【3】
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「所謂、JOKERカードというやつだ」
JOKER。それはつまり盤面次第で最強にも最弱にもなるカード、という意味ではない。
それはどの様な立ち位置にもいられる存在。強者であっても弱者であっても不可能ではない、最大の不確定要素である。フォールの言葉に従うのであればこの滅亡の帆という盤面では脅威か否か、で判断すべきだろう。
「貴様が顔貌と組むのであれば、2枚のJOKERに勝てるはずもない。しかし貴様が一枚だけであれば、役割を持たぬ不確定要素はケースに収まるだけのカードでしかない……、はずだった」
魔王の裏切り。これはまだ勇者と王女さえいればどうにかなった。
いや、四天王達を神剣が足止めしていたから勝つことができたのだ。そう、ここまではフォールの予測通り。いや馬鹿の裏切りは予想外ではあったものの、予測の範疇だった。まだ修正が可能な、領域だった。
しかしーーー……、フォールが予測する上で最も有り得てはいけない事象が二つある。それは災悪の存在と、二枚の不確定要素が揃うこと。
つまり、顔貌と四肢が手を組むことこそ、最悪の状態だったわけだ。
「無論、可能性としては考えていなかったわけではない。むしろ有り得て然るべきものだ。貴様はアテナジアへの個人的感情以外は一律して魔族三人衆としての役目を果たしていたからな。顔貌に従い、俺を討伐するこの状況は……、むしろ当然と言える」
だが、しかし。
「手札が揃えば、その状況にも対応できるはずだったのだがな」
それもあくまで2枚のJが手札にあった場合の話。
AとQではJOKERに勝つことはできない。全ての山札が尽き果てたこの盤上で、それは余りにも絶望的な戦力差だった。ここがもし廃城の頂上ではない何処かなら、そこにいるのがフォールただ一人なら、敵が四肢以外の誰かならーーー……。
いいや、既に盤面は整った。カードは全て配られ、手札も定まった。ならば、勝負するしかないのだ。
「……ロゼリア、走れ。あとそこで先程の振動で目覚めてから狸寝入り決め続けている阿呆」
「いや妾寝てますんで」
「そうか、貴様は全力でロゼリアを守れ。以上だ」
フォールは抜剣し、僅かに半身を開いた。
それは他ならぬ戦闘意思であり、そしてロゼリアとリゼラを庇うが如き立ち方であることは一目すれば誰にでも解る。
無論、今ここで彼が何をしようとしているのかも、また。
「ちょ、ちょっと待って! 貴方、四肢!! アテナジアは、アテナは何処にーーー……!!」
そんな緊迫の中に差し込まれる、差し迫った声。
少女の問いに四肢は視線で答える。そして、それが最後の対話だった。
「行け」
フォールの言葉を幕開けとして、激突する拳と剣。豪快なる一撃は彼の腕を容易く跳ね上げ、その身さえも軽く吹っ飛ばす。しかしフォールは衝撃を殺すようにその身を勢いのまま転がして即座に体勢を立て直した。普段日頃、豪快な戦闘を得意とする者との鍛錬の成果であろう。
だが、これは鍛錬ではなく実戦である。体勢を立て直した彼を待ってくれるほど優しいものではない。
絶え間なく振り抜かれる拳はフォールを再び吹っ飛ばし、段々とその間隔を狭めていく。体勢を立て直す暇を与えないつもりだ。
「きゃっ……!? な、何あれ! 無茶苦茶じゃない!!」
「知るかまだ人間の形保っとるだけマシじゃろ! オラあ奴が引き付けとる間にとっとと逃げるぞ!!」
「と言うか何で貴方はそんなに躊躇ないの!? 第一貴方が裏切ったせいでこんなところにまでねぇ!!」
「知っりませぇーーーーん! 妾は妾の欲望に素直なだけですぅーーーー!! ぬはははは最早あの勇者めもこのザマでは妾を止める者などおるまい!! 世界は妾を中心に廻っておるのだ!! ビバ魔王! 妾最強説で」
「さっさと行け埋めるぞ」
「はい行きます」
「魔王弱い……」
それが魔王クオリティ。
「ケッ……、他人の心配とは余裕じゃねェか! 勇者フォール!!」
と、彼等のやり取りを振り切るように再び豪腕が大理石の柱を粉砕した。
フォールの体はまたしても紙切れのように吹っ飛んだが、そう何度も吹っ飛ばされては慣れるというもの。彼は先刻からの連撃で崩れた天井に指を掛けると、小動物のようにぶら下がってみせる。四肢も追撃はできただろうが、一瞬だけ警戒したのだろう。フォールに似たような背中二つが遠ざかっていく隙を与える程度には、時間を開かせた。
「……そんな事はないし、リゼラは後で潰す。その前に問題は貴様にどう対処するか、だがな」
「グギャハハハハ! まだこの俺をどうにかできると思ってるとはなァ……。この滅亡の帆に来てからテメェの動向を確認してないと思ったか? テメェの実力はもう完全に把握したぜ。クハハ、精々がそこら辺の上級冒険者と同等だ! 勇者の面影なんてまるでねぇ!!」
「舐めるな。元からあったと思うのか」
自覚があったという事実。
「……しかし、四肢。ロゼリアがいなくなった途端に随分と饒舌になったことだな。奴がいては気まずいことでもあったのか?」
「ぐっ、ぬ……。グハハ。何のことだか……」
「別に貴様の感情云々をとやかく言うつもりはないがな。行動に整合性は持つべきだ。目的を達成する為の積み重ねは必ずしも一つではないが、裏を返せばその幾つもの道で迷うこともあるということだ。今の貴様のようにな」
「……うるせぇ奴だ。敵相手にお説教かァ?」
「するわけなかろう、阿呆め。大人が大人に諭されるな。自分で考え、自分の理念を持て。我がままにいられない者が大人など名乗るな」
そう言い残すなり、フォールは足に勢いを付けて天井の上へと飛び上がった。まるで曲芸師よろしくな軽業だが、いや、その様子に拍手を送る者も銭を投げる者もいない。敵意だけならば、幾らでも投げられるのだけれど。
だってそうだろう。唯一の観客とも言えるその巨漢は酷く苦々しく、顔をしかめているのだから。
「……さて」
豪風。乱れ荒ぶ風に煽られながら、フォールは廃城の頂上からさらに高く天辺へと歩み出た。
永遠と拡がる景色は地平まで果てしなく、そして『地平の砂漠』の黄土色一色に染まっていた。頬を叩く砂風が何ともムズ痒いが、それに瘴気の深緑色が混ざって何とも不気味な景色に見える。まるで腐り落ちたキャンパスのような、そんな景色だ。
――――しかし気になるのはこの景色の様である。この滅亡の帆が移動を始めているというのは先程の振動で解っていたが、ならば問題は何処に向かっているのかということ。滅亡の帆はこの街を破壊するために上空へ現れたと思っていたが、どうにもそうではないらしい。
いいや、何か目的があってこの場所に出現し、何処かへ移動しているとするのならば、まるでこの様はーーー……、凱旋ではないか。
「…………チッ」
僅かに脳裏へ走る雷撃のような頭痛。フォールは自身の髪先を掻き分けながら眉根に皺を作る。
「何だ……、随分と体調が悪そうじゃねェか」
そして、そんなフォールを追って巨大な体躯が廃城の残骸を駆け上がってくる。
否、駆け上がるというのは適切ではあるまい。その者はただ一度の跳躍で彼と同じ場所に現れたのだ。豪風にも煽られず佇む様子からしても、フォールとの身体能力の差は歴然であろう。
「別に……、大したものではない。これならば家計簿を開く度に襲い来る頭痛の方が酷い」
「……余裕じゃねェか。えぇ?」
四肢は未だ崩れない彼の調子を砕き割るように、足元を軽く踏み抜いた。
それだけで廃城の残骸は脆く崩れ去り、フォールの脚場もまた激震する。横から薙ぐように吹々く豪風と激震が合わされば幾ら彼でも立っていることさえ容易ではない。いや、四肢もそれを狙っているのだろう。
この高さだ。ただ落ちるだけで決着という事を考えれば、充分有効な行動だろう。
「俺……、強ェよなァ? テメェだけじゃねぇ。そこら辺の冒険者なんぞ目じゃねェし、あの四天王どもだって倒せるだけの力があるはずだ。何せ俺ァ魔族三人衆随一の武闘派だぜ? 顔貌のように忠義じゃねぇ、心臓のように信念でもねぇ。ただ強くありたいという欲求こそが俺の誇りだ。誇り……、だった」
「…………それで?」
「だが、どうだ。あのメタルと言い、聖女ルーティアと言い……。俺より強い奴がいやがるじゃねぇか。とんでもねぇ化け物共だ……。全く冗談じゃねぇ。最強だと思ってた俺がまるで赤子扱いだ。こんなに馬鹿馬鹿しいこたぁねェよ」
「……まぁ、メタルに関しては同じ被害者として同情しよう。しかし、その理論でいけばどうしてアテナジアに恋愛感情を抱いたのか説明が付かんな。アテナジアは貴様より遙かに弱い。確かに人間という分類の中では相応の実力者であり、今の俺ならば真正面から小細工為しに戦えば彼女の方が実力は上だろう。……しかし、それでも人間だ。貴様より弱い弱者だ。どうしてそれに貴様が惹かれるのか、貴様は解るのか?」
「……そんなモン、俺が知るか」
四肢は押し黙り、自身の拳の中で更砂となっていく瓦礫に目をやった。
――――何ともまぁ、脆い。指と指を擦り合わせただけで砕ける脆さよ。今まで砕いてきたものだってそうだった。この拳に砕けないものなど、何一つとて存在しなかった。そうだ、自分は強い。間違いなく強い。
だが、その強さはーーー……。
「……そうか。ならば間もなく、貴様はそれを知ることになる」
フォールは不安定な脚場に片膝を会わせながら剣を構え、双眸を静かに細めていく。
貫く眼光は少なからず四肢を身構えさせたが、いや、実力の差は歴然だ。
しかもこの滅亡の帆という場所では彼の得意とする罠の類いは張れないし、そもそも用意する時間さえない。いいや、例え何らかのそれを張り巡らせたとしてもこの豪風と振動、そして廃城の天辺という不安定な場所ではどの様な罠も効力を発揮することはできないだろう。
「強さの種類は、決して一つではない」
瞬間、一挙にフォールは駆け出した。当然四肢も迎え撃つが、勇者が繰り出したのは攻撃と呼べるほど上等なものではない、肌を撫でる程度の斬撃だった。
無理もあるまい。この脚場で、この豪風と振動でまともな攻撃など行えるわけがない。それでも体制を整え落ちる恐怖など厭わず斬り掛かる辺りを称賛すべきか、いや、今この場においてはそれも愚行でしかない。
「ケッ! これがお前の言う強さってかぁ!?」
愚かなる行動には必ずツケがある。フォールの斬撃はそれ即ち四肢の射程距離と同等であり、鋼鉄をもへし曲げる拳撃が天高く振り上げようとする、が。彼の一撃が振り抜かれることはない。
そう、フォールは足元の小さな瓦礫を彼へと蹴り上げたのだ。それは俗に言う目潰しであり、四肢の腕はただ一つの小石を払うにも自身の視界を覆ってしまうほど屈強である事を見越しての一撃だった。何とも、姑息な策である。
「いいや、無論違う」
しかしそんな姑息な策すら豪腕で薙ぎ払うのがこの四肢だ。
彼は小石を弾いた腕をそのまま振り払い、豪風の中に旋風を巻き起こす。この不安定な脚場で力任せな風の鎖は容易くフォールの四肢を絡め取る、が。それ以前に彼の鎖が巨躯を絡め取っていた。
それは鎖と呼ぶには細く脆く、薄汚い。けれど彼の体を支えるには充分なものであるには違いない。
「テメっ、壁のツタを……! こんなモン搦めてどうすんだ? これで俺に勝つつもりか!?」
「勝つ……、勝つ、か。この場における勝利は何だ? 俺を倒すことか? それともこの滅亡の帆の向かう先に到着することか?」
「勝利? ぎゃ、ギャハハハ! そんなモン決まってる!! とっくにこっちの勝ちで結末は決まってんだよ!! 俺達はそれでも抗うテメェをぶっ潰す為に出張ってきただけさ!! テメェにもう勝ち目は小指の先っぽほどもねぇんだよ!!」
「……何?」
フォールの耳に刺さったのは『結末は決まっている』という言葉ではない。
――――達。今奴はそう言った。それは、つまりーーー……。
「フフ、この意味が解りますか?」
廃城。中層まで走り抜けてきたリゼラとロゼリアの前に、その者はいた。
幾百の覚醒不魂の軍を従え、悠々と君臨する男、否、女。或いは両方。
その者の表情は下卑く侮蔑に満ちており、狼狽える二つの顔を嘲笑うように見下ろしていた。否、事実として嘲笑っている。無駄な足掻きを未だ希望として見る者達を前に、顔貌ーーー……、その者はただ笑っているのだ。
「滅亡の帆が起動した時点で既に勝敗は決していたのですよ。それでも貴方達の戯れに付き合ってあげていたのはこちらの慈悲と言わざるを得ない……。クフ、クフフ! 永かった!! あぁ、永かった!! 貴方達に幾度もの計画を阻害され続けた末の勝利だ!! これほど嬉しいことはない!!」
「やかましいわこの変人め! 勝利だどうだと抜かすならこちらにも解るように話さぬか!!」
「……クフフ。裏切り裏切った身で何とも傲慢なことですが、魔王リゼラ。貴方のその地位にのみ敬意を表し教えて差し上げましょう。我々の真の目的を!」
仰々しく拡げた掌は天を仰ぎ、狂気に堕ちた眼は禍々しく歪み果てる。
それは紛う事なき狂気だった。いいや、狂信だった。
「それはーーー……、人類の滅亡です」
「…………何?」
「意外と陳腐でしょう? 在り来たりですらある。……勿論、これはあくまで結果論です。そうなる、というだけの話。重要なのはそこではない」
顔貌は芝居がかった足取りでリゼラとロゼリアの前を歩むと、まるで教鞭を振るうように一つ一つ説いていく。教え解くように、ではなく、ただただ擦り込むように。それが当然であり必然であるのだと言い聞かせるように。
「我々魔族三人衆はね……、それぞれ目的は違えど行き先は一つだ。魔王リゼラの望みを叶えたいという心臓、ただ強者でありたいという四肢。そして、正しき運命を望みこの私、顔貌……。クフフ、解りますか? それら全てが示すものが、何なのか」
「知るかそんなモン! はよ言え!!」
「全く忙しない方だ。……では教えて差し上げましょう。それこそは、大戦争時代の再来ですよ!!」
――――大戦争時代。
或いは、大戦争。それは古来、初代魔王カルデアと女神が争い、初代勇者によって一時的な決着がついたとされる人間と魔族の大戦争。しかしその実、魔王は息絶えておらず事この第二十五代魔王カルデア・ラテナーダ・リゼラの今世まで続くも、勇者フォールによる『消失の一日』事件を切っ掛けに完全冷戦化した戦争のことである。即ち、今この世界の運命を基づける出来事とも言える戦争だ。
いや、今この場に限れば顔貌の言う大戦争時代とは、『消失の一日』より以前、様々な歴史が形骸化せず、人間と魔族がそれぞれの領域を人界魔界と呼んで住み分けることもなく、誰も彼もが入り乱れ戦乱に黒煙を上げたその時代のことだろう。
つまり、この者達はーーー……、再び過去の忌まわしき大戦争を起こそうと目論んでいるのだ。
「この戦争が起きれば世界は再び人間と魔族に二分される。勇者の存在が大きな意味を持ち、魔族は戦いの本能を思い出す……。この意味が解りますか?」
「……解らぬな。とんと解らん」
「クフフ、だから貴方は我々側になれたなかったのです! 即ち運命の修正ですよ!! 世界を正しき姿に戻すこと!! これこそが我等の目的にして、私の使命!! どうですか、素晴らしいでしょう! この私の……、この素晴らしき宿命は!!」
顔貌は鼻息を荒げながら嬉しそうに理想を語る。そのトチ狂った様は、見る者の背筋を泡立たせるには充分過ぎるものだった。
例に漏れずロゼリアも同じく狼狽え、そしてそんな下らない理想に巻き込まれたことを憤慨する。一言言ってやろう、と。その当然の怒りと共に一歩身を乗り出した、が。そんな彼女を同じく華奢な腕が制止した。
「なっ……! 何で止めるのよ!?」
「馬鹿め。ここで奴を刺激したところで妾達に何ができる? 例え御主が王女であろうと、妾が最強で美人で器量良くて勤勉で真面目で超美人で最高で最強な魔王だとしても、精々覚醒不魂の軍に追い立てられる辺りが関の山よ……」
「けど、こんなの黙って聞いているわけにはいかないじゃない!!」
「刺激するな、と言うておるのだ。黙れとは言うておらん。……おい顔貌! 御主の目的については解ったわ!! しかしそれとこの滅亡の帆、そして貴様の言う勝利に何の繋がりがあるのじゃ!?」
「……クフフ。この滅亡の帆はね、かつて歴史の忘却に忘れ去られた聖地なのですよ」
「何じゃと……?」
「この廃城を見ましたか? 王座を見ましたか? この不魂の軍達を見ましたか!? ……ならば貴方は少しでも気付くべきだった。この場所がかつて初代魔王カルデアと、初代勇者の決戦の聖地であったということを!!」
「ガチの聖地じゃねーか!! 言えよそれを瓦礫一つでも持って帰るのに!!」
「環境保全第一ですよ! クフハハ、いいえそれだけではない! 私は前の街で貴方達に神代の矛の名を告げ、貴方達は見事にそれを警戒して調べ廻ろうとしていた! ククッ、しかしそれは正しくあり、正しくない!! ……何故なら神代の矛とはつまり、この滅亡の帆のことだからですよ!!」
こつり、こつり。再び彼はその手を開き、歩き出す。
「滅亡の帆はある遺跡と融合することで神代の矛へと変貌する。それこそが初代魔王カルデアの遺物である覚醒の実、不魂の軍、そして滅亡の帆に続く四兵器最後の一つ……! 神代の矛!! 世界を破壊し得る絶対最悪の兵器にして初代魔王が君臨した要塞こそ、我々が目覚めさせた厄災なのです!!」
「廃城の頂上に王座があったのはそういう事か……! だが待て。遺跡と融合じゃと……? 遺跡……。ま、まさかあの『地平の砂漠』にあった巨大な兵器か!?」
「ご名答! 貴方達があの兵器を見つけるのは予想外でしたが、えぇ、依然として計画に代わりなくッ!! 我々は今、その兵器ーーー……、滅亡の帆の片割れを目指しているのです!!」
そう、顔貌の言う兵器とはつまり、フォール達がローと出会ったあの砂漠の兵器のことである。巨大な砲身を備えたそれは発射すれば砂漠さえも吹っ飛ばす威力を持ちながら、奇しくもフォール達とカネダ達の奮戦によって事なきを得た。しかし顔貌は再びそれを撃ち放とうと言うのだ。
いいや、今度は遺跡の兵器としてではなく、世界を滅ぼす神代の矛として、この世界に戦火の篝火を放つつもりなのである。
「しかし、馬鹿な……。アレは妾達が発動を止めたはず……!!」
「クフフ、伊達に古代兵器ではありませんよ。発動を止めようが破壊しようが、あの遺跡に施された魔方陣は如何なる傷をも修復してしまうのです。それ故に絶対無敵! この滅亡の帆の防御とあの遺跡の攻撃が合わされば如何なる者にも破壊できない要塞と化す!! 伊達に初代魔王が創り上げた最強の兵器ではありませんからねぇ……」
「な、ならばどうしてこの滅亡の帆の姿を消したまま潜行させなかった! そうすれば妾達に気付かれることなく神代の矛とやらに進化できたじゃろーが!!」
「クフ! クハハ! アーーーーハッハッハッハッハッハ!! それこそ我等の目的!! かつて初代魔王が愚民の恐怖から力を得たように、忌まわしき女神が信仰によりその力を有したように!! この滅亡の帆も世界の生命たる自然魔力と初代魔王と同じく人々の恐怖心をを吸い上げて機動力とする!! クフハハハ! この凱旋は愚かなる人間共に絶望を植え付けるためのものなのですよ!! クハハハハハハハハハハッッッ!!!」
豪風と瘴気が吹き荒ぶ廃城に呼応する、顔貌の醜くも狂い果てた笑い声。
その圧倒的余裕を裏付けするのは他でもない、この計画の達成だった。達成すること、ではない。達成したこと、だ。最早この滅亡の帆はどんな攻撃でも止まることはなく、間もなく『地平の砂漠』の兵器と融合することで彼等の計画ばかりか、目的までもが達成される。
誰にも、止められない。否、止められなかった。今まで幾度となく仕込んできた策略も何もかも、全てはこの時のために。正真正銘、魔族三人衆が繰り出すーーー……、最大にして最後の策略。
それは既に、成就していたのだ。
「フフ、ハハハッ。……言葉も、出ないと言った具合ですか? 魔王リゼラ。まぁ無理もありませんね。本来は今世の魔王である貴方が為すべきだった人界侵略と魔界拡大を我等が成し遂げてしまったのですから。あぁ、しかしご心配なく! 我々は別段、地位や名誉などと言ったものに興味はありません。必要なのは使命の達成という」
「…………はンッ」
然れどリゼラは、笑い狂う者を鼻で笑う。
「ここまで聞いて完全に理解したわ。……世界の滅亡? 大戦争時代の再来? 阿呆め、何故解らぬ。御主等にそんな事は達成できぬ」
「ほう……、随分と面白いことを仰る。勇者フォールがいるからですか? あの弱々しく枯れ果てた男が今更何の役に立つと」
「確かに……、あ奴めは何ぞ巻き起こすであろうな。御主達の目論見が達成されようと奴さえいればどうにかなるのでは、と。そう思っとる妾がいるのも事実じゃ。だが……、そうではない」
「……では、何故?」
リゼラは腕を組み、大きく、大きく仰け反った。それは彼女を見下ろす顔貌や彼すらも覆うほどの巨体を持つ覚醒不魂の軍達すら見下すが如き、正しく大見栄である。しかし事この魔王に到ってそれは決して見栄などではない。
それは、紛れもない事実。この魔王の口から吐き出される言葉はいつだって本気のモノだけなのだから。
「この妾が未だ成し得ぬ偉業ぞ! それを御主ら半端魔族が成し得ると本気で思うたか!! 妾を何者と心得るか!? 第二十五代魔王にして初代魔王の名を継ぎ、歴代最強と名高き魔王カルデア・ラテナーダ・リゼラである!! この世全て万物万象栄光名誉美味い飯!! 何もかもがこの妾のために存在し、全て妾が手にすべきために存在する!! 故にこの妾より先に栄光を手にするなどこの世の摂理的に有り得んのだ!! 即ァちィッッ!! 妾の命なく行われた御主等の陳腐な目論見など、この妾の一声で泡と消える!! この世全ての異形は我が称賛の為だけにある知れェイ!!」
斯く、言い放つ。これぞ我等が魔王の誉れ高く威風堂々たる宣言である。
この余りに見事な宣言は見る者全てを自然と跪かせるほどのカリスマを放ち、王女たるロゼリアや自我を持たないはずの覚醒不魂の軍達でさえも思わず膝を降ろしそうになった。この傲慢極まるちんちくりんの何処にそんなパワーがあるのかと問われれば、溢れ出る絶対的な自信こそが魔王リゼラの真骨頂と言わざるを得まい。
まぁその実、中身が伴わないのでイマイチ説得力には欠けるのだがそこはそれ、いつも通りの勢いというやつである。
「……クフフ。よろしい! そこまで仰るのなら成し遂げてみるがよろしい!! 尤も、我等の包囲網を抜けられるなら、ですがねぇ!!」
「…………ちょ、ちょっと何してんのよ!? 刺激すんなとか言ってたくせに貴方が挑発したからメッチャ怒ってるじゃないのアイツぅ!?」
「あ、やっべ。めんごめんご☆」
あとこのマヌケ具合。
これさえなければと言いたいところだが、これがないと魔王ではないので残念ながら諦めて欲しい。
「クハハハハハッッ、さぁ無様に散りなさい! 魔王リゼラ、王女ロゼリア!! 貴方達の断末魔こそこの滅亡の帆の祝砲には相応しい!!」
「上等じゃこのファッキン黒幕めがァアアアアアアア!! 雁首揃えて訳の解らん半透明の寒天頭野郎を並べおってからに!! 個性を大事にしろ個性をォ!! 醤油かきなこか選べオラァ!! めんつゆも結構好き!!!」
「やめときなさいって! い、幾ら何でもあんな数は無理よ!!」
「じゃかあしいっ! 無理を無茶で通すのだ!! 妾にやってやれぬことはない!! 妾を誰と心得るか、第二十五だ」
「さっき聞いたわよそれはぁ! 逃げましょう今すぐに!! 走れば、きっと逃げ切れるわよ!! あんな奴ら相手にするには……」
「甘ったれるなこの阿呆めがぁあああっっっ!!」
スッパコーーーン! そりゃもう見事に、顔貌や覚醒不魂の軍達でさえ思わず驚くほど見事にリゼラの掌はロゼリアの頭を撃ち抜いた。
ロゼリアはそんな一撃を受けて、いや大した威力ではないので当然だが直ぐさま顔を上げるも、その眼には大きく涙が浮かんでいる。幾ら弱いとは言え全力の一撃を叩き込まれたのは初めてだ。
リゼラとはまた違った傲慢なくせに弱気な彼女にとって、その一撃は余りに痛すぎたのだろう。
「今この状況において子供でいられると思うなよ小童めが! 良いか、御主にこの魔王リゼラが役割を命ず!! 御主は今すぐ制御室に行ってこの滅亡の帆を止めてこい!! 中枢に行けば制御装置がある!! どうせ今以上に悪くならんのだ、適当に弄って構わん!!」
「……は、はぁ!? 無茶言わないでよ!!」
「無茶は」
「無理で通すって!? そんなの、どうしろって言うの! 私なんかに、こんなのーーー……」
「御主の街じゃろーがこのド阿呆ッ! ならば御主が守ってみせろこのパチモン二号めが!! 王女ならば王女の誇りを持て!! 御主は何者か!? 言ってみせろこのスッパマヌケ!!」
「は、はぁああああーーー!? スッパマヌケぇええーーーー!? 何よそれマヌケは貴方の方でしょう!? あんな奴ら怒らせて何がしたいのよ! このバーカバーカバーカ!!」
「は、はぁああああーーー!? 馬鹿じゃとぉおおおおおおお!? 何じゃそれ馬鹿は御主の方じゃろう!? この妾を侮辱するとは上等だ!! このアーホアーホアーホ!!」
「は、はぁあああーーーー!? アホですってぇえええーーーー!?」
そして始まる似たような顔が似たような声で似たような罵倒の大合戦。覚醒不魂の軍達は取っ組み合いつかみ合いで大喧嘩を繰り広げる二人にどうして良いか解らず慌てるが、いや、そんな調子に飲み込まれる顔貌ではない。
彼は呆れなのか怒りなのか解らない冷や汗を拭うと頬を引き攣らせて覚醒不魂の軍へ合図を送る。さっさと奴等を潰してしまえ、とーーー……。
「じゃかっしゃァアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」
しかし、動き出そうとした覚醒不魂の軍の狭間を貫いて放たれる初級魔法。その一撃は見事に顔貌の顔面を直撃した。
「行くが良い、ロゼリア! ここは妾に任せるのだ!! 生命力と生存力ならば妾に勝る者などおらん!! 御主には迎えに行くべき者もいるのだろう、『花の街』の王女よ!!」
「……ッ! 死ぬんじゃないわよ、馬鹿魔王っ!!」
走り出すロゼリアを見送ることもなく、魔王リゼラは軍勢を前に立ちはだかった。
小さな体は幾百と巨悪を前にするには余りに華奢すぎる。しかし、然れど、その者の眼に曇りはない。無謀も無理も無茶も疾うに知っている。知っているが、彼女はそれを貫き通す馬鹿のことも知っている。
自分と同じく、例えどんな困難に苛まれようとも諦望することなき、平然とした無表情で打破する大馬鹿者を、一人ーーー……。
「……それが貴様等の目的か」
「あァ、そうさ。グヒャヒャ。止められないのが解っただろ?」
そしてその大馬鹿者は未だ廃城の天辺にて拮抗を保っていた。
既に視界は黄土色に染まり、頬を吹き付ける風にも砂が多く入り交じってきた。どうやら『地平の砂漠』の端に入ったらしい。この滅亡の帆の移動速度も、心なしか段々と加速しているように思う。
このままではあと数時間ーーー……、いいや、半刻もない内に砂漠の中心、あの兵器の元へ辿り着くだろう。そうなれば四肢の言葉通り滅亡の帆は神代の矛へと進化し、世界を破壊する兵器が完成することになる。
「では、それが貴様の勝利条件ということか」
「何……?」
「成る程な。どうやら恋というものは矛盾を内包するらしい。貴様はアテナジアを守ると踏んでいたのだが、アテナアジアを守ってもアテナジアが守るべきものはどうでも良いということか。いや、それを言えばアテナジアも人間だ。貴様の言う滅ぼす対象ではないか?」
「……うるせぇよ。知ったことか、俺がよォ!!」
怒号と共に弾け飛ぶツタ。四肢は脆い拘束が外れたことで一挙にフォールへと殴りかかった。踏み込み一つで廃城の天辺すら粉砕する凶悪な一撃である。
フォールは豪風と砂塵に体勢を崩し掛けながらも一撃を剣の腹でいなし、四肢の腹へ柄を叩き込んだ、が。しかし弾かれたのはフォールの腕の方だった。屈強な腹筋は最早、彼程度の腕力では貫けない。
四肢もそれを知ってだろう。幾度となく拳撃を繰り出し、次第にフォールを天辺の端へと追い詰めていく。遙か虚空、熱砂の流砂が待ち構える地獄の淵へと。
「勇者フォール! テメェなンぞに敗れると思うか、この俺が!! 俺は強ェ!! テメェなんぞにーーー……!!」
振り抜かれた拳は、フォールの腹部を撃ち抜いた。
否、剣という盾を境にはしたが、それは確かに男の腹部を穿ち抜いたのだ。地獄の淵に立つ彼にその一撃を、叩き込んだのである。
「……成る程、確かに貴様は強い。例外どもを除けば俺の知る限りでも上位に位置するだろう」
「だろうなァ……! この俺様の」
「だが俺が貴様に敗北することはない」
剣が弾かれ、爪先が浮き上がり、髪尾は嵐に薙ぐ。
「勝利を知らぬ者が、勝利を掴むことはない」
ツタの鎖を掴んでいた指先は緩み、彼の体は黄土の海へ沈みゆく。瘴気に晒されながら、熱砂の地獄へと。
「貴様の強さは何だ? 四肢」
「…………ッ!!」
静かに、墜ちていく。
全ての状況を破壊する男は、ただ、静かに。この天空の要塞から、静かに。
斯くしてただ一つの言葉を残し、勇者は滅亡の帆からその姿をーーー……、消失させた。




