない。

 万全の状態ならば、可能性はあったかも知れない。この決戦時に技の極意を掴むこともできたかも知れない。しかし傷付き、瀕死の状態で、理外の精神力だけで立つ彼にその一撃を放つ余裕などはなかった。

 現実は余りに非情に、その事実だけを戦いに刻み付けたのである。


「だから、俺の勝ちなんだ」


 故に、全て彼の計算通りになったのだ。


「まさかーーー……」


 瞬間、アゼスにより放たれた豪腕はフォールを掠め、しかし数多の砲撃の一発が彼に直撃した。

 決着である。否、決戦である。彼女による数多の必殺はフォール自身ばかりか、その下、二人が立つ氷結の地面までも破壊したからだ。銀狼型の一撃により亀裂が走り、アゼスが修復しなかったその地面を、破壊したからだ。


「さぁ、刹那を極めるぞ」


 斯くして始まる、自由落下。最上層より撃ち抜かれたことにより連なるのは第一階層までの墜落。

 螺旋階段の狭間を貫き、『氷河の城』の中央を貫き、彼等は落ちていく。数えきれぬほどの氷河の瓦礫が、そして何よりも彼等自身が各層の中央にぶら下がるシャンデリアを内貫きながら、共に、落下していく! 激音と噴煙、光輝く結晶の煌めきに覆われながら、それでもなお、墜ちていく!!


「これ以上……、何をやるんスか? ここから、まだ、何を!!」


 アゼスの絶叫に応えるが如く、フォールは刀剣を構える、が。しかしその体は確かに蝕まれている。

 揺り戻しと負傷。その二つの負債と砲撃の直撃という傷が、確かに彼を蝕んでいたのだ。意識は点滅するように途切れ、眼は濁り、指先から力が抜けていく。頭は嫌というほど冴えているのに、思考が纏まらない。それは全身が凍てついているせいだと気付くのに時間は掛からなかった。

 指先から、刀剣が離れていく。あと一手だと言うのに、刀剣が彼から離れていく。厨房で追った僅かな火傷という負債が、ここに到るまでの疲労と負傷と揺り戻しが、彼の手から刀剣を引き剥がしていく。

 後、少しだと言うのに、刃をーーー……。


「フォーーーーーーーールゥウウーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!!」


 その名を呼んだのは、螺旋階段を駆け上がり二人のいた最上層を目指していたリゼラ達だった。僅かに、刹那、交錯した彼を見たのは、他ならぬシャルナだった。

 落下する彼の名を呼んだのは、その意識を取り戻させたのは、彼女だった。


「……嗚呼、解っているとも」


 白刃、凍結の輝きにて。

 第一階層の地面が見えた瞬間に、彼は刃を完全に構えて魅せた。確実なる一撃を、構え、魅せた。

 アゼスはその瞬間に理解する。あの第一階層に到達した瞬間、先ほど決まらなかった一撃が来るであろうことを、理解する。自由落下という墜落の、僅か刹那に、理解する! その天才的頭脳が完全に怠惰を捨て去り、彼という脅威を認識していたが故に、理解する!!

 そうーーー……、今この瞬間において、彼女は完全にフォールに適応したのだ。最早決着が着いたと言っても過言ではないその男の行動原理を、全て理解したのである!!


「俺様の、勝ちッスよ」


 瞬間、収束。

 アゼスは落下の勢いを利用したりゴーレムの一撃で確実に決着を付けたりなどという選択肢は取らなかった。

 ただ、最適解。遠距離から魔術砲撃による決着を選択したのだ。確実に、一撃を撃ち放ち、決着を付けることを。この空中落下の刹那に、彼女の頭脳は再び最適解を選び出し、その男の完全な対応策を導き出したのである。

 そしてそれは事実正解だった。もう瞬きの刻すらなく最後のシャンデリアを打ち破って第一階層に落下するであろうというその刹那。彼女は魔術大砲を撃ち放ち、確実に、彼をーーー……。


「嗚呼、そうするだろう。腹立たしいが貴様の頭脳だけは本物だ。……だから、きっと最適解を選んでくれると思っていたぞ」


 挑発、警戒、応酬。

 全て、くれてやった。彼はただその刹那の為に、全てを、くれてやった。


「だから、俺が勝てた」


 シャンデリアを打ち壊して、最後。

 第一階層に到達する瞬間に彼女の砲撃、いや、彼女の魔力に呼応して第一階層の大広間が眩い輝きを放ち出す。

 辺りの鏡面が幾度も反射し、着地寸前の二人の姿を無限に氷面に歪め、細く、丸く、然れど数えきれぬほどに反芻し、映し出す。

 即ち、それこそはアゼスが用意した罠の残骸だった。彼女の魔力により発動する、あの無限の幻影だった。フォールの狙いはそこにある。全て、この一瞬の為だけに、ただこの刹那の為だけに、彼は紡いだのだ。

 不屈の意志を、理外の決意をーーー……、その刹那の為だけに!!


「フォー…………ッ!!」


 彼女がその男の名を呼んだ瞬間、現れたのはやたらとピンク色の街だった。

 ――――何故? あの魔法の罠は発動し終えたはずだ。もう発動しないはずだ。

 いいや違う! この世界ステージとそれを結ぶ世界ステージだけはルヴィリアによる魔眼で無理やり突破されたではないか! リゼラの世界ステージとシャルナの世界ステージは完全に使い切られたが、ここは違う! ここだけは残ったままだ!!

 思い出せ! 彼はここで何をした? 何を、しようとした!?


「フ、フフフ」


 瞬間、彼女は振り返る。

 無限の世界故に氷の鎧もなくなり剥き出しになった姿で、ただ、振り返る。やたらとピンク色の世界の広場たるその場所で、振り返る。街の中心、銅像のある場所で、振り返る。

 彼が媚薬を撒き散らし、飢えに飢えた女性達のいるその場所でーーー……、振り返る。


「女の子よぉ」


「女の子だわぁ」


「女の子ねぇ……!」


 数百人近い、飢えた獣。

 彼女は文字通り放り込まれたのだ。飢えた獣の群れに、たった一匹の餌として。


「…………は」


 不意に、声が零れる。


「は、はははは」


 ――――何と。


「ははははははははははははははは!!」


 何と、下らない!!


「馬鹿じゃねェッスかァアアアアアアアアアッッ!!」


 この世界は誰が創ったものだ? そう、自分だ! 他ならぬ自分自身だ!!

 その世界をどうしようもないワケがない! ただ指を一度ならせばこんな世界直ぐに終わる!! 自身とこの世界を結ぶ連結の結目代わりにしていた中間世界の偽フォール達が倒された今なら、それはなおのこと簡単な話だ!!

 彼はミスを犯した! 最後の最後で、それぞれの世界を結ぶ中間世界の彼等を倒すというミスを犯した!! それさえなければまだ可能性もあっただろう。しかし、そうせざるを得なかった! 『ルールの強制(・・・・・・)』、『数の暴力(・・・・)』、『時間の簒奪(・・・・)』! それ等が、功を奏した!!


「アンタは勝ったんじゃない!!」


 彼女が指を構え、鳴らした瞬間に全てが瓦解する。

 何もかも、フォールの策謀すら、何もかもーーー……。


「俺様の策略に、ハマっただけだ!!」


 パチンーーー……。

 ただその音だけで世界は虚空に成り果て、夢の世界は崩壊した。

 辺りの景色はピンク色から漆黒になって、中途半端な崩れ掛けの夢はこの世から消え失せる。よって彼女の前に現れるのは勝利という現実、のはずだった。


「……え?」


 消え、切らない。

 その夢が、消え切らない。


「どうして……」


 一つ。彼女の頭脳は自身に答えをもたらした。

 あの時、フォール達がこの世界を繋ぐ中間世界を突破した時、脱出した方法は何だったか?

 そう、偽物のルヴィリアの魔眼を使うことで脱出した。そうだ、たったそれだけのことだ。ただ、どうして、何故ーーーー……、魔眼を使えた?

 倒したはずの彼女の魔眼を、使うことができた?


「アゼス・ゲンヴ」


 己の名を呼ばれ、彼女は振り返る。

 虚空へ消えない街の景色を背に、ただ、振り返る。


「今一度……、繰り返してやろう」


 そこにいたのは夢の世界故に全ての傷を消え失せさせ、万全の状態で、ただ、一閃を構える男だった。

 『斬り抜き』ーーー……、その一撃を構える男だった。


貴様はその夢に(・・・・・・・)破れるんだ(・・・・・)


 ――――あの時。フォールが、リゼラの眉間にナイフを投げた、あの時。

 そうだ。彼女の眉間を貫いたのは本物のナイフなんかじゃなかった。ただの、玩具のナイフだった。

 偽物のルヴィリアが倒されたあの時、魔眼を跳ね返されできた隙に彼女の眉間が貫かれた、あの時。彼が投げたナイフは、何だった? 舞踏場で彼が落とし踏み壊されたナイフは、いや、踏み壊させたナイフは何だった? 自身の意識から完全に除外させる為に踏み壊させた、あのナイフは?

 だとすれば、まさか、中間世界の偽物は、あの世界を糸繋ぐ偽物は、まだーーー……!


「フォー、ル」


 剣撃。


「勇者フォォオオルウウウウウウウウウウァアアアアアアアアアアアーーーーーッッッッ!!!!」


 一閃。


「……だから言っただろう、アゼス・ゲンヴ」


 ピンク色の街の、猛獣たちの中へ叩き落とされていく『最硬』。

 彼女を守る鎧はなく、けれど彼女を傷付ける刃はなく、然れど決着は着けられた。

 勇者の一撃ではなく彼女自身の勤勉なる怠惰によりーーー……、その勝負は決着したのである。


「こんなところで貴様風情に負けるつもりはない、とな」



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