【プロローグB】
【プロローグB】
「げぼっはぁ!!」
陽光射す外とは違い、青白く薄気味悪い灯りが照らす奇妙な遺跡の中。
とある男は大量の砂を吐き出しながら、流砂の波からその体を這い出した。しかし細かすぎる砂は髪の毛や衣類の中、果ては爪の先から鼻の穴にまで入っており、彼は何度も何度も噎せ返るハメになる。
――――ちなみに今し方彼が這い出てきた流砂だが、とある研究者の言葉を持って『最も日照りの強い場所では溶岩の熱量すら凌駕する』と言われたものなのだが、この男に到ってはそんな事実よりも、先刻、砂の海に沈みゆく自分を早々に見捨てた仲間に対する怒りの方が余ほど大きいようだ。
「ったく、覚えてろよアイツ等……! ぜってー生きて帰って逆襲してやっからな……!!」
まぁそれも逆恨み甚だしいのだが、この男にそんな事を考える頭などなく。
しかしそんな頭でも今ここが何処なのかを考えることぐらいはできたらしい。いや、この明らかに人工的な、それでいて超常的な床や壁、果ては眼前に連なる幾多の巨像と凱旋の階段ーーー……、まるで祭事が執り行われるために存在しているかのような場所を見れば嫌でも考えようというものだ。
尤も、その考えのために仲間への恨みがキレイサッパリ吹っ飛んでしまうのが、やはり残念なところなのだけれど。
「……俺ァ確か流砂に流されたんだよな? そんでいったい何処まで流されてきたんだ? 何処かの町ってフウじゃァねェよなァ」
こつり。男は取り敢えず何気なく歩み出し、階段を進んでいく。
中央の祭壇に伸びる凱旋の階段は左右に幾多の巨像を従えているだけあって、何とも神々しい。此所を進むだけで一国の王になった気分すら味わえそうだ。
だと言うのに男はそんな階段にさえ砂の混じった唾を吐き捨て、悠々と先へ進んでいく。
背筋を凍らせるような青白い光も、侵入者を拒むが如く睨め付ける巨像さえも、この男には何ら興味ないのだろう。
「おーい、誰かいねェのかァー? 侵入者だぞォ-? おーい」
それにしても、その挨拶は如何なものか。
「チッ、誰もいねェのかよ……。つまんねェなァ。腹減ったしどっか飯ねェかなァ? 最近はフォールも見付からねェしよォ~、あ゛ー、何か面白いことねーかなァ……」
どうにもお暇な様子の彼は、ざりざりと幾何学的な地面に剣を擦りつつ、凱旋階段の先にある一本道の通路を進んでいく。
左右は口腔のように開け広げられた漆黒の穴が構えており、蒼白い光でさえ底は見えない。きっと煉獄に繋がっていると言われたなら、誰もが信じてしまうだろう。
けれど、やはり、男の興味がそちらに向くことはない。どころか頭の中にいるもやっとしたフォール像に向けられるばかりだーーー……、が。
さしもの男も、その光景を前に足を止めることになる。誰だって、どんな生き物だって、それを前に足を止めることになる。
その、本能に語りかけてくるように絶対的な壁画を前に、必ず。
「……ンだァ、こりゃア」
壁面に移るのは、その男は当然として、恐らく並の考古学者でさえ理解できないような内容だった。
しかしそれでも誰もが絶句する。その壁画は余りに美しく、神々しく、そして尊い。
純白の光放つ女神とその元で黄金の刃を掲げる人間、そしてそれに立ち向かう悪しき闇を纏いし数多の邪悪と、それらを率いる四つの影。そして何よりも恐ろしいのは影すら飲み込まんばかりに悍ましい深淵の姿。
指を掲げればそのまま魂が吸い出されてしまいそうなほどに悍ましい、深淵の形だ。
「……ありゃ、何だ? 何かの物語か?」
男は天辺から順に目で追っていくが、端から続く幾重もの段は全て同じような内容だった。
神々しき女神がいて、その光を受ける人間がいて、幾千の邪悪を率いる四つの影と、それすら飲み込む漆黒の深淵。細部こそ違うが、大凡ただ一つの絵が十、いや二十ほど右端から左端に向かって描かれている。最後の方は何故か描きかけで止まっているが、きっと内容は同じだろう。
だが、男の視線はそこにはなかった。むしろ一番始めからずっと、女神の栄光を受ける人間と、その周りに向けられている。
人間の絵自体に興味があるわけではない。ただその周りに描かれた兜と鎧と脚具、そして五つの壺、大剣、水晶、鍵、盾の神具が酷く気に掛かったのだ。
「……あの兜、カネダが持ってる奴じゃねェか?」
男はその兜に見覚えがあった。いや、つい昨日だって眼にしたはずだ。
仲間の一人がお宝だ何だと大切にしているあの兜だ。あんな特徴的な形、見間違えるわけがない。
いいや、さらに言えばあの人物が掲げている剣も見覚えがある。確かアレは、聖剣だとか何とかいう剣だ、と。
「カネダが欠片を保管してたな……。いつか売るとか修繕してやるとか抜かしてたが……、つまりこれは何か? 聖剣の歴史か? いや、あの兜もあるから違うな。実はあの兜スゲェ装備だったのか? ただのうす汚ねェ兜だと思ってたんだが……、あと変な匂いするしな」
男は端から順に視線を流していくが、ふとその目が中央辺りで停止する。
と言うのも、彼が進む一本道の先に奇妙な光の柱があり、その中央に何か、円形と長方形の重なった紋章があったのだ。それだけならば何かの証だろうということで男も無視したかも知れないが、その証の中心がどうにもぽっかりと穴を開けているではないか。
何か、そう。鍵だろうか。恐らく鍵が刺さっていたのだろうが、それが引っこ抜かれている。解錠されているのか施錠されているのかは解らないが、まぁ、引っこ抜かれている。
「宝箱ってワケでもねェだろうに、何だこりゃ? ここに突っ込めば何かあるのか? 剣、じゃァ駄目だよなぁ。落ちてねェか? そこらに鍵……。チッ、ねェな。つまんねーの」
男は紋章を無視して先へ進む。通路はようやく別の入り口に辿り着き、新たな道を指し示していた。
しかし、その瞬間だった。男は獣の様に全身の毛を逆立たせると、刃で壁面を切り裂くが如く鋭い眼光を忍ばせる。
何故かなどと問うまでもない。求め欲す男の匂いを感じたーーー……、気がしたからだ。
「……気のせいか? いや、今のは確かに。だがもう匂いはしねェな。その代わり、何だ、何か変な匂いすんな。これ、獣くせェみてーな、もっと、あの兜てェな。何だこれ?」
疑問に重なる疑問。熱砂を流れてきた男の頭の中で幾つもの疑問が交錯する。
しかし、そんな疑問もやはり流れるのだ。彼が味わった流砂よりも容易く、流れていくのだ。
背後より迫る巨像、いいや、巨像に扮していた数十体の巨人の群れによって。
「なァンだ……。いるんじゃねェか」
彼は刃を振るい、轟音が遺跡中の砂塵を舞い立たせる。
その砂塵はある場所で勇者と一人の女に降り注ぎ、ある場所で六人の調査隊に降り注ぎ、ある場所で刃を振るう男に降り注ぐ。
彼等の思惑、目的、道程が重なることはあるのだろうか。その刃が交わることも、この太古の遺跡の謎を解き明かすことも、あるのだろうか。
それを知る者はいない。この遺跡の謎を知る者もいない。そう、この遺跡の存在を知る者さえ現代にはーーー……、いるはずなどないのだから。
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