【プロローグ】
【プロローグ】
「はぁー……、すっごいすっごいすっごいですよぉ!!」
キャピキャピ女の子か、はたまたわくわく園児か。いや、そんなものよりもっと無邪気に、ガルスは満面の笑みで跳ね飛びながら歓喜の叫びを上げていた。
無理もない。この聳え立ち天まで届く一つの街ほどの体躯と一つの村に重なるほどの数多なる樹根、そして一つの国を覆うほど果てしない爽やかな木陰を前にして、歓喜狂乱しない研究者はいない。いいや、本好きな者なら誰だって、あの木々から降り注ぐ木漏れ日を受けて微笑まない者はいない。
そう、この世界最大の樹木こそ『知識の大樹』と呼ばれる一つの街にして、一つの国なのだ。世界中の知識を文字通り詰め込んだ、叡智の収束点こそが、この場所なのだ。
「あんなに喜んでるガルス、初めて見たぜ……。いやまぁ、確かに凄いけどさ。あれ、根っこ刳り抜いて家にしてるのか。見ろよ、木の幹に何百と窓がついてるぜ」
「確かにそれもスゲェけどよォ。何よりスゲェのはこの木のデカさだろ。何百万って人間が木の中身刳り抜いて住んでんのに、ビクともしてねぇ。木漏れ日だってまるで日中から少し薄暗くて涼しい程度……、これほど住みやすい場所はねェなァ。ケッ、まるで人間が寄生虫だ」
「そうは言っても、一応ちゃんと大樹の事は考えてるらしいぞ? えーっと、この『知識の大樹』ガイドによると、木々に有害な実験は特定の部屋でしか禁止されていて、大樹の魔力を利用した実験も禁止。さらに若木や緑葉箇所による火気は厳禁……。あれ、火気厳禁って一定の場所だけなのか」
「そりゃテメー、この樹木がマッチ一本で燃えるモンかよ。何なら河ほどある燃料を燃やしたって根っこ一本燃えるかどうかだぜ」
「ははぁ、自然の神秘ってやつかね……」
大自然の力に感心するカネダやメタル。彼等の前を行くガルスは未だに興奮を御しきれないようで、いつもの朗らかな様子から吹っ飛んだかのように歓声を上げていた。
道行く人もそんな様子は見慣れているのだろう。一瞥こそくれるものの、何気ない風に買い物袋を持ち直したり共との会話に戻ったりと、日常の中へと視線を戻していく。
だがそんな彼等の視線すらも集める一つの集団があった。いや、その余りに長すぎる列を一つの集団と断定して良いものかは解らないが、統一された服装は間違いなく一団体であることを主張する。
真っ黒な外套に学生帽、さらには手に抱える各々の教科書。そう、つまるところ彼等は学生だ。数百から数千近い、学生の団体だ。
「……何だ、ありゃァ」
「見た通り学生ですよ。この『知識の大樹』は研究者が集う整地ですが、その門下生などの学習学校も多くあるんです。いやぁ、懐かしいなぁ」
「お、おぉ、ガルス。やっと戻って……、何? 懐かしい?」
「はい、僕は元々ここの生徒ですから。と言っても二年半ほどしか在籍してませんでしたけど……。元々冒険者だった僕はそっちに興味程度の知識しかなかったから、先生の勧めで帝国の分校に在籍してたことがあるんです」
「成る程、今の知識はそれで培ったモンか」
「へー、学があるんだなぁ。じゃあ懐かしいってのは学校のことか」
「も、そうなんですけどあの服装のことですよ。『知識の大樹』にある学校は何百とあるんですけど、何処の学校も受験に挑む時はあの受験服でなければならないんです。受験は年四回あって、合格者はその度に一人二人いるかいないかという難関ですね。別に合格しなくても一定の単位を修得してれば僕みたいに卒業はできるんですが、何処かの研究団に採用されることはまずありません。大体が知識を生かせる他の職業に就いたり、縁のある研究者の元で下働きをしたりですね」
「ま、待て、頭が痛くなってきた……。ンな面倒なことしてんのか……」
「勉強って言葉はお前とかけ離れ過ぎてるからな。……しっかし、この一団は圧巻だ。今がその受験の時なのか」
「ですね。受験科目は全部で数千を超えるものがあって、そこから専門分野の受験を受けます。大体……、全試験終了まで二週間から三週間ぐらい掛かりますね。今回の団体は持ってる教科書からして鉱物学かな? ともあれ、その中の一つでも合格できれば研究職に就くことができますが、やっぱり難関さが鬼門……、って、そろそろこの話はやめますか。メタルさんが白目剥いてますし」
「このアホに勉強に関する云々を語るのが間違いだったな……」
余りの頭痛にへたり込み、カネダに肩を担がれるアホは兎も角。
そんな一団も彼等の前を夜天の川よろしく大行進していくが、ガルスはその中に何人か見知った顔を見つける。
若い、周囲の老若男女入り交じる学生達の中でも一際目立つその者達。格好こそ他の学生達と変わらず、年齢や性別も同じく疎らではあるものの、彼等の頭にある学生帽には一際目立つ樹木のマークが輝いていた。
恐らく、何か特別な、勲章的存在なのだろう。他の学生達からも一目置かれているようで、周囲からの距離感は独特だ。どうやら樹木マークを身につけた者達で一つのグループを形成しているらしい。
「……ガルス氏? ガルス氏ではありませんか!」
「何と、ガルス氏ですと!? 何処です何処です!」
「ほらあそこ、アレですぞ! 何と、野獣を連れている!!」
「おぉ、本当に野獣だ……」
「野獣が二匹……。見るからに野蛮ですな……」
「カネダ、こんだけ学生共いるんだから数人殺っても文句言われねェよな?」
「バカ野郎。まずは人目に付かないところの確保だ」
と、そんな行列更新から抜け出てきた樹木マークの一団。彼等は旧友の姿に驚き近付くも、学徒という性質故か、見慣れない野蛮な獣二名の方へと興味を移す。いやそもそもカネダとメタルから溢れ出る野蛮さについてとか、年齢や性別も違うはずなのに口調が同じな学徒諸君とか、その辺りは一旦置いておこう。
それよりも、と彼等の観察が済んだ十数人の老人から若人までいる樹木マークを携えた学徒の群れは、気を取り直して今一度ガルスの姿を歓迎した。
「何と懐かしいことでしょうかな! おぉ、ガルス氏、本当にガルス・ヴォルグ氏ですぞ!!」
「いやはや、帝国分校を突如卒業するものですので我々も驚いたのですよ。本当にもう腰が抜けるかと!」
「私など年のせいか、本当に腰を抜かしましたがね! はっはっはっはっは!!」
「「「はっはっはっはっはっは!!」」」
一同揃って大笑い。ガルスもにこやかに、彼等と共に微笑みを見せる。
しかし解らないのはカネダとメタルだ。彼等は『随分親しげだが誰なんだ』と、ひっそりガルスへ耳打ちする。
「あぁ、彼等は帝国分校での顔見知りなんです。とは言っても、授業で一緒になったりだとか先生のお手伝いで話した程度ですが……」
「何を仰る! 我等とガルス氏は学友同志、この絆は山より高く谷より深いものですぞ!」
「然りでありますな! ……しかし、今回イトウ殿は討論会に参加出来ないそうで? 聞けば帝国で聖女エレナ様と元祖聖女ルーティアの宗教別離により、スライム神教と聖堂教会の対立が起こったとか。しかし宗教対立とは得てして争いになるものですが、アレは落ち着いておりますなぁ」
「何を言います、やはりアレはプロパガンダに違い有りません! 我ら民衆が知らぬのを良いことにマッチポンプを行いフィーリングを誤魔化すことでディスカッションさせないようにですな」
「いやいや、やはり平和こそ一番。しかしスライム神教と言うのは興味深い。噂では今年の討論会もそれが影響していて」
また話が脱線して議論に発展する彼等を、カネダとメタルの二人は呆れ果てた表情で見ていた。聞いていれば飛ぶ飛ぶ陰謀論だの搾取論だのと。学者気質とは言え、何とも憶測が行きすぎているようだ。
と、そんな頭が痛くなってくる議論から耳を逸らし、二人はまたしてもガルスへと問い掛ける。
「お前と知り合いだったことは解ったけどさ、そう言えばあの頭のマークは何なんだ? 他の奴等にはないみたいだが……」
「あぁ、アレは幾つかの分野において目覚ましい功績を残した人に与えられる栄誉ある勲章なんです。たぶんこの大樹にある学校でも持ってる学生は百人もいないんじゃないかな? それぐらい凄いんですよ!」
「へぇ、じゃあこれからの試験も楽勝なぐらいスゲーのか」
ぴたり、と全ての音が消え去った。
道行く人も、学生達の行進も、樹木マークの学徒達も、他ならぬ学徒達でさえ、誰も彼もが歩みも言葉も止めて押し黙る。大樹を吹き抜ける風さえも止まってしまたかのような、静寂。
そしてその静寂を突き付けるように、辺り一帯の者達は皆カネダとメタルの二人を睨み付けていた。それこそ、幾千幾百という眼光が、彼等を責め立てるように追い詰めるのだ。
「…………何かヤバいこと言ったか? 俺」
「そうですね……。この『知識の大樹』でトップ3に入るぐらいの禁句です……」
「いやだってよぉ、スゲーんだろ? メッチャ勉強できるからそういう結果残せてんだろ? じゃあ試験も楽勝じゃん」
学生軍団が一斉に持っている本の角を構える。
「ち、違うんですよ! あの、試験はそれよりもっと難しいんです。と言うより歴代の優秀な研究者がその分野を極めるから新たな研究者が介入できなくて試験が年々難題化してるとか、この功績に対する見返りがマークバッヂ一つとかそういう複雑な問題が絡んでて……!」
「メタルクンアヤマッタホウガイイヨー」
「あっ! カネダ、テメェ見捨てやがったな!?」
「ミステテナイーミステテナイー」
「と、取り敢えず謝った方が良いですよ……。こ、言葉には気を付けて……」
「ったく、何で俺がこんな連中に……」
ブツクサ文句を言いつつも、流石にこの集団の視線に気圧されたのだろう。メタルは渋々謝罪の言葉を口にする。
「あー……、ま、まぁテメェら落ち着けって! 人類皆すべからく兄弟っつーだろォ? やっぱなァ、そういうの大事だと思うんだよなァ。転んだ奴に手を貸すっつーかァ? やっぱ真っ赤になってよォ、追い詰める? そういうの良くねェよなぁ! 俺もよ、テメェ等みてーな苦ろうにんを応援してっからよ! 頑張ってこいよ!!」
学生大暴動、勃発。
「メタルさんわざとやってません!?」
「あ゛!? 何がだよ!! 平和を説いた上に応援までしてやったんだぞ!? 何で怒られンだよ!!」
「オメーは応援を振りまいたんじゃなくて乱闘を振りまいただけだろォ!?」
こうしてカネダ、メタル、ガルスの三人は学生達の大暴動から慌てて逃げ回ることになる。
主に一名の失言で大騒動。最早もう受験だとか懐かしの再会だとか言っている場合ではなく、大樹の一角は学問の場に相応しくない喧騒に覆われた。そりゃもう、数百メートル離れた試験会場から試験管達が慌てて飛び出してくるぐらいには。
――――しかし、そんな喧騒に陥らぬ者達もまた存在するのだ。そう、先程までガルスとの出逢いを懐かしんでいた、学徒達である。
「全く、これだから野蛮人は……。呆れてものも言えませんな!」
「まぁまぁ、落ち着きましょう。あの男の粗暴な意見には全く同意できませんが、我等がこれから立ち向かうべき問題を再確認できたようなものではありませんか。いつまで経ってもこんな禁句に気を付けるばかりでは精神的平静にも良くない!」
「えぇ、いつまでも凝り固まった思想の者ばかりが一つの次元に拘り、年々試験採用の厳格化が進むようではこの『知識の大樹』の独裁化が進むばかり! 新たなる進歩なき学問などただの化石同然!! 我々は断固としてこの事態を阻止せねばなりませぬぞ!!」
「然り、えぇ然り! 我等が崇高なる使命を果たす時は近い!!」
熱く語られる覚悟に、樹木マークの学徒達から歓声が上がる。それは己達の胸に抱いた猛る想いを奮い立たせるが如く、ペンを握る者には珍しい熱意だった。
いや、無理もない。彼等が掲げる正義は至極真っ当にして至極当然。学問を愛しこの『知識の大樹』に座を置く者ならば抱いて当然の反骨精神だ。或いは、それは正義の行いとさえ言えるだろう。
しかし、彼等のその意志は決して正義たり得ない。何故ならば例え如何に正しい意志を持っていようとも、これから行われるべきことを決して正しいと肯定することはできないからだ。
だが、彼等はそれを肯定する。正義という熱意の名の下に、肯定する。
「おや、皆さん。ここにいらっしゃいましたか」
「おぉ、これはこれは、軍師エスマール殿ではありませぬか!」
――――その者の、存在故に。
「どうされたのです、貴君がこんなところに。今は試験会場で監督中では?」
「いえ、あんな騒ぎがあったもので私も急ぎ出て来たのですよ。どうかされたのですか?」
その問いに学徒達はやれ野蛮人がだとかやれ現体制がだとか、小難しい言葉を交えて先程の出来事を説明する。
彼等の言葉を微笑みながら頷いて聞くのは、女のような黒髪を持つ妙齢の男だった。服装からして研究者らしく、樹木マークの学徒達から羨望の眼差しを受けることからも、彼等に随分と支持されているらしい。
尤も、その支持理由は決して穏やかなものとは言えないのだが。
「エスマール殿、最早我慢の限界です! 今すぐにでも計画を作動させましょうぞ!!」
「そうです! 現体制に正義の鉄槌を、権力と地位への個室に制裁を!!」
「怠慢なる強欲は毒でしかありませぬぞ! エスマール殿、計画発動の許可を!!」
猛る学徒達はずいとエスマールなる人物へと詰め寄っていく。
しかし彼は猛獣でも抑えるかのようにまぁまぁと軽く手を翳して、その意見を受け流した。
「確かに皆さんの思いは尤も……。しかし計画とは綿密に立て確実に遂行してこそ意味があるのです。現体制に不満を抱く皆様の正義の心から湧き出る熱情、私にも痛いほど解ります。ですが、だからこそ! 今の我々には耐えることが重要なのです……」
「くっ、正義が燻るしかない世なのであるかッ……!!」
「いえ、そんな世を変えるために我々がいるのです。我等こそは革命の使徒なのですから」
彼の励ましに、学徒達の表情へ希望の光が灯る。
彼等は再び決意の焔をその胸に顰め、各々に拳を振り上げた。これより起こる革命に、樹木マークを掲げるが如く振り上げた。
その様をエスマールはにこやかに見守っている。捕捉歪んだ瞳の奥で、怪しげな光を灯しながら、彼はーーー……。
「スライム。スライムは何処だ? スライムの匂いがするぞ。スライムの香りだ! 聖地か、ここは聖地か!? 何たる歓喜か、おぉ、スライム神はやはり俺を導いてくださる!! 神は全ての信徒を聖地へ集わせた! これが、これこそが聖者の祭典か!!」
「おいこのアホどうする? 周囲の視線がクッソ痛いんじゃが」
「周囲の、大樹に感動してた人達でさえ真顔で引いてるからね。僕達でさえ若干引いてるからね」
「……元気になってくれて何よりだよ、うん」
狂喜乱舞するスラキチ野郎率いる一行を、目撃する。
「うーん……」
「え、エスマール殿? エスマール殿!?」
エスマール、昏倒。
「い、いや、はは、何でもありませんよ、何でも……」
学徒達に支えられながらも、エスマールはどうにか起き上がった。しかし、彼の脚は酷く震えつつ力も入らない始末だった。
当然だろう。先日フルボッコにされた相手が、目の前にいるのだから。
「な、何故……」
――――何故、奴等がここにいる!?
馬鹿な、彼等は未だ旅路の途中であるはず! あの御方の預言通りなら、まだこの街に辿り着いてはいないはず!! 少なくともあと数日の猶予があったはず、計画を執行するだけの時間はあったはず!!
それが、どうして今ここにいる!? あの御方の御言葉は忌まわしき聖女のような預言ではない! 確実な運命に他ならない!! 何者も操れない、あの御方と我々以外知る由のないモノだ!! まして奴等が知るはずなど、決してない!!
それがーーー……、何故!? 何故、奴等がここにいる!?
「エスマール殿? エスマール殿!?」
「い、いえ、何でもありませんよ! 計画を急ぎましょう!!」
冷や汗なのか脂汗なのか。頬から嫌な汗をダラダラ流すエスマールと、そんな彼の姿を案ずる学徒達は道の流れるままに姿を消していく。
そして、擦れ違うようにフォール達もまた、スライムを求め大樹の中へと歩んでいく。
ならばあと一組。学徒達の大暴動に追われ、大樹の根にある街を縫うように逃げていた彼等はというと、だ。
「フォールの匂いがする」
「は? ……はぁ!?」
「野郎、近くにいやがるいなァ……。何処だァ?」
「ちょ、待っ、お前せめてあの暴徒達どうにかしてからーーー……っ!!」
「何処だぁああああああああああああフォォオオオオオオオオオオオオオーーーーッッル!!」
「もうやだおうちかえりゅぅうううううううううううううううううううううう!!」
「何でこうまともな人がいないんですかぁっ!?」
割と大惨事。
斯くして、これより始まるは三つ巴の大騒動。世界最大の大樹の中で、彼等は喧騒を繰り広げる。
現体制に不満を持つ樹木マークの学徒達とそれを利用するエスマールなる人物、そんな事など知る由もなくただスライム討論会を夢見る勇者フォール、さらに彼等を追うメタルと学徒達から逃げるカネダ達。あと序でにもうそろそろ他人のふりをしようかと考え始めたリゼラ達。
彼等を取り巻く因果が、そして彼等を覆うこの大樹の行く末がどうなるのか。
それを知る者はまだーーー……、いない。




