【プロローグ】
【プロローグ】
「……ふむ」
ドゥルルン、ドゥルルン。
何回目かのエンジン起動によりようやく中枢が発動し、魔道駆輪は起動する。その音は何処か異物的であり魔道駆輪全体も激しく上下している辺り、どうにも万全の状態とは言いがたい。まぁ、対メタル戦であれだけ乗り回した上に砂漠の線路を無理やり走破すればこうなるのも仕方なかろう。
フォールはその車体状態に眉根を顰めつつも、仕方あるまいと一旦ギアを納めて魔道駆輪から脚を降ろす。
「少し調子は悪いが、まぁ、まだ走ることはできそうだ。多少整備すればどうにかなる……、と思いたいな」
「……別に、もう少し滞在しても良いんじゃないの。そんなに急ぐことないでしょ」
そんな彼に対して、相変わらずぶっきらぼうな表情を浮かべるのはロゼリアだ。
いいや、彼女だけではない。アテナジアも四肢も、エレナもルーティアもとても残念そうに肩を落としている。この街に滞在してまだ数日程度、先日の晩餐会から翌日の話だ。彼等が別れを名残惜しむのも無理はあるまい。
「俺もそうしたいところだが、そろそろ面倒なヤツが目覚めるという話だし旅の終わりも近いからな。滞在はその後にするとしよう」
「もう少しお話したかったんですが……、ここまで続いてきた旅ですからね。僕達に引き留めることはできません。けれど、せめて……」
「……あぁ、エレナ。お前の言いたいことは解る」
「二日酔いで死にかけのリゼラさんとローさんが治るまで滞在した方が……?」
「最悪埋めるから問題ない」
食堂の料理を片っ端から食い尽くした後、酒樽まで開けて酒池肉林の大騒ぎをした馬鹿共に同情はない。
「あー……、フォール。その、なんだ。顔貌のことは任せてくれ。俺でも面倒見るぐらいはできるし、もうアイツに驚異はねぇだろうしな。安心して旅を続けて、とは言い難いか」
「だろうな。何、貴様には貴様でやるべき事もあるだろう。細かい残り事は俺達に任せると良い」
その一言に四肢は目元をひくつかせ、アテナジアが話題を打ち切るように大きく咳をする。まぁ、彼等ばかりではなくその隣で不機嫌そうに頬を膨らませるロゼリアのこともあったりするのだけれど。
あと序でに言うのなら、朝起きるなり恋人の姿がいなくなったせいでバーサーカー化して街中を全力疾走している某第五席の事もあるのだが、敢えてそこはスルーである。
「う、うむ、貴君。その事はまた別として……、アレイスター大魔道士様と別れは言わなくて良いのか? 街から出ればあの方の念話でも届くのは難しいだろう。あの御方は何かと雑というか、その、粗暴なところもある御方だが、挨拶なく別れるのは悲しまれるぞ?」
「案ずるな。奴とは昨日、嫌と言うほど話した。それにあの魔道士も今は同郷ならぬ同時代の友がいる。……だろう? ルーティア」
「えぇ、もちろん。彼女を寂しがらせることはしませんし、私も寂しがることはないでしょう。思い出話を話すには、私達では一時間でも一日でも一年でも物足りないぐらいです。しばらく彼女と一緒にこの街で過ごすつもりですよ。少なくともエレナ君とロゼリアちゃんが再度婚姻式を行うまでは」
「そうか、ならば奴も少なくともその間は退屈することもあるまい。……ところでその腕に抱える阿呆共は返せよ?」
「えー! やですぅー!! リゼラちゃんと一緒にもっとお喋りしたいしシャルナちゃんと手合わせしたいしルヴィリアちゃんには御礼も言いたいしローちゃんはバタ、じゃなくて、うん。はい!!」
「取り敢えず貴様一人のせいで全員死にかけているからさっさと魔道駆輪に放り込んでおけバター聖女」
「「「バター聖女……?」」」
「おうフォールてめぇ裏に来いよ」
「聖女の言葉使いとは思えんな」
なんて話している内にも、フォールを急かすように砂漠から爆音が響き渡り、天を貫かんばかりの砂柱が舞い上がる。その柱が何を意味するのかは、瓦礫の底で眠っていたであろう者のことを考えれば語るまでもあるまい。
フォールは大きく、それはもうとても大きくため息を零すとルーティアにリゼラ達を魔道駆輪へ放り込ませ、自身も運転席へと飛び乗った。
「少し足早になってしまたが……、これでお別れとしよう。流石に今の状態でメタルを相手にできる自信はない」
「待ちなさい、フォール。……これ、防寒具と食料と水と、あとポーションとかの詰め合わせ。『花の街』を超えたら一気に寒くなるから必需品よ。ろくに揃えられてないでしょ」
「む……。すまんな、ロゼリア」
フォールは一瞬、ほんの一瞬だけそれを受け取るのを躊躇する。いや『詰め合わせを』と言うよりは『ロゼリアから』と言うべきだろう。けれど彼の真紅はその迷いなき、真っ直ぐな瞳とぶつかり合うと押し負けるように荷物を受け取った。
その噤まれた口から言葉が出ることはない。けれど彼は言葉の代わりに、その掌で彼女の小さな頭をくしゃりと撫でてやった。その隣で微笑むエレナの頭も、また。
「…………では、な」
多くを語ることはない。多くを残すことはない。フォールは朧気に駆動音を鳴らす魔道駆輪の操縦桿を握り、ギアのロックを解除する。
彼等を見送る者達は別れを告げることはない。またその時の為に『さようなら』は言わない。いつか、きっと、出会えると信じているから。再び昨夜のように楽しい時間を過ごせるとーーー……、必ず。
「フォールさん。……また」
「……ふんっ!」
「あぁ、また……、な」
少しずつ、少しずつ、朝日と共に遠ざかって。彼等の旅路は復興の喧騒に見送られる。
こうして『花の街』の騒動と、些細な一件は全て落着した。これより彼等の旅路は、魔王城より続き東、南、西と続いた旅路は北へと入る。旅路の終着点である『始まりの街』へと到るだろう。そしてそこで彼等の旅は終わりを迎えることになる。
永く遠い、果てなきこの旅は。幾人との絆を結び、幾つもの思い出を作り、幾度もの困難を超えて来たこの旅路はーーー……。
「フォーーーールぅーーーーーーーーーーーーっっっ!!!」
まだ、少しだけ。
「いつかアンタに見せるから! だから、必ずまた来なさいよ!! この街にーーーーーっ!!」
遠ざかっていく魔道駆輪と、そこからほんの小さくひらひらと舞う掌。
言葉はない。語るべきものも、残すべきものも。けれど勇者の挨拶は、それで良い。
彼の挨拶は、ただーーー……。
「……で、良かったのか?」
そして、そんな彼等の去り際を虚空の水鏡より眺める者が一人。
彼の言葉に花畑の花弁を撫でていた男は静かに立ち上がり、頷きを見せる。
「はい、構いません。フォっちには伝えるべきことを伝えましたし、ルヴィリアさんにも僕の考え得る限りのことは伝えました。これで僕の為すべきことは終わったと言って良いでしょう」
「んな大袈裟な……」
「大袈裟じゃないよ。そいつの言うことは案外的を射ているかもねぇ」
彩り豊かな蝶々の風を超え、老婆が大理石の椅子に腰掛ける。
その手にはいつもの杖と、そして見慣れない刀剣があった。いいや、見た目こそあの災悪が使っていたそれだが、その剣身は黒銀に輝き、言いしれぬ人智を越えた領域の何かを纏っている。ただ剣を持っているだけにも拘わらず老婆、アレイスターの枯れた肌には汗が伝い指先が酷く震えるほどだ。否、震えているのはこの幻想の空間そのものだろうか。
「しかし、ガルスは兎も角としてカネダ、アンタは本当に謝礼がこんなので良かったのかい。こんな空間に一日匿え、だなんて」
「目覚めたらおむつとほ乳瓶で武装したアイツが目の前に居るんだぞ。逃げられるなら世界だって敵に回すわ」
気持ちは解る。
「……まぁ、俺からすりゃガルスの願いの方が意外だったけどな。元からそうしてもらうつもりだったとは言え、メタルの刀剣を直させるだけじゃなく、まさかあの天兜、殻鎧、鱗脚具、そして盾と聖剣の残骸までも刀剣の材料にさせちまうとは。……良かったのか? 本当に? しかもそれ持つのメタルだぜ?」
「えぇ、あのメタルさんを強化するような行為だと言うことは、延いてはフォっちを追い込むに等しい行為だと言うことは僕も理解しています。歴史的遺産を破壊することもその遺物をメタルさんに預けなければいけないこともよりによってメタルさんだということも何がどうしてもメタルさんだということも何でよりによってあの野郎に」
「未練たらたらじゃないかい」
「メタルだからなぁ……」
ガルスは荒ぶる気持ちを抑えるように、ふぅと軽く一息ついた。
その視線の先にあるのは黒銀の剣。奇異なる運命の果てに彼等の元へ辿り着いた、歴代勇者の防具と初代勇者の盾と聖剣の残骸を溶かしメタルの刀剣を大魔道士アレイスターが魔力により打ち直した究極の剣だ。
歴史的、遺物的価値ばかりでなく、この剣に触れずともその異様な力は感じ取れる。この剣をあの災悪が振るうことになれば、それはいったいどれ程の破壊力を生むのかーーー……、想像するだけで恐ろしい。
「……けれど、これが必要だということも理解しています。途方もなく有り得ない未来を斬り開けるのは、きっとこの刃だけですから」
「はぁ……、高々エルフの問題解決が『消滅の一日』解決になり、挙げ句にゃ勇者の、寄りにも寄ってアイツの尻ぬぐいかよ。俺達こそ珍道中だぜ。まっ、一度受けた依頼は完遂するのが誇りってモンだがね」
カネダは言えてきた片腕を振り回しつつ、水鏡に映る砂漠へ銃口を向ける。
その先にあるのは瓦礫を粉砕して咆吼か慟哭か、ただ叫び嗤う怪物の姿。どうやっても、少なくともこの弾丸程度では殺せない怪物の姿。
恐らくこの世界にはもう止められる者がいないであろう、ただ一人の、掠り傷一つなく復活した災悪の姿。
「運命……、か」
引き上げた銃口が射すのは、天。
与り知らぬ流転を嗤う、唯一の天。
「そうです。……僕達が立ち向かうべき、世界の運命です」
その言葉が何を意味するのか、知るのはただ彼等と勇者と『最智』のみ。然れどこの先、流転するそれを知る者は誰一人としていない。例え天でさえも、否、天だからこそ。
――――そして刻は動き出す。誰も知り得ぬ希望に向けて、誰かが知り得る未来に向けて動き出す。流転する歯車の軋みを聞くのは誰であろう。物静かに見下ろす天より嘲笑うのは誰であろう。 未だ終わらぬ運命の奔流、明かされゆく世界を巻き込んだ陰謀の果てを知る者は、果たしてーーー……。
「……『勇者』フォール」
それは、果たして何物なのか。
名はなく、姿はなく、意志はなく、意味はなく、然れどその者は滅亡の帆の残骸に君臨していた。敢えて言うならば武闘会の参加者の一人にして、闘技場倒壊の騒動より姿を消していた一人の男、黒衣の者はそこにいたのだ。
真紅の眼で、土煙と共に遠ざかっていく魔道駆輪を眺めながら、そこに佇んでいたのである。
「廻る、廻る、運命の輪。貴様の知り得ぬ未来がそこにある。貴様の終焉の地が、そこにある。貴様の意志が、意味が、意図が、そこにある……」
髪の尾を揺らしながら、細く鋭い双眸と変わらぬ表情と共に、その黒衣の者はーーー……。
「貴様はそこで、己の証明を知るだろう」
世界の運命を、観測するのである。




