【2】
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「謎魚と謎野菜のたぶん新鮮マリネだ」
「ねぇこれホントに食べて大じょううわ超うめぇ」
「素材が新鮮だからな。たぶん」
「ホントに大丈夫かなこれ!?」
と言う訳で時間は過ぎ去って、雲泳ぐ空が果てなき銀色に染まった頃。
上下全般を海水に濡らし衣類を全て焚き火へ捧げることになったルヴィリアと、そんな彼女へ追加でスープを出すフォール。二人は優雅、とは言えないが平穏な夕食風景を送っていた。
ちなみに本日の料理はフォールが釣り上げルヴィリアが捕獲させられた謎魚と、彼が家を作る際に収穫した謎野菜のマリネ。あとは森の川から汲んできた水を大きな貝殻で煮て岩塩や手持ちの調味料と魚骨で味付けした簡単なスープである。
「いやでも美味しいよ、これ。ちょっぴり酸っぱいのが塩味と絡んでまた良いね!」
「うむ、魚と野菜は謎だったが良い岩塩が採れたのでな。味付けは自信がある」
「こっちのスープも良いねぇ。魚の出汁?」
「に、岩塩をな。河川が見付かったから追加で作ったのだ。……深い味が出るだろう」
「いやぁこれ良いねぇ、さっぱりだけどコクがあって。マリネも魚とろとろ野菜シャキシャキ。酸っぱ甘い酸っぱ甘くて美味しいにゃあ。にゃひひひひっ」
フォールお手製の木造りフォークで掬い上げた刺身が焚き火の灯りに艶やかに照らされる。
そんな一切れをぱくりと口に含み、またしてもルヴィリアは舌鼓を打つ。普段はリゼラが素材の大半を喰らい上げるものだが、今回ばかりは彼女とその次に多く食べるシャルナもいない。久し振りにルヴィリアも暴飲暴食、とまではいかないが、腹十一分目まで食べてしまいそうなほどだ。
この酸っぱさと塩味の中にある甘みや、蕩ける食感が堪らないと彼女は嬉しそうに微笑みを見せる。
「いやぁ、こう、野宿風だと思い出すねぇ。ほら、いつかの魔道駆輪レースのさ……」
「……懐かしいな。帝国直前の頃だったか」
「いやぁ、あの時の茹で野菜とソースも美味しかったけど、これも美味しいねぇ。リゼラちゃんも今頃は船の上で海賊ご飯とか食べてるのかなぁ」
「む、いかん。グレインに奴の食欲を伝え忘れていた。……いや釣りは教えたから自分で調達するか?」
「するとは思うけどねぇ、たぶん」
「シャルナが世話を焼きそうだがな。……お代わりはいるか?」
「あ、もらうもらう」
二人の話し声と焚き火の弾ける音ばかりが響く、夜空の島。
熱き風も涼しげなものとなったこの夜の、何と和やかなことか。彼等の背後で揺れるあの海のように、何と静かなことか。安らかな音色のように訪れる微睡みの、何と淡く鮮やかなことか。
本当に、ただただ安穏だった。このまま此所にい続けるのも悪くないと思えるほど、安らかなものだった。
「いや本当に……、美味しい料理……、安らかな気候……、豊かな植物……、そしてフォール君お手製の1LDK2階建て……」
視線を上げたルヴィリアの瞳に映る、南国造りの巨大一軒家。
――――なんということでしょう。スライムの匠による建築は僅か半日にも関わらず、無人島特有の住処がないという悩みを解決。風が吹きさらしだった砂浜をあっと言う間に優雅な別荘宅地に。これでもう野宿の心配はありません。
さらに、魔力欠乏や大怪我で苦労していたフォールさんやルヴィリアさんの為に、バリアフリー設計が施されています。いつも躓いていたルヴィリアさんもこれで安心です。これからは玄関を上がるのも楽々ですね。
それだけではありません。匠の粋な計らいにより、何と家の到るところにスライムの型どりが。無人島での困難な日々も楽しく豊かに過ごせるようにと、匠の信仰と優しさが垣間見える造形です。屋根の頂点に輝くスライム像は禍々しさも相まって素晴らしい一軒家となりました。
これからこの一軒家で二人、広々と過ごせることでしょうーーー……。
「……なんということをしてくれたのでしょう」
「頑張った」
「頑張ったじゃないよ頑張りすぎでしょどう考えても。解ってる? 小屋で良かったんだよ!? 二人が寝転べるだけの小屋があれば良かったんだよ!? 何で丁寧に君と僕の部屋まで用意してんのさ!? 本棚とか各自の机と椅子まで容易してんのさ!? 押し入れまであったよね!?」
「うむ、しかし木製故、中で火を使えないのが誤算だった。川から縄で濾過した水を引いてきてシャワーまでは作れたのだがな……」
「作ったんだシャワー……」
「当然だ。身を清めねば屋根裏部屋の崇拝室には入……、おっと何でもない」
「ちょっと待って邪神の元で暮らすの僕達!?」
なお地下にはスライム崇拝室がもう1セットある模様。
「まぁ待て、俺とて阿呆ではない。今回は貴様の趣旨趣向にきちんと添うよう設計してある」
「この切り出しで阿呆じゃなかったことがないけど……。へぇ、どんなの? 余計な設計じゃないだろうね?」
「うむ、貴様の住んでいたあの屋敷城を参考に色々と仕掛けをな。落とし穴や隠し扉、仕込み矢に首吊り縄……」
「……それ、何処に仕掛けたんだい?」
「…………スライム神像を飾るのに夢中で忘れた」
「やっぱり余計じゃないかやだー!!」
欠陥住宅待ったなし。
「だが心配は要らん。こんな事もあろうかと仕掛けは毎晩スライム神像に祈りを捧げねば稼動しないようにしている。この仕掛けに一番手間を掛けたからな、その点は安全だ」
「お、おう。……祈らないでよ?」
「ウン」
「こっち見て頷けよオイ」
「兎角、それは一旦置いておいて」
「待って置ける話題じゃない」
「では、明日の予定について話しておく。……実は、明日はこの島の探索に向かおうと思っていてな。別に救助が来るまで過ごすだけならばこの浜辺だけで良かろうものだが、どうせなら島の探索も行っておきたい。何があるかも解らんからな」
「あぁ、確かに僕達が今日過ごしたのは砂浜だけだし、そもそもここが孤島なのか無人島なのかさえ解ってないからね。確かに探索は必要だ。……スライム関連じゃなければだけど?」
「……波乗りスライムやフルーツスライムという、南国にしか生息しないスライムが」
「まぁーたスライムじゃないか! いい加減スライムから離れなよ君ぃ!!」
「バカを言え、こればかりは譲らんぞ。スライム神像への祈りを我慢しろと言うのなら血涙を飲んで我慢するがスライム捜索ばかりは絶対に譲らん! 人は何故生きるのか、それは己が己たる為に生きるのだ! 決して譲れぬものを退けてまで生きる命に何の意味がある!? 俺は譲らん、譲らんぞ! 絶対に、絶対にだ!!」
「そこまで熱心に語るなら罠の場所忘れないで欲しかったな僕はぁ!!」
全く持ってその通りである。
「兎も角! 君が捜索に行くのは勝手だけども僕は行かないからね!! 行くなら早朝一人で行ってきなさい!!」
「馬鹿な、寂しいだろう!」
「君の口からそんな言葉が出るなんてーーー……」
と、言いかけたところで。
「……あー」
ふと、思い出す。船の中で繭蟲になっていた時にリゼラから言い放たれた言葉を。
――――『御主が男だと思ってテンション上がっとんじゃろ? 同性の友達がー、とかで』。
彼女はそう言った。確かに、自分もそう思う。彼は同性の同志だとか友人にはとことん甘い。どれぐらい甘いかって新婚夫婦並にでれっでれに甘い。聖女エレナやガルスがそうだった。
いや確かに締めるところは締めるし時に厳しく律することも多々あった。だが、それがあるから逆に自分はこんな事で言葉を詰まらせるのだ。
自分は彼にとってーーー……、どういう見方をされているのだろうか、と。
「…………」
「……何だ? 何故俺を見つめる」
自分は、屋敷城で彼にアレを見られた。そりゃもうバッチリと。
そのせいで船の中では顔も遭わせられなかったし、今だって心からもやもやが消え失せていない。今まで自分の後ろ髪を引っ張ってきたあの存在をどう思われているのか、と。それが気になって仕方ない。
同志、というわけではあるまい。友人、というわけでもあるまい。仮にも自分と彼は敵同士で、つい先日激闘を繰り広げた仲だ。四天王辞退の告白を叫びはしたけれども、未だ四天王の身に違いはない。
一応、自分は彼のことを認めている。エルフの森、リースの一件からその評価は変わっていない。
けれど、だけれど、だからこそ気に掛かるものもあるという話で。
「…………君ってさ」
「ん?」
くるり、と皿の上で刺身のマリネを弄り、ルヴィリアは口先を尖らせて問い掛ける。
心なしか、緊張で鼻先まで真っ赤に染まっている、気がする。
「僕のこと……、どう思ってるんだい」
「どう……、どう、か。また妙な質問をする」
「みょっ……、妙ってほどでもないだろう!? だって君、その、見たじゃないか!! 僕のちっ、ち、ちん……」
「男根のことか?」
「だ、ばぁっ!?」
「別にあの程度、どうという事はあるまい。俺にもあるぞ」
「そりゃ君にはね!? そ、そういう事を言ってるんじゃないよぅ! アレを見た上で、何と言うか、あの、あるじゃん!? 君にだって思うところの一つや二つ!! 観察とか予想とかじゃなくて感想!? そう、感想! そういうのを聞いてるんだ、僕は!!」
「……む、あぁ。つまり俺がアレを見て貴様の評価をどう変えたかが気になる、という話か?」
「そっ、その通りですけど!?」
ふむ、と僅かにフォールは考え込んだ。
ルヴィリアはその隙に悩みを吐露した恥ずかしさからなのか、何を言われるかという不安からなのか、皿のマリネをガブ食いし、スープをガブ呑みする。
「……まず貴様は有能だ。リゼラのように思い切りが良過ぎるほどでもなく、シャルナのように地力があるわけでもないが、何より頭の回転が速い。少なくとも何かを任せるに事足りる奴だと俺は見ている」
「お、おう! そりゃね!!」
「以上だ」
噴出したスープ、顔面スプラッシュ。
「……何をする」
「何をじゃないよぉ! 聞いてた? ねぇ聞いてた!? 僕はそういうお世辞は求めてないんだよ!! もっとこう……、あるだろう!?」
「何だ、言い始めれば貴様の変態具合や隠れて購入しているエロ本代についての文句だの貴様が盗む所為で余計に掛かる下着の材料代だの貴様のセクハラによる二次被害で破壊される魔道駆輪の修理代だの何処かの街に着く度にこっそりとキャバレーで飲んだくれる貴様を迎えに行く俺の徒労だのと文句が尽きないが言おうか? 言って欲しいか?」
「いやそれは勘弁してくださいマジで。……そ、そうじゃなくて! き、気持ち悪いとか、おも、思わない、の?」
「……何だ、言って欲しいのか?」
「女の子になら蔑みを込めた目で言って欲しいけどたぶん泣く。立ち直れないレベルで泣く」
「自滅だろう、それは。……そもそも、自己の拒絶を他人に求めるな。拒絶されることはあれ、拒絶して欲しいと願うのは貴様が己を否定したいだけのことだろう。ならばそれに他人を巻き込むものではない。自己を否定したいのならば自己で否定しろ。そして意味のある否定をすることだ。……否定なぞ、己の存在価値を見つめ直すための過程に過ぎない。そこで立ち止まれば何の意味も持たん」
「そ、そういうんじゃ、ないんだ。……僕は今まで幾度となく拒絶されてきた。君の言う、拒絶で」
「ならば俺は拒絶しないだけのことだ。別に男根があって何か問題があるわけでもあるまい。それを言うならまだリゼラの食欲の方が余程問題だと思うがな」
「確かにあの食欲は問題だけど、そうじゃないよ!? だって、それを言えばリゼラちゃんやシャルナちゃんだってさぁ! もし、その、気持ち悪いからって嫌われたりしたら……!!」
「阿呆。奴等も俺も、もし貴様に一つ嫌いなところがあるからと言って、貴様の全てを嫌いになることなどない。それに貴様自身が嫌いなところを俺達も嫌いだと決めつけるな。誰も彼もが貴様を嫌う前に、貴様自身が貴様を嫌ってどうする」
「……そ、それは、フォールく」
「そもそも嫌う云々以前に、俺は貴様に好意的な方なのだがな」
そう言うと彼は顔に吹き掛かったスープを拭き取るため、ほんの数秒ほど席を立つ。
間もなく戻って来た彼の手には彼自身の上着が握られており、フォールはそれで顔を軽く顔を拭き取った。
そして何気なく視線を上げてみれば、そこには木彫りの器に顔を突っ込むようにして伏せるルヴィリアの姿が。
「……何をしている?」
「…………いや、ごめ、今顔上げられないから」
「何だ、火の粉で火傷でもしたか」
「…………ソダネ。今、顔、熱い、から。……ちょっと、待って」
僅かに震えている声に首を傾げながら、フォールは木彫りの大皿からマリネを自身の皿へと盛りつけた。
そうして一口含み、出来の良さに満足気な頷きを見せる。やはり食材は新鮮なものに限る、なんて至極空気の読めない言葉を吐きながら。静かに流れ行く雲と森の木々を仰ぐ風を、感じながら。
やがて彼女が真っ赤に晴れた目元と鼻先を器から上げるまで、ずっと、そうしていた。
「君さ……、そういう台詞はシャルナちゃんに言いなよ」
「…………何故だ?」
「……だから君はトーヘンボクなんだ」
こうして、夜は何気なく過ぎていく。
明日はどんな日になるだろうか。この穏やかな遭難が代わり映えする時は、さていつ来るのだろうか。それとも、あの暗闇のように穏やかな日々が続くのだろうか。
いいや、願わくばそうあって欲しいと誰かが祈る。何処までも、何処までも、とーーー……。




