【2】
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「……聞いているのか?」
「ひぃっ!!」
再び、瓦礫へ。
頭隠して尻隠さず。そんな言葉が見事に当て嵌まる魔王は、男の声に甲高い悲鳴を上げていた。
――――殺される。この男は異常だ、狂っている。どんなに戦ったって、勝てるはずがない。殺される。指先で、きっとこの美しい裸体をなめずるように陵辱されて殺される。何がスライムぷにぷにだ、どうせ妾の胸のスライムをぷにぷにしたいとかそういう意味だろう。男なんてみな獣なのだから、もう想像するのもおぞましいようなやり方でメチャクチャにされて路地裏に捨てられるに決まっている。絶対そうなる、そうなってしまう。嫌だ、嫌だ、それだけは絶対に嫌だ。
「…………い、いや」
そうだ、待て。まだ助かる方法はあるではないか。
自分には頼れる我が側近がいるはずだ。そう、彼女がいるではないか。この場には彼女がいる!
きっと彼女ではあの男に勝つことはできないだろう。だが、彼女の結界魔法があればほんの一瞬でも奴を拘束することができる! その隙に逃げることができる!
今はまだ、奴には勝てない。しかし、それは今だけの話。今、この今さえ逃げることができたなら、態勢さえ立て直せたなら、この化け物にも勝てる。勝ってみせる! 再び最強の魔王である妾の伝説が始まるのだ!!
「側近ーーー……!」
振り返った彼女が見たのはそそくさと扉を閉めて視線を逸らす側近だった。
魔王リゼラは瓦礫から飛び出て勇者の隣を這い進み、危うく閉まる寸前だった扉に全力で指を挟み込む。
「おい、御主、おい」
「……いやちょっと、急用を思い出しまして」
「今この状態以上に急用があるか? ん? おっ?」
「魔王様……、貴方はとても聡明でいらっしゃる」
「そうじゃな」
「美人で綺麗で凛々しくて、全ての魔族の憧れです」
「全くだ」
「最強最悪の魔王で、勇者を倒した暁には全ての人々が貴方に泣いて詫びることでしょう」
「然りである」
「と言う訳で失礼します」
「まぁ待てや」
必死に閉めようとする側近と必死に足を挟み込む魔王。
傍目に見ても無様な戦いがそこにはあった。
「え、何? 見捨てるの? 魔王見捨てるのか御主。一緒にあの事件の謎解こうっていったじゃん。盃交わしたじゃん。その後酔って一緒に吐いたじゃん。長年の付き合いじゃん」
「見捨てるわけじゃありません田舎に帰るだけです」
「御主この状況でそれって完全に見捨てにかかっとるじゃないか」
「あの、田舎の母が……」
「正直に言ってみろ」
「来週に魔貴族との合コンあるんです勘弁してください」
「御主合コンは妾も誘えって言っただろ!!」
「だって魔王様来たら謁見みたいな空気になるんで嫌ですもぉおおおん!!」
「仕方ないじゃん! 高キャリアだったらモテるかと思ったら光栄ですとか恐れながらとかしか言わなくなったじゃん!!」
「だから嫌なんですよ男は全部取られるからぁ!!」
「成功したことないじゃん! どっちみちじゃん!! 彼氏いない=年齢じゃん!!!」
「……貴様等、いい加減に俺の話を聞いてくれないか?」
「「黙ってろこちとら婚期の危機だぞ!!」」
「それは後にして欲しいのだが」
「「後にした結果がこの有様だよッッッ!!」」
「……お、おう」
行き遅れ共、もとい、魔王と側近の言い争いが続くこと五分。
隣で膝を抱えて待っていた勇者は、やがて息切れすると共にへたり込んだ二人の元へ歩いて行く。
終わったか、と問えば、年収1千万ルグと結婚したい、と返ってくる。結婚できない理由は一目瞭然だった。いや、正しくは一耳瞭然だが。
「よし、では話を続けるが……」
背後から迫る影、扉の前で崩れ落ちる魔王と側近。二人は、その月光を背に負い、伸びる影を受けながら脳裏で叶うことのない結婚生活を夢見ていた。この日、二度目。一種の走馬燈である。
嗚呼、もうきっと、この夢が叶うことはないのだろう。男を囲って札束の風呂に入りながら『魔王/側近になってからお金も儲かって男も囲えてうはうはです』と自慢してやろうとかいう夢も、叶うことはないのだろう。
「…………」
叶うことはない、からこそ。
その結婚願望が彼女達の心に火を付けた。
「……側近」
「はい」
――――そうだ、このまま死ねるか。男を囲うのに飽きたらイケメン高学歴魔貴族を夫にして悠々自適な生活を過ごすのだ。もちろん魔王業/側近業を疎かにせず、あの忌々しき事件の謎を解いて歴史に名を残す。人間どもを滅ぼし女神を滅し、世界を暗黒の渦中に投げ込んでやる。そう、自分達にはその大命があるではないか。と言うかせめて初めてぐらい終わらせてから死なないと死ぬに死ねない。いやマジで。
なればこそ、こんな、ワケの解らない男に殺されるなんて結末は、有り得て良いはずがないーーー……、と。
「逃げるぞ」
それは無謀な賭けだった。だが、構いはしない。
逃亡。二人はこの場から生き残ることを何よりも優先したのだ。このままあの勇者名乗るマジキチ野郎に殺されるぐらいなら、どうやったって生き延びてやるのだ、と。
「俺は」
勇者が話しかけた瞬間、その顔面に剛炎の衝撃が撃ち込まれた。
魔力収束もない喚きのような一撃だったが、それだけでも常人ならば上半身を吹っ飛ばすには充分な威力だ。もっとも、彼は軽く仰け反りさえせず羽虫に刺されたかのように平然としているわけだが。
しかし、一瞬。視界を一瞬でも揺らがせば、魔王と側近が逃亡するには充分過ぎる隙であり。
「……ふむ」
自身の眼前から白煙を拭い去り、勇者は彼女達が逃げたであろう先、扉へと手を掛ける。
しかしその指先に鋭い衝撃が奔り、一気に全身を駆け抜けた。結界魔法による高度封印ーーー……、触れるだけで対象を拒絶し、雷撃で貫き殺すという恐ろしい結界だ。
だが、やはりと述べるべきか、彼は当然のように無傷であった。どころか口端を僅かに緩め、無表情の中に微かな微笑みさえ見せていた。彼女達の足掻きを楽しんいるかのような、微笑みさえ。
「面白い……」