【4】
【4】
「どうぞ、いらっしゃいませ」
招かれた家は、外見こそ魔女の家よろしくとんでもないほど不気味ったが、室内は逆にとても綺麗なもので。
炎灯るランプやキッチリ並べられた本棚、白っぽく清潔感と開放感溢れる壁床は全て木造だ。戸棚には皿だの食材だのが置いてあるし、よく見れば包丁まで。調味料もある。
いったいこれ程のものをどうしたのかと問えば、全て手造りなんですとにこやかに返って来た。
「ここだけじゃなく、地下には木の実や野菜の家庭菜園だとか、屋根裏には食材を溜めておく壺だとか……。あ、本は自筆なんです」
「信じられぬな……、これ程の材料を、あの森の中から、いったいどうやって……」
「時間は幾らでもありましたからね。よく探してみればあるものですよ」
驚いたな、と開いた口が塞がらない。
聖女ルーティアめは気に入らないが、この技術には感心する。この家も家具も、成る程、時間が余ったと言うにしては余りに出来過ぎている。
いったいこの女、いつからここにいるのか。聖女ルーティアの名は幾百と前から伝わっているが、まさか、ずっとーーー……?
「それにしてもあの人、とんでもないですね。勇者フォール……、でしたか」
と、魔王リゼラの思考を遮る様に聖女ルーティア。
「森があんなになるなんて思いもしませんでしたよ。桁外れというか、何というか……」
「ぬぬぅ、全くだ! 何かあればスライムスライムスライムと! もういっそスライムにでもなった方が良いのではないか! ま、どーせ一日中鏡の前から動かぬか、直ぐさま雌スライムに腰を振るだろうがな!!」
「……スライムに雌ってあるんですか?」
「……いや、ないわ」
無かった。
スライムは基本的に両性同位体である。
「だ、だがな! あぁやって好き勝手されて困るのは妾だというのに! そもそもあの男のせいで『消失の一日』が起きるわ魔王城は吹っ飛ぶわ邪龍の夢の壊れるわ!! 最悪この上ない!!」
「大変なんですねぇ……」
「全くだ! 女神の隷というのは、全くこう……!!」
で、止まる。
失言だったかとそろりそろり隣を見て見れば、何処か悲しげな聖女ルーティアの表情が瞳に映った。
魔王リゼラは押し込めるように喉を鳴らしながら、少しだけ意気消沈してふんっと鼻を鳴らした。
「それより汚れだ、汚れ! えぇい、妾の服が泥だらけだ勇者め!!」
「そうですね、では取り敢えず服も洗っちゃいましょうか」
聖女は魔王の服をよいせよいせと脱がしていく。
何と言うか、ちょこんと両腕を上げて脱がされる姿や、その度に前が見えないと蹌踉めく姿は姿相応のものに見えた。
魔王って何だろう。
「ぬお、おっ。おい聖女、早く脱がさぬか!」
「ご、ごめんなさい。人の脱がすどころか、人に触るのも久々で……」
「不器用か! えぇい、今でこれでは水浴びも不安でしかたない!! ただでさえ水浴びは苦手だと言うのに……! 冷たいし!! あぁ、魔王城の浴場が恋しいぞ!!」
「あ、その点は大丈夫ですよ。ご心配なく」
「ぬっ?」
「ふふん、長年独り寂しく森の中! どうぞ暇人の真髄をお見せしましょう!」
「……いやそれは良いが、何故に御主も服を脱ぐ!? おい待て待て待て!」
「私も汚れちゃいましたから。さ、こっちへどうぞ!」
「お、おい待てったら! おい持ち上げるな!! おい!!」
これは、いったい何処へ連れて行かれるというのか。
聖女ルーティアは魔王リゼラを運んで、意気揚々と家の奥へ進んでいく。その様がまた、彼女を不安にさせた。
そして不安は彼女の頭の中で恐怖となって、顔色を青色にさせて、とんでもない考えを思い浮かばせる。
まさかこの聖女、妾を調理して食ってしまうつもりなのでは、と。服を脱いだのは血で濡れるから? ギッタンバッタン刻むから? 煮込むから? 水浴びってそういう意味だから!?
嫌だ嫌だ、こんな死に方したくないーーー……。
「や、やめろ! お……、い……?」
かっぽーん。
全裸の聖女ルーティアがその扉を開けた瞬間、彼女達の全身にむわっとした湿気が吹き付けた。しかし、外で味わっていた暗闇の冷気と比べれば、それは何とも心地良いもので。
湯気の中には浴槽も、ランタンの中に灯る蝋燭の焔も、少し湿ったタイルまでもがあった。
何が食われるだ、これではまるで極楽の花畑ではないか。
「お、おぉ……」
それにしても、なんと見事な浴場であろう。
室内のようにしっかりと作り込まれた浴槽は見た目こそ質素であるが、とても手造りだとは思えない。水は外から引いてきて、浴槽なんかは樹木から作ったのだとしても、タイルなんかどうやったのだろう。
魔王城のそれには流石に劣るが、こんな森の中にあるにしては、手造りにしては充分過ぎるほどのものだった。それに、見間違いでなければ洗顔料から洗髪料っぽいものまであるし。恐ろしや、聖女ルーティア。
「じゃ、入りますか。頭も洗ってあげますよ」
「お、おぉ、そう……、ってならん、ならんぞ! 髪と角は妾の命、聖女なぞに触らせるか!!」
「あら残念。じゃあお風呂はやめて……」
「えっ!? あ、で、でも、半日ぶりの風呂であるしな、フフ、こっちは存分に満喫してやろうぞ!」
「意外と素直ですよね、貴方」
まぁ、そんなワケで体の泥をしっかり流してから湯船に浸かる魔王リゼラと聖女ルーティアの二人。
魔王と聖女の入浴など何とも珍妙な光景だが、その様は傍目に見れば姉妹の仲良し入浴にしか見えなかった。なお、局部は湯気によって修正済みである。
温度も丁度良く、実に丸一日ぶりの入浴と、あの狂人から解き放たれた休息で、リゼラは溶けるように湯船へ沈み込んだ。ぶふぃ~と少女らしからぬ臭い息もあったが、ふよふよと浮き流れるその姿はまるで、年頃の少女のように幼く、そしてそれこそスライムのように柔らかく。
聖女はそんな彼女の様子にくすりと笑みを零し、彼女の隣へゆっくりと腰を下ろした。
「いい湯ではないかぁー……、褒めて使わすぞぉー……」
「フフ、どういたしまして。そう言っていただけると嬉しいです」
「ふふん、光栄に思え」
ぷかぷかと湯船に浮かびながら、彼女はふと思いつく。
「……しかし何だ、聖女ルーティアよ、御主は話に聞いていたのと大分印象が違うな」
「あら、そうですか?」
「うむ、聖女ルーティアと言えば悪逆非道、男魔族の首には鎖を繋ぎ、女魔族の首は斬り取って掲げあげ、モンスター共の四肢から零れ出る血で喉を潤したと聞いておる。命令に逆らえば人間でさえ地獄の業火へ叩き落としたとか……」
「え、待ってください魔族でそんな伝えられ方してるんですか!?」
「うむ、だが案ずるな。妾はここに来て少し味方が変わったぞ!」
えっへん、と。
「かつて戦争を率いたり女神の血を持つ御主を認めることはせぬが、事実をねじ曲げてまで拒否しようとはせぬ。純粋な真実を前にどれだけ手を広げてやれるかが寛大さに繋がるのだと妾は思うからな、この風呂とあの室内に免じて認めてやろうではないか」
「あら……、ありがとうございます。それにしても良かった、私の話って随分と子供向けに伝えられているんですね」
「フフ、そうであろうそうであろ……、ん?」
何だろう、今、とても、聞いてはいけないことを聞いた気がする。
いやきっと気のせいだ。耳に湯気が入ったとかそういうところだ。ココナッツのスジか何かよ。
魔王リゼラはそんな話題を逸らすように、湯船で丸まりながら、聖女へと問い掛けた。
「だ……、だが何だ。御主、ずっとこの森の中で独りだったのだろう? 寂しくはなかったのか?」
聖女は少しだけ不思議そうにしてから、微笑んで。
「えぇ、そんなに。……正直なところ、私が人々を率いていた時よりずっと満たされていますよ。この光につられて獣達がよく遊びに来てくれるし、木々の話を聞いていれば退屈なんてしませんから」
「しかし人なぞ来ぬだろう、こんなところ」
「そうですね。前に来たのはもう……、いつだったか。世捨て人や迷い人なんかは時々来るんです。でも、どうしたって、やっぱり長生きはできませんけど」
「……御主が生きているのは、やはり?」
「……えぇ、とある村に伝えられていた聖遺物を口にしたからなんです。あの時のことは、あまり思い出したくありません。」
縛られた腕と傷だらけの体、全身に突き刺された幾千の刃と、鎖で押し上げられた唇。
そんな思い出を誤魔化すように、聖女ルーティアは湯船の中で指を組み、雫滴る瞼を伏せながら微笑んでみせる。
その笑顔にあるものは、本来の嬉しさや楽しさではなく、小さな痛み。悲しみという名の古傷だった。決して癒えることのない、心の傷痕。あの時の記憶と、独りで人々を率いていた時の記憶は、そういうものなのだ。
孤独とは繋がりによって癒えるが、片方だけの繋がりは肌に差し込まれる刃でしかない。自分の本質はこの森を訪れるまで変わってはいなかったのだ、と。
「……それが、この森にいる理由と関係あるのか?」
「えぇ、それは……、っと。あはは、駄目ですね。暗い話になっちゃいます」
また、誤魔化すような笑み。
「……ふん、気に入らんな」
「あ、ご、ごめんなさい。やっぱり素直に話した方が」
「違う。いつまでもそうやってくよくよしている御主が、だ!」
「わ、私がですか?」
「そうだ! 過去が何だ、過ぎ去ればそんなものどうやったって取り戻せんのだ! だったらもっと楽しいことで上書きしてしまえ! 十年の命だろうが百年の命だろうが、知恵浅い人間など明日だけ見ておれば良いのだ!」
「…………」
呆気にとられていた聖女ルーティアだが、ふと何かに気付いたように笑い、その腕の中に魔王リゼラを抱き寄せて、湯船と共に彼女を包み込んだ。
少女の背中に柔らかい二つの感触。さらには頭に頬が乗せられ、慈愛溢れる母のような、優しい抱擁がそこにはあった。
気恥ずかしくて、やめろなんて叫んでも、本気で振り払えない。そんな、優しさと嬉しさに溢れた、聖女の微笑みがそこにはあったのだ。
「……魔王様は優しいんですね」
「り、リゼラで良い! えぇい離せ、聖女に褒められても嬉しかないわ!!」
なんて言いつつも、やっぱり放れることはできなくて。彼女はそのまま数分ほど彼女に抱き締められていたが、終ぞ恥ずかしさが現界まで達したのか、それとも湯にのぼせたのか、顔を真っ赤にして聖女の抱擁から滑り落ちた。
そして、そのまま湯船から這い上がると、小さな足で不機嫌そうにぺちぺちとタイルを蹴りながら、木の椅子に腰を投げ出して、目の前の棚に置いてある洗髪料ーーー……、だろうか。小さな箱をふん掴み、聖女へと突き付ける。
「それ、風呂に入らせ、過去を語ってくれた褒美ぞ。妾の髪を洗うという大任を任せてやろう! 達成すればちっぽけな御主のちっぽけな人生のちっぽけの悩みなぞ吹っ飛ぶほどの誉れじゃろう!」
「あら……、良いんですか? 髪と角は命なのに」
「ふん、今回だけだ! この髪と角を触らせることなど滅多にないのだぞ! 上手く洗えれば、さっきの無礼な抱擁も赦してやらんことはない!」
「寛大ですねぇ」
「然り! 魔王は寛大だ!! だが、こういう洗髪料には厳しいぞ。命を洗うのだ、こだわりを持たねば……」
彼女が洗髪料であろう箱を覗き見ると、そこには『バター』の文字。
――――バターって、バター? あのバター? パンとかに塗る、あのバター?
どうしてこんなものがここにある? 置き間違えたのか? いや、何で食品が風呂場にーーー……。
そこまで考えた辺りで、魔王の腕からバターの箱が跳ね飛んだ。聖女の満面の笑みと、鋼鉄が如く握り締められた拳によって、だ。
「……間違えちゃったみたいですね。フフ、洗髪料はこっちですよ。私の手造りなんです」
「あの、いや、バター……」
「見間違いです」
「どう見ても……」
「見間違いです」
解った、これはもう追求してはいけないものだ。
時折尋ねて来る獣とこれを結びつけてはいけないものだ。何も見なかった、見なかったのだ。彼女は寂しくないって言ってるしいいじゃない。そうだ、幸せなんて人それぞれなのだから。
「……じゃ、じゃあ妾、上がるんで」
「まぁ待ちましょうアレを見られた以上消すしか……、あ、いえ、失礼。髪の毛を洗わずに出ちゃうんですか?」
「いやホント大丈夫なんで妾自分で髪の毛洗うんで大丈夫なんでホント勘弁してもらっていいですか痛い痛い痛い肩ミシミシ言うとる痛い痛い痛い」
「大丈夫、優しくしますから」
「ど、どっちの意味で……?」
「……病み付きですよ?」
「やっぱりそっちの意味かよクソァ!! 嫌じゃ嫌じゃ妾の初めてを獣風情になんぞやりとうない!! 助けろもう誰でも良いから妾を助けろぉーーーーーーーっ!!」
やっぱり救いなんてなかったよ。
魔王はただ嘆き叫び、この日、何度目かも解らない悲しみの涙を流す。
やっぱり女神に組するものは頭の可笑しい奴らばかりだ、と。そう改めて心に刻み込みながらーーーー……。




