【5】
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「き、機嫌直してくださいよぅ……」
風呂上がりでほかほか湯気を立たせる魔王リゼラと聖女ルーティア。しかし、魔王の顔はむすっと膨れ上がり、不機嫌さを突き付けるように口を尖らせていた。
流石にバターのことは悪いと思ったのだろう、聖女は何度も頭を下げながら、彼女にお詫び代わりのシャーベットを差し出す。この森の木の実や獣の乳で創り出した、お手製のシャーベットである。
バターは使われているのかと怪訝そうに聖女を睨みながらも、魔王はそれを一口。
「う、美味いっ……」
どうやら機嫌は治ったようで。
安上がりなことこの上ない。
「フフ、良かったです、喜んで貰えて。私も食べようかしら」
「や、やらん、やらんぞ! これ妾のだもん!!」
「じ、自分の分もありますから落ち着いて……」
シャーベットを抱え込みながら一気に掻き込む魔王リゼラ。
その結果は当然、頭を抱えて呻き回るハメになった。
「あ、あぁもう、一気に食べるから……」
と、そんなやり取りを経て。
シャーベットの器が空になり、そこへ木製のスプーンが転がった頃。魔王リゼラの頭痛が止まり、水っぽくなったシャーベットを飲み干した頃。ようやく彼女達は本題へと入っていった。
それはこの森について、である。
「それで聖女よ。この森はいったい何なのだ? 御主はどうしてこんな場所にいる? 救うとか何とか言ってたが、あれはどういう意味だ?」
「……仕方ありません。この森について語る時が来たようです」
そこはかとなくイラッとするドヤ顔を浮かべながら、彼女はふふんと鼻を鳴らした。
「伊達に長年この森にいませんから、貴方達が奥地に入ってきたという異変は感じ取っていました。何か、数時間ほど前から森全体がざわめくような異変を、です。……まぁ、それを調べようとしたら轢かれたわけですが」
「マジすまんかった」
「大丈夫です、赦します。聖女ですから」
ドヤァ。
「うわ腹立つ」
「まぁ、それは兎も角。この森に関しては先ほど言っていた通り、木々に秘密があります。まぁ、勇者フォールのような力業をされると何とも言えませんが……」
「アイツは頭おかしいから放置で。しかし、あの男が道を開いても御主は出ようとはしなかった。それには理由があるのではないか? そして、それが御主を救うという理由にも繋がっているのでは、と妾は考えるが……」
「……それは」
ぐっ、と。彼女は押し黙ってしまった。
きっと彼女には彼女なりの、何か深い理由があるのだろう。女神の血を取り込んだ経緯からして、決して軽いものではないと思う。
故に魔王リゼラは喋りたくなければ喋らずとも良い、と彼女の表情を小さな掌で遮った。
「取り敢えず、まぁ、森から脱するには脱することができるのだ。あの馬鹿が木々を丸々引っぺがしたしな」
魔王はスタスタと扉まで歩いて行くと、どうぞご覧下さいと言わんばかりにそれを開け放った。
そこから見えるのは真っ暗な光景、ではなく。勇者によって『爆炎の火山』まで開けた森の姿、でもなく。
「この道を行け……ば…………」
半透明の化け物がそこにいた。扉から見える光景全てを埋め尽くすほどの、しかし奥の闇が見えるほど透き濁った、どろどろに溶けた人間のような半透明の化け物がそこにいたのだ。幽霊と例えるのが何より正しいだろう。幽霊のーーー……、軍勢と。
それらは扉が開け放たれた瞬間、ぐるん、と有り得ない角度で首を傾け、抉れた眼や腐り落ちた双眸をこちらへと向けてきた。
「…………」
「…………」
魔王はそっと扉を閉める。木造のボロ扉が軋みながら外と内を遮断した。
「…………」
「……えーっと」
「気のせいであろ、うん」
もう一度開くと、こちらに飛び掛かってくる化け物共が見えた。
魔王は全力で扉を閉め、背中で押さえつける。その華奢な体に幾度となく衝撃が奔り、扉が軋み出すのに一秒と掛かることはなかった。
「そうだ、籠城しよう」
震え声と涙目と。
ともあれ、こうして聖女と魔王の籠城策戦が始まった。
窓を打ち付け扉の前に机だの椅子だのを積み上げたり、と。このボロ屋が幽霊達の猛攻に耐えきれるとも思えないが、気休め程度の処置でも何もしないよりかはマシだろう。
だが、問題は外部の化け物ばかりではない。獅子身中の虫というわけでもないが、敵は常に身内にいるものだ。
もっともーーー……。
「何ですかあれぇえええ……」
今回の場合は役立たずとして、だが。
「何で御主知らねぇんだよ!?」
「初めて見ました幽霊やだぁあああ……」
「数分前のドヤ顔は何処に行った! 何か『沈黙の森』知り尽くしてる的なこと言とったじゃろ!?」
「ピクの実が美味しいです……」
「その程度でドヤ顔してたの!? い、いや待て、そもそもあの化け物共と御主は何か関係あるんじゃないのか!? この森にいる重い過去とかそういうので!!」
「婚活失敗して……、聖女とか重いって言われて……」
「確かに重い過去だけどもそっちの意味じゃねぇッ!!」
「り、リゼラは私を捨てませんよね? 一緒にいてくれますよね!?」
「重い重い重い! 御主振られたの絶対それが原因だってば!!」
などと思いの外しょうもない理由を言い合う暇もなく、半透明の腕が窓を突き破る。
魔王リゼラと聖女ルーティアは互いに抱き付いて悲鳴を上げ、部屋の隅へと高速で退避していった。
だが、そんな彼女達を追い詰めるように化け物共は窓や扉など脆い部分から次第に侵入してくる。ぞろぞろと、ぞろぞろと。
そして、一瞬の内に平穏の室内は透明の腕が蠢き這いずる恐怖の籠と化していた。
「「ぎゃああああああああああああああああああああああああ!!」」
魔王が初級魔法を放つ放つ、聖女が手元のものを投げる投げる。
飛び交う火炎、雷撃、ナイフ、フォーク、食器、ランプ、バター、etcetcーーー……。決して強力ではないが、ボロ小屋一つ吹っ飛ばすには充分な衝撃が交差した。
だが、それは裏目である。奴らを遠ざける為の衝撃は、逆に奴らを阻む壁や扉を吹っ飛ばし、余計に数を増やしてしまった。
しかし半狂乱で暴れ回る二人にそんな事が解るはずもない。気付けば這い寄る腕ばかりだった光景が、なだれ込む半透明の軍勢と化していた。ババアインパクトならぬバターインパクトである。
「く、くそっ! どうしてコイツ等には攻撃が効かぬ!? ゾンビ種やゴースト種ならダメージがあるはずじゃろ!?」
「そ、そもそも、ゾンビ種やゴースト種は供養されなかった人間の魂が初代魔王カルデアの呪いでそうなるんです! 数百年近く人間なんていないし、こんなに湧くわけがありませんよぅ!!」
「だが現に目の前にいるではないかぁ!? 触れれば魂を抜かれ、肉を腐らせる化け物共が!!」
「そうですけど……! あ、ゾンビ種やゴースト種なら魂だけなら聖なる加護を受けた、若しくは自然の生命が宿った炎で清められるはずでは!? あとお塩とか聖水とか!! 清められますか!?」
「そうだった、よし!!」
意気揚々と歩み出た魔王は両腕を交差する。
覚悟せよ愚か者どもめ、頂なる妾に襲い掛かったことを後悔させてやる、とーーー……。
「…………」
そして、静かに、停止。彼女は数秒の沈黙を持ってゆっくりと聖女の隣へ戻ってきた。
そしてどっこいしょと膝を突いて抱えると、どうしようもねぇと言わんばかりに瞳へと涙を浮かべあげる。
「……そもそも魔王だから『聖なる』とか猛毒だったわ」
「だったらどうしようもないじゃないですかぁ!!」
「うるせぇ第一あんな何千体も迫って来られて為す術など……! い、いや待て! 方法はあるぞ!!」
「ど、どんな!?」
「御主ちょっとバター使って聖水出せ、聖水! 側近が言うとったぞ、女の小便は」
「それ効果あるのは一部の特殊な人だけです悪い意味で!!」
さらに熾烈を極める攻防戦。化け物共を儚い抵抗で弾いては迫られ、弾いては迫られ。じりじりと彼女達の防衛ラインは後退していった。
元より部屋の隅に逃げ込んだことが状況を悪化させているのだが、もうそんな事をとやかく言っている暇はない。さらに下がれば地下への階段があるのだが、そんなところに逃げ込めば文字通り袋の鼠である。
「聖女ぉおおおおおーーーーーーーーーッッ! 何とかしろぉおおおおーーーーーー!! 何か聖なるパワーとか持ってないのか御主ぃいいいいいいいーーーーーー!!!」
「聖なるパワーは聖なるパワーでも物理タイプなんです私ぃいい! でも、もう何年もそんなのやってなくてぇっ!!」
「ちくしょぉおおーーーー! 手詰まりじゃないかぁあーーーっ!! だからこんな森に入りたくなかったのだ妾はぁーーーーーーーっっっ!!」
けたたましい金切り声と共に蹲る魔王リゼラと聖女ルーティア。
もう駄目だ、自分達はこの化け物に喰い殺されてしまうのだ、と。か弱きこの体を弄ばれつつ憑依されて何かエロいことさせられながらゆっくりと衰弱死させられるのだ、と。
そんな、頬に涙流しながら怯える彼女達ーーー……、であったが、その耳をつんざく轟音があった。
「ま……、まさか!」
そうだ、奴がいる。飛び出していったあの馬鹿がいる。
勇者フォール。敵に回せばマジキチ野郎で味方にすればトンデモ野郎だが、今この窮地を脱するには奴の存在が救いの神にさえ見えてくるではないか!
あの男ならば幽霊なんかモノともせずに軽くぶっ飛ばすだろう。そうだ、奴が、奴が来てくれたのだ!
「勇、し、ぁーー……」
彼女達の視界に映ったのは魔道駆輪で化け物を薙ぎ倒す男の姿だった。
心なしか何処か楽しそうに見える。と言うか絶対楽しんでる。バックカーブとかウィリー走行とか決めながら化け物共を轢き殺している。真顔で。
化け物より人間の方が怖いというのは狂ってるから怖いのだ。なるほどよく解りました。
「…………」
そして目の前の化け物も薙ぎ倒して、到着。
それはもう見事なドリフトだった。魔王と聖女の鼻先を車体が擦るほど見事なドリフト停車だった。
二人はただ、そんな光景に半笑いになりながら。
「何をしている。乗れ」
サイコパス野郎の指示に従うしか、ないのであった。




