【エピローグ】
【エピローグ】
とん、かん、とん、かん。
規則的に響く釘を打つ音。衣服をあつらえ直した勇者は金槌を器用に使いながら、それはもう手慣れた様子で家のガワを修繕、いや、改築していた。
上手いものだ。手際よくあちらこちらと組み立てていく様は本職顔負けだろう。こっちの方面でも充分に食っていけるだけの技術がある。
しかし、その改築模様を見ていた魔王リゼラの表情はどうしてだか、酷く複雑そう、と言うか呆れ返っているもので。
「……なぁ、この形」
「スライムハウスだ。どうだ、素晴らしいだろう」
「で、あるよなぁ……」
塗料がないので材木こそ剥き出しだが、その様は何処からどう見てもスライムのそれだった。
いやもうこの男が作ると言い出した時点で大体予想は付いていたが、まさか本気で作るとは思わなかった。切り倒された周囲の木々が可哀想に見えて仕方ない。
ただ、何と言うか、妙に出来が良いので、ちょっと住んでみたいかもと思ってしまったのは秘密である。腹立たしい。
「……御主の、その無駄な技術は何なんだ」
「やる事がなかったのからな。こういった事でスライムを追求していたに過ぎない」
「アップリケや裁縫だけでなく大工までもか……」
「ついでに言えばアクセサリーもだ」
魔王リゼラへと何かが投げられた。
受け取ろうとあたふた慌てた彼女は見事にスッ転ぶ。その様を見ていた勇者フォールは鼻で笑うように、また釘を打ち付け始める。
とん、かん、とん、かん。
「な、何じゃこれ……、ネックレス……?」
「邪龍の鱗を加工したものだが」
「じゃ……、え、は?」
「邪龍を投げたときに指に引っ掛かっていてな。龍鱗は装飾品として重宝されるそうだから、作ってみた」
「作ってみた……、って。あ、御主! この森に入るとき作ってたのはコレか!!」
「自信作だ」
横顔に奇妙なドヤ感がある。このヤロウ。
しかし、いざそのアクセサリーを見てみれば、確かに綺麗なものだ。邪龍の鱗は細かく削って加工してあり、薄い真珠のように見えた。木漏れ日のように差し込む夕日が紫緑斑に煌めき、水面映ゆる陽炎のような揺らめきを宿す。
確かに、これは良いものだ。良いもの、だけど、えっと、その。
「も、モノで釣られるような軽い女だと思うたか! ば、このっ、ばかめ!!」
「別に要らないのなら構わん。聖女ルーティアにでもくれてやれ」
「そ、それは、それで……、嫌だけどもぅ……」
「ならば付けていろ。アップリケの詫び代わりだ」
「ぬっ……、ぅ……」
気に入らない。。
この男からモノを貰うというのが気に入らない。詫び代わりだと言っても、気に入らない。それにアクセサリーだし。男からアクセサリーだし。これって完全に贈り物じゃないですか。贈り物、贈り物、贈り物ーーー……。
―――――貢ぎ物。そう、貢ぎ物! これは貢ぎ物だ、うん!!
「は、はっはっは! そう言うなら受け取ってやろうではないか、うん! 貢ぎ物だからな、貢ぎ物!!」
「好きにしろ」
「し、してやろう、うん。光栄に思えよ! は、ははは、はは……」
魔王リゼラは薄々気付いていた。勇者フォールが魔道駆輪から飛び降りたのはこのアクセサリーの為だ、と。自分の指先が当たったのは、あの男が取りに行くものと言っていたのはこのアクセサリーなのだ、と。
「…………」
だからこそ、解らない。この男が、解らない。
ただの保険である妾にどうして物をくれる? 機嫌取りなど狙うタマでもあるまいに。
だったら、何だ、この男は。あの街で邪龍の卵を盗んだ下衆とは違う、かと言って聖女のような怖がりでもない。この男は、何なのだろう。
初めて出会った時は残忍な性格だと思っていた。頭のネジが吹っ飛んでいるのだろう、と。
いやそれは間違いではないが、残忍というか、違う。あの男は魔王城で妾を追い詰めた時に笑んでいた理由は、もしかして違うものではないのか。
こうやって物を渡したり、スライムを追いかけたりーーー……、つまりそれは、まるで、えぇっと、要するに。
「……友達が」
欲しいのか。
「い、いないのか?」
その一言が出なかった。と言うか出したくなかった。これはもう意地だろう。魔王云々以前に、リゼラという一人の女としての意地だ。
しかし、そんな意地でも効果は充分だったようで、勇者フォールが規則的に打ち鳴らしていた金槌の音が、がこぅんっ、と鈍い音を立てて擦れ違った。
「あ、お、おい、指を打っ……」
「槌が壊れた……」
「あぁまぁうんでしょうね!?」
御主それどうするんだよ、溶岩でくっつけてみるか、なんて二人が話をする中。
組み立て中の家から聖女ルーティアがひょっこりと顔を出して、作業はどうですかと彼等に問い掛けた。
「あ、聖女」
「はい、飲み物持って来ましたよ。一端休憩にしませんか?」
「ふむ、助かる。喉が渇いていたところだ」
屋根から飛び降り、聖女の元へ歩いて行く勇者フォール。
その際に金槌をそっと屋根へ隠したのをリゼラは見逃さなかった。
「ふむ、薬膳湯か」
「いえ、雑草を煮込んだだけのお湯です」
「…………」
「冗談ですよ嫌ですねぇ、うふふ。地下は無事だったので、とっておきの薬草を出してきました。体が温まりませんか?」
「おいやっぱり重いぞこのバター聖女」
「ば、ばばばばばバターは違いますよぉ!?」
「うるせぇトーストになっちまえ」
閑話休題。
「……けれど、本当にあの化け物達は何だったんでしょうか? 私も随分とこの森で暮らしてきましたが、あんな化け物は見たことがありません」
聖女ルーティアは湯気立つ薬膳湯が入ったカップでちびちびと唇を濡らしながら、軽く肩をすくめて見せた。
その様こそ違えど、猫舌を火傷した魔王も思うことに変わりはない。
あの化け物は何だったのか。それが最大の疑問である。ちなみに次点は横で雑草汁とか呟いている男である。薬膳湯だってば。
「うぅむ、妾も見たことないなぁ。……聖女を救えという女神の指示は、奴等から救えという意味だったのか?」
「だと、思います。だってあんなの独りの時に襲われてたら……」
「ま、まぁ、であるな……」
思い出すだけでもゾッとする。
もし自分達が来なければ、今頃、聖女はーーー……。
「で、でも良かったですよ。こうして皆さん無事だったし、家も建て直して貰えたし……。あ、そう言えばあの道から光が入って来るので畑も作り直せるかも!」
薄暗い話題を打ち切るように、聖女ルーティアは明るい表情でそう言い放った。
しかし、そんな彼女の表情とは裏腹に、魔王リゼラの瞼は少し沈み、口端も落ちた。薬膳湯を持つ手が下がり、小さな背中がさらに小さく丸まっていく。
「……御主、ここに残るのか?」
「……えぇ、はい」
「な、何故だ? 着いてくれば良いではないか。こんな薄暗い森にわざわざ籠もらずとも……! どうせ共連れはこのトチ狂った男だけだ、御主ぐらい着いてきたって何も変わらぬぞ!?」
こんな薄暗い森で、また一人。
きっと彼女はもう、うじうじ悩んだりはしないだろう。彼女は一人で立ち上がることができるだろう。きっと、そう思う。
だけど、だからこそ、それで良いではないか。着いてくれば良いではないか。立ち上がったのなら、共に歩めば良いではないか。新たな世界として歩んでいけば、辛い過去を乗り越えられなくたって、一緒に来れば良いではないか。こんな森にいるぐらいなら、来たって、良いではないか。
「魔王リゼラ」
だが、そんな彼女を戒めるように勇者フォールの声が落とされた。
「お、御主もそう思うであろ? 聖女というのは気に入らんが、此奴は此奴で色々悩んだのだ! あの化け物共を倒して出られるようになったし、一緒に来たって、なぁ!?」
「我々は手を差し伸べることは赦される。だが、その手を掴むことは赦されない。……掴むのは彼女だ。聖女ルーティアだ。我々ではない」
一杯を、仰ぎ飲む。
その苦みに眉根を顰めながら、勇者フォールは空器を聖女ルーティアへと差し出した。
「家はもう殆ど完成している。後は仕上げだけだが、任せて良いな?」
「ありがとうございます、勇者フォール。これでも一人で過ごしてきた身ですから、仕上げぐらいは」
「そうか。では我々はもう行くとしよう」
彼は上着の裾を直しながら立ち上がり、踵を返して聖女に背を向けた。
聖女ルーティアも、そんな彼を引き留めようとはしない。ただ目を伏せて、今一度の御礼を述べるばかり。
そんな彼等の様子が、魔王リゼラには理解できなかった。聖女はまたこの森で過ごしていくのか、たった独りで過ごしていくのか。それは、いったい、どれほど寂しいことだろう。
彼女が抱き締めてくれた心地が、まだこの腕に残っていてーーー……。
「リゼラ」
感触をなぞるように、優しさが、また。
「出会いという縁は決して切れるものでも、無くなるものでもないのです。それは紡いでいくもの。誰かと誰かの縁を、貴方の縁に紡いでいくものなのです」
聖女は指を絡め合い、羽織るように彼女を抱き締めた。
とても、温かい。鼓動が伝わるほどに、彼女の言葉は、透き通っていて。
「私は貴方に紡がれました。これから貴方の心と共に生きて行きます。それが出会いというもので、私と貴女の縁というものです。……ずっと一緒なのですよ、リゼラ」
魔王リゼラは俯き、嗚咽が迫り上がりそうな喉を締め上げる。
「聖女ルーティア……」
「フフ、ルーティアで良いですよ。リゼラ」
「では、ルーティア……」
「はい、何でしょう?」
涙浮かぶ瞳を、決意に潤う瞳へと。
「……旅が終わったら、また来てやる! あのシャーベットを、また食わせてくれ!」
「えぇ、勿論です」
彼女達は互いに微笑み合い、もう一度だけ強い抱擁を交わした。
これは別れだ。嗚呼、その通り別れなのだろう。だが決別ではない。別れでも、一生ではない。
きっとまたいつか出会える。いいや、出会ってみせる。また、この森へーーー……。
「あ、また来たら泊まって行きますよね? だったらリゼラのパジャマ作っておきますから、いやでもそれならお布団も作っていえいえお布団なら一緒に寝れば良いですもんねうふふふそれに食器だって新しいの作っておきますよリゼラ甘いの好きですか辛いの好きですか酸っぱいの好きですかその時の為にもっと料理の研究しますからリゼラ好みに嗚呼そうだ今日のこと忘れないために何か記念品を作りましょうか額縁とかどうです私って絵心はないんですけどリゼラのことならきっと綺麗に描けると思うんですよだからどうでしょう今ここでちょっと似顔絵とか書かせて貰ってよいですかもちろんそれだけじゃなくて私からも何かプレゼントしないといけませんよね解ってます解ってます安心してくださいそうですねだったら私の髪の毛なんかどうでしょうかこうやって互いに髪の毛を小指に結んでおけば忘れませんよねえぇそうですそうしましょう大切にしますから寝る時もご飯の時もお風呂の時も決して外しませんからねどうでしょうか髪の毛貰えませんか髪の毛一本だけでいいんですよもちろん私はその百杯渡してあげます束にして渡してあげます髪は女の命っていいますでしょうだから私リゼラになら命預けてもいいかなって思うんですフフこれは友情の証ですよどうですかあそうだ切らないといけないから家からハサミ持って来ますね待っててくださいね直ぐ持ってきますからえぇ大丈夫ですよ私がいつも散髪に使ってるものですから大丈夫です女神の血を持っている私が使ってるぐらいですからそれはもうスッパリ切れますから何ならこの機会に髪型も変えてみませんかリゼラならロングも良いですけどショートも似合うと思うんですどうでしょうか私とお揃いにして見ますかいえいえ私がお揃いにしてみましょうかきっと似合いますからううん絶対似合いますから間違いありません永遠を生きる私が言うんだから間違いありませんともあぁ永遠と言えばそうですね私はいつまでも貴方を待って居られますねフフフ何だか恥ずかしいですけどそれぐらいじゃないと駄目ですもんねそうですね貴方の旅がいつになっても私は待っていられますからそんなに急ぐことないんですよあでもちょっと急いでくれた方が嬉しいなって気持ちはしますけどねなんてうふふふふふふふふふふふふ」
「ルーティア……」
「リゼラ……」
「重い……」
「あるぇ?」
当然である。
ともあれ、こうして勇者フォールと魔王リゼラは『沈黙の森』を出立した。
健気に、何処までも手を振る聖女ルーティアに見送られながらーーー……、魔道駆輪を溶岩掻き分けた道に走らせて。
やがて次の目的地、『爆炎の火山』へと向かって行くのであった。




