【3】
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彼女はそこにいた。
古来より受け継がれた伝統ある闘技場。聖なる地であり、この世で最も天に隣する地、闘技場。
『爆炎の火山』火口に位置するその闘技場へ入ることができるのは彼女だけだ。いや、そんな彼女でさえーーー……、東の四天王シャルナ・リュウエンでさえ、一年に二度、三度入るか入らないかという、非常に神聖視された場所なのだ。
「……ふぅー」
この場所に足を踏み入れるのは何度目だろう。しかし、その度に背筋が引き締まる思いをするのはいつも変わらない。
先代からこの剣を受け継いだこと、彼と死闘を演じたこと、四天王の座を受け継いだこと。まるで昨日の、いや、つい先刻の事のように思い出せる。幾重の妙技を積み、血が滲む思いで磨き続けた剣技。何と懐かしき、然れど親しき日々か。この四肢覆う裸鋼が何よりの証明たり得た。それが誇りであった。
自分は、龍の血を引く者として、四天王の長として、何より『最強』の名を冠す者として、恥じぬべき姿で在らねばならない。
此所に来たのもそれが理由だ。あの胸騒ぎという予感。恐らくは、来たるべき時が来たということなのだろう。
「勇者……、我ら魔族を滅ぼせし者。古来より誇り高き龍を狩り、魔を躙りし人界の英雄」
引き絞られた骨肉が、躍動する。女らしからぬ筋肉のみの、男のような胸板を巻き付けらるサラシがみちりと音を立てた。肩幅も鼓動に会わせて一回り大きくなり、龍紋の衣が火口より噴き出る紅蓮の風に靡き舞う。
「私も永き時を生きた。龍族としての長寿、武人としての覚悟、戦士としての鍛錬……、それ等が数珠のように連なる生、決して短きものではなかったぞ」
しかし、と。
「貴殿が強者であれば、それも報われる。磨き続けてきた剣技も、意味を成すことができる」
この永き生命、好敵手と呼べる者は一人も居なかった。
絶対的な力は、いや、力だけに限った話ではない。絶対的なものは孤独を産む。幼き頃より師しか自身と渡り合える者はおらず、ただ孤独に過ごしてきた。鍛錬ばかりの日々は酷く退屈であり、また孤独であり。
いつしか自分は女という性別を捨て、孤独という名の傷を埋めるかのように鍛錬へと打ち込むようになっていった。自身の力を憎悪した。境遇を恨みもした。
だが、それも過去の話。今となっては、感謝している。あの時の境遇にーーー……、今という刻があるからこそ。
「我が天命は此所に在り。我が天命は此所に成す。勇者よ、偉大なる魔王様に挑みし勇ましき愚者よ。貴殿という存在あればこそ、私はーーー……」
火口が吹き上がり、紅色の血線浮かべる岩々が猛りを上げた。
その爆炎に呼応し、衣の龍眼が紅色の唸りに叫ぶ。シャルナの持ち得る銀刃もまた、紅蓮の煌めきを得る。
その様は正しく最強の名を背負うに相応しき武人の背であった。誇り高くも孤高なる、武を極めし者の背であった。
「……来たれ、この場所に。彼の御方に挑みし証を得るべく来たれ! 我が宿敵よ!!」
ドゴッッォオオンッ!!
呼ばれて飛び出てばばばばーん。お待たせしましたと言わんばかりに飛び出る魔道駆輪。
そもそもあの勇者フォールがまともな道を行くはずがなかったのだ。ご丁寧に幾重の見張りと荘厳なる龍門と龍柱のある山道を、闘技場まで続く迷宮ダンジョンを昇って来るはずなど、なかったのだ。
彼は魔道駆輪の機動力と自前の怪力で無理やりこの山頂火口まで車体を跳ね上げ、登山というより飛山でここまでブッ飛んできたのである。
「…………」
だが、シャルナはこれに狼狽えない。
弾け飛ぶ石礫や弾ける火花に視線もくれず、自身の上空を過ぎ去る魔道駆輪に静かな眼光を向けていた。そこから飛び降りてくるであろう、影に。剣閃に。
がーーー……、しかし。麗しき瞳に映ったのは、白目を向いて操縦桿に縛り付けられた、哀れな少女の姿だった。
「…………ッ!」
直感か、反射か。
数瞬前、魔道駆輪が跳ね上がってきた壁面から跳躍し、疾駆する影より放たれる閃光。シャルナはそちらに視線を向けることなく、背筋に走った悪寒のみでその一撃を弾き返した。
一瞬でも意識が遅れていたならば、今頃自分の背中を眺めていたことだろう。それ程までに、素早く、躊躇なき一撃。
「ぐ、ぅッ…………!」
白銀が削れ合う、ノコギリを引き合うような金属音。
彼女の聴覚がその音に苦痛を憶えた頃にはもう、刃よりも鋭き真紅と、敵意に引き絞られた蒼翠の眼光が激突していた。
「……防がれるとは思って無かったぞ。流石は四天王だな」
「な、何者…………ッ!?」
「勇者だ」
爆炎の轟きと、魔道駆輪の墜落と共に、切迫は弾け合う。
シャルナと勇者は互いに後方へ跳躍し、距離を取った。龍紋縫われた衣を翻しながら、スライム柄縫われたエプロンを翻しながらーーー……。継承され続けた大剣から白煙を振り払いながら、税込み350ルグのおたまから火花を散らしながら。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………カワイイだろう?」
「違う、そうじゃない」
なおこのエプロン、勇者の手造りである。




