【3】
【3】
「どうぞ、上がってください。人が来るなんて何百年ぶりか……」
『沈黙の森』奥地にある小さな木造の家。壁にはツタが這い、畑の作物は枯れ果て、手作り感溢れる小窓は傾いて霞みがかった光が零れていた。いや、それだけではない。家の裏手にある水車も老朽化が酷いのか規則的に軋みを立てており、ことさら不気味さを増長させている。
暗闇の森に聳え立つ、魔女の家。この家を例えるのならその言葉が何より相応しいだろう。心なしか笑顔で扉に手を掛ける聖女ルーティアまで魔女に見えてきたほどである。
「ぐ、ぐぐぅ、聖女の家か……」
「文句を言わず上がらせて貰え。その泥だらけで過ごすつもりか?」
「いやそれは御主が妾を埋めたからじゃろ!?」
「きちんと掘り出しただろう。あのまま貴様を埋めて綺麗な貴様を生やしても良かったのだぞ」
「何その発想怖ッ!?」
「まぁ、そういうワケだ。では貴様は聖女の小屋……、いや、家で水でも浴びてくるのだな」
「ぬぐぅ、仕方あるまい。御主の命令に従うようで癪だが……、おい待て、何処に行く」
勇者フォールの肩がぎくりと揺れる。彼の爪先は聖女の家にという言葉とは裏腹に、沈黙の森へ向かっていた。
魔王の視線はその爪先を縫い付けるように見下しつつ、段々と勇者の背中へ這わせていく。勇者はただ不動のまま固まり、何事か解らない聖女は一人でに慌てていた。
互いに、気まずい沈黙が流れる。静寂の中を吹き抜けてる風さえも痛々しい。終いには聖女が涙目になって啜り泣きそうになった、が。魔王リゼラの核心的な一言がその沈痛を打開した。
「スライム」
「…………何のことか、解らんな」
「スライムか」
「……まぁ待て。魔王リゼラ。よく聞け。人は時に互いを認め、時に信頼し合ってこそ前に進むことができる。そうは思わないか? 一人ががむしゃらに歩む時も一人が前を見てやれば二人で二倍の道を進むことが」
「スライムじゃろ?」
「スライムだが問題があるのか?」
「開き直りやがったコイツ」
初級魔法を収束させる魔王、走り出す勇者、飛び出る聖女。
「聖女どいて、そいつ殺せない」
「殺しちゃ駄目ですよ!? と言うか落ち着いてください、争いはいけません!」
「かつては大軍率いて魔族に戦争挑んだ女がよく言うではないか! えぇい退け邪魔だ!! 妾は奴を殺らねばならんのだぁ!!」
「だ、だから落ち着いてください! あの人は戻ってきますから!!」
「誰が落ち着っ……、何、戻ってくる?」
その言葉が証明されたのは、実に数秒後のことだった。
走り去ったはずの勇者がこちらに向かって走ってくる。全く逆の方向から、星を一周でもしてきたのかと思うぐらい真逆の方向から。
彼も何が起こったのか解っていないのだろう、片眉を吊り上げたままきょとんとした表情で周囲を見回し、再び元来た方向へ走り出す。だが結果が変わることはなく、また真逆から戻ってくる始末だった。
要するに、ループしている。僅かに開いた森の、聖女の家から数十メートル辺りの地点で、何故かは解らないが真逆の位置に戻されるという現象が永遠と繰り返されているのである。
流石の勇者フォールもこの現象には驚いたようで、狼狽える様子こそ見せないものの、いつもの平然さを少し崩しながら、彼女達の元へと歩み戻って来た。
「……これは、何だ」
「驚かないで、落ち着いて聞いてください。この現象こそがこの『沈黙の森』の特徴なんです。脱出することは絶対に不可能で、幾ら走っても外に出ることは決してありません。全てがここに戻ってくるんです」
「成る程……」
「たぶん、ここが森の中心地だからではないか、と私は考えています」
「や、やはりそうなのか!? くっ、勇者め! 貴様のせいだぞ!! 貴様が」
双角を持ち上げる勇者。浮き上がる魔王。
「女神の命令なんぞに従うからぁああああああああああああああああああああああ」
そしてスローイング。ナイスピッチ。
吹っ飛んだ魔王は森の中に消えると、直ぐさま勇者の後方からループして吹っ飛んできた。一回だけではなく、勢いのまま二回、三回ほど。
吹っ飛んで、吹っ飛んできたのだ。成る程、聖女の言うことも間違いではないらしい。勇者の隣で勢いのまま地面に双角から突っ込んだ魔王が何よりの証明だろう。
「間違いないらしいな」
「勇者、話がある」
「そうか、俺はない。……で、聖女ルーティアよ。貴様の話を信じるとして、だが斯くいう貴様は先ほど俺達の前に出て来ただろう。それはつまりこの場所から抜け出たということだ。外に出られないということと矛盾しているようだが」
「え、えぇ、それにはちょっとしたコツがあるんですが……」
彼女は軽く首を傾げながら優しく微笑むと、家の中へと指先を移す。
続きはまず水を浴びてからお茶でも飲んで、と。物腰の柔らかい、木造の家から漏れる光のように温かい笑みだった。
勇者と魔王は互いに意味こそ違えど同じように不機嫌な表情を浮かべーーー……、互いに仕方ないと頷き合って。
「解った、では魔王を洗ってやれ。俺はスライムたん探しに行く」
「えっ、いや貴方は」
「先程の投擲、魔王は樹木に当たった瞬間にループした。俺の時も肩に枝先が擦っていたな。つまり、樹木に転移魔法でも掛けられているのであろう? ならば何ら問題はないということだ」
勇者は周囲を幾度か見渡し、その場で屈み込むと地面に指を擦りつける。
まるで人の脈でも確かめるかのように、指先をしっかりと押し当てて。
「……ここで良いか」
そして、大きく足を開くと、そのまま大地へ右拳を突き刺した。
突き刺したというか、貫いた。轟音と旋風を巻き起こし、全力で拳を貫き通したのである。
「え、ちょっと、え、えぇ!?!?!」
「…………」
驚愕し絶句する聖女、真顔で目が死んでいく魔王。
そんな彼女達を前に、彼は歯牙を食い潰しながら右腕を一気に引き抜いた。無論、ただそうしただけではない。眉間に筋を浮かべ、片眼を強く瞑りながら、岩盤ごと引き抜いたのだ。
複雑に根が絡み合って一連なりとなった『沈黙の森』の岩盤を、皆の視界に映る全ての光景をーーー……、森の四割に到る範囲を、持ち上げる為に。
「……む、いかんな。崩しては原生生物に悪いか」
そのまま隣によっこいしょ。森と森のサンド風味。
地形破壊とかいう次元ではない。
「待っていろスライムたん。今行くぞ」
で、疾走。抉れ返り、岩盤ごと森がなくなり、遙か彼方『爆炎の火山』まで一直線に開いた道を彼は走り抜けていく。
その様の何と神々しいことか。日差し遮る樹木がなくなったことで道は輝きに照らされ、周囲の闇も相まってか、走り抜ける様だけで一種の芸術作品のような、或いは勇者らしく壮大高潔なる使命に向かい征く姿にさえ見えた。
「……いや絶対無駄じゃろ、この演出」
魔王リゼラと聖女ルーティアは、一切迷いのなく無駄に神々しい男の背中を見送りつつ、ただ唖然と立ち尽くすばかりであった。




