【エピローグ】
【エピローグ】
「…………こう、か」
フォールの指先が壁に触れるとその部分から放射線状に光が拡がり、つい先刻まで漆黒を貫いていた一面が瞬く間に分裂して通路と変貌した。広がり方と言いこの仕組みと言い、やはり現代の技術では説明が付かない事象だ。
どうにもここはダンジョン程度のものではないらしい。遺跡、それも超古代技術を有する太古の奇蹟だ。
遙か彼方に失われた技術力を未だ奇跡的な保存状態で現存させる古代の生き字引。一歩歩むごとに向こう百年を知り尽くした歴史家が垂涎するほどの超常存在が顔を出す。
ここは、恐らく今まで訪れてきたどんな場所よりも奇異で奇っ怪なーーー……、そんな存在なのだろう。
「えへ、えへへ……、うひっ。ローはさいきょー……」
まぁ、フォールの頭は今その歴史家達が零す涎の数倍はある量を受け止めているところなのだけれど。
「……起きろ、ロー。俺の頭を寝枕にするんじゃない」
「うるへー、ローがさいきょうなんらろ……」
「やめろ、俺の髪を食むな。……全く、案内しろと言ったのにコレだ。本当に方向はこちらで合ってるんだろうな?」
現在、フォールとローが交換条件を交わし、あの場所から出発して一時間。いや、日も差し込まず時計もないこの遺跡では正確な時間など解らないが、フォールの体感時間からして恐らく一時間と言ったところだ。
その間にも先程の壁面に現れた扉のように、そして今歩いている空中階段のように、とても現代技術では説明しきれないようなオーバーテクノロジーに数多く出くわした。空中を自在に移動する球体だとか、空から降り注ぐように吊された長方形の飾りだとか、手を翳すだけで灯る青い光だとか。
――――いやはや全く、魔道駆輪の操作と修繕程度の知識しかないことが悔やまれる。
もっと専門的なものがあればこの遺跡の仕掛けを解析できただろうに。いや、こんな不気味な光を解析しようとは思わないが、知識として取り入れる分には悪くないという話だ。
「……不気味? 別に不気味でもないが、何故そう思った?」
フォールはとんちんかんな自問自答を行いながらも、頭の上から垂れてくる異臭つきの涎を鬱陶しそうに振り払う。と言うより、その涎と一緒に疑問まで振り払ってしまう。
無理もあるまい。何せこのローの涎、半端なく臭い。ナマモノの腐った匂いだとか廃棄物的なだとかシャルナの汗臭さだとかそういう部類の臭さではなく、何と言うか、本能的に訴えてくるような臭さだ。
「ロー、貴様には後で本物の食生活というものを教えてやる……。あと歯磨きとうがいものだ……! 序でに洗髪と洗顔、全身隈なく洗浄し尽くしてやろう……」
「にゃひひ……、あむあむ……」
「あと序でにその寝しゃぶりの癖も強制してやる……。ク、クク、あの阿呆共より手間が掛かる存在がいるとはな……!」
もうそろそろ疲労とストレスのせいでおかしい事になってるフォールだが、それは兎も角。
長く、数千段は続いたであろう天空廻廊を抜けた彼を待ち受けていたのは複雑な迷宮のように枝分かれする通路だった。各方面、遠慮無しに伸びているものだから遭難するに事欠かない構造であるのは一目で理解できる。下手に歩めばそれだけで方向感覚も容易く途切れることだろう。
今、こういう時にこそ案内役が必要なのだ。主に背中で寝イビキを掻く、この頭スッカラカンな女のような。
「……また鼻にアレを突っ込んで」
「にゃひっ!? お、起きてる! ロー、起きてる!!」
フォール、操作の仕方を覚え始めたようです。
「ロー、ここが貴様の活躍所だ。この複雑な迷路の正解を教えてくれ。俺では進む方向すら解らん」
「にひっ、ローに頼る? ロー、スゲーからな! ローが最強だからな!!」
「……そうだな。で、正しい道は?」
「鼻が使えねぇから解んねぇああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
これが勇者流洗礼、ヘッドアイアンクローである。
「何のために……、貴様を連れて来たと……」
「鼻が使えないのはお前のせいだろーっ! ロー道知らないもん!! いつも仲間の匂いで戻ってるんだもん!! でもそこに行けば思い出せるかなって思ってぇーっ! ロー悪くねぇ!! っくしゅん!!」
「解った、解ったから涙と一緒に怒鳴り散らすな……。あと鼻をかめ」
ちーんっ!
「せめて手掛かりぐらいはないのか。あっちの道を行っていたとか、こっちの道を行っていたとか……」
フォールはローを定位置、もとい自身の頭の上に戻しつつ問い掛けた。
しかし彼女は何とも気難しそうな、饅頭のようにもっちりした頬を膨らませるばかりで。
「ここな、いっつも道変わるんだ! 鼻が使えない奴は外に出ちゃいけないって決まりなんだぞ。これローが決めたんだ! ここで迷子になったら出られなくなっちまうからな!! どうだ、ロー頭良いだろ!?」
「……今の俺達が迷子なんだが」
「お、お前どうすんだよぉーっ!!」
「…………」
耐えろ、耐えるのだフォール。
抜剣は、抜剣はマズい。
「……仕方あるまい。こうなっては貴様の鼻が回復するまで闇雲に進むしかないな。何、建物で通路がある以上は通ることが目的として作られているはずだ。奇々怪々な作りではあるが、どうやら侵入者迎撃用のダンジョンというわけではないらしい。つまり人が生活するための構造というわけだな。であれば順路を知らずに迷うことはあっても、何度も行き止まりに当たるような構造ではないはずだ。最悪、壁際まで辿り着ければ右回りに向かえば良い」
「……お、おう? おう!」
「……………………早く貴様の鼻が治れば良いな、という話だ」
「おうっ! お前良い奴だなー!!」
じゃれつくようにフォールの頭へ顎を擦り付けるロー。
フォールはそんな彼女に何度目か解らない呆れのため息を零しながらも、さらに道を進んでいく。
相変わらず先刻から続く漆黒と幾何学模様の刻まれた壁面と足元を照らす蒼白い光は背筋を震わせるおぞましさを思わせるが、その程度で揺らぐ彼の足取りではない。
いや、何故だろう。それどころかフォールは己の指先が焦り付くような感触を覚えていた。まるで焚き火に手を翳した瞬間のような感触だ。高揚とも恐怖とも違う、感触。
これは、既視感と呼べるかも知れない。ただの既視感ではなく、もっと、何か、深いーーー……。
「なぁなぁ、そう言えばロー、お前の名前知んねぇ!!」
「……名前? 名乗って、いいや、例え名乗っていたとしても貴様ならば忘れそうだな」
「名前は忘れねーぞ! ローそこまで馬鹿じゃねぇ!! 仲間はもちろん、一度聞いた名前だって忘れない!! ローはな、仲間は大切にするんだ!!」
「ふむ……、では名乗っておこう。俺はフォールだ」
「フォールか! ローはな、ローだ!! お前良い奴だからな、良い奴はフォールだ!! お前ローの嫁にしてやっても良いぞ! ローは群れのヌシだからな、嫁になったらお前アレだぞ、スゲーんだぞ! エサいっぱい食べられるんだぞ!! あと寝床も藁の上だ! スゲーぞ、この砂漠で藁は貴重なんだぞ!!」
「……それは有り難いが、言うなら貴様の嫁ではなく婿じゃないのか」
「むっ、婿……! 婿なんて恥ずかしいこと言うヤツだなオメー! そういうのはなー! 段階を踏んでからってローの友達が教えてくれたぞー! 変態! 馬鹿! 馬鹿!! はれんち!! お前とんでもない変態だーっ!!」
「解らん。…………全く解ら、おいやめろ、俺の髪を噛むな。千切るな。痛いだろう、おい」
こつり。フォールの革靴が一本目の通路を踏み終えると、その先に五つの分かれ道が現れる。
彼は暫くどれにしようかと悩んだが、一番右の方向を選択した。決して頭上の牙を避けたら頭が右側に向いたからとかいう適当な理由ではない。
「グルルルルル……! シスベシ、シスベシ!! 変態シスベシ!! ホロビローーーッ!!」
「それに関しては全くの同意だ。だが俺は変態ではない。良い奴だ」
「良い奴……、フォール! お前がフォール!! ローはクール!! お前はフール!!」
「ラップを刻むんじゃない。どうしてそう無駄な知識は持っているんだ。……これならまだ通路の一本ぐらい覚えていてくれた方が余程やりやすいと言うのに」
「生きるのは必要な知識があれば楽だけど、無駄な知識があった方が楽しいんだぞ!!」
「チッ、同意できてしまうのがくやしい。……飴をやろう」
「うめー!」
実は割とお似合いなんじゃないだろうか、この二人。
などと言っている間にも、またフォールの前には数本の分かれ道が現れ、その先へ進めばまた分かれ道で、どう足掻いても分かれ道。一定の方向を目指しているはずではあるのだが、壁どころか分かれ道さえなくならない始末。どんな迷宮だってここまで意地の悪い構造にはなるまい。
「……目印が必要だな。ロー、何か目印は」
「ローこの布邪魔だから要らない! やる!!」
「そうか、それは服と言うんだ。使うのなら俺の服を使うから、貴様は着ておけ」
「脱ぐのか!? 脱ぐのは変態なんだぞ!! 脱ぐのは目出度い日だけで良いってローの友達が言ってたぞ!! あと自分と合った日は目出度いからいつでも脱げとも言ってた!!」
「……その友達とやらとは早めに縁を切ることをオススメする」
瞬間、頭に一人の変態が過ぎったが、フォールは敢えてこれをスルー。
「じゃあさ、ローはいっぱい友達いるけど、フォールは友達いないのかー?」
!!ああっと!!
「…………い、いる」
「いないだろー! 嘘付いてるなおまえーー-っ!」
これはいけない。地雷の上でタップダンスとは正にこのこと。
忘れがちだが勇者にぼっちは禁句でーーー……。
「だからなー、ローが友達になってやっても良いぞ! お前が嫁になるならもっと良いぞ!! ローは仲間と友達の名前は忘れないからな、フォールの名前も忘れない! お前が友達って事は絶対に忘れないぞ!! お前良い奴だから、ローが友達になってやるからな!」
「…………飴をやろう」
「え、また? お前ホント良い奴だなー!! うしゃ、うしゃしゃっ。頭撫でてくれるのかぁ? うしゃ、シシシシシシシシシシッ!!」
ご想像いただきたい。
日々連日、手間の掛かる連中の世話を繰り返す苦労を。朝は誰よりも早く起きて夜は誰よりも遅く寝て、食材調達や財政管理などを一手に担い、毎日勤勉に祈ることを繰り返せど欲し求める神の御姿を見えない無念を。息抜きに木彫りのスライム神像を大量生産して町で売っていたらヤバい狂信者扱いされて職務質問を受ける日々をーーー……。
いや最後に到っては正しくその通りなのだが、フォールはとても疲弊していた。相変わらず無表情なので解りづらいが、彼は癒やしを求めていたのだ。そう、かつてのエレナや太郎のようなオアシスを求めているのである。
「…………」
「何だお前泣いてんのかー? ローがよしよししてやろうかー? あ、でも腕ないから脚でだな!! でもとどかねーから顎でだな!!」
「……飴をやろう」
「またか? 二個だ、二個もあるぞ! うわはははははははははははは!!」
フォールは涙流れぬ、然れどとても悲しき瞳を掌で覆い隠す。
もしかして自分に最も必要なのはこの無邪気さだったのではないだろうか、と。
「……む」
と、そんな悲しみも不穏により一瞬で引っ込んでしまう。
何を感じたのか、この青き光に感じるようなおぞましさなのか。フォールは直ぐさま身を壁際に寄せ、曲がり角と曲がり角の死角に当たる部分へ身を隠す。ローは何事かと彼の名を呼んだが、答えが返ってくることはない。
いや、彼の言葉で返って来ることはなかっただけだ。それは、巨人の足音という形で帰って来たのだから。
「……奴等だな、貴様が言う縄張りを荒らす敵だ。先ほど遭遇したのとは別個体のようだが、数が多い。六体もいるのか」
「あーっ! アイツ、アイツの腰にローのうむぐぐぐぐぐぐぐぐぐ!!」
「黙れ。大声で威嚇するには場所が悪い」
フォールの制止に対し、ローはそれでも暴れ続ける。どうやら何かを指差しながら叫ぼうとしているようだ。
尤も、そちらへ視線を向ければ嫌でも答えは解る。六体の巨人の内、細長い体をした中心の一体が腰に巻くバンクルに奇妙な機械が二本押し込まれている。それが腕のような形、延いてはローの言う義手であると判別するのに時間は掛からなかった。
「……あの義手、ここと同じ物質じゃないのか」
「スゲーだろ!? でもアイツが盗った!! ロー、取り返してくる!!」
「待て。取り返すのは良いが今はまだ手を出すな」
「何でだ!? 逃げちゃうぞ!!」
「だから逃がすんだ。いや、泳がせると言うべきか……。考えてもみろ、奴等は闇雲に歩き回ってるわけじゃない。隊列を組み、集団で一定の方向へ向かって歩いている。つまり奴等は巡回しているんだ。そして巡回しているという事は、必ず何か意味のあるものを守っているということでもある」
「……な、なるほどな!?」
「解ってないなら無理に返事しなくて良いぞ。……さて、奴等の後を着けるとしよう。少なくとも大迷宮を闇雲に歩き回るよりは効率が良いはずだ」
「おー! じゃあロー、しばらく我慢する!! ギシューな、義手か! 義手我慢するぞ!!」
「偉いな。後でまた飴をやろう」
「うへへへへへへへへ! 甘いの、甘いのくれっ!!」
こうして、フォールとローの二人は巡回する六人の巨人を追って迷路の中を進んでいく。
しかし、そんな最中でもフォールはとある事を気に掛けていた。ローの隣である手前、口には出さないがほぼ確信的な出来事を、だ。
――――奴等の体躯を構成する物質は、どう見てもこの遺跡を構築するものと同じ物質だ。つまり奴等はこの遺跡に元から居る、或いは設置された警備役と考えられる。
しかしローはここを自身の縄張りで、奴等が突然攻めて来たと口にする。元からいる巨人が攻めてくるというのは土台おかしな話だが、それはきっと正しいのだろう。
「……確かにこの縄張りはローのものだ。だが、あの巨人もまたこの遺跡に元からいたのだろう」
起動せずにただ、何処かで巨像か、それとも何かの一部としてかは解らないが、奴等は元々この遺跡に存在していたのだ。あの生物さの欠片もない、この遺跡と全く同じ材質を見れば奴等が遺跡の一部であることは嫌でも解る。
そして巨人は何らかの要因で目覚め、ローとその群れを攻撃した。ローはそれを群れを襲う奴らとして認識している、ということか。
「……だが」
あの巨人が目覚めた、その何らかの要因。つまり奴等が目覚めた切っ掛けがあるということは、裏を返せばそれを封じる手もまたあるということ。
それさえ判明すればーーー……、或いは。
「この遺跡……、解明する必要があ」
「ところでロー、しっこしたい! ここでして良いか!?」
「やめろ殺すぞ」
まぁ、遺跡の謎よりも前にまずこの獣娘の扱い方から覚えるべきだろう。
フォールは未だ絶えぬ気苦労に眉根を顰めつつも、地鳴りと共に歩みゆく巨人の背中を追うのであった。




