【3】
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「う、ぉ、お、お、おっ!? おぉぉおおおおおおおおお!!?!?」
彼は藻掻くように砂漠を泳いでいた。炎よりも燃えたぎる熱砂を泳ぐなど自殺行為甚だしいが、今は肌が焼け焦げるように痛む感触さえ気にしている暇はない。
当然だろう。何せ自身が泳いでいる砂は熱砂のそれではなく拳撃の衝撃に煽られた波であり、この聖女ルーティアにより創り出された大地の上で体勢を立て直さなければ本当に灼熱呻く流砂の底へ真っ逆さまだからである。
「うぇっぺ! ぺっ!! ちくしょう口にも銃口にも砂が入った!! もう使い物にならん!!」
「だったら捨てれば良いでしょう! 次、来ますよ!!」
空打。メタルの拳撃は最早、何かを定めて撃つ必要はない。ただ虚空を撃つだけで衝撃は嵐となり辺り一帯の砂塵を遙か彼方まで吹き飛ばす。
烈風の刃は等しく木々を斬り裂き大地を砕き、直撃すれば例え何人であろうと耐えられるものではなくなっていた。さらなる成長、果てなき適応、無限の強化、狂化、凶化。その男の限界など最早、空想するだけ虚しいものでしかない。
「ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!」
しかし、未だそんな災悪と撃ち合う聖女がいた。拳撃は弾かれ殴打は無意味。それでもなお戦う女がいた。
――――拳撃一発ごとに拳が痺れる感触が伝わってくる。数秒前まで岩だったものが鋼鉄に変わってしまったかのようだ。いや、硬度は既にこの世の如何なるものをも超越している! こんなもの、人間どころか生物の持ち得て良い高度ではない!!
「御二人とも! 流石に私でも足止めするのがキツくなってきました!! 計画はまだですか!?」
「悪いがまだ耐えてくれ! こっちも全力で援護はす……る……が…………」
そんな希望を打ち砕くが如く、災悪は脚撃を撃ち放つ。否、それは最早ただの足技ではない。
彼が砂を蹴り上げた瞬間に乱嵐が吹き荒び、辺り一面の地面を抉り穿つ砂嵐が巻き起こったのだ。
ただの砂嵐ではない、天空の、それこそ滅亡の帆まで到達しかねない豪風である。聖女の生成した大地は岩盤から砕け木々は根刮ぎ吹き飛び、熱砂の海はその形を変動させていく。それは正しく、災害と呼ぶに相応しい光景だ。
「ッ……! 打ち消すしかっ……!!」
「やめろガルス! 流石にあの規模はお前の魔力じゃ無理だ!!」
「しかし、このままではーーー……!!」
ガルスの不安は直撃する。災渦纏いし男は牙を剥き、瘴気すらも巻き込んで滅亡の帆の眼下を闊歩する。その様は正しく君臨であり、対峙する聖女ルーティアの表情は止め処なく焦燥の汗を流す。
――――来る。災悪の一撃が、来る!!
「……いや、間に合ったみたいだぜ」
その言葉に応じるが如く、砂嵐の頂に蝙蝠が如き影が映る。
否、それは暗殺者の羽ばたきだった。その身に黒衣を纏い異様に長い腕で風を裂く、砂漠の民の姿だった。
「キーーーーシャッシャッシャッシャッシャッシャッシャァッッッ!!」
コォルツォ第九席。熱砂の部族より生まれ出でた帝国屈指の暗殺者による滑空は、砂嵐さえも赤子の愚図りが如く操り、その飛翔は容易く災悪の頭上を取った。さらに投擲される毒玉はメタルの視界を潰し、同時に着火させることで砂嵐を爆炎の渦へと変貌させる。
無論、それだけで効果がないことはカネダが実証済みだ。だがーーー……、その業火に自ら飛び込む巨漢が、一人。
「ぬぅううううううううううううううえぇあぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああいぃいいいぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
豪腕、放つ、怒号の一撃。
鍛え上げられ引き締められた筋肉より放たれる一撃はメタルの足元を粉砕し、地面全体の岩盤を流砂の海へと炊き込んだ。さらに爆炎の渦によって砂塵が巻き上げられることで、その細かすぎる粒は粉塵と毒玉のガスと混ぜ合わさりーーー……、災悪を砂漠の一角をごと燃やし尽くす粉塵爆発が巻き起こる!
「むゥウウウウウウウウンッッッ!! 筋肉!! マッスルゥ!! エクスプロォオオオオオオオオオオオオオジョンンンンンンンンンンンンンンンンンンッッッッッッ!!! パワーは爆発するゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!」
「「「「うるさい」」」」
うるさい。
「キーッシッシッシッシッシ! ほんの数日ほど目を離した隙に大変なことになってるじゃァねェか! まるで神話の怪物退治だぜ!! キーッシッシッシッシ!!」
「ぬゥウウウンッッ! 怪物退治ということは奴を倒せば我等の名が伝説に残るということか!? それが滾ってきたなぁ!! ぬゥーがっはっはっはっはっはっはっはっは!!」
「コォルツォ第九席……! ヴォルデン第一席も!! 来てくれたんですね!! うるさいです!!」
「おいおい、それを連れてきたのは僕だぜ? まず僕に御礼を言うべきじゃあないかなぁ」
「……礼に免じてその簀巻き姿には何も言わないでおいてやるぜ、変態!」
そう、カネダ達の危機に現れたのは帝国十聖騎士ヴォルデン第一席とコォルツォ第九席、そして簀巻きで転がる『最智』の元四天王ルヴィリアだった。
彼等の参戦が意味するのは即ち、対メタルの策略決行の合図。大地を砕き空を割るあの災悪相手にいざ、一矢報いる準備が整ったのだ!
「ところで随分とタイミングが良かったが、まさか測ってたわけじゃないよな?」
「いや、聖女が怖くて……。あと序でに君の無様な顔が見れたら面白いかなって……」
「テメェ……」
整ったのだ!!
「よし……、準備は整った! いつでもいけるぜ、『対消滅』!!」
「了解しました! それでは皆さん、アレをーーー……」
兎角、これでルヴィリアの立てた計画通り人数は揃った。
これでガルスが発案した『対消滅』なるものが発動し、メタルの足止めを可能とするだろう。そしてこれより砂漠の街に仕掛けた巨大魔方陣を発動し、彼を封印するための日没がやってくる。
そう、全ては整った。彼等の為すべきことは全て、終わった。
――――彼等の為すべきこと、は。
「待て……、キシシシッ。水を差すようだが、これはヤバいぜ」
不意に、コォルツォが頭上を指差した。
皆の視線はつられて空へ、否、その天空全てを埋め尽くす要塞島に向けられる。
いいやそれすらも正しくはない。最早、その要塞島はどう瞳を動かそうと視界に入る位置にいる。圧倒的存在感は肌に感じ取れるほどの重圧を生み、底知れぬ予感が彼等の前身を逆立たせた。
――――降下、してきている。あの圧倒的存在感が、滅亡の帆という絶対的な存在が今、この砂漠に降り立とうとしている。
いいや違う、これは、まさかーーー……。
「神代の矛が、完成する……」
ルーティアの呟きは事実だった。天を支配する要塞の先にあるのはかつてフォール達が戦ったあの兵器。
猛き砲身を空に向け、漆黒にして絶対の絶望たる矛を天に突き立てるーーー……、砂漠の遺跡兵器。
「これが運命というものです」
滅亡の帆中枢。下層より抜けたこの要塞島を掌握する空間に一人の少女がいた。そして、その少女に対峙する邪悪なる者が一人。覚醒不魂の軍達が、数十体。
邪悪な笑みは彼女を嘲笑う。既に全て詰んだこの盤面で未だ足掻く愚かなクイーンを、ただただ嘲笑う。
「クフフッ……。私がここにいないと思いましたか? あんな小娘など私が手を下すまでもない。無論、それを言えば貴方もそうですが……」
胎動する滅亡の帆。それは母の胸へ飛び込む赤子のように歓喜の震えだった。
間もなく神代の矛が完成する。この要塞の存在は絶対となり、世界を破滅させる兵器が、かつてこの世の理を崩壊させた巨悪の根城が完成することになる。それは最早決定付けられた事項であり、何者にも覆せるものではない。
それは、そう。例え今ここで諦めることなく佇む少女であろうとも。
「敢えて見事と……、称賛を送りましょう。貴方のような有象無象がここまで辿り着けるとは思わなかった。やはり勇者フォールという不確定要素を早急に処分できたのは僥倖でしたよ。でなければ、こんな有象無象を送り込む程度では済まなかったでしょうからね」
「…………退きなさい。私が用があるのはそっちの制御装置よ」
「クフ、クフフフ! 有象無象が吼えることだ!! 無駄ですよ。既に滅亡の帆は神代の矛との接続に入っている。例え今からどんな操作を行ったとしても、これは止められない。外部からの攻撃も全て魔道障壁が遮り、意味を成さない。……それでもまだ諦めない御積もりか?」
「愚問ね。それでも抗うと……、決めたのだから」
「世はそれを蛮勇と言うのですよ。フォールのいない貴方に何ができる? 我々にとって脅威は奴程度のものだ。何処かの魔王も何処かの盗賊も、クフッ、元より我々にとって脅威ではない! ただあの男だけが面倒だった!!」
顔貌の表情は忌々しく、憎悪と悪意に染まり果てていく。既に幾度とて計画も目的も潰され続けてきた彼だ。妄信的なその者にとってそれは信仰の否定に他ならない。
ロゼリアはそんな男の狂気に背筋を凍らせるが、もう彼女の決意の焔が靡くことはない。ただ、燃え盛る。真っ直ぐに燃えたぎる。
「その目……、その目だ。私はその目が嫌いだった。だから命ある者は嫌いなのですよ。……ねぇ? 四肢」
突如、彼女の背後に巨大な体躯が現れる。
しかしその出現は先程とは全く意味が異なってくる。この男がここにいるという事は、つまり。
「……諦めない、か。ガキくせぇ。強者にそんな感情は不要だ。ただ薙ぎ払って、殴り倒しゃァ良い。それだけの話だ」
「クフフ! その通り。所詮、感傷というやつです。絶望的な現実を前に逃避を重ねているだけに過ぎない。哀れですねぇ……。勇者フォールの口車に乗せられ、ここまで来て無為に屍を積むことになるとは。クフ、クハハッ! 滑稽とすら言える!! 貴方のその不屈とやらはそのまま無駄なものなのですよ!!」
響き渡る嗤叫。激動する滅亡の帆。一歩、前のめりになる覚醒不魂の軍達。
つまるところ、詰みという事である。現実は斯くも凄惨に彼女へと終焉を叩き付けた。
否、或いは必然だったのだろう。ただ一人の少女が抗ったところで滅亡の帆は止まらないし、顔貌の目論見もどうにもならない。全て解りきっていたことだ。『それでも』と足掻いた少女の結末が今、こうして示されただけのことだ。
「四肢、彼女を処分なさい。フォールの対策として確保するつもりでしたが……、えぇ。まさか彼があんなに簡単に倒せるとは思わなかったのでね。嬉しい誤算というやつですよ。それとも貴方を褒め称えるべきでしょうかね?」
「どっちでも、構わねェよ」
「そうですか。では貴方もさっさと始末を付けてこちらに来ると良い! 我等の悲願達成を祝いましょう!! クフッ、クフハハハハハハ!! 無様なる人間どもよ! 逃げ惑い、足掻き、叫ぶが良い!! 今こそ終焉が始まるのです!!」
果てなき絶望。それはどうしようもなく絶対的にこの地へと降り注ぐ。
やがて滅亡の帆は神代の矛へと進化し、この世界を灼き尽くす絶望となるだろう。かつて初代魔王が巻き起こした戦争のように世界を灼熱の海へ沈め、再びこの世を混沌の戦乱に貶めるのだろう。
「……ガキ。最後に一つだけ訊いてやる。この状況でもなお、テメェは諦めないのか? この状況でもなお、テメェは」
「…………愚問ね」
――――『LESSON3、何事も諦めるな』。
「進むべき道があるのなら、どんな理由だって私がその道を諦める理由にはならないのよ」
「……そうか」
そして人々は絶望を見ることになる。今、少女の顔に翳された巨大な掌の影のように。
運命は斯くして実を結ぶ。戦乱の世、終焉の世界。諦めぬ意志を踏み躙り、ただただ絶望の終わりが降り注ぐ。それがこの決戦に赦された逝く末。ただ一つの、余りに無慈悲なーーー……。
「俺に足りなかったのは……、その強さだったんだな」
――――けれど、それに抗った少女がいた。
腕力はなく、知力はなく、技力もなく、それでも抗った少女がいた。
滅亡の帆の進路も、覚醒不魂の軍の戦力も、邪悪なる者達の目論見も、何を変えられたわけでもなくただ抗った少女がいた。
「……四肢?」
一人ーーー……、たった一人だけの心を変えた、少女がいた。
「良い騎士を主を持ったな。アテナジア」
ふと、大きな掌は少女の頭をくしゃりと撫でる。
その掌に殺気はなく、ただ優しい温かみだけがあった。
「四肢! 何をしているのです? さっさとその小娘をーーー……」
瞬間、顔貌の両隣で二体の覚醒不魂の軍が爆ぜ飛んだ。
一体は鍛え上げられた拳で、一体は誇り高き槍で、その身を穿ち貫かれたのである。
魔族三人衆が一、四肢。『花の街』騎士団長アテナジア。その者達の、確固たる決意の一撃によって。
「悪いな顔貌ァアアッッ!! 土壇場で裏切らせてもらうぜェエエエエエエッッッ!!」
「我が忠義……! 絶望などで折れはせんぞ!! 顔貌!!」
数秒ほど、顔貌はその事態を把握できずに間抜けな表情を浮かべていた。
しかし四肢の放った言葉の意味、そして他ならぬアテナジアとロゼリアの存在が彼、或いは彼女に自体を段々と把握させていく。よって、表情は段々と醜く、憤怒と焦燥、そして呆れに染まりーーー……、やがて引き攣った嗤いを零させた。
「……クフ、クハハッ。四肢、前々から馬鹿だ馬鹿だとは思っていましたが、まさかここまで馬鹿だったとはね。貴方には限りなく失望しましたよ。状況も読めないほどのマヌケだったとは」
顔貌が手を上げて合図を送ると、彼の後方に控えていた幾十もの覚醒不魂の軍が身を乗り出した。虚ろだった眼は瞬く間に悍ましい彩りを持ち、ぎょろりぎょろりと生物のように狂い廻って、ロゼリア達を捕捉する。
その眼に宿ったのが生気でも敵意でもなく、ただ純粋な殺意であることは一目すれば否応なしに理解できた。
「確かに我々であれば覚醒不魂の軍に多少の耐性はある……。しかしあくまで耐性は耐性。確実に耐えられるわけじゃない。ではここで質問です。貴方はこの数の覚醒不魂の軍から、いえ、これより数百の援軍がここに来る訳ですが……。それ等の軍勢から足手纏い二人を護りつつこの状況を脱することができると、本気で思っているのですか?」
「……無理だろうな」
「でしょうね。さらに言えば、例え脱したとしても世界はこれより完成する神代の矛により破壊される。そうなれば貴方も無事では済まない……。解りますね?」
「あぁ、無謀だ」
「ならば何故、今ここでその選択肢を取るのです? 愚かな。嗚呼、愚かな!! ただの役立たずが、足手纏い程度だと思っていた貴方がここまでのマヌケだったとは!! 嘆かわしいですよ、四肢!! それでも貴方は魔族三人衆の」
「それが諦める理由にはならねぇつってんだよ顔貌ァアッッ!!」
一歩。
「圧倒的戦力なら諦めるのか!? 絶望的状況なら諦めるのか!? 自分には無理だと……、自分にはないモノだからと諦めるのか!! 違ェなァ! 違ェだろう!! そんな簡単に諦めるなら望んじゃァいねェさ!!」
あの時下がった、一歩分を。
「圧倒的だろうと絶望的だろうと!! 自分にはないものだろうと!! 諦められるなら望んじゃいねェ!! 湧き上がる渇望が求めるのさ!! その場所をこの脚で踏めと!! その物をこの手で掴めと!! 人間の四肢は何の為にある!? 欲するものを我が物とするためだろうが!!」
今、ここに。
「……話になりませんね。四肢、間もなく貴方にはあの御方の罰が下るでしょう。しかしその僅かな時間すらも私には汚らわしい。記念すべき神代の矛の完成に貴方は不要です」
顔貌の手が振り下ろされ、幾十の覚醒不魂の軍が飛び掛かった。
死の軍勢に対し四肢は咆吼と共に殴りかかる。それは余りに圧倒的な、絶望的な戦いであり、結果は見えていただろう。少なくとも彼が勝てる道理はない。その身から全ての生命力を吸い尽くされて終わりだ。
それでも、四肢は引き下がらなかった。豪腕一振りで数体の覚醒不魂の軍を薙ぎ倒し、正しく鬼神が如き闘争を見せる。アテナジアを庇い、ロゼリアを護り、ただ戦う。己の愛した女を、己を変えてくれた少女のために、ただ。
「行け! ロゼリア、アテナジア!! 制御装置はそこにある!! 覚醒不魂の軍共は俺に任せろォ!!」
「させると思いますか!? この私がッ!!」
四肢の叫びに走りだしたロゼリアとアテナジアだが、彼女達の前に顔貌が立ちはだかる。
その姿は人のそれから瞬く間に人外の怪物に変貌し、見るもおぞましい邪悪へと成り果てた。その背より生える幾多の牙を剥く触手は、正しく異形の二文字が相応しい。
「惨めに死ねッ! 裏切り者も、人間共も!! 全て、我が悲願達成の前に恐怖を抱いて死ぬが良い!!」
「させないわ……。この街は私の街よ!! どんなに辛いことがあっても、どんなに目を逸らしたいことがあっても!! ここは私の街!! 『花の街』は、私が護るべき街なの!! 私はーーー……」
「戯れ言をォッ!!」
襲い来る幾千の異形。アテナジアはロゼリアの前に躍り出ると幾多の触手を弾き、彼女の為に道を開く。
だが顔貌も本気だ。高が一介の騎士にしてやられるほど甘くはない。背後の四肢がそうであるように、初めは触手を弾き捌いていたアテナジアも次第に押され始める。
しかし、それでもなお止まらない。少女の小さな勇気は、真っ直ぐに、ただ、真っ直ぐに!
「『花の街』王女、ロゼリアよッ!!」
そして眼前、襲い来る異形。降り注ぐ容赦なき殺意は、彼女を捕らえ、そして。
「よォく吼えたァッッ!!」
二つの剣閃がーーー……、触手を斬り裂いた。
「王たる者、傲慢不遜に己の道程だけを見よ! 有象無象に遮られる程度ではその覇道を歩むに足りぬ!! 意志を持って力と為せ!! 誇り高く誉れ高く志高く!! 王たればと叫び臣下を率いて凱旋せよ!! 王は歩む道に意味を見つけるのではない……。王が歩む道に意味ができるのだ!!」
繰り返す。少女に腕力はない。知力もない。技力もない。それはどうしようもなく無謀な挑戦だった。
しかしその挑戦が、諦めない意志が一人の男を変えた。無謀で、無理で、無駄で、けれど無意味ではなかったその歩みがーーー……。
「……妾のようにな!!」
「リゼラちゃんっ……!!」
彼等を、この場所に導いたのだ。
「ロー、ゼリクス殿! 一気に決めるぞ!!」
「うっせー命令すんなー! 言われなくてもローはやるぞー!!」
「……ふん、怪物か。この程度、我が雷神剣の錆びにもならん!」
『最強』と『最速』による乱舞、『神剣』による雷鳴。彼等の攻撃は刹那にすら見たぬ間に覚醒不魂の軍、そして異形の怪物を蹂躙する。豪快なる剣閃は触手を薙ぎ払い、音速の爪撃は幾百を斬り裂き、雷撃は狂気を灼き尽くす。
圧倒的、絶望的な戦力は今この瞬間を持って見事に覆ったのだ。
――――だが、まだだ。まだ根本は何も解決していない。止めるべき終焉の進化は、まだ。
「走れ、ロゼリア! 御主が止めるのだ!! 御主がこの滅亡の帆を止めろ!!」
「させるかと言っているのだァアアアアアアアアアアアッッ!!」
彼等の猛撃を摺り抜け、走り抜ける少女の背中を狙う触手。凄まじい速度で致死の一撃を与えるそれは、遙かに劣る速度で放たれた、然れど遙かに上回る殺意と共に撃たれた初級魔法によって撃ち落とされる。
見開かれた異形の眼が見るのはゲスい笑みを浮かべ満足そうに見下す我等が魔王様だった。
「こ、の、クズ共がァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッ!!!」
辺りに展開された幾百の触手。しかしその全てを音すら置き去りにする漆黒の義手が、雷鳴轟き閃光放つ刃が、刀剣よりも鈍器に近い粉砕の一撃が、忠義の騎士の剣技が、豪快なる拳の一撃が、縦横無尽に放たれる初級魔法の連撃が、確実に撃ち落としていく。
それは刹那の攻防。少女の小さな疾駆のために繰り広げられる、この世のどんな戦いよりも小さな戦い。
けれどその戦いは道を切り開く。ただ一筋の、彼女が進むべき道を。
「私は……」
――――普通の女の子になりたかった。
「私はっ……!」
――――昔のように、仲良くしたかった。
「私はっ……!!」
――――ただ、この街で、貴女とーーー……。
「ロゼリア様ーーーー……ッ!!」
「私の街はっ……! 私の夢はっ……!!」
彼女が辿り着いた瞬間、眼前に現れたのは目まぐるしく変動する虚空の映像だった。
その何一つとて少女には理解できまい。羅列された文字は石壁のように隙間なく立ち並ぶ虚空の坩堝。この滅亡の帆の存在すら彼女は今の今まで知らなかったのだ。それの動かし方や原理など、知ろうはずもない。
だが、嗚呼、だがーーー……。
「ただ幸せにいたい! この街で、アテナお姉ちゃんと!!」
――――『LESSON2』
「それをーーー……」
『迷いは捨てろ』
「邪魔するなぁああああああああああああああーーーーーーッッッ!!」
バチィンッ!!
彼女は背負っていた初代勇者の盾を、虚空へと叩き付けた。
虚空の映像は瞬く間に荒れ乱れ、嫌な音を立てて数字までもが激しく上下する。顔貌の男とも女とも取れない、いや判別すらつかない絶叫が響き終わるまでもなく、映像はブツンッと音を立てて消失した。
滅亡の帆全体も瞬く間に生気を失い、彷徨っていた覚醒不魂の軍達も次々に霧散し、天空を支配していた要塞は緩やかに動きを止めた。『花の街』から砂漠を覆っていた瘴気も、滅亡の帆を守護する魔道障壁も同じく消失する。
雲を薙ぎ払い凱旋していた滅亡の帆は、今ここにその胎動を停止させたのだ。ただ一人の少女と、その決意の道を開いた者達によって、今ーーー……。
「や、やっ……」
全ては解決したかに、思われた。
「え?」
歓喜に一瞬頬を緩めたロゼリアの前で、映像は再び虚空へと浮き上がる。滅亡の帆は再び胎動し、空を這う要塞は遺跡兵器に向かって段々と加速していく。砂漠の遺跡兵器は歓迎するかのように砲身を上げ、要塞への橋とする。
滅びはーーー……、まだ終わっていないのだ。
「クフッ、クハ、クハハッ、クーハッハッハッハッハッハ!! だから言ったでしょう、止められないと!! 既に決定付けられた運命は何者にも変えられない!! 貴方達が如何に足掻こうと!! 最早この滅亡の帆は、何人にも!!」
彼の者の狂気は果てなく響き渡る。盲信の行き着く果てにある姿は斯くも凄惨なものなのか。
狂気に血走った眼、枯れ果ててもなお絞り出される妄言、異形に成り果てた肉体よりおぞましい狂気。それが、顔貌ーーー……。虚構の名誉と独善的な栄光に取り憑かれた者の末路。
その様には誰もが、ただ、恐怖に息を呑む。
「くっ……! 神代の矛……。話には訊いたが、あの規模の砲身から砲弾が発せられればたった一発でこの『地平の砂漠』一帯が消滅しかねまい。止める手立てはないのか……!?」
「駄目だ……。こうなっちまったらもう……」
「そんな、ここまで、ロゼリア様がここまで……、何のためにッ……」
「ごめん……、アテナ。ごめんなさい、みんなっ……」
道が閉ざされ、漂うのは暗雲。進むべき道も見えなくなった今、誰もその光を切り開くことはできない。
響き渡る狂気の笑い声、降り注ぐ絶望。刻一刻と進み行く滅亡の胎動は、世界を戦火と死で染め上げる絶望と化すだろうーーー……。
――――ここで何と言うことはない表情を浮かべている、魔王と四天王達以外は。
「お、おい、これマズいんじゃねェのか!? キシシッ! 完成したらどうにもなんねェんだろう!?」
そして、それは地上でも同じことだった。
地より迫り来る災悪、天より降り注ぐ滅亡の帆。それ等を前にしてもただ、元四天王と聖女、盗賊と冒険者の四人は平然とした表情を浮かべていた。滅亡の帆など眼中にないと言わんばかりに、ただ災悪に目を向けていた。
そして彼等は言うのだ。何気なく、いつも通り、解りきっていたかのようにーーー……。
「「「「「「「……勇者が何もしないわけがない」」」」」」」
イッツその通り。
彼等の言葉が終わるが先か、その崩壊が巻き起こるが先か。突如として滅亡の帆は爆散し、砂漠一帯へ凄まじい豪風が襲い掛かった。地盤を崩すだとか砂嵐が起こるだとか、そんな次元ではない。正しく砂漠の砂全てが吹っ飛んでしまうかのような豪風が巻き起こったのである。
それは衝撃波。ただ一度の、衝撃波。この世界全てを揺るがすほどのーーー……。
「よくやった、ロゼリア」
砲撃による衝撃波である。
「貴様の願いは……、世界を救ったぞ」




