【3】
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「扉に結界魔法を仕掛けました! これで一時間は稼げます!!」
「よ、よし、よくやった!!」
一方、魔王の間より逃げ出した魔王と側近。彼女達は王座へと続く長い赤絨毯の上にいた。
壁に立てかけられた燭台や大理石の柱。見慣れた様々な光景が、今ではもう地獄の入り口にしか見えない。薄暗い様も相まって、背後から迫り来るであろう化け物の恐怖をより一層色濃く彼女達へ刻み付けている。
だが、逃げるのだ。それでも逃げるのだ。と言うか逃げるのだ。マジで逃げるのだ。逃げなければ、死ぬのだから。
「走るぞ側近! この魔王城っぽいからって感じで取り敢えず作ったクソ長い廊下を抜ければ城内だ!!」
「毎回毎回、部下達からも苦情出てるくせにここを格好良く歩くのが好きとかいうクソみたいな理由で残してるクソ長い廊下ですね! はい、行きましょう!」
「今御主クソつった?」
「逃げますよクソ!」
「クソつったよね?」
などと言っているその瞬間に、後方で扉が吹っ飛んだ。
恐る恐る振り返った彼女達の視界に映ったのは、土煙を躙りながら歩いてくる勇者の姿。ただし二人からすれば地獄の門を開いた怪物の姿にしか見えなかった。と言うか事実その通りだった。
「ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!!!」
「逃げますよ魔王様! 速く、速く走って!!」
情けなく疾駆する魔王と側近。踏み抜かれる赤絨毯が大きくズレた。
一歩目、二人が恐怖に塗れた顔で涙を散らしながら逃げる。二歩目、ズレた絨毯で転びそうになりながらも走る。三歩目、魔王が二歩ほど遅れ側近が振り返る。四歩目、魔王が座り込み側近がズッ転ける。そして五歩目で二人は完全に立ち止まった。
「胸、超いてぇ……」
「そんな体で走るから!!」
「踵もクソ痛いわ……。やっぱスリッパにしときゃ良かった……」
「そんな格好で走るから!!」
「やっぱ妾、安物の方が体に合うって……、昨日の夕飯炊き込みご飯だぞ……。魔王なら高級ブランドとか言われるけどアレ何が良いんじゃ……。ドレスでエクササイズしたら速攻で破れたわ……」
「そんな性格で魔王目指すから!!」
「フッ……、側近。妾を置いていけ……。御主との日々は楽しかったぞ……」
「ま、魔王様!」
「良いのだ、気にするな。妾はもう無理であろう……」
「王位は私に!!」
「やっぱ意地でも逃げるわ憶えとけよ御主」
こつんっ。扉の破片を、革靴が転がした。
その音に魔王と側近は息を呑み、振り返ることもなく慌てて立ち上がり、走り出す。背後から迫るは悪魔か怪物か。それとも両方よりもっと酷いものか。そんな事を考える暇さえなく、走り出す。
対し、勇者は脱ぎ捨てられたハイヒールだとか乱れ転げた燭台だとかを跨ぎながら、平然と歩き続けていく。その足取りは追跡者のそれではなく、むしろ執行者のそれであり、牢屋の隅に逃げ込んだ罪人の手に錠をかけるような、核心的な歩みだった。
けれど、やはりその無表情が孕むのは何処か嬉しそうな笑み。確かな顔色こそ影で見えないが、明らかに何かを楽しんでいる笑みだった。
「絶対ヤバいですよ魔王様! アレに捕まったら死ぬより酷い目に遭います!!」
「解っとるわそんなこと! それよか走れ走れ走れ!! もう格好とかどうこうとか言っとる場合じゃない!!」
二人の前に拡がるのは階下と厨房へ繋がる左右の分かれ道。
その中心にある花瓶と、さらに上の絵画がさぁどちらへと問うているように思える。
本来ならばここで右か左かと立ち止まってしまうだろう。しかしそこは長年の付き合いである魔王リゼラと側近だ。二人は一瞬だけ視線を合わせると、魔王が階下へと繋がる右の道へ、側近が厨房へと繋がる左の道へと疾駆した。言葉を交わす必要などないのだ。二人は同じ志を持つ盟友。ならば何も言う必要はない。
そう、それこそ彼女達の『コイツを囮にして逃げよう』という以心伝心が見事に合致した結果だった。
「…………」
そんな二人の後ろからてくてくと、一分ほど遅れて勇者はクソ長い廊下を歩いてくる。
左右の分かれ道は深く続いており、先は闇で見えない。当然ながら魔王と側近の姿もなく、彼はそれぞれを軽く見回して、首をこてんと傾げ込んだ。
「……うむ」
一息。それから歩き出す。
絵画の瞳が見るのは、さてどちらか。右に進む勇者か、左に歩む勇者か。それともーーー……、彼が過ぎ去った瞬間、生に絶望したが如く枯れ果てた花瓶の花か。
「…………」
こつ、こつ、こつ。
どちらにせよ、闇に響くのはただ、その男の足音だけだった。