【プロローグ】
【プロローグ】
「…………なぁ」
薄曇り、空が紅色に染まった頃。
勇者と魔王は『沈黙の森』を抜け出た先、『爆炎の火山』の山道で魔道駆輪を停めて夕食準備を行っていた。
本日の夕食はフェイフェイ豚の照り焼き風味と野菜スープ。当然ながら調理を要する品だが、焚き火を焚き、鍋で湯を沸かし、まな板の上で肉を叩き、空いた片手で野菜を毟るなど、それら全てはエプロン姿の勇者フォールが一人でやっている。
一方、魔王リゼラと言えばそんな様子をぼけぇーっと眺めるか、時折自身の首から下がっているネックレスを弄るばかりだ。
だた、そんな呆けた表情でも少しだけ何かが気に掛かるらしい。彼女は勇者の方にちらちらと視線を送っては、忙しない動作を見せていた。
「何だ、鬱陶しい」
「に、肉を剣で叩くのやめない……?」
流石にそこをツッコまずにはいられなかった。
自前の剣を片手で振り回しながら肉を叩いてやがる。いや干し肉だから叩いて柔らかくしているのは解るのだが、もっと他に叩くものはなかったのか。と言うかそもそも片手で振り回すのをやめろ、顔に、顔に、鼻先に擦っているからマジで。
「フェイフェイ豚の干し肉は叩くことで柔らかくなるし、旨みも出る。そこに塩コショウで味付けしてからアポリブ種を加えて寝かして水気を戻し、蜂蜜とペルッカの果汁を少し入れて煮詰める。ペルッカの果汁はそれだけで強い酸味があるから、野菜にかけて食べても良い。ま、今回の野菜はスープにするがな」
「え、えぇ~……、酸っぱいのやだぁ」
「栄養があるんだから文句を言うんじゃない。俺も苦手だが」
「御主も苦手なんじゃねーか!」
と、そんな会話を交わしつつ。
勇者フォールは相変わらずばちんばちんと肉を叩き、魔王リゼラは鼻先が削がれる危険から逃れようと後退る。
まぁ、流石にこの男でも当てたりはしないだろうが。たぶん。念のためちょっと下がっておこう、と魔王リゼラ。
「それはそうと、だ。そろそろ東の四天王の根城だな」
ばちんばちん。
「…………」
「何だ、その何とも言えない顔は」
「……い、いやぁ?」
あぁ、正直に言おう。
幾ら東の四天王である彼女でも勝てるはずがない。こんな化け物に勝てるはずないーーー……、なんて思ってるわけではないのだ。
勝てるかも知れない。彼女なら、自身さえも上回る絶技を持つ、彼女なら。
だがそれをこの男に悟られては無駄になってしまう。隠し通さねばならない。彼女の圧倒的な、達人を超えた極地にあるあの技のことは。『最硬』『最速』『最智』を上回る、『最強』である彼女のことは。
「ソウダナーザンネンダナーカナシイナー。シャルナハイイヤツダッタノニナー!」
「シャルナ? 誰だそれは」
「はもんぷっ!?」
しまった。
「……シ、シラナイ」
「……ほう、シラを切るか」
「シラナイモン」
「良かろう、口を開けろ。ペルッカの果汁をくれてやる」
「お、おい何をする! や、やめ、やめムググーーー!!」
拷問である。
流石に直飲み一気はキツかったのか、彼女は嗚咽しながらその場を転げ回って鼻水だの涙だのを撒き散らしながらのたうち回る。それはもう悲惨な光景だった。
無論、その間も勇者は肉を庇いつつ叩き続けたのは言うまでもない。旨みって大事。
「だが、シャルナ……、か。まぁ大体予想はつくが、東の四天王の名だな?」
「ふひー、ひ、ひふ、ふっ、ふ、ひぃひっ、ひ……」
「何だ、産むのか」
「口から産まれそう……」
「やるなら岩陰でやれ。しかし、ふむ。そうだな。『死の荒野』と『沈黙の森』を超えて『爆炎の火山』とくれば四天王とも相見えるか。俺の力もまた封印できるというものだな」
拳を握り、開け放つ。何かが抜けるような気がした。
煙のように、ふわりと。岩のように、ずしりと、
もっとも、そんな感覚さえも、肉を叩く音に掻き消されるのだけれど。
「……ふん。それはまた妾が力を取り戻す時が近付くということでもあるがな」
「そしてブルースライムたんと触れ合える時が迫るということでもある。フ、フフフフフフフフ……」
「ねぇ頼むから真顔で笑うのやめてくれない?」
「……真顔だったか?」
「何か昔あった玩具思いしたわ……」
ナデナデシテー。
「……まぁ、どの道、火山山頂の奴とも相見えねばならん。惜しむらくは気が乗らないことだがな。古来は『シルバースライム』という希少種がこの火山にもいたそうだが、冒険者が素材の為に乱獲して絶滅したそうだ。……全く、滅ぼしてやろうか人類」
「……勇者が口にする言葉じゃねぇ」
「スライムは全てに優先されるからな」
「アッハイ。……しかし、シャルナのいる位置を知っているということは、また女神情報か」
「今回はビールとゲソ揚げを食べつつ教えてくれたぞ」
「女神ってオッサンなの……?」
「可能性は否めん。ともあれ、此所の山頂ならば、山を大きく回る山道沿いで明日の朝には到着できるな。それまで……」
と、言いかけた瞬間、勇者の手が止まった。
ばちんばちんと規則的に弾けていた音と自身の目の前でフォンフォンと風を切っていた音が消えたものだから、魔王も何事かと視線を向ける。
だが、別段これと言ったことはなく、勇者もまた剣で肉を叩き始めた、が。
その表情は明らかに切迫したものだった。
「…………」
「……お、おい、どうした」
「……アポリブ種がない」
「……お、おう?」
「つまり美味い肉が作れない」
「はぁ!?」
「うむ……、『沈黙の森』を出てから連日食材を使いまくってヤケ食いし過ぎたせいだな。ダークスライムたんに会えなかったショックが……」
「おい待て御主! じゃあ何か!? 今日の夕飯は味無し肉と野菜のスープか!?」
「塩コショウや蜂蜜で味はあるが、干し肉だ。叩いても漬け込まなければ硬くて食えたものではないし、かと言って漬け込んでもアポリブ種がなければ旨みはない……」
「だ、だったら他の肉で良いじゃろ!? そこら辺の獣でも狩って新鮮な肉で!!」
「いや、獣の生肉は寄生虫が怖い。それに、どのみち俺の殺気でモンスター共々逃げてしまったしな」
「結局御主のせいじゃないかぁー!! やだやだやだ! ただでさえクソ熱い溶岩の中を進まされて毎日毎日地獄だったってのにやっと落ち着いて飯が食えると思ったら味無しなんて妾やだやだ美味しいの食べたいもんやだやだやだー!!」
「暴れるな埃が立つ。……しかし、うむ、どうするか。確かに『沈黙の森』の溶岩道は酷かった。俺も手を火傷するかと思ったぞ」
「うん普通は溶けるけどな!?」
「気温も高く、燃えるような温度だった……。だが、この山道も熱風がよく吹きつけるがあの道に比べれば幾分マシだろう。何せ貴様など熱さのあまり魔道駆輪の中で全裸に」
「わーわーわー! それはどうでも良いじゃろそれはぁっ!!」
なお、全裸でだらだらしているところを勇者に見られて溶岩に突き落としたのは先日の話である。
「……ともあれ、折角というわけではないが、俺もどうせ喰うなら美味いものが喰いたい。だが、アポリブ種がないことには肉の旨みは半減……、肉汁が出にくくなるからな」
「何か代用品はないのか、代用品は!」
「あれば使っている。しかし、これはどうしたものか……。せめて肉を強めに叩き続けて肉汁を出やすくするしか」
ばちんばちんバキンッ。
突如鳴り響いた金属音。魔王の頬を擦る銀影、砕け散る岩片、硬直する魔王。
勇者は震動のなくなった剣先を見た。そこにあったのはモノの見事に砕け散った刀身だた。
それはもう、剣だったのか肉叩き棒だったのか解らないほどパックリと割れた、刀身だった。
「…………折れた、だと」
「その前に妾の心配をしろ勇者ぁあああああーーーーーーっっっ!!!」
「いかんな。どれ、肉の加減は……」
「妾の優先順位は肉以下かよテメェ!?」
「何をいう。肉は大切だ。……むっ、蟲が寄ってきたな」
「蟲以下ですかァアアーーーッッ!?」
「馬鹿な、そんなはずが……。見ろ、空が綺麗だぞ」
「うわぁあああーーーーんもうやだこの鬼畜クソ野郎ぉおおおーーーーーっ!!」
「……何だ、大丈夫か魔王リゼラ」
「うるせぇえええええええええええーーーーーーーーッ!!!」
絶叫鳴き声響いて火山が唸る。
大粒の涙を流しながら顔を汁だらけにして泣き叫ぶ魔王を嘲笑うように、焚き火からぱちんと火花が散った。
彼女の気苦労が消えるのはいつになるのだろう。野菜のスープが湧き上がるのはいつになるだろう。美味い肉のためにアポリブ種を集められるのはいつになるだろう。
たぶんきっと、それは明日の話ーーー……。




