【2】
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「ぬ、ぐ……」
「起きたか、シャルナ」
「ッツァ!? 貴殿!! 違うからな! 貴殿!!」
「何がかは知らんが取り敢えず落ち着け」
さて、幻影世界から脱出した彼等は取り敢えずその場で、つまり『氷河の城』の大広間で一息ついていた。
とは言っても皆が、いやシャルナは今目覚めたので残るリゼラとルヴィリアが気付くまでほんの僅かな休息である。苛烈極める激闘を超えて来た、或いはこれから超えることになるフォールにとって唯一の安息の時間とも言えよう。
いや、ここは敵地。さらにアゼスの性格を考えればその安息の時間でさえ保障されるものではないのだが。
「取り敢えず……、アゼスと話して解ったことがある。奴の性格だ。非常に堕落的で短気、そのくせ自信高く自分本位と、何とも腐りきった性分をしている。なまじ能力があるからその我が儘が通ってしまうと言ったところか」
「き、貴殿、もうちょっと手心をだな……」
「何、ならば付け入る隙もあろうという話だ。恐らく奴がこちらを監視していたのは遠視魔法によるものだろうが……、今はその監視もないはずだ。きっと部屋の隅でモノに当たり散らかしているんじゃないか? 少なくとも今、俺の顔を見ようとは思わないだろう」
「……まさか、貴殿、その為に挑発を?」
「その理由が八割、嫌がらせが二割だがな」
シャルナは目元を歪めつつ、どうにか納得の言葉を返す。
熟々『この男だけは敵に回したくないな』と心の中で反芻しながら。
「兎角、動くなら今という話だな。幻影世界から出たなら貴様等の協力も終わりのはずだ。ここからは俺単独で動くことになる」
装備を整え直しつつ、彼は辺りの氷面を確認していた。相変わらず湾曲するように映る姿を、或いは遙か彼方の最上層まで貫かれた天井に、四方の廊下からぶら下がる氷結のシャンデリアを興味深く観察しつつ頷く様子からして何か策はあるようだが、いやしかし如何にフォールであろうとこれより先に待ち構える試練の数々を単身で突破することは困難を極めるだろう。
フォールによるアゼス分析は確かに的を射ている。だが如何に彼女の性格が堕落を極めた贅肉塗れだろうとゴーレム創造魔法は知っての通り強力無比。先刻の中庭でのような子供騙しがいつまでも通じるわけもなく、必ず限界が来る。
最早ただの冒険者と変わらない程度の実力しかないこの男がアゼスの元まで辿り着き、そして『最硬』を打ち破ることができるかと問われれば、例えこの毒薬爆薬スライムを衣服に忍ばせる男とてNOと応えざるを得なーーー……。
「待て貴殿何をしている」
「監視を外された以上、こうしない手はあるまい。アゼスは毒が効かないらしいが……、何、生物である以上一切効かないということは有り得ない。そう、それが例えどんな毒であろうとも……」
考えて欲しい。
そもそも、だ。この男が真正面からゴーレムに挑んで口端から血を流しながら『俺はこんなところで負けるわけにはいかないんだ!』などというタマだろうか? と言うか今まで一度だって真正面から正々堂々挑んだことがあっただろうか? 世に語られる勇者らしく愛と勇気と友情で戦ったことが一度でもあっただろうか?
いや、ない。そう、ないのである。どう足掻いたってこの勇者、暗殺・投毒・放火で全てを切り抜けスライムに辿り着くド外道悪魔なのだ。どんな道を辿ろうとその真実が変わることは決してない。
「これは俺にとって最後の決戦となるだろう。魔族三人衆や初代魔王カルデアなどという路端の石ではなく……、スライムをぷにぷにするという目的において、最後の決戦だ。その相手が初代魔王カルデアに唆された石ころというのは些か気に食わないが……」
シャリン、と。刀剣をしっかり鞘に収めながら。
「ならばこの戦い、俺のやり方でやるだけだ。元より勇者らしくだとか、正々堂々だとか……、そんな事を守るつもりは毛頭ない。俺が勇者だ。俺がフォールだ。ならば俺のやり方が俺の道だ。そして、奴がそれを予想できると舐めてかかってくるのならば……、その肥満に膨れた舌根っこを掴んで引き摺り落としてやるだけのこと」
その双眸に宿る冷たい真紅の焔は、これから何が起こるのかを黎々に示している。
フォール相手に油断だとか余裕だとか、例えそれが性分故のものであったとしても、それ一つ持った時点で相手は覚悟を決めなければならない。正々堂々たる戦士ならばその隙を突くだろう、愛と勇気と友情に生きる勇者ならばその隙を戒めるだろう。だがこの男は違う、その隙があれば決して逃がさない。突くのは当然、そこから相手の首まで刃を極限まで突き詰めるのがこの男だ。
隙一つあれば良い。例えそれが針先に満たぬものであろうとーーー……、絶対を崩すには充分過ぎる。
「後悔しろ、アゼス。例え数秒だろうとこの俺から目を離したことを……、僅かだろうと油断したことを……」
斯くして勇者は動き出す。正々堂々も勇者も何もかも踏み躙り、悪鬼外道は歩み出す。
「この俺という男を、刹那でも侮ったことを」
針先にも満たぬ隙間へと、ただ、容赦なく。
「あ゛あ゛ぁあああ゛ぁ゛ァアーーーーーーーーーーーッッ!! イライラするッスぁあああ!!」
そしてそんな男の始動など知る由もなく、彼の予想通りアゼスは辺りのモノに当たり散らかしていた。
と言ってもこたつの中身から容器を辺りに投げたりお菓子の皿を投げ捨てたりと意地でも自分の空間から出ない辺り、やはり堕落極まりないと言わざるを得まい。ちなみに飲みかけや食べかけのそれ等を回収してこたつに戻すのは彼女の身の回りの世話をする超小型ゴーレムの役目だ。
しかし、幾ら周りのモノに当たろうと彼女の気持ちは収まらなかった。あんな煽られ方をした上に『お前の創る世界は詰めが甘い出来損ないだし、創ったお前自身にも興味はない』とまで罵倒されたのだ。常人でも怒るだろうし高慢な彼女なら尚のこと憤慨するであろう。
「ホンット面白くねぇえええ……! フツーこういうのってあたふた慌てながら『お前には負けない』とか言うモンじゃないんスかぁ!? あぁあああああ腹立つぅうううう……!! あんな奴メッタメタノギッタギタにしてやるッスよぉ!! もう手加減なんてしてやんねー! 二階のゴーレム軍団と三階の精鋭ゴーレム達による試練さえ乗り越えさせてやんねーッス!! コンテニューも赦さないクソゲー仕様ッスよ!! あー腹立つ! ホント腹立つッスぁあああああああ!!」
本来であれば二階には数百体近い特別仕様のゴーレムが彷徨う迷路があり、隠密行動が求められるステージがあった。無論、ここも温情として裏技用の隠しルートはあり、フォールであればそれを見つけ乗り越えるだろうとアゼスは踏んでいた。
三階にしてもそうである。彼女が一体一体創り上げた、熱探知機関なんて単純な機能じゃなく、各自が自己判断で動く精鋭ゴーレム五体による試練も順番を守って倒せば三体で済むよう細工してあった、が。アゼスはそれ等の温情とも言える処置を全て撤廃したのだ。
隠しルートはゴーレムに防がせ、精鋭ゴーレム達はどう倒しても五体全て倒さなければならないようにする。如何にあの勇者と言えど、これ等の試練を重ねられればギブアップ間違いなしだ。
「ま、そのギブアップも赦さないッスけどねぇえええ……! 間抜けな格好のまま氷漬けにして城の天辺に飾り付けてやるッス!!」
繰り返す。アゼスの怒りは怒髪天を衝いていた。
彼女の籠もるこたつがガタガタと揺れ動き、繰り返し繰り返し中からゴミが放り出されるほどに。全くとんでもない暴虐振りであるーーー……、が、ここで取り乱し続けるのならばフォールとて一切彼女を警戒しようとはしなかっただろう。
超小型ゴーレムが飛んで来た、中身が半分ほど入った容器をこたつへ三回ほど戻した頃にはもう彼女は落ち着いており、冷静さを取り戻していた。と言うよりは取り戻すための手段へと取り掛かっていた。
「はぁ~~~、駄目ッスねぇ、駄目ッスよぉ? 俺様ともあろうモノがあんなクズ! に取り乱されるとあっちゃあ名折れってモンッスからねぇ……。ここは一端落ち着く為にも神作『秋の風が吹く頃に』をやるしか……」
『秋の風が吹く頃に』。とある女学園に迷い込んだ主人公が様々な問題を抱えるキャラクター達と親密になり彼女達の心を解き明かしていく異能力ノベルゲーム、という建前のエロゲーである。
アゼスお気に入りのこの一作をプレイ、いや、オープニングさえ見れば煮立った頭も冷静さを取り戻しあっという間に勇者を苦しめるための次策を導き出すだろう。いや、或いはあの勇者が泣いて謝り頭を垂れながらアゼス様アゼス様と崇め讃えるような策さえも思いつくかも知れない!
「……あれっ?」
カチッ、カチカチッ。
「…………えっ」
しかし悲しきかな、そんな時はいつまで経っても来ない。
彼女が何度ボタンを押そうともゲームが起動することはなかった。どころか、気付けば楽園マイスペースたるこたつも何だか段々と冷えてきた気がする。否、事実として冷えているのだ。
ゲーム機はつかない、こたつは冷えてくる。この二つの要素さえ揃えばアゼスの頭には最悪の、しかし事実たる可能性が浮かんでいた。そう、つまり、それは。
「電源落とされた……」
そういう事である。
「待って? 待って待って待って? 意味解んねーッス意味解んねーッス全然解んねーッス!! 何で!? 電源なんて抑える必要ないのに! 今すぐにでも俺様を倒しに来なきゃいけないはずなのに! 嫌がらせのため!? まさか嫌がらせのためだけに電源落としたッスかぁ!? 性根腐ってるどころの話じゃないッスよぉ!?」
腐っているのは魂なので安心して欲しい。
しかし事実として、傍目からすれば嫌がらせ程度でしかないその工作もアゼスにはご覧の通り大ダメージである。
フォールはこの時点でアゼスの趣味や行動パターンの八割を予測し、結果として彼女に手軽く一番ダメージを与えられる方法も予測立てていた。と言うよりリゼラ達がぽろりと零した内容から大体予想を付けていただけなのだが、それは正しく大当たりだったということだ。
「ふっざけぇああああああああああああああああああああああ!! くそがぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!! ブッコロしてやるぉおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
こたつ、上に下に大ジャンプ。
この瞬間にアゼスの血管はプッツンどころではなくブチ切れた。包丁があれば今すぐ持ってフォールに飛び掛かったであろうほどにブチ切れた。彼女の人生の中でもFPSで連続7リスキルされた時より、純愛ゲーだと思って購入したらNTRゲーだった時より、オンラインゲームで自分以外の仲間が全員切断ボット化した時よりブチ切れた。
もう本当に今すぐこのこたつを飛び出てブチ殺しに行ってやろうか、と思うぐらいにブチ切れた、が。ここでそう行動してはフォールの思い通りになることは明白だ。
「フー……! フグゥウウウウー……!! ご、ゴーレムゥウウウ……!! 今すぐ電源室に何体かゴーレムを向かわせてフォールを追い払い、再び電源を入れてくるッスよぉおおおお……!! 失敗したらお前ら全解体ッスからねぇええええ……!!」
怨嗟に満ちた声に超小型ゴーレムは慌てて走りだしていく。何とも気の毒だが、その命令を下したことにより何とかアゼスの溜飲は下がったようだ。
「ク、ククク……! 何もかもアンタの思い通りになると思ったら大間違いッスよぉ、クズ勇者めぇええええ……!!」
そしてそんな彼女の怒りをさらに静めるかのように、ここで奇跡が起こる。
何と、電源が落とされたかに思われたゲーム機が奇跡的に起動したのだ!
「えっ!?」
予想以上に早い復旧に、ゴーレム達が取り戻したのか予備電源が働いたのか考える間もなく彼女はコントローラーに飛びついた。
今はどんな理由だって良い、あの神OPさえ見えれば、とーーー……。
「あはははははっ! バーカバーカ!! ホントに思い通りにならなかったッスねぇクソ勇者ぁあああああああああああああ!!」
彼女の罵倒を讃えて流れる、心打ち振るわせる神曲。
何度も聞いた、しかし何度聞いたって色褪せることのない感動に、その心を煮立たせていた怒りはスッと引いていった。詰まっていた思考回路は一気に駆け巡り、冷え始めていた体がぽかぽかと温かくなっていくようだ。
『嗚呼、この神曲のお陰で俺様はまた戦える』。そんな感動を体現するように、OPは遂にサビへとブヅンッ。
「…………」
またしても、突如のシャットダウン。
鮮明になった思考回路はそれがフォールによる嫌がらせだと、一瞬だけ復旧させて希望を持たせるという腐りきった嫌がらせなのだと直ぐに理解する。
いや、しかし、真骨頂はーーー……、そんなモノでは済まなかった。
「…………………………は」
電源が落とされたことで強制シャットダウンされた画面。
だが間もなく、またしてもその画面に光が灯りモニターに見慣れた光景が映し出された。しかし、その画面を今まで何百何千と見てきた彼女は直ぐ様気付くことになる。
[0%][0%][0%]という、強制シャットダウンのショックにより容赦なくデリートされたデータ達をーーー……。
「は、ははは」
脳裏に甦るのは数千時間やり込み完全クリア目前となったデータの数々。
超難関の隠しルートも、『鬼の所行』と呼ばれクリアに数ヶ月かかった最難関のステージも、主人公とヒロインが紡ぎ上げた信頼の数々も、心臓が張り裂けそうになりながら集めたバッドエンドCGも、激エロながら涙なしには見られなかった気難しいヒロインとのエッチCGも、全てのルートを制覇することで得られるパーフェクトトロフィーまであと一歩となったシナリオもーーー……。
何もかも、消えた。今この瞬間に、消えた。ふつりと、消えた。
「あひゃひゃひゃひゃひゃ…………」
果たして、これが人間のやることだろうか。
アゼスは発狂した。こたつの中から聞こえて来るのは先程までの激憤ではなく、力なく魂の抜け落ちた笑い声ばかり。いや、或いはデータ抹消に追い打ちを掛けるかのように初ルート限定のOPテーマばかり、と言うべきだろうか。
しかしこれでは終わらない。絶望で真っ白になった笑い声の元へ、幾つかの料理が届けられた。電源室を奪取しに行ったはずの超小型ゴーレムがやたらと健康的でバランスの整えられた料理が載ったトレイを持って来たのである。
さらにそのトレイには料理の他に手紙らしきものが一通。超小型ゴーレムは料理をトレイごとこたつへ差し出すと、やがて力なく燃え尽きた声で手紙が音読され始める。
「……『アゼスへ。元気にしていますか? 勇者です。最近、部屋から貴方の笑い声が聞こえてきて安心しています。今はまだ部屋に籠もったままで良いけれど、気が向いたら是非外に出て来てください。俺の知り合いの魔王がお仕事を紹介してくれるかも知れません。アゼスは働くとか嫌いかも知れないけれど、世の中の人達は立派に働いてご飯を食べています。アゼスも働いてお金を得て、こういった栄養のあるご飯を食べてください。スナックやジュースばかりでは栄養が偏ってしまいますよ。――――貴方を殺す勇者より』」
ふつり、と声が途切れ、こたつと一室を静寂が染め上げた。
暖房もこたつも、何もかもの温度が消え失せ、冷気放つ氷結の壁地に等しく凍てついた空気。そんな外気よりも遙かに冷たい殺意を抱き、のそりとこたつの布団が捲れ上がった。
そこから現れたのは一人の少女である。実に数ヶ月ぶりに外気に触れた体は全身ツギハギだらけでところどころ皮膚の色が違うし、手足からは腐敗した包帯がぶら下がっている。
そしてそんな体だからか、或いは数ヶ月近く一度も入浴していないからか、こたつの中と彼女からは異臭を凝縮して固めたような黄ばんだ臭いが立ち篭めており、外気に触れた途端もわぁっと部屋の中へ溶けていった。
しかし少女は、否、アゼスはそんなモノに見向きもしない。腐敗した包帯の結ばれた指先で死人のように、否、事実として死人の肌色をした額と踵まで伸びた真っ白な髪の境目をぼりぼりと掻き毟りながら、深緑色の眼を虚空に向けて、ただの毒薬よりも濃密な猛毒をくれた勇者に対し、一言ーーー……。
「……ブッ殺してやる」
ただその明確な殺意を、露わにするのであった。




