【3】
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「…………」
しっかりとスーツ姿で決めた、初老の男性。彼はこの『知識の大樹』で十数年ほど公的に務めているベテランの面接官である。
その眼は様々な学徒や研究者を見て来た。その数たるや数千を超えて数万人に上り、学徒や研究者達ばかりか同僚までもが彼を『鬼の面接官』と畏れ呼ぶ、凄まじい観察眼を持つ男である。彼に掛かれば薄っぺらい嘘など立ち所に見破られ、鋭い指摘でその者を追い詰める。またその観察眼と指摘力もさることながら、ただ座り見つめるだけで赤子を失禁させたという伝説さえ持つとか何とか。
さて、そんな男は今日この頃、とある場所への入場可能かどうかを認定する面接を行っているわけだが、どうにもその表情にいつも通りの厳格さが見えない。あるとすれば困惑の色一辺倒である。
そりゃそうだろう。受験服を来ていて満面の笑みで、姿勢はちょっと悪いがキッチリ背筋も伸ばした男が目の前にいるのだから。
あと序でに言えば、帯剣していて明らかに数百人は殺ってる笑い方でそこはかとなく血の臭いがする男が、目の前にいるのだから。
「……君、本当に学生?」
「そッス。学生ッス」
「そう……」
面接書を見て見れば、いや確かに彼ほどの年齢なのだが、学問一辺倒の真面目な学生であると自己アピール覧に書かれている。運動経験は殆どない、と。
――――その割には肉体が骨肉隆々だし指先はゴツゴツしてるし何より凶悪な顔だしーーー……、いや良くない。頭ごなしに疑うのは良くない。まずは確かめることからだ。
「それではですね、これより大図書館勤務の面接を始めます。……成る程、貴方は樹木マークをお持ちですか。習得は大変だったでしょう」
「おう、そりゃまァ?」
「ではその時の苦労した経験をお話ください」
「大変だった」
「…………」
「……あ、頑張った!?」
「…………では次に行きます」
ベテランは狼狽えない。
「では、そうですね。次の話に移りますが、資格はお持ちですか?」
「死角? 特にありません無敵で……、いやでも作っといた方が楽しいと思うッス」
「はい結構です次の話題に移ります」
ベテランは狼狽え、うろ、狼狽えない。
「…………特技とか」
「イオナズ」
「帰れよ」
そりゃ狼狽えるわ。
と言う訳で部屋の外に放り出されたメタルを待っていたのは、フォールの『この役立たずが』と言わんばかりな視線だった。
いやしかし、確かにメタルの受け答えとか言葉使いも論外だったが彼も頑張ったのだ。責めるというのは少々酷な話でーーー……。
「だから特技で例のモノを言えと……」
「言ったら追い出されたんだけど」
大体勇者のせいである。
「しっかしよォ、こんな回りくどいコトする必要あンのかァ? エスマールは第二層より上の図書館にいンのはここに来るまでの聞き込みで解ったし、上層へ入るための許可証も手に入れた。だがそもそもンな面倒臭い聞き込みだの許可だのせずに突撃すりゃァ良だけの話じゃねェかよ」
「……アレは聞き込みというよりはカツアゲだったが。いや、それは好ましくない。と言うのもこれより上層は世界的に貴重な書物が収められている階層になっている。無論、その分だけ憲兵の数も多いし練度も高くなるだろう。それに上へ行けば行くほど逃げ場がなくなるのに、ここまでの計画を用意したエスマールが何の手も打っていないとは考えにくい」
「全部ブッ壊しゃァ良いじゃねーか」
「それを脳筋と言うのだ。騒ぎに紛れて逃げられてみろ、相手の慢心がなくなればこちらに勝機はない」
「かーっ! 小難しいこと考えるガキだな。単純に行こうぜ、単純によォ!!」
「単純なのは貴様の脳細胞だけで充分だ。……しかし困ったな、貴様が面接を乗り越えて合格証を貰えれば安全に上の階層へ迎えたものを。これでは強行突破しかない」
「やっぱそうなるだろ? ……というか待て、別にお前が面接受けても良かっただろ。何で俺なんだ」
「…………笑顔が大事と聞いたのでな」
「お、おう……、キニスンナ……?」
なお、かつて皆が寝静まった深夜に湖の水面で笑顔の練習をしていたら、たまたま起きてきたリゼラがそれを目撃。
彼女は半日ほど発狂することになり、意識を取り戻したのは三日後だったとか何とか。
「……で、だ。話は逸れたが要するに今から突撃するンだろ? そろそろこのヒラヒラした受験服もメンドーになってきたし、脱いで良いか? 突撃するンだからこんなモン邪魔だろ」
「いや、その服はまだ着ておけ。そもそも突撃するにしてもやり方というものがある。真正面から突撃するのか背後から突撃するのか、奇襲を掛けるのか奇襲の足がけにするのか相手のどんな状態を狙うのかとか、やり方だけで計画が大幅に変わるもので」
「だから突撃なンだろ? 突撃は突撃じゃねーか」
「だからだな」
「突撃なら剣構えて行くより他ねーだろ。あ? 早く突撃させろよ。血みどろの闘争させろよオイ」
「ボールを前にした犬か、貴様は……」
こんな物騒なボールと犬があってたまるか。
「……第一、俺の計画に従うのだろう。身勝手な行動をされては貴様の望む闘争も得られんぞ?」
「そりゃそうだがあーだーこーだ理屈並べるのに飽きてきたンだよなァ……。つーかさっきから俺が身ィ張ってばっかじゃねーか。ちょっとはテメーも働けっつーの」
「働かせているだろう、頭を」
「あ? 頭は狙うモンだろ」
「確かに……」
確かにじゃない。
「……しかし、うむ。手法を一手に限るのも好ましくない。ここは俺自ら動き、不便を解消するとしよう」
「ほォ! 何か手があるのか!!」
「あぁ、見ていろ」
フォールはそう言うなり面接室の中へと入っていく。余りに自然な形で入ったものだから、メタルも何をするのか全く解らなかった。
まぁ彼が入って数秒ほどの会話とその後の沈黙。ゴトリという重々しい物体が落ちる音と、達成感溢れる無表情で上層への通行証を手にしてきた少年の姿を見れば、何があったかは嫌でも解るというものだが。
やりやがったよこの暗殺者。
「この手に限る」
「この手しか知らねェだろお前……」
通行許可PON☆とくれたぜ。
「何、流石に気絶させただけだが……、この通り通行証は手に入った。これが一枚あるだけでも大分変わってくる」
「そりゃ良いけどよォ。元から問題は上でどうやってエスマール共を的確にブチ殺すかだろ? ンな紙切れ一枚あってもなァ……」
「まぁ待て、見ていろ」
そう言うとフォールは面接室の前を抜けて、上層へ続く階段を駆け上がる。
相変わらず樹木の中身を切り抜いて造っているだけあって一段駆け上がるのも靴底がコツコツうるさいものだが、慣れてしまえば何と言うことはない。しかし心無しか、上に上がれば上がるほどそんな音も何処か柔らかさというか、軽々しさを含んでくる。
元より余りの大きさに忘れがちだが、この大樹も一つの木なのだ。上に行けば行くほど新しい樹皮であることは当然だし、瑞々しさも当然変わってくる。
つまるところ、この樹木の生命力は上に行くほど若さを保っている、ということか。
「……斬り甲斐なら、根っこ辺りだなァ」
尤も、そんな関心を闘争に絡める辺りどう足掻いてもこの男の頭は戦闘狂のそれなのだ。
「で? アイツはどうするつもりなんだ」
さてはて、そんな感想だの感慨だのは置いておこう。肝心なのは上層、第二層へ昇ったフォールのことだ。
第二層は第一層に比べて保管されている書物の重要度は貴重度が高く、中には数百万ルグも下らない希少本まで存在する。そのため入層できるのは研究者か彼等の助手として認可された学生、及び特定の功績を残した学生に限られる。樹木マークの学徒達はこれに含まれるらしい。
しかし、問題はそんな階層故に警備が厳しく、また許可証も一枚しか手に入れられてないことだ。研究職ならどちらかを助手と偽れるだろうが、聞き込みで手に入れた許可証は学徒のもの。そう上手く行くはずもない。
フォールはいったいどうやってこの関門を、騒ぎなく突破するつもりなのだろうか。
「アイツどーすンだ? ……いや待て解ったぜ。はっはーン、ガキの振りして、いやガキだが、何も知らねェ無邪気な感じで俺を保護者扱いしながら通り抜ける気だなァ? クカカカカ、間違いねェ。これでもあのガキと一日半近く行動してっからなァ。考えぐらい読めるっつー話だぜ。クカッ、クカカカカカッ!」
余裕の表情でお気楽な笑い声をあげるメタル。
しかし彼は知らない。自分がガキ呼ばわりする男が、そんな生易しいやり方で済むはずなどないことを。
具体的には既にガキの振りして憲兵にメタルを不審者と密告し、尚且つ『エスマール一行を取っ捕まえて殺してやる! 奴等のせいで受験に落ちた!!』と叫んでいたことを付け加え、その上『刺激すると何をしでかすか解らない。まずは穏便に別室へ移動させるべきだ』とアドバイスまでしていることを。
「……良し、完璧だな」
完璧な外道である。
なお当然、背後からメタルの困惑が聞こえてきたが気にしない。
むしろ戦力が減ったことより、爆発寸前の核弾頭を排除できた事を喜ぶべきだろう。
「まぁ、姿がバレるのも時間の問題だったしな。いつまでこの姿が保つか怪しいところだが……、エスマールに奴まで敵に回れば流石に面倒なことこの上ない」
いやまぁ実際その通りなのだが、この勇者、一応とは言え仲間を見捨てたことに対する罪悪感一切ナシ。
それどころかメタルに擦り付けた警備達が戻るまでにエスマール一行を見つけ、無力化できるかどうかまで思考を巡らせていた、が。
「ったく、そーゆー事すンならそーゆー事するって先に言えよなァ」
――――未だこの男の力量を、測れるわけもなく。
「……………………」
「オイ、結局俺にやらせといて何だその顔は。露骨に癒そうな顔すンじゃねェ」
「……やはり貴様は計算に当て嵌まらん。苦手だ」
「あ゛ー? あのな、計算計算言うがこちとらテメェに何万ルグ持ってかれたと思ってんだ! もう財布が計算どころじゃねぇよ!! ……だがまァ、こんな小せェことで怒る俺じゃアーねェ。今だって飽きてた俺を楽しませるためにやったんだろ? 気遣いの出来るガキは嫌いじゃねェぜ? ちと物足りなかったがな! クカカカカカッ!!」
「まぁ……、そういう事ならそういう事で構わないが…………、うむ……」
扱いやすいのやら、扱いにくいのやら。たぶん、扱うこと自体が間違いである。
だがしかし、結果的には鬱陶しい公的な監視の目は排除することができた。今頃はきっと別室とやらで何人もの憲兵や監視員が伸びていることだろう。
後はここに潜み、拠点としているエスマールと樹木マークの学徒達を捕縛すれば事件は解決だ。
尤も、そんなに簡単に話が進むのなら何も苦労はしないのだけれど。
「…………臭うな」
「臭う? 何がだ。貴様の体臭か」
「アホ、水浴びはちゃんとやってるわ。……そうじゃねェ、フォールに近い臭いだ」
彼の言葉に、フォールの眉根が僅かに反応する。
「……俺、いや、パピーの臭いだと?」
「違ェよ、近い臭いだ。近いだけで全くの別モン……、いや別モンってほどでもねェが違うモンだ。初めて嗅いだなァ、この臭いは。血縁とか群れとかそういうのじゃねェ、もっと根本的なモン……、だが全く違うモンでもある。なンだ、こりゃァ。初めて嗅いだなァ、面白いなァ…………!!」
カラカラと喉を鳴らすメタルと違い、彼の言葉が紡がれる度にフォーリの表情は苦々しく歪んでいった。
――――コイツの気のせいだと思いたいが、この男の直感は間違いない。それは解っている。
いやしかし、自分の臭いならばまだ一緒に過ごしてきた時間の長いリゼラやシャルナ、ルヴィリアかも知れないという予測も持てたが、近いとはいったいーーー……?
「そォら、来るぞ」
視界に映るのは、相変わらず大樹の中を刳り抜いた木々しい本棚や壁、廊下。そこを通る数多の研究者と学徒達。そして僅かな職員ばかり。
彼等の世界に映るのはいつもと変わらぬ日常だろう。受験シーズンということで少しばかり忙しくはあるものの、精々がそのぐらいだ。相変わらず本を手に取り木々の軋みに耳を添え、剥がれかけた装飾や本棚から芽吹いた小さな息吹に爪を立てる程度なのだろう。
しかし、メタルとフォールの世界に映るのはそれ等ではない。迷宮のような本棚から迫り来る、幾千幾百の幽霊どももまた、映るのだ。
「アレは……」
フォールにはその半透明な怪異に覚えがある。
かつて、『沈黙の森』で聖女ルーティアを襲ったあの化け物だ。何処から湧いたか何者なのか、全く解らない異様の大軍。あの時よりもその数は遙かに多く、漂う殺気も露骨にこちらへと向けられている。
「クカカカッ、知ってるぜ。こりゃアレだ。前座? 違う、前菜とか何とか……、コース料理とかいうアレだろ。警備共の前菜はひでェ味だったが……、コイツ等の前菜は美味いのかァ?」
「……二回も前菜が出てどうする。コース料理で考えるとスープだが、いや、あの煙のような濁りでは美味いとも思えんな」
「あ゛ー? いけるいける。獣の内臓ままで喰ってた時よかいけるいける」
「そういう問題では……、いや待て何だその喰い方は赦さんぞ。せめて火を通せ、火を」
「バッカお前、時々当たりあるんだぞ?」
「確かに鮮度は抜群だろうが……」
「いや、こう、腹にね?」
「そっちの当たりか……」
いやいや、今はそんな事を言っている場合ではない。たった今目の前からそんな腹痛事情などよりとんでもない脅威が迫ってきているのだ。他人の目には見えなくとも彼等の瞳にしっかりと映る、その脅威が。
「……兎角、あの幽霊だが、できれば触れずに殲滅したい。かつて接触したことがあるがあの時は力業で殲滅したものでな、どうにも覚えが怪しい。あの時はまだ触れても大丈夫だったが、今はどうだか解らんからな」
「そりゃテメェの話か?」
「いや? パピーの話だ」
「だったら俺にできねェわけがねェな」
「…………おい、待」
当然、止める合間など与えない。
メタルは嬉々とした表情で幽霊どもへ突っ込んでいった。幽霊どもも彼を迎えるが如く、おぞましい両手を拡げ彼へと飛び掛かる。追う者と追う者が接触した時、生まれるのは激突だ。
しかしーーー……、それを激突と呼んでも良いものか。巻き起こるのは余りに一方的な壊滅だ。
この幽霊、その名を不魂の軍という。召喚方法や付与魔力量にもよるが、遙か古代に猛威を揮った呪われた軍団にして禁忌の軍団だ。
何より、その最たるおぞましさとして挙げられるのが『接触による魂の浸蝕』である。触れることにより相手の魂を喰らい尽くすという単純明快にして災禍最悪という、かつての大戦でも人類へ危機を及ぼしたほどの能力。それに抗えるのは大魔道士とかつての勇者だけだった。
つまり、ただの人間に抗える存在ではない。特にこの計画で使われる不魂の軍は供給されている魔力の濃度からしてケタが違うのだ。抗えるわけがない、ただの人間がそんな存在とまともに衝突して、無事で済むはずがない。
「……な」
ただの、人間ならば。
「何だ、こりゃ……」
メタルは呆然と手を振っていた。ぶんぶんと、初めて靄霧を見た子供のようにぶんぶんと手を振っていた。目の前にあるもやもやを振り払って遊ぶ子供のように、無邪気に手を振っていた。
と言うか実際、彼が手を振る度にもやもやは霧散していくのだが。あの幽霊どもが悲鳴を上げて霧散し、と言うか昇天していくのだが。
「おい、面白いぞ。テメェもやってみろ」
「……いや、遠慮しておこう。…………本当に何ともないのか?」
「ない。だがまァ、スープって噛み応えないもんな。こういうモンなのかもな」
「馬鹿者、スープにも噛み応えのあるものはある」
違う、そこじゃない。
「……しかし、ふむ。この幽霊どもが発生したのは自動的な罠か、能動的な攻撃かは解らないが、状況が動いたな。恐らく気付かれたと見て良いだろう。この幽霊で時間を稼ぐ内に逃げている、と見るのが打倒だ」
「稼げてねェけど」
「そうだ、そこに勝機がある。恐らくエスマールは今悠々と逃亡準備を整えていることだろう。我々がこの大軍に飲まれ死しているとさえ侮っているかも知れない。奴がこの一連の事件で初めて見せた油断だ……、付け込まない手はない」
「つってもよォ、どうすンだ? この数の中から探すならひとっ走り行ってきてやろうか?」
「貴様なら本当にひとっ走りで済みそうだな……。いや、折角だ。ここまでチマチマしたモノで飽きただろう? 前菜、スープとくれば魚、肉と続いてメインが来る。美味いものには下準備が大切だ」
「……だったらどうすンだ?」
「そうだなーーー……。狩りは好きだろう?」
「ン? そりゃ好きだが……、何でテメェが知ってンだ」
「……まぁ、経験談というものだ」
こきりと首をならし、少年は無表情のまま近くの受付まで走っていって、子供らしい声で何かを語りかけた。
そんな様子にメタルは眉根を顰めていたが、次第に彼が何をしようとしているのかを理解し始め、その表情は悪しく歪んでいく。そりゃもう満面の笑みと言わんばかりに、歪んでいく。
「今まで姿を隠して面倒な手順を踏ませてくれたのだ。……ここからは、さぁ、こちらの反撃タイムと行こうか」
「だなァア…………!!」
これより訪れるのは虐殺などという次元ではない、狂気の権化。
災悪の勇者と最悪の傭兵が手を組んだのだ。最早、逃れられる者など何人もいるわけがない。
『どうせなら学校に因んで』とか『ハーツフルってやつだな!』とか抜かしてるハートフルボッコ連中が、まともな行いなどするわけがないのだ。
故に、狂気。最早逃げ場があの世だけである。
「ここは俺の文章力が試されるな」
「おう、そう……、いや待てテメェ何つった?」
なお無事にあの世へ逝けるどうかは、ぶっちゃけ怪しいところである!!




