【3】
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「……さて」
アゼスが勇者へ明確な敵意を示した一方、その当人は電源室の装置の前で稼動状況を確認していた。
堕落の為とは言えかなり高度な機械を取り入れているものだ、と感心する。魔道駆輪と同じく魔力を燃料に動いているようだが、今まで魔道駆輪を自前で修理してきたフォールでなければ何処をどう動かせば良いのかさえ解らないだろう。現に数多のランプが点滅しているが、フォール以外はこの点滅の意味すら解らないはずだ。
「アゼスのいる部屋に電力が送られなくなった……、という事は移動したか。ふむ、多少不安ではあったが上手くいったようだな」
フォールは何やら円盤状の何かを懐にしまい込むと、ブレイカーの操作盤の蓋を閉じて立ち上がった。
現在、彼のいる電源室は第三階層にある。言うまでもないが彼のいる場所はアゼスの想定したルートから大幅に外れており、と言うかフォールが進むべきルートからも大幅に外れている。
当然であろう。そもそもこの城の電源室とか、さらに言えば食堂とか倉庫とか、そういった区間は今回の戦いに全く関係ないのだから。アゼスもてっきり勇者なら直線に自分のところへ向かって来るものと思って特にゴーレムを配置したりはしなかったが、その詰めの甘さに付け込まれて今回の悲劇が起きたわけである。
「では、こちらも移動しよう」
さらに言えばこの男、アゼスの用意したゴーレム迷路も精鋭ゴーレム達による一室も完全に無視して進行している。
どうやって? そんなモノ簡単だ。城内の壁や天井を手持ちの爆弾で爆破、ないし厨房から盗んできた油やスナック菓子の油分などを燃やして溶かし、ルート完全無視でアゼスの一室まで直行しているのだから。
『美しい造形の氷の城? ならば溶かせるな』が勇者クオリティ。建築したゴーレム達に殴り倒されても文句は言えない。
「……うーん」
そしてーーー……、そんな彼が移動している頃にもなれば、大広間にいたリゼラ達も全員目覚め、現状を把握していた。
尤も、その表情は決して彼の快進撃に納得出来るほど晴れ晴れとしたものではなかったけれど。
「この魔力の波動……、ちとマズいね」
特に、その魔力の余波を感じ取ることが出来るルヴィリアの頬には大粒の冷や汗が伝うほどに。
「あ、アゼスが本気になっていることが、か……?」
「ん、まぁ……。リゼラちゃん、シャルナちゃん。さっきの夢の世界のことで考えて欲しいんだけど、もし君達が悪夢を与えるならどうする? つまり、端的に言って僕達を追い詰めるために最適な悪夢は何だったと思う?」
「「フォール」」
「ベストアンサー以外でお願いします」
残念ながら当然である。
「まぁ、色々あったと思うけど、もし僕達を本気で裏切り者と断定して倒すつもりなら、もっとエゲつないことできたと思うんだよね。フォール君にしたってそうだ。ご丁寧にゴーレムをちまちま出したり夢の世界に案内したりなんて必要ない。数で押し潰しちゃえば良い」
「だがアゼスはそれをせなんだ。あ奴はゲーム感覚でフォールと対峙しておる」
「そう、そこなんだよ。アゼスちゃんは良くも悪くもお遊び気分なワケだ。当然それは油断じゃない。あの子はフォール君を充分に倒すだけの『余裕』があったからそうしていただけのこと……。解るかい? あの子にあったのは油断ではなく余裕。これがマズい」
「す、すまない、よく解らないのだが……。つまりアゼスが本気になったのがマズいということか?」
「端的に言えばそういう事さ。シャルナちゃんみたく常に全力で挑む武人気質でもローちゃんみたく獲物の実力を本能的に見分ける野生でもリゼラちゃんみたく余裕が本気な圧倒さでも僕みたく相手がどんな実力であろうと対応できるよう準備してるワケでもない……。余裕があるのに追い込まれてやっと本気を出すところ。言い換えればギリギリまで実力を出さず怠けようとするところがあの子の悪い癖だ。四天王の中で一番格下の理由と言っても良い」
「まぁ四天王歴もあ奴が一番浅いしの。んで? 御主は何が言いたいんじゃ。妾の残機がゲームみたく減ってくのはあ奴のせいという話か?」
「いや普通は残機とかないんだけど……。そうじゃなくて、僕が言いたいのはつまりあの子が追い詰められるまでもなく本気になった以上、フォール君がマジでヤバいってことさ」
躍動する魔力は肌を焦がす。鳴動のように錯覚させるのは紛うことなき魔力の波動。
――――アゼスの魔力量は決して高くない。ただ、彼女はそれを貯蔵する術に長けている。そしてそれ等を利用する術に長けているだけのこと。
かつてルヴィリアが『あやかしの街』で魔晶石に魔力を貯蔵していたように、それとは比べものにならない量を彼女は貯蓄しているに違いない。この『氷河の城』が堅牢なる要塞に覆われていたように、本来であれば最初の四天王として打倒されるはずだった彼女が最後の四天王として君臨する運命となった以上、決して彼女の存在は侮れるものではなくなった。
それはフォールも気付いているだろう。だが、彼は知らない。本気で怒った彼女の容赦のなさと大人げなさをーーー……。
「アンデット・キングにして『最硬』の四天王アゼス……。油断してると一瞬で勝負がついちまうぜ? フォール君」
不穏に、そう呟くルヴィリア。しかし彼女の予想は見事的中することになる。
彼女達とは遠く離れた第三階層で、電源室から脱出したフォールを出迎えたのは氷結の塊だった。
いや、氷結の塊と言えばこの城自体がそうだが、しかしそれは決して城の壁地でも装飾でもない。巨大な、透き通るように美しい氷の拳だった。容赦なく彼を潰すべく放たれたーーー……、氷結のゴーレムによる一撃だったのである。
「……!」
刹那であった。フォールは咄嗟に身を屈めてそれを回避した。
氷結のゴーレムが放った拳は運良く彼の髪先を掠めて後方、彼が穴を開けた電源室の壁を粉砕する。一切の容赦なく、確実に殺す為に。
「あー、あー。マイクテス、マイクテス。聞こえるッスか勇者さーん? 聞こえてるなら返事しなくて良いッスよ~」
ゴーレムから聞こえて来る声。否、それはまるで念話に近かった。その姿は見えないが頭に声が響いてくる。
自信の首筋に飛び散った氷結の欠片を振り払いながらフォールはその声に耳を澄ましつつ抜剣する。双眸は、ゆっくりと壁面だった瓦礫から拳を引き抜くゴーレムに向けられていた。
「こちら『最硬』の四天王アゼス。今からアンタに引導を渡してやるッス……。あぁ、アンタの目論見はとっくにお見通しッスよぉ。俺様が目を離した隙にロー先輩を取り戻して戦力を削ろうとしたんでしょう? 別のことに注意を向けて、こっちが油断してると思って……」
落ち着いた、然れど何かを抑え付けるように微かな震えを孕む声。
「ご名答ッス! 攻略方法としては裏技っぽいけど、これ以上ないベストアンサーッスねぇ! いやぁ、その点だけは褒めてあげても良いッス。だけど……、アンタはその攻略方法の為に犯しちゃイケナイ領域を侵した」
氷結のゴーレムの体躯はフォールの三倍ほど、即ち五メートル強から六メートル弱ほどの巨躯である。
ただそれ一体でずんぐりとした体は彼の視界の先、電源質の隣にある舞踏場であろうか、真っ新な空間を埋め尽くすほどの圧迫感を放っていた。
しかしアゼスの声に追随するかのように、その空間の壁から、地面から、天井から、数多のゴーレムが現れる。氷結のゴーレム同様に途方もなく巨大な、凍てつく殺意の権化がそれぞれの一部を吸い取るように削って、生まれてくる。
「実は俺様、初代魔王の話なんてろくすっぽ聞いてないし、そもそも興味ないんスよねぇ。けどあの人が教えてくれたのはアンタの倒し方だけは参考になったッス。『ルールを強制すること』『数の暴力で攻めること』『思考や準備時間を与えないこと』。この三つさえ守れば勝てるってね……」
その数は最早、舞踏場を埋め尽くすに等しく。
「つまり、あー、どういう事かと言うと……」
勇者を打破するに、充分過ぎた。
「こっからはマジのガチでいくッスから……。覚悟しろって事ッス」
偏にーーー……、ルヴィリアが恐れたのはアゼスが本気を出すことだった。
それは誰にせよ当然のことだ。彼女が余裕と信じて疑わない、そして事実余裕であるものを排除し本気で物事に立ち向かった時、その高慢ちきな怠惰を捨てて全力で物事に立ち向かった時、自身の『働かないために働く』という信条を押しのけて尽開で物事に立ち向かった時、彼女はきっとフォールにとって最悪の相性となるだろう、と。ルヴィリアはそれを懸念した。
『氷河の城』という本拠地故のルールの強制、ゴーレム創造という数の暴力。そして彼女から容赦が排斥されたことにより生まれる時間の簒奪。
ルヴィリアはこれ等の条件が揃うことを恐れた。魔王リゼラと戦った勇者フォールならばそれすら乗り越えただろう、『最強』シャルナと戦ったフォールならばそれなら乗り越えただろう、『最智』ルヴィリアと戦ったフォールならばそれでも乗り越えただろう、魔族三人衆と戦ったフォールならばそれこそ乗り越えただろう。
だが『最硬』と戦っているこの勇者フォールには、それは、乗り越えられないだろうから。
「魔族四天王『最硬』のアゼス……、いざ参るッスよ」
氷結の豪腕、空を裂く。
フォールは跳躍することでそれを回避、し切れない。彼の速度では一撃を回避することさえ容易ではなく、直撃こそしなかったものの彼の服端が一撃で飛び散った破片により引き裂かれ、数本の小柄なナイフが地面へと転がった。
無論、フォールがそれを拾おうとすることはないし、拾えるわけもない。転がったナイフは瞬く間に生成途中のゴーレムによって破壊され、彼はその残骸を目にすることもなく一挙に舞踏場を走り抜けた。刀剣を傘にして迷いなく、全力で。
「はーはっはっはっは! 逃げ惑え逃げ惑え逃げ惑え! ゲーマーのデータを消すって行為がどれだけ罪深いものか身を持って教えてやるッスよォ!!」
生成途中だろうとゴーレムの猛攻に容赦はない。況してや周囲が氷結で創られた城の中となればフォールの姿は熱探知機関により文字通り浮き彫りであり、さらに辺り一面には上下左右関係なく生成され掛けたゴーレムにより逃げ道すら危うく、一撃でも直撃すれば勝負は決する。
余りに分の悪い、いや、それは一方的な虐戮でさえあった。
「……はっ?」
しかし、倒れない。余りに不利過ぎるこの状況であっても彼は一切の直撃を受けていない。
確かに完璧な回避ではないはずだ。破片で衣服が着れているし、肌に切り傷もできている。しかしそれ等も軽いもので、決して彼の足を止めるほどではない。そう、彼は数十体近いゴーレムによる猛攻を全て、完璧ではないが縫い避けているのだ。
決して凄まじい速度で動いているだとか一撃一撃を凄まじい防御で受けているわけではないし、当然ながらゴーレムに何か細工をできたワケでもない。彼は単純に、往なしているのだ。一撃一撃、直撃するであろう攻撃だけを瞬時に判断し、全て往なしている。シャルナから習った剣術の一つである往なし技を、駆使して。
「ッ……、ぐっ…………!」
無論、容易なことではない。
受けるのではなく、流す。斬るのではなく、逸らす。瞬時に直撃するであろう攻撃のみを判断することでさえ精神を削る行為だと言うのに、刀剣をその域で縦とするなど達人とて百回繰り返せば一回はミスを犯すだろう。だがフォールはその百回を百回成功させることができる。幾夜も繰り返した鍛錬が、強靱たる精神力が、百回全て成功させる。
何も達人を上回っているわけではない。達人は千回やっても、やはり一回しか失敗しないだろう。だがフォールは千回やれば百回は失敗するだろう。少なくともそれだけの差が達人とフォールの間にはある。
しかし彼ならばその百回を、今の百回に持ってこないだけの精神力がある。今この瞬間を確実に乗り越えるだけの、意志がある!
「馬鹿な、何つー強靱な精神力ッスか! これだけの戦力差を、ゴーレム達を前にして……! いったいどうして勇者風情がそこまでの意志を!?」
「スライムッッッ!!」
でしょうね。
「こ、の……! 馬鹿にしてェッ!!」
この男の場合本気どころか全てに優先されるモノだからタチが悪い。
などと言っている間にも加速度的に増殖、いや、生成されていく氷結のゴーレム達。その数と量たるや、物理的に舞踏場を一切の隙間なく覆い尽くすに充分なものだった。アゼスはフォールが氷結のゴーレムによる一撃を往なせると判断するやいなや、攻撃ではなく物量で物理的に押し潰す方向へと転換したのである。
しかし、遅い。それだけの作戦を切り替える時間があればフォールは既に駆け抜けている。彼は氷結というゴーレムの体表も味方して文字通り滑るようにその隙間を駆け抜けていった。そして剣の腹を縦に、扉へと全力で激突して突き破るように舞踏場から脱出してみせる。
迅速。要塞を破壊するためにアーチ状の崖を破壊した時のように、一切迷いなき判断とそれを信じる果敢さの成せる技だ。
「ではご要望通り逃げ惑うとしよう。……行き着く先は俺が選ぶがな」
その捨て台詞が、さらにアゼスの血管をブチ切れさせる。
フォールは憤怒の絶叫やら獣の咆吼やら解らない叫び声を頭に轟かされながらも、氷状の廊下を走り抜けていく。細く入り組んだ道には巨体のゴーレムは入って来れないだろうという確信故の疾駆だった、が。そんな彼の予想を裏切って真正面から新たにゴーレムが現れた。
人型ではない。その三体のゴーレムは紛う事なき獣大の、鋭利なる牙を持つ猟犬をもしたゴーレムであった。
「厄介だ……、が」
フォールは余波の残骸により破けた衣服の裏から、二つの指ほどの細さしかない瓶を取り出した。
中身は真紅に光る液体と蒼銀に光る液体。彼はそれを一気に喉へ流し込むと、瓶を投げ捨てると共に瞬間的に速度を増加させる。そう、ポーションだ。
「余り使いたくは無かったが……、手段を選んでいる暇もないのでな」
ポーションによる一時的な強化。これによりフォールは通常の速度より半歩分の加速を得ることになる。
無論、氷結の猟犬ゴーレムとてそんなドーピング程度で怯むワケもない。三体は野性味を剥き出しにした牙で彼へと襲い掛かる、が、フォールはその内の一体、真正面のそれを刀剣で叩き伏せた。破壊するわけでも往なすわけでもなく、力任せに刀剣を叩き付け、そして、棒高跳びの要領で三体を軽く飛び越えて行く。
「ガウッ……!?」
コレに困惑したのが猟犬ゴーレム達だ。当然ではあるが、まさか獲物が如何にも戦いますと言わんばかりの戦意を見せておきながら逃亡をカマすとは獣ながらに思いもしなかったのだろう。
猟犬ゴーレムは彼の逃亡に慌てて踵を返そうと立ち止まる、が、その目の前に現れたのはフォールが投げ捨てた二本の小瓶であり。
「「「キャウウンッ!!」」」
悲しきかな、三匹はそのまま団子状になって氷状の廊下を転がっていくのであった。
「さて、ここからだ……」
フォールが今し方口にしたのは体力回復と速度増加のポーションである。
彼が今までこの類いを使用しなかったのは、偏にそのデメリットにあった。と言うのも当然な話だが、ポーションは傷を治癒させたり身体能力を一時的に向上させるなどの効果があるものの、それ等はあくまで前借りでしかない。
つまり如何に傷が瞬間的に治癒しようが力が強くなったり足が速くなったりしようがそれは一時的なもので、その後は傷を治癒した分だけ、力が強くなった分だけ、足が速くなった分だけ、体力を消費することになる。端的に言って気怠い、吐き気、頭痛などの揺り戻しがやってくる。
だから彼は使わなかった。メリットとデメリットが余りに釣り合わない上、何より家計簿の数字的に使いたくなかったのだ。
だがーーー……、今はそんな事を言っている場合ではない。彼は何としてもポーションが切れて揺り戻しが来る制限時間までに事を成し遂げたかった。
アゼスの言う、ローの模倣が終わる前に取り戻すという目的を、成し遂げたかったのだ。
「そんな子供騙しで……、逃げ切れると思ってんスか?」
しかし、『最硬』はそれを赦さない。
廊下から飛び出た彼を迎えたのは眼前より迫る幾重もの氷槍だった。氷で創り出された小型ゴーレムの軍勢による圧倒的物量による濁流である。一撃一撃は決して高い威力ではないものの、その圧倒的物量こそ槍兵ゴーレム達の特化である。その上、今のフォールには例えその一撃だろうと致命傷たり得るだろう。
彼は即座に方向を転換し、隣の部屋へと飛び込んだ。厨房である。
「「「ーーー……!」」」
無論、槍兵ゴーレム達も彼を追跡する、が。その軍勢はその物量故に数体ずつしか厨房に入れない。
例え数体ずつであろうとフォールを倒すには充分だろう。しかし扉を防ぐ数体さえいれば、フォールにはそれだけで充分だった。
「必要なのは密室と狭い入り口……、そしてその空間を埋め尽くす材料だ」
瞬間、フォールは厨房の火を着火させると共に、懐から取り出した何やら靄掛かった瓶を入り口に向かって投擲した。先刻のそれとはまた異なる、拳大の瓶である。
その瓶が地面に叩き付けられカシャン、と砕けた音と共に、扉に固まった数体の槍兵ゴーレムを爆炎が灼き尽くした。否、業火は数体を飲み込むばかりかその背後に構える軍勢まで炙り溶かし、瞬く間に槍兵の体躯を溶かし尽くしたのだ。
溶けたゴーレム達の体は入り口ばかりか廊下の一部までもを塗り固め、覆い尽くす。残る数十体近いゴーレムはそれだけで進行を阻まれることになる。
そう、フォールが投擲したのは瞬間的に爆発を起こす、気化爆薬、つまり濃縮ガスの類いである。
「……それさえあれば、氷の軍勢など恐るるに足らん」
彼は刹那の業火が消え去ると同時に厨房の戸棚を蹴り飛ばして這い出てきた。
一瞬隠れ入るのが遅れたせいで指先が焦げたが、些細な問題だ。少なくともあの軍勢を相手取るより被害は少なかっただろう。
「はっはっはァ! やるじゃないッスか……。けどそんな曲芸染みた小細工、いつまで続くッスかねェ?」
「だろうな。生憎とそろそろ手持ちも不安になってきた。小道具を使って逃げ切るのにも限界がある」
気流を指でなぞると油のようにべっとりと張り付く感触がする。そんな間隔と同じく、フォールの体にも嫌な気怠さの予兆が見え始めていた。
――――予想よりもポーションの揺り戻しが早い。効果はまだ続いているようだが、意外と早く本格的な揺り戻しは来るだろう。そうなれば『最硬』、或いは『最速』相手に戦うなど無謀に過ぎる。いや、例え並のゴーレムだろうと勝率は遙かに下がるに違いない。
ならば、その前にーーー……。
「……やるしかあるまい」
厨房の戸棚から持ち出したのは瓶。その中身は油。
彼がそれを壁に叩き付けると、飛散した油は欠片ごと一気に溶かし尽くされる。如何に先の爆炎で濃縮ガスが燃え尽きたとは言え残る炎を激化させる燃料としては充分過ぎるだろう。そして、彼が懐から取り出した浅黒いの粉末もまた、同様に。
「さて、行くとしようか」
業火、爆発。
油により燃え広がった炎は壁面を容易く打ち壊し、隣室への口を開く。フォールは迷わずその場から脱出したが、しかし、最悪と言うべきか必然と言うべきか、そこはアゼスが準備していた精鋭ゴーレム五体が待ち構える空間だった。
彼がその広大な部屋に一歩足を踏み入れた瞬間に、異形極まる怪物は瞬時に敵影を確認、攻撃行動へ移行。豪腕、砲門、千剣、魔道、鋭牙の五つが人智を越えた破壊力と速度と共にーーー……。
「終わりッスよ。そいつ等は熱探知機関なんて単純な機能じゃない……。背後の部屋をお取りにしようと」
「成る程、それは良い事を聞いた。感謝する」
フォール、撤退。即座に方向転換し走り抜けた彼の目指す先は先刻の部屋、の窓。
ポーションにより強化された半歩は精鋭ゴーレム達よりも僅かに速く、彼をその窓に到達させた。いや、その窓ではなく、窓の先まで駆け抜けさせた。即ち彼は第三階層たるその厨房から外へと飛び出したのである。
背後に爆薬という置き土産を残して。
「だからこそ、可能性もあろうというものだ」
彼が飛び出た先、背後の厨房で再び巻き起こる爆炎。三度の衝撃に耐えかねた部屋は天井も地面もなく崩壊を始め、飛び出したフォール自身までも爆風の余波により遙か彼方まで吹き飛ばすほどの威力を持って崩壊する、が。
それでもなお、足りない。彼が跳躍した後を追って五体のゴーレムは空中へとーーー……。
「尤も……、勝率は低いがな」
彼は墜落する。三階という高さは人間の脆い体躯を砕き割るに充分だろう。
しかしフォールは無事だった。いや、全身に切り傷ができ衝撃は骨肉を撃ったが、それでもまだ動けるだけの状態にあった。
何故か? 単純な話、落下した彼を草花のクッションが受け止めたからである。正しくは氷で創り出された繊細な草花、であるが。
「……ふむ、勝てた」
しかしその背後より墜落してくる、業火纏いし精鋭ゴーレム達。
無論、精鋭ゴーレム達にかかれば高が三階層程度の高さだろうと何ら問題はない。払われた負債はフォールの脱出による怪我のみ。如何に動ける程度のモノとは言え、今すぐ全開の動きというわけにはいかない。
彼は『勝てた』と言った。しかしその彼を囲むのは、その身を縛るのは、彼に訪れるのは絶望ばかり。アゼスはこの瞬間に彼の言葉を嘲笑い、逆に彼の勝利宣言を自分のモノとして掲げようとした、瞬間だった。
「さて、問題はここからどうするかだが……。ふむ、三階から落ちたのは兎も角、また戻るのは面倒だな。せめてロープでも張っておくべきだったか? いや、燃えるのがオチか……。となれば三階に戻るにはまた別の手段を使わねばな」
目の前から襲い来る怪物達に目もくれず、呑気に思案を固めていくフォール。しかし事実として、最早彼が動く必要性はなかった。
当然だろう、彼の倒れる氷の草花のある場所、即ち庭園であるならば彼が動く必要などいっさい無いのだから。炎纏う精鋭ゴーレム達が相手であるのならば、何も、行動する必要などないのだから。
全てーーー……、彼の策謀から生き残った残った二体の重装型ゴーレムが片付けてくれるが故に。
「さて、次の策を考えよう」
精鋭ゴーレム達を薙ぎ払う重装型ゴーレムの一撃。それだけでは破壊までいた到らないが、しかし、敵影目標は移り変わる。後は精鋭達が重装型の堅牢なる装甲を砕くが先か、対城兵器たる重装型の破壊力が精鋭を砕くのが先かの死闘である。ゴーレムとゴーレムの同士討ちである。
彼はその激闘に背を向け、再び城内へ戻っていく。しかし向かう先はリゼラ達がいて、彼が始めに通り幻影世界の罠を受けた大広間ではない。それとはまた別の、要塞を砕いたことによりできた亀裂だ。そこからなら、要塞を伝って二階層へ向かうことができる。
そうする必要があった。フォールま一手、二手、三手、或いは四、五、六、七、八、九、十。それより遙か先を読んでいる。読まなければいけない。そうしなければ、『最硬』には勝てない。彼にとって最後の戦いたるこの決戦にはーーー……、勝利することができない。
「長い戦いには……、したくないものだな」
そんな彼の言葉を否定するように、眼前から数百体近いゴーレムが現れる。見覚えのある歩行型や兵隊型のゴーレムも城外で猛威を振るった狙撃型も、何もかもが集結してくる。それに対しフォールは懐から取り出しうる限りの薬品と爆薬を構え、その牙で刀剣を構えてみせた。
これより始まるのは逃走と追撃。真正面より正々堂々戦う戦法は一切執られることはない。
それが、フォールだ。勇者の称号を冠し、この決戦に挑む男の戦い方だ。誰よりも弱く誰よりも脆く、然れど誰よりも真っ直ぐな男の、戦い方。
「俺もお前も……、手間は省くに限る」




