【5】
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「……た、倒した?」
綻び、崩れ落ちていく魔方陣の牢獄。白銀の星屑が舞い散るような幻想的光景を前に、ロゼリアはぽつりと呟いた。
他の者達はその言葉を持ってようやく現実を認識するが、やはり言葉は出てこない。だってそうだろう、つい先刻まで絶望しかなかった戦いが瞬く間に蹂躙の二文字を持って終結したのだから。彼の魔王に相応しき美貌と絶対性を持って、全てが終わってしまったのだから。
これに驚くな、という方がとても無理な話である。
「あぁ、倒した。……貴様もよくやったな、ロゼリア」
しかし、相変わらずそんな光景の中でもいつも通りの無表情な者が一人。
彼は刀剣を鞘に収めると首元の襟を緩め、大きく息を吐き捨てた。その腕に力は入っておらず、額からは大粒な汗が眉間を伝って流れている。
どうやら表情こそ変わっていないが、彼なりにかなり危険な綱渡りだったのは確からしい。限界を超えた先の闘争は、嗚呼、やはりどうしようもなく極限だったのだろう。少なくともこの男が深く息を整える程度には。
「貴様のお陰で世か」
「「ふぉぉおおぉぉおおおおおおおおおおーーーーるぅぅううううーーーーーーーーっっっ!!!」」
まぁ、その直後にそんな彼は問答無用のダイビングアタックで押し倒されることになるのだが。
「フォール! 貴殿!! 馬鹿、馬鹿!! 何と言う無茶をするのだ貴殿はぁ!! 何度心臓が止まり掛けたことかぁ!!」
「フォールぅ! ローごめんだぞ!! 役に立てなかった!! ローごめんだぞ-!! ふぉ゛ぉる゛ぅ~~~!!」
「待て、やめろ。やめろ阿呆共。脇腹が、脇腹がやばい。やめろ。流石にやゴボフッ」
「おーい、流石にフォール君死ぬからやめたげなー。と言うか飛び掛かるなら僕に! さぁ僕にカモン!! 今なら全く動けないのでチャンスですよ!! 好き放題できますよ!! おっぱいも触り放題ですよ!! いつもは恥ずかしくてできない事も今ならヤり放題だ!! さぁ、僕をもっと! さぁ!!」
「埋める?」
「燃やそう」
「そっちの殺るはやめてェ!!」
ぎゃあぎゃあと喚き合う連中の、何とまぁ元気なことだろうか。
あの戦いの後でよくもこれだけ騒ぐ元気があるものだな、とガルスは遠目に苦笑する。
「……お前は行かなくて良いのか?」
「あ、カネダさん。生きてたんですね」
「勝手に殺すな。全身痛ェし髪先も燃えちまったし、顔貌の野郎に撃ったせいで弾丸もカラケツだが……、まぁ、瀕死程度には無事だよ。……それより、やっとフォールに会えたんだから行けば良いじゃねェか。色々話したいことあったんだろ?」
「……そうですね。でも、今は良いです。あの人達を邪魔するのも何ですし、今は勝利の余韻に浸ってもバチは当たりませんよ」
「はっ、そりゃそうだ。今から騒がれちゃ流石に俺も本気で死にそうだぜ……」
――――星屑のように散る魔方陣の、何と美しいことだろう。煌めく星空の何と尊いことだろう。
先刻まで世界が軽く二、三回ぐらい滅びそうな激闘があったとはとても思えない静かさである。いや、騒がしさで言えば隣が全くうるさい事この上ないのだけれど、今だけはそれにも目を瞑ろう。この背中をざらつかせる砂粒も、肌を焦がす傷にも目を瞑ろう。
世界の命運を賭けた戦いの後だ。それぐらいの騒がしさも、まぁーーー……、心地良いものだから。
「…………」
と、そんな彼等の喧騒や安堵とは他所に、一人夜空を眺める男がいた。
その果てに輝くのは彩り眩い星々だが、彼の双眸にはまた別のものが映っているのだろう。その瞳には何処か、寂しさが映っているように見えた。
「四肢……、そ、その……」
不意に、男は自身の名に振り返る。そこには申し訳なさそうに視線を伏せる一人の騎士がいた。
彼女は強く眉根に溝を使って息を整えると、見ている四肢が驚くほどの早さで頭を下げた。申し訳ない、と声を張り上げながら。
「私は、貴君に何度も暴言を……! 謝っても謝りきれるものではないっ……」
「……やめてくれよ。それを言やぁ俺なんて何度アンタに酷いこと言ったか解んねぇさ。街や、アンタの騎士団の連中のことだってそうだ。むしろ謝らなきゃなんねーのは俺の方だろ?」
「しかしっ……! 私は、きで、きでん゛のっ……!! 思いを知らじゅっ……、ぶ、ぶじょ、ぶじょくぉぉお」
「お、おい、泣くんじゃねぇよ。まるで俺が泣かしてるみてぁだぁっ!?」
跳ね上がった四肢と、そんな彼の太股裏の肉を抓るロゼリア。
少女の鋭い眼光はまるで『お姉ちゃんを泣かせるな』と言わんばかりの殺気が籠もっている。
――――成る程、これは顔貌よりよっぽど恐ろしい。
「……兎に角、全員ご苦労だった。夜の砂漠は冷えるからな、このまま此所にいては傷の手当てどころか凍え死にしかねん。向こうに俺が乗ってきた魔道駆輪があるから、それに怪我人を乗せて街へ戻るとしよう。かなり人数オーバーだが、詰めればどうにか……」
「魔道駆輪……? 魔道駆輪!? おい待てフォール君! アレ君のせいかよぉ!? 君が魔道駆輪を勝手に持ってったせいで僕達死にかけたんだぜ!?」
「あぁ、道理で都合良く魔道駆輪が走って来てくれたと……。まぁお陰でコォルツォに砂漠の民を避難させるよう言伝できたことだし、結果オーライというやつだ」
「ふざけんなテメェ! そのせいでこちとらあのメタル相手にマラソン決めるハメになったんだぞ!? 聖女ルーティアが援護に来なけりゃどうなってたことか!!」
「今回ばかりはこの女装変態に同意だね! 抗議します!! 断固抗議しーまーすぅー!!」
「解った解った、話は後で聞く……」
しかし、まぁ、何はともあれ『花の街』の決戦は閉幕したのだ。
黒幕である顔貌の討伐、滅亡の帆の崩壊、メタルの打倒。全く困難極める戦いの連続だったが、彼等は見事に乗り越えて見せた。無謀な、無茶な、全く無理な戦いだったが、それでも勝ち抜いてみせた。
自らの求めるものの為に、ただ、この戦いをーーー……。
「……フッフッフ」
だが。
「フハハハハハハハ」
悪はまだ、潰えていない。
「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッッ!!!」
邪悪なる嗤いと共にその美貌を如何なく披露するが如く艶めかしく胸を張るリゼラ。
皆が何事かと魔王へ振り返るが、その妖艶なる美しさは瞬く間に魔方陣の輝きで照らし出され、彼等を屈服させるべく煌めきを放ち出す。
「遂に! 遂にだ!! 遂に妾はこの姿を取り戻したぞ!! 見よ、この美貌! この豊胸!! 宝石すら霞む美脚とこの天地すら貫く立派な双角!! この姿こそ魔王カルデア・ラテナーダ・リゼラの真髄である!! フハハハハ! 素晴らしい、素晴らしい力だ!! これ程の魔力を得たのはいつ以来であろうかなぁ!!」
「リゼラ様、流石に疲れたので明日にしてくれませんか」
「何か前に見た時より太ったなー? 食べ過ぎかー?」
「ロリも良いけどやっぱりこれも良いよネ!! 踏んで! さぁ踏んで!! 僕を踏んでよ魔王様ぁあああああああああああああああああ!!!」
「死ね」
「基本的に扱いが酷すぎる」
大体いつも通りです。
「フ、フッフッフ……! だがそんな扱いもこれまでの話よ!! 妾がこの姿に戻ったからには勇者など小指一本でどうとでもなるし、四天王など我が配下でしかないわ!! さぁ、今までの行いを悔い改め妾に懺悔するが良い!! 日々連日の生贄とか人質とかの無礼を謝罪するが良い!! 然もなくば魔王の裁きが御主等に下ることになるだろう!!」
「夕飯抜きにするぞ?」
「夕飯? 夕飯だと! フハハハハハハ!! 幼き頃の妾ならばまだしも、この姿に戻ったからには飯など求めるまでもないわぁ!! そんな稚拙な脅しに屈するとでも思うたか!?」
「「「馬鹿な、リゼラ様が食事を拒んだ!?」」」
「ホタテの冷製ソース添えでなければ認めぬぞ!! あとパスタは南国産でワインは30年モノな!!」
「「「あ、違うわ面倒臭くなっただけだこれ」」」
「まぁできなくはないが……」
「だがァ! それも屈服させて作らせれば良いだけのこと!! さぁ御主等、妾に屈服せよ!! 然もなくばこの絶対的な暴力が御主達を襲うことになるであろーーーうッ!!」
リゼラが叫んだ瞬間、周囲の魔方陣より縦横無尽の砲撃が行われる。
見た目と中身こそもうどうしようもない魔王だが、その実力は本物だ。全盛期たる姿を取り戻した以上その脅威は先ほどの戦い通り顔貌を遙かに凌駕するだろう。現にこの無差別な砲撃がその力を物語っている。
幾ら要求が馬鹿馬鹿しかろうと力があれば成し得てしまうもの。俗物を極めたこの魔王ならば、魔力と同じくその要求も無限と言って良い。
ある意味でこれは最悪の人物が最悪の状況で最悪の力を取り戻してしまったのではなかろうか。
「さぁ、妾を崇め讃えよ! 妾を崇拝せよ!! 妾の絶対的な力の前に平伏すが良い!! フハハハハハハ!! 妾が最強、妾が最高!! もうスラキチ野郎を恐れることもない、朝七時に叩き起こされることもおやつを一日2回食べても怒られることはない!! 全てが妾の欲望通りに進むのよォ!!」
破壊、破壊、破壊。そのマヌケさとはかけ離れた終焉のバーゲンセール。
こうなっては誰も彼女を止められない。『花の街』決戦は、まさかの魔王復活という最悪の形で幕をーーー……。
「ところでリゼラ、この封印が秘宝の模倣だったことは覚えているな?」
「え? うん」
「そうか、ならば……」
ぼふんっ。
「その封印が一時的であることも、覚えているな?」
「…………………………」
リゼラは親しみ慣れた絶望の胸囲とちんまりとした角に触れ、大体どうなるかを察して撤収する者達へ静かに微笑んだ。
まぁそういう事もあるさ、と。屈託のない笑顔でーーー……。
「いやホント違うんですよ事故っていうこれは仕組まれあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
勇者式アイアンクロー発動。まぁ、そうなるネ。
「はー、アホらし。さっさと帰ろうぜ」
「やっぱりリゼラちゃんはあの姿が似合ってるよねぇ~」
「しゃ、シャルナ殿? 大丈夫かアレ? 砕けてないか?」
「死んでないならセーフだからな。問題ない」
斯くして『花の街』決戦は終わりを迎える。最期に、まぁ下らない諍いがあったものの歴史に綴られることはないだろうから安心して欲しい。さしもの歴史家も真顔待ったナシであろう。
だが、彼等の激闘は歴史書で讃えられることになるに違いない。勇者と魔王と四天王達、盗賊と冒険者、王女と騎士と一人の魔族と、そして今は気絶しているが十聖騎士の二人と聖女、伝説の冒険者もまた死力を尽くして決戦に挑んだ。誰か一人でも欠ければ決して成し得なかった結末だろう。
そう、彼等は決戦に勝利したのだ。『花の街』を守り、この世界を救ったのだ。
ならばーーー……、ここからは戦いなどではない。ただの悪足掻きである。
「動くなァッ!!」
絶叫。皆の脚が止まり、反射的に振り返る。
幾つもの視線が集う先にはロゼリアがいた。そして、彼女の華奢な首筋に刀剣を押し当てる者がいた。
そう、誰であろう顔貌である。
「ク、フフ……。クフフ……! 敗北など……!! この私が敗北などォオ……!!」
傷付き、疲弊し、その身にはもう魔力さえ残っていないのだろう。刀剣に変形している腕以外はまるで弱々しい病人のように痩せ細っている。肌を覆っていたはずの刻印も色褪せ、ただの模様に成り果ててしまっているようだ。
しかしその刃は本物で、一目見れば少女の柔な首筋など簡単に傷付けられることは誰の目にも明らかだった。
「顔貌……! 往生際の悪い奴だ!!」
「お前とっととカエレー! いい加減ウザいぞー!!」
「黙れッ! 私の計画も何もかも無駄になった……。魔力も最早残されていない!! だが、私だけでは終わらない!! 貴様等に混沌をくれてやる!!」
ズ、と柔らかい皮膚に鈍い刃が押しつけられる。
「やめろ、顔貌! テメェ、もしやりやがったら無事じゃ済まさねェぞ!!」
「黙れ裏切り者……! クフ、クフフフ!! だがもう赦しなど私には必要ないのですよ!! 解りますか? 彼女を始末すれば、世論は彼女の死を帝国の陰謀と睨むでしょう。そうなれば世界は再び戦乱に覆われる!! 世界は再び争いを始める!! そしてそうなれば、魔族達も決起するに違いない!! 私の行いが世界を正しき運命に戻すのですよ!! クフ、クハハハハハッ! そうなれば貴方達の努力も全て無駄となる!!」
「貴様……! アテナジア様を離せ!! 騎士の名にかけてそれ以上の狼藉は赦さんぞ!!」
「何とでも言うが良い! 無駄死にしてなるものか……。貴様等も道連れだ!! 世界ごと、全て道連れにしてやる!!」
狂気。それはどうしようもなくドス黒い邪悪だった。
最早、説得で顔貌を止めることはできまい。この男の狂気は理解の外にいる。盲信の果てはここまで到るのか、と誰も彼もがその目付きに背筋を振るわせた。
「……させると思うか? 顔貌」
「クフ、クフフッ! 止めたければ止めてみせるが良い!! 私を引き離しますか!? この状況から! 傷付き、立つことすら苦労する貴方達にそれができるのなら、そうすれば良い!! クフハハハハハハハッッ!!」
フォールは刀剣に手を掛けるが、顔貌の言う通り指先に力が入らない。
他の者達もそうだ。武器を持つどころか、ようやく立てているこの状況で彼女の元まで走る体力はないし、そもそも首元に刃を当てられたあの状態では走っても間に合わないだろう。
絶体絶命。狂気に堕ちた者の悪足掻きが今、少女の可憐なる命を奪おうとしていた。
「顔貌……ッ!!」
「さらばです、忌まわしく愚かな世界よ!! 貴方には終焉が相応し、い゛ッ?」
――――ゴキン。
生々しく響いたその音と共に顔貌は白目を剥いて倒れ伏し、泡を吹きながら気絶する。
誰も彼もが突如の出来事に呆然とするばかりだった。絶体絶命、数秒後には起こるであろう惨状があっと言う間に引っ繰り返ってしまったのだから。
いや、ただ一人ーーー……、フォールだけは口端を縛って目を見開き、嫌な汗を滝のように流していた。惨状が解決したからだとか、無事に終わったからだとかではなく、その、見覚えがあるようで全く見違えた青年の登場に、酷く動揺したのである。
「女性を人質に取るとは卑劣極まりない。そのような蛮行、天が赦してもこの僕が赦しません」
「…………あ、貴方は」
「お怪我はありませんか? 姫君。ご無事で良かった」
狂気に堕ちた顔貌を倒し、自身を救ってくれた青年の優しい微笑みに、ロゼリアは気抜けたように顔を赤くして呆けてしまう。
そんな様子を見て大丈夫だろうと判断したのか、青年は刀剣を腰に納め、ただ、狼狽するフォールに向かって、一言。
「お久し振りです、フォールさん。……帝国以来ですね」
『花の街』決戦は、終了する。とある帝国王子の活躍により狂気より『花の街』王女の身は守られ、全てが無事に終わりを迎えた。
この戦いの勇士達も王子が引き連れてきた兵士達によって手当を受け、傷跡を残すこともなく街に戻ることができるだろう。この戦いの終わりを祝い合い、平和に安堵の息をつくことができるだろう。
「え……、エレ、ナ…………」
ただしーーー……、ただ一人、何処か大人びた青年の、かつて彼が導き、彼が救った帝国王子の無邪気な微笑みを向けられる勇者を除いては、だが。
「色々と……、お話しましょうか?」
読んでいただきありがとうございました




