【エピローグ】
【エピローグ】
「いやぁ、まさかそんな大事になってたなんて……」
「意外ですねぇ」
「『意外ですねぇ』じゃないよ!? あのあと解呪にどんだけ苦労したと思ってんのさ!! 僕の魔力はもうスッカラカン通り超えてカラッカラだよう!! 見なよ、ゼリクスなんてまだこんな状態だぜ!?」
「すらいむすごい」
「「あはは」」
「あはは!?」
「おいロー、そっちの肉は妾のじゃぞ! 妾の!! うおぉおお寄越せぇええええええ!!」
「フシャー! 渡すかぁああああああ!! フシャァアアーーーー!!」
「まぁまぁ二人とも。私のお肉をあげますから」
時は過ぎ去り、夕刻。
王城の食堂にて、似合わない正装に身を包んだ彼等はささやかな宴を開き始めていた。要するにエレナとロゼリアの婚姻を祝う晩餐会である。
ただしそれは表向きの話で実際は決戦勝利のための宴であり、ささやかに身内だけで行われるものだ。流石に街が復興で大変なことになっている時に酒池肉林の宴は開けないからという理由なのだけれど、実際はささやかさなど微塵もない喧騒さだ。
特にガルスとエレナに抗議するルヴィリアとか、リゼラとローの暴食振りを加速させるルーティアとか。これでまだ宴が始まったばかりで全員揃いきってないと言うのだから、今日の宴は平和で終わるわけがないというか、何と言うか。
「全く、我々が少し城を離れるとこれだ……。油断も隙も無いな……」
「本当に申し訳ない……。勇者なら縛り付けて外に吊しておいたのでな、しっかり反省しているはずだ。たぶん……」
ちなみに、そんな喧騒に苛まれながら部屋の隅でワイン片手に大きくため息をつく乙女が二人。
「本当に今回は始まりから終わりまで大騒ぎだったな……。いや、まだ街の復興が終わってはいないから終わったとは言い難いが……。貴君等のせいと言うべきか、お陰と言うべきか。いやはや何とも……」
「良いんだ、事実としてその通りだしな。我々にはどうも騒ぎが付きまとうらしい。とは言え、騒ぎの根源だった顔貌……、魔族三人衆の一件は今回で落着したからやっと息が着けるよ」
くい、とシャルナはワインを仰いで。
「……そう言えば四肢とはどうなったのだ? アテナ殿」
「振った」
「振った…。え、振った? 振った!? 四肢を振ったのか!? 貴殿!? え、振った!?」
「い、いや、だって知り合って間もないわけだろう!? それに私の中での奴はまだ覗き魔とか怪盗とかいうイメージがあるわけだし……。い、いや確かに私やロゼリア様を守ってくれた事には感謝しているし、顔貌の一撃を防いだ時は不覚にも、まぁ、カッコイイとは思ったが!? やはり何と言うか……、う、うむ!?」
「そ、それで振ったのか……!?」
「しかしだな!? ま、待て! だが、きっ、貴君だってフォールとはどうなのだ! 私と奴より長い付き合いだそうだし何か進展ぐらいあるんだろう!? 先輩として聞きたいな! うん!? き、きっ、きっすぐらいしたのだろうなぁ!?」
「き、きききききききっすぅ!? するわけないだろうそんなモノ!! す、するわけあるか!! するわけあるかぁ!! ふ、ふしだらな!! ふしだらだぞ貴殿!! そういうのいけないと思う私!! そ、そういうのはまだ早いと思う私ぃ!!」
「まだぁ!?」
「まひゃぁっ!?」
訂正しよう。コイツ等が一番うるさい。
まぁ初心×初心の方程式が導き出す答えなどうるさい意外にないわけだが、それにしたってこの面子め、鍛え上げられた体格に似合わないドレスを着てまでする話ではないし、ワイン片手にするような話でもない。
二人は息を荒げながらさらにワインをボトルで仰ぎ飲み、大きく、とても大きく息を落ち着けさせる。
「わ、解った、落ち着こう。この話題はやめておこう。互いに負うダメージが大きすぎる……!」
「そ、そうだな、やめておこう! それよりホラ、け、剣とかどうだ! 貴君の剣は見事なものだな!! 相当な業物だ!! 私も槍はとある高名なドワーフの刀匠に鍛えてもらったものでだな!!」
「それは素晴らしいな! 槍と刀剣は全く違って、うむ! 違うからな!! うむ!!」
かと言って自分達の分野に逃げる辺りもどうかと思うが。
しかし、良いのだ。別に構わない。宴も始まったばかりだし、彼女たち恋する乙女同盟もそう急いで話を進めることもあるまい。ゆっくり、今晩という安寧の時を過ごせば良いのだ。
「それではいけません……」
まぁ、他の恋する乙女がそれを赦すかどうかは別として。
「「ゆ、ユナ第五席!?」」
「経験者の身から言わせてもらうと、躊躇していると数年単位で悲壮な日々を過ごすことになります。愛する人と会えない日々はそれだけでとても悲しいものです……。そうならない為にも思いをしっかり伝え、相手と一緒にいる時間を多く取ることはとても大切なんですよ?」
「それは、その……、鎖に繋いででも?」
「もちろんです! ねっ、カネダさん♡」
「いっそ殺せ……」
見た目麗しく、どんな異性も振り向かせるであろう妖艶さを振りまきながら現れたユナ第五席、とその隣でタキシードから異色さを放つ鎖を垂らした男が一人。
確かにユナと言えば奥手な二人に比べてイケイケ極まるアタック型である。その積極性は彼女達にも見習うべき部分はあるだろう。ただしカネダは死ぬ。
「し、しかしユナ第五席、迷惑ではないだろうか? その……」
「そんな事はありません!」
「いや迷惑ですヨ?」
「良いですか? 人の心はとても複雑です。愛しつつ憎むこともあれば、憎みつつ愛してしまうこともある。決して一筋縄ではいかない、パズルよりも遙かに複雑に絡み合うものなのです」
「俺の首についてる鎖みたいにな」
「それを迷惑だとか、拒絶されるのが恐ろしいだとか、そんな事を考えながらできるほど恋愛というのは簡単ではありません。真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに思いを伝えるしかないんです! 例えそれがどんなに遠く果てない思いであってもーーー……」
「でも伝え方は考えようね?」
「カネダさんお静かに!!」
「ぐぇぁっ」
カネダは死んだ。悲劇は起こるさ。
「恋愛なんて気取れるほど立派なものではありません。どんなに若くても、どんなに年老いていても、男だろうと女だろうと、例えどんな人生を経てきたって、恋愛はいつも初心者です。恋愛に達人なんていません。人の数だけ愛があり、モノの数だけ恋がある……。私達はいつだって初心者なんです。恋し、愛している今でさえも……」
「……う、うむ。その意見は、賛同するが、しかしやはり怖いというか、駆け引きとか、そういう」
「駆け引き? 貴方達は恋愛を楽しみたいのですか!? いいえ、違うはずです。貴方達は恋愛に生きたいはずでしょう!!」
その一言にシャルナとアテナジアはハッと気付いたように息を呑んだ。
恋愛の秘訣や駆け引きではなく、何よりもまず心構え。それはまず基礎を極め刃とは何かを見極める武術にも通じるものがあったからだ。小手先の技や必殺技なども基礎が出来ていなければただの戯れ、道化の踊りでしかない。基礎という土台があって初めてその技は己の武を極め導く一閃となるのだ。
尻込みしている一撃が必殺技になるか? 相手の攻撃をいなせる技になるか? 答えは否である。闘争という心構え、そして何より基礎という土台があってこその技なのだ!
「「し、師匠……!」」
「師匠だなんて、そんな! 照れますねカネダさんっ。 ……『うん』ですって♡ うふふ」
人は白目を剥きながら泡を吹いている状態で『うん』とは言わない。
「……けれど、話を聞く限りシャルナさんは兎も角、アテナジアさんは挑戦する立場ではないように思います。貴方は戸惑いこそあれど、あくまで恋を受けている立場でしょう?」
「そっ……、それはそうではありますが、いやしかし、あの……。受ける立場と言うべきか、私はいったいどう反応したら……」
「それは自分で考えてください」
「じぶっ……、えっ!?」
「本当はアドバイスしても良いんですが、フフッ、貴方達はアドバイスしない方が上手くいくような気がするんです。だからどうか、貴方はいっぱい悩んでいっぱい苦しんで、そしていっぱい頑張ってください。それがきっと、貴方の愛の道となるでしょう」
「さ、先程と話が違うような!? 進むことこそ大事だと仰っていたではありませぬかぁ!!」
「あら、進めば壁にぶつかります。壁にぶつかれば苦難に遭うのは当然でしょう? ……ねっ、四肢さん?」
彼女の微笑みに、飛び上がらんばかりの驚きを見せるのはアテナジアと、彼女の背後の柱に隠れていた一人の大男。
二人はまるで石化魔法でも掛けられたかのようにかちんこちんに固まると、物言わぬ、ただただ気まずい時間ばかりが流れていく。いや実際に経過したのは精々一分か二分程度なのだろうけれど、きっと二人にとっては数時間、或いは数日より永い時間に感じられたに違いない。
「き、奇遇、だな、ですね?」
「あ、あぁ、そ、そうだな……。い、いたのか?」
「さっきまで、ちょっと外に……、あ、あの、花束とか……、お好きですか……?」
「は、花は好きだ……。ティーにして飲むと美味しい……」
「ふ、麓の花屋で、花を、買おうと思うんですが……、はい……」
「い、良いんじゃないか……、良いと思う……、うん……」
「……………………」
「……………………」
何ともぎこちない、まるで錆び付いた歯車を無理やり回すかのような会話。
ムズっ痒い思いのシャルナと、にこやかに微笑むユナ、あと序でに死体に見守られ、彼等の沈黙は続いて行く。得てして恋愛とはこういうーーー……。
―――バァンッ!!
「な、何だ!?」
突如として開け放たれた、と言うよりは突き飛ばされた扉に宴へ集った者達の視線が集められる。
そこにいたのは何とも可憐な、皿を片っ端から喰い貪る魔王とはかけ離れた可愛らしさを持つ一人の少女だった。彼女こそ本日の宴の主賓であり名目上は主催者でもある、ロゼリア王女である。
その姿は遅れてきただけあってメイド長達により超一級品の白ドレスと白銀の王冠、そして硝子の靴という何とも綺麗な、いいや、最早メルヘンチックですらある衣装で覆われていた。きっと街行く人々であればその可憐な姿に拍手を送るであろうほど、その姿は華奢な妖精すら思わせるほどであったのだ。
ただ、彼女の表情はそんな様子とはかけ離れて露骨に不機嫌そうであり、しかも皆の視線を無視してとある青年へ突っ切っていく足取りは正しく鬼が如く。いったい何が起こるのかと皆が皆、その行動を見守ったが、彼女はーーー……。
「ちょっと」
エレナの胸座を掴んで頭を引き下げさせるという、メイド達でさえ泡を吹いて倒れる行為をやってみせた。
「おや、ロゼリア王女。もう具合は大丈夫ですか? 今日一日、お部屋に籠もりっきりだったようですし……」
「そういう話をしてるんじゃないわよ。ねぇ、言っとくけど勘違いしないでよね? 貴方は確かに助けてくれたし! この街の人達も避難させてくれたけど!! これとそれとは話が別だから!! 貴方と恋愛なんてまっぴら御免だから!! 私は国の為に恋愛なんかしたくないから!! 解った!?」
大声で、一気に声を張り上げる。
それはロゼリアなりの訴えだったし、短絡的にまどろっこしい事は好まない性格故の主張だったのだろう。今日一日、スライムハザードの間も部屋に籠もって何をしていたのかと言えば、つまりこれを考えていたということになるわけだ。
確かにその主張は筋が通っている。一人の王女としてではなく一人の少女としてならば、全く道理に沿った答えだ。
だがしかしーーー……、何と言うべきか、相手が悪かったと言うべきか。
「もちろんです」
エレナはロゼリアの拳にそっと手を重ねると、自身の胸座を乱暴に掴む彼女の指を解いてみせる。
ただ優しく、諭すように、にっこりと微笑みかけて。
「ロゼリア王女、確かに僕は帝国とこの『花の街』の関係上、貴方と婚姻を結ばなければなりません。それは互いの平和のために必要なことです。世界がそう望む以上、僕は王子として、貴方は王女としてその役目を全うしなければならない」
「だからーーー……!」
「えぇ、だったら別に、全うさえしてしまえば後は何でも良いわけです」
「…………は?」
「例えば妾とか、側室とか言いますが……。貴方が真に愛する人と結ばれればよろしい。結婚なんて所詮は書面上での話です。その関係さえ保っていれば文句を言う者はいませんから。それでも貴方に我が儘を通そうとする者がいるのなら、貴方と貴方が愛した人の関係を糾弾する者達がいるのなら、僕はその者達から貴方と貴方が愛した者を全力で守ります。それが王子として、そして僕、エレナとして貴方に尽くせる当然の約束だからです」
「な、ぁっ、あ、あな、貴方っ……!!」
「……ロゼリア王女殿下。大切なのは世間の誰かの納得ではありません。貴方の納得なのです。貴方自身の、他の誰のものでもない貴方自身の人生です。ですから、貴方が幸せにあることが何よりも優先される条件なのですよ。そして僕は、それが例え書類の文字に綴られただけの関係だとしても貴方と貴方の愛した人を全力で守ります。…………それが夫としての役割というものでしょう?」
エレナの微笑みに、ロゼリアは顔を耳先まで真っ赤にして考えつく限りの暴言を投げかけた。
いや、投げかけたというか投げるしかなかったと言うか、爆発したので吹っ飛んだというか。その罵倒にもならない暴言が意味するところは、まぁ、大体の者が察するところとなっただろう。
現にエレナも何処か気恥ずかしそうに微笑みながら、また鬼のような足取りで自身から遠ざかっていく少女の背中を、優しく見つめていたのだから。
「アテナっ! 化粧直し!! 化粧直し行くわよ!!」
「え? ろ、ロゼリア様!? いやあの、まだ来たばかりでーーー……」
「良いから!!」
そしてその鬼のような足取りは四肢からアテナジアを奪い、あと序でに奪う際に四肢へ目一杯の威嚇を残して、また宴の一室から消えていった。
いや、あともう一つだけーーー……。
「アンタとの婚姻式は中止! 来月……、また来月やるから!! その時まで首を洗って待ってなさい!!」
「ロゼリア様、首を洗っては違うような」
「うっさい!!!」
――――バタアンッ!!
またしても激しい音を立てて扉は閉められ、静寂だけが一室へと残された。
泡を吹いたまま倒れ伏したメイド、微笑ましくにこやかなエレナやユナ第五席、これは大丈夫なのかどうかと判断できずだらだら汗を流す十聖騎士に、未だ飯をかき込み続ける魔王と四天王、などなど。思い思いの静けさが漂っていく。
けれど、彼女が去り際に残した言葉の意味を皆が段々と理解するにつれて、宴の喧騒はまた戻っていくことになるのだけれど。
「師しょ……、あ、いや、ユナ第五席殿……。何と言うか、その…………、進むというのは、凄まじいモノなのですね……」
「えぇ、恋するってそういう事ですから」
『花の街』決戦は疾うに終わりを迎えた。彼等の戦いもまた、終わりを迎えた。
そして今この夜をもって、また一つの戦いが終わりを、いいや、始まりを迎えた。これより長き間続いて行くであろう幾つかの物語が、人と人を繋ぎ何処までも、果てしなく紡がれていく物語が幕を開けたのだ。
きっとそれは顔貌の企みに比べて、どうしようもなく小さなものだろう。けれどそんな邪悪よりも、もっと、輝きを放ち煌めきを持つ、尊く儚い、愛と呼べる物語でもある。何かの始まりはきっと、そんな愛の物語からーーー……。
「あのぅ」
始まる、前に。
「ちょっと、良いですか?」
再び騒がしく、或いは先程の出来事を肴に賑やかさを取り戻す宴。
そんな宴の中、死骸を連れ回すユナから初々しい、と言うか血生臭い恋バナを聞くシャルナと、そんな彼女の元にやってきていたルヴィリアに声が掛けられた。
彼女達を呼び止めたのは誰であろう、ある意味でこの騒ぎの中心人物でもあるはずのエレナである。
「お、おぉ、エレナ君。どうしたんだい?」
「いえ、その……、リゼラさんとローさんを呼び止めるのは気が引けたので、御二人にお聞きしたいんですが……、フォールさんはどちらに?」
「「……フォール? …………あっ」」
まだ一つ、問題が残っている。縛り上げた張本人達でさえ色々な出来事があってうっかり忘れていたが、そうだ。一つだけ問題が残っている。ある意味でこの街に訪れてから一番始めに起こった異変であり、顔貌との決着やロゼリアの成長など様々な問題が終わった後も、それだけは片付いていない。全く持って解決していない。
つまり、フォールが頑なにエレナと会いたがらない理由が全く持って判明していないのだ。エレナは彼を信じて無理に会おうとはしなかったし、他の者達も何か考えがあってのことだろうと言及しなかったがーーー……、いざここに到ってまで会わない理由が全く解らない。誰にも、全く、何一つ。
「やっべぇ、てっきり忘れてた……」
「ある意味で一番重要な問題だったな、そう言えば……」
流石に今更どう動いても顔貌の企みに関係するわけはないし、流石にこの夜を逃せばいつの間にかフォール共々何処かに行ってしまうと考えたのだろう。或いは、王子としての役割を終えたからこそエレナという少年の願いを叶えたいと思ったのだろうか。何処か申し訳なさそうに話すエレナに、シャルナとルヴィリアの方が申し訳なくなってくるぐらいだ。
まぁ少なくとも未だに料理を食い荒らす馬鹿二名に関しては本当に申し訳なくて仕方ないのだけれど。
「我が儘だと言うことは解っています。あの人には何か考えがあっての事だとも……。けれど、せめて一目だけ、一言だけでも良いからあの人と話がしたいんです。僕がこんなに大きくなったことも、ソル第六席に剣を習っていることや、イトウ第四席に勉強を習っていることや……。少しだけでも良いから、話したいんです」
「……シャルナちゃん、どう思う?」
「…………そうだな」
シャルナは少しだけユナ第五席に視線を向けた。彼女は微笑み、静かに頷いた。
「会わせるべきだと、私は思う。少しだけなんて言わなくて良い。目いっぱい奴と話をすれば良い。……確かにフォールには何か考えがあるのだろうし、ここまで頑なに会おうとせず避け続けているのだとすれば、会えば何かマズいことがあるのかも知れない。だが、それが貴殿とフォールが会わない理由にはならないと、私は思う。王子としての貴殿が我慢したのなら、エレナとしての貴殿は我慢しなくても良いんじゃないだろうか?」
何処か気恥ずかしそうに喋る彼女の様子にルヴィリアは吹き出し、けたけたと笑い声をあげる。
シャルナは当然憤慨したが、まぁまぁとルヴィリアはそれを落ち着けて。
「エレナ君。君とフォールの関係は僕達が誰よりもよく解ってる。マズいことが何だい、問題が何だい。それぐらい僕達が解決してやるさ。こんなナリでも四天王だぜ? 僕は元だけどネ」
「シャルナさん、ルヴィリアさん……!」
「……エレナ様。私も十聖騎士の一人として貴方と彼が出会うことを容認します。今は勇者と王子ではなく、指名手配班と責任者としてでもなく、彼と貴方として語り合ってきてください。貴方の赴くままに、帝国の王子としてではなく、貴方として」
彼女達の言葉を受けて、エレナの表情からは何処か溢れていた気品が抜け落ちる。
その表情はとても懐かしい、かつて帝国で共に食卓を囲んだときのような、とても幼いものだった。いいや、それが彼の年相応のものでありーーー……、フォールに向ける偽らざる本音なのだろう。
心の底から、何の掛け値もなしに信頼できる相手。エレナにとってそれこそがフォールなのだ。
「……やっぱりライバルなんじゃないかい?」
「今だけは……! 目を瞑る……!!」
まぁ、シャルナにとってはある意味でその表情こそ最大の脅威だったりするのだけれど。
兎に角として、シャルナとルヴィリア、そしてエレナの三人は宴の席から少し外れて外の展望台へと歩み出た。
灯りのないその場所は薄暗いが、宴開かれる一室から差し込む灯りと月星の光、そして街に揺らめく人々の活気が闇の静けさを感じさせない。砂漠に噴く夜風が少し肌寒いけれど、これぐらいならまだ涼しい程度のものだろう。
そしてそこにフォールの姿があった。昼間のスライムハザードの責任を取らされて宙づりにされた男の姿がーーー……、あるはずだった。
「あれ?」
展望台にぶら下がるのは無人の縄。風にゆらゆらと揺れながら、ナイフか何かで斬ったであろう切断面が見て取れる。
シャルナはまさか脱走したのかと一瞬慌てふためいたものの、彼の姿は直ぐに発見できた。
展望台の手摺りから街の灯火を眺める、ガルスの背中と共に。
「何かお話中でしょうか?」
「……みたいだねぇ。シャルナちゃん、またライバルが」
ルヴィリアは背後で沸き立つ殺気の奔流を感じ取り、静かに振り返るのをやめた。
「あ、こっちに気付きましたよ! ……呼んでる?」
と、彼女がそんな危険を感じている間にも、どうやらガルスがこちらに感付いたらしく彼等に手招きをしてきた。単純に考えるならこっちに来いということだろう。
エレナはその指示通りに彼の元へ走り出す、が。何事かと感付いたフォールはエレナを見るなり無表情のまま展望台の手摺りに脚を掛けた。間違いなく逃亡する気である。
まぁ、そんな逃亡もガルスの躊躇なき捕縛により無駄に終わるわけだが。
「な、何故だガッちゃん! 裏切ったのか!?」
「同情の余地なしだよフォっち。おーい、エレナ王子ー! こっちですよー!!」
こうして、フォールとエレナは再開する。何ともまぁ捻りなく、ただ当然のように、街角で出会うように何気なく再開することになる。いや街角には風の鎖など無いではいないだろうけれど。
彼等の再開によって世界が滅亡するわけでも何か災いが起こるわけでもなく、ただ、ただ、ごく普通にーーー……、勇者が全力で顔を逸らし続ける再開は果たされたのだ。
「貴殿、こっちを見ろ」
「………………」
無表情のまま口を噤み、全力で顔を逸らすことで抵抗の意志を示すフォール。ここまで来て往生際が悪いことこの上ない。
さしものエレナもどうしたものかと慌てているが、やはり彼がこっちを向くことはない。しかしルヴィリアはそんな彼がブツブツと何かを呟いているのを耳にしたようで、こっそりと近寄ってその言葉を確認する。
「何? ……ふんふん、成る程。ふんふん」
「………………」
「成る程、OKOK。解った、うん、成る程ね?」
ルヴィリアは仕方ないと言わんばかりに苦笑すると、フォールの腰を掴んで軽く持ち上げた。
そして渾身のバックドロップ。クリティカルアタックにより勇者は死ぬ。
「何をしてるんだルヴィリアぁあっ!?」
「はーアホらし。心配した僕達が馬鹿みたいじゃないか」
「え? ど、どういう……」
「ふぉ、フォール!? エレナと会わないのは何か理由があったんだろう!? この街に来てから頑なに会おうとしなかったのも、王城に近寄らなかったのも、今朝からずっと姿を消していたのも! 何か理由があってのことなのだろう!? あ、この街に来てから様子がおかしかったのもそれが理由か!? 何だ、何が理由なんだ! 教えてくれ!!」
「おいスラキチ、ちゃんと説明してやりなよ。ハッキリ聞こえる声でな」
ルヴィリアとガルスという鉄壁のセーブにより逃げ場をなくした勇者。
彼はバックドロップにより頭から血の噴水を噴きながらも、ぼそりぼそりと語り出す。
この街に来てから彼が頑なにエレナと会わなかった、その驚愕の真実をーーー……!
「…………る」
「え? 何ですって?」
「だってエレナ……、結婚する……」
「は、はぁ、そうですけど……」
「……………………」
「……………………え、それだけですか!?」
「待て。まさか貴殿、娘が結婚式に行く父親みたくエレナがロゼリアに取られると思って気を落としていたのか? まさかそれだけか!? たったそれだけ!? それだけの理由でこの街に来てから意味深顔でエレナから逃げ回っていたのか!? たったそれだけの理由で!?」
フォールは拗ねたように口先を尖らせて顔を逸らし、膝を抱えたまま動かなくなってしまう。沈黙が答えとはよく言ったものである。もうこの理由にはシャルナもルヴィリアも呆れ果て、ガルスでさえ苦笑を浮かべたまま場を濁すように頬を掻くばかりだ。
つまるところ世界を救った勇者を悩ませていたのは邪悪なる野望でも顔貌との決戦でも自身の弱体化でも何でもなく、ただ一人、掛け替えのない弟分の結婚だった、という話である。
「ハイもー撤収撤収ぅー。アホらしくて仕方ないぜ」
「私は……、何のためにあそこまで気を病んでまで……、こ、コイツ……」
「あはは、まぁ御二人には同情しますよ」
当然、そんな馬鹿馬鹿しい理由では真面目に取り合っていた彼女達もやる気を削がれるというものだろう。シャルナ、ルヴィリア、ガルスの三人は呆れ果てたように苦笑やため息を零しつつ宴の席へと戻っていく。
膝を抱えるフォールと、そんな彼に力いっぱい飛びつくエレナを残したままーーー……。
「……人の心ってのは、思うままにいかないモノだねぇ」
「うん? 何がです?」
「いや、何でもないさ。そう言えばガルス君、いったい何を話してたんだい?」
「別に大した話ではありませんよ。色々と。……あ、でもメタルさんはどうせ生きてるだろうから気を付けて、とは忠告したかな。たぶんあと三日もあれば何事もなかったようにひょっこり戻って来ると思いますよ? でもあの人のことだから明日にでもかな?」
「あの怪獣大戦でまだ生きてんのかよ……。やっぱり化け物だな……」
「いやそれは大体予想通りなんだが、生き死にで言えば貴殿の相棒がさっき死んでたぞ」
「カネダさんはもう死ぬのが持ちネタみたいなものですから」
「「えぇ……」」
宴の夜は、更けていく。
料理を貪る者、酒雫に酔う者、勝利を歌う者、宴を楽しむ者、恋人と過ごす者、再び会場に現れる者、花束を渡して跳び蹴りを食らう者と様々だ。
ただ、今この時だけは展望台で話し合う二人を邪魔する者はいまい。一国の王子と誉れ高き勇者としてではなく、ただ一人の青年と男として話し合う彼等に割って入る者はいまい。数ヶ月ぶり、ほんの僅かな、けれどとても永い果ての再会を邪魔する者は、いまい。
星は色褪せ月は沈み、やがて夜は終わるだろう。けれど、夜が終わるまでの数時間だけ、二人の間には言葉だけあれば、それでーーー……。




