【5】
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「目がしばしばする」
屋敷城の頂上、天守閣の屋根瓦の上でフォールは太陽光のせいでしばしばする片目を擦っていた。
いや目ばかりではない。彼の全身は真っ黒焦げの煤だらけで、他にも掠り傷などが様々。一部には打撲もあるようだ。あんな激闘の後だから傷だらけなのは当然なのだし、むしろこの程度の傷で済んでいることを称賛すべきかも知れない。
彼本人をーーー……、そして、そんな彼の前で気まずそうに正座するルヴィリアも、また。
「それで? もふっ結局御主はもふっ何がしたかったんじゃもふっ。このもふっアホ変態もふっめ」
「リゼラ様、取り敢えず茶菓子を貪りながら話すのはやめてください。あとフォールの余り擦るな、余計に悪くなるぞ」
「むぅ、太陽直視は流石に目に悪いな。……それよりルヴィリア、何か言うことがあるんじゃないか? 言わないなら俺から言うぞ」
「…………それは、その、問題の後で言いますぅ」
「……ふむ、まぁ良いだろう。ではリゼラ、シャルナ。貴様等には順序立てて、まず問題の答えから教えてやる」
「問題の答え……。あぁ、『あやかしの街』での『ルヴィリアの体にあるモノ。偽るべき真実』と『あるはずのない、ないはずのあるモノ。偽り故の真実』という言葉の真意か」
「そうだ。アレの真意はつまり『人間の血』だな」
「「……人間の血?」」
リゼラもシャルナも、思わずその言葉に口を揃えて首を捻った。
しかしそんな彼女達の反応に構うことなく、フォールは坦々と説明を続けて行く。
「ルヴィリアは確かに魔族だ。魔族だが、混血であり半魔族なのだ。つまりコイツの父親か母親かが混血の魔族であり、父親は人間だったということだな。言ってしまえば、ルヴィリアは限りなく魔族の血が薄い存在ということになる」
「あ、『あるモノ』というのは人間の血……、では『偽るべき真実』というのは……」
「人間との混血であることだろうな。そも魔族幹部である四天王が人間とのハーフであり、魔族の血が限りなく薄い……、魔族よりも人間に近いというのは確かに隠蔽すべき物かも知れない。『あるはずのない、ないはずのあるモノ』というのも人間の血の事と……、魔眼のことだ。そうだな?」
「うん……。僕の魔眼は幾多の魔族との混血、そして人間との混血が決め手になって生まれたもの、だと思う。人間という偽りがあったからこそ、この地位にいるだけの権能を手に入れられた。それが『偽り故の真実』……」
「……と言う事は、夢の中で視たこ奴の子供時代の姿は人間に育てられておった時のものか?」
「はい……、そうです……」
しゅん、と一段肩を小さくするルヴィリアの姿に、リゼラもシャルナも露骨なほど大きなため息を見せた。
――――全く、何としょうもない事か。
「んなモンどーでも良いわ! 魔族は実力主義じゃぞ? 血がどーのとかいう古くさい連中なぞ疾うに滅んでおるわ!!」
「それを言えば私だって邪龍の血を引いてこそいるが限りなく薄い。あくまで『最強』の称号は自身の鍛錬によって身につけたものだ。何を気にすることがある」
「う、うぅ……、でもぉ……」
「くどぉいっ! 血筋だの出生だの知ったことか、仕事さえきちんとしとけば文句ないっつーの!! あと変態行為さえなければ四天王として充分だっつーの!!」
「むしろ後者の方が重要ですよね」
「それな。って言うかフォールもフォールだ! あのな、こんな事実どーでも良いのじゃ。何かとんでもない重要事実みたくひた隠しにしおってからに! 無駄に身構えたではないか!! あー損した損したぁっ!!」
「いや、しかし安心したぞ。貴殿の悩みを笑うつもりはないが、この程度で……。貴殿も私と同じ四天王だ。共に悩めることならば共に悩もう。話してくれれば協力したものを……」
「……え、えーっと、そのぅ、あははは」
明かされた事実に期待外れだと呆れるリゼラとシャルナ、二人を前に未だ気まずそうなルヴィリア。
そんな彼女達の様子を見かねたのだろう。フォールは二人よりも大きなため息と共に言葉を紡いでいく。
「あのな、この程度なら俺も気付くのに時間は掛からなかったし、特にこれと言ってどうこうするつもりもなかった。貴様等に教えもしただろう。……だが問題は、その上でコイツが考えていることに気付いてしまったことだ。課せられた質問なぞ大したものではない」
「あ? どーゆーことじゃ」
「……こればかりは貴様の口から言うべきだろう。ルヴィリア」
「……ぁー、その、ですね、はい」
二度、三度と口籠もり、ルヴィリアは膝上で重ねた指を弄くり回す。
やがて何秒ほど経っただろうか。長くはなく、けれど短くもない時間を経て、彼女は意を決したように前を見た。皆の双眸を、力強い瞳で見つめ上げた。
――――そして、告白するのだ。胸の内で燻らせていた、その想いを。
「四天王を、辞めたいです!!」
彼等に、キッパリと。
「「…………はっ?」」
「だってその、違うんだよ? 血筋とかじゃないんだよ!? だって僕、もっと自由に生きたいもん! この地位は得るまでは必死に苦労したけどさ、港旅をしてて欲しかったのはこれじゃないって解っちゃったんだ! もっと自由に楽しく生きたいって、そう思っちゃったんだ!!」
「え、いや御主……、えっ!?」
「ふぉ、フォール!? 貴殿が言わなかったのはこのことかぁ!?」
「ん? あぁ、そうだ。……考えてもみろ、そもそもコイツは俺を絶対服従させて何を言い聞かせるつもりだったんだ? 『あやかしの街』での一件、過程はどうあれ表の顔であるダキと裏の顔であるアクリーンを結託させる結果に仕向けたのは誰だ? この城でもそうだ。どうして直接倒せる方法があるのに陳腐な罠を仕掛けた? もっと、全力で挑んで来なかった? 全ては気付いて欲しかったからだ。四天王としての自分と、ただ楽しく行きたい自分の軋轢にな」
「いやしかしっ……! だったら妾達が気付かないわけがないだろう!?」
「阿呆。貴様等だからこそ気付かないんだ。俺とて何度も考え直したほどだぞ。……ルヴィリアに近しい者ほど、コイツの義務感や有能さを知っている者ほど、まさかそんなことを考えているとは思いもすまい。尤も、様々な要素からどう考えてもこの答えに行き着くので確認してみればこの通りだ。大方、俺への絶対服従も『旅への動向を認めろ』だとか、そんな辺りだろう?」
「その通りです……、はい……」
「きで、貴殿っ、そんな事を急に……! 急にぃ~~~……!?」
「急にじゃないよぅ!? リースちゃんとの旅や、もちろん皆との旅で、ずっと悩んでたんだ……。だって皆楽しそうにしてるし風俗行き放題だしご飯美味しいし一日中ぼーっとしてても良いし……!」
「動機が果てしなく不純なんだが……」
「わかるぅ」
「解らないでください魔王様」
「い、いや、そうじゃなくてね? それもあるけどさっ!? 違うんだ。皆で楽しくいられることが、何より嬉しかったんだ。変なしがらみとかじゃなくて、ただ楽しく旅を出来ること。時に大変なこともあったよ? けれどそれ以上に……、僕が僕でいられることが、四天王ルヴィリア・スザクではなくただのルヴィリアという存在でいられることが、何より嬉しかったんだ。だから! そーゆー……、こと……、ですぅ」
力なくまた肩を縮込ませるルヴィリアに、リゼラとシャルナは引っ繰り返らんばかりに顎を落とす。
いやもう、ホント、何ていうか、はい。何よりも、まずどんな事よりも、言いたいことがあるーーー……。
「「回りくどいッッッッッッッッッ!!!」」
「え、えぇっ!?」
「全くの同意だ」
「えぇええーーーーーーー!!?!?」
「何? じゃあ何か!? 御主、退職届け出す為に島一つ巻き込んだ大騒動を演じたのか!? アホか、アホじゃろ御主!? アホだったわ!!」
「問題だの謎かけだの気付いて欲しいだの知ったことか貴殿! そういうのは直接言え、なんでそう回りくどいんだ貴殿は!! 恋する乙女か!!!」
「しゃ、シャルナちゃんだけには言われたくな」
「そもそも一番面倒なのは退職したいくせにその職場の同僚や上司に気付かれたくないという点だな知らんわそんなもの辞めればどうせバレるのだからさっさと辞めてしまえ。圧力だ何だと言ってる場合か辞めるなら全て吹っ切ってやめろと言う話だ。後の評価など気にするから一々ズルズルと引き摺るのだ」
「だ、だってぇ、だってぇ~……」
「全く、我ながらこんな事に悩んだのが馬鹿らしくなってくるな。どうせならリゼラ達にバラして全て放っておけば良かった」
「やめてぇえええええええ! やめてぇえええええええ!! お願いしますやめてぇえええええええええ!!」
「……はぁ、ったく。今回ばかりはフォールに同意じゃな。辞めたいなら別に止めはせぬわ。どうせ死ぬの妾じゃねぇし。人事部の連中だし」
「魔王城人事部部門の面々が阿鼻叫喚するのが今から目に浮かぶようですね……」
「え、じゃ、じゃあ……」
「別に御主がやりたいようにすれば良いじゃろ。御主の人生、他人がとやかく言うよーなモンでもない。……ただし、この旅の間はちゃんと職務を全うすること! この勇者から一人逃げられると思うなよ!?」
「……り、り、り、リゼラちゃぁあああああああああああああああああああああああああんんっっっ!!!」
顔中を涙だの鼻水だのでぐっちゃぐちゃにしながら、リゼラに抱き付くルヴィリア。
その姿はお世辞にも『最智』の称号に相応しき気品溢れる姿とは呼べなかったが、何よりもルヴィリアらしい姿だった。
少なくとも職務に縛り続けられるよりは、ずっと。
「……何だかんだで大団円か。フォール、今回ばかりは貴殿にも礼を言うべきかも知れないな」
「全く、下らんことに付き合わせおって。まぁ、ある約束は果たせそうだし、別に文句は……。いや待て、約束と言えばもう一つあったな。マリーは何処にいったのだ?」
「あ、あぁ、そう言えばあの部屋で起きた時から見かけないな。ルヴィリアと一緒にいた……、わけでもなさそうだし」
「妙だな。……ルヴィリア、マリーは何処だ? 貴様が知ってるんじゃないのか」
「ふぇ? マリーちゃん? え、だって君達と一緒に来てるはずじゃあ」
そんなーーー……、彼等の平穏を打ち破り、邪悪なる嗤いが響き渡る。
「クフ、クフフフフフフフフフフ!」
始めに気付いたのは誰だったか。
フォールだったか、シャルナだったか、ルヴィリアだったか、リゼラだったか。否、誰であろうと変わらない。
その者は空を舞っていた。彼等を嘲笑うように屋敷城に覆い被さりながら、窮屈な結界さえも躙り潰すが如く、空を舞っていた。この結界内から映る空を埋め尽くさんばかりの巨体で、空を舞っていたのだ。
黄金の瞳と紫毒の鱗、破槌が如き棘尾に、大樹さえ噛み砕く剛牙、この結界さえも容易く打ち破りそうな尖爪を携えた、その龍が。
否、その尖爪の先に異彩放つ水晶と一人の女を捕らえた龍が、である。
「クフフフフフフハハハッハ! 素晴らしい、素晴らしい激闘でしたよ、『最智』なる四天王ルヴィリアよ!! ……いえ、もう四天王ではありませんが、えぇ。その勇士には称賛を送りましょう! 例え勇者一人倒せぬ役立たずだとしても、ね。クフハハハハハハハ!!」
「……何じゃ、ありゃ」
「見たところ龍だな。……いかん、目がまたしばしばしてきた」
「りゅ、龍……? いや、違う。確かに姿形は龍だが、現在に生息するまともな龍は邪龍のみなはずだ!! それに人語を解す龍など本当に神話の世界でしかないぞ!?」
「……シャルナちゃんの言う通りだね。アイツ、龍なんかじゃない。姿形、いや中身までもが龍だけど、龍じゃない。龍の姿をした、何かだ」
「クフッ、その通り! 我が名は『顔貌』! 魔族三人衆が一人にして偉大なるあの御方に仕えし、変幻自在の姿形を持つ者なり!!」
龍は名乗りと共に巨翼を羽ばたかせ、彼等へと豪風を浴びせながら爪先を吊り上げた。
そう、まるで足元のそれを見せつけんばかりに、だ。
「ま、マリーちゃん……! それに、アレはっ……!!」
「流石、察しがよろしい。そう、貴方達が無様に戦い続けている間に封印の秘宝と部下を捕らえさせていただきました。えぇ、何と言うことはありませんでしたよ……」
「馬鹿な、外から侵入なんてできるもんか! だって結界が……!!」
「そう! 全く厄介なものを用意してくれたものです。そのせいで私も大分苦労しましたからね。……ですが、えぇ、一度だけ貴方は開いたはずだ。彼等を招き入れるその時にね!!」
「変幻自在……、ってまさかアレか!? 御主、妾の周りブンブン飛んでやがったあの羽虫か!?」
「ハハハハハッハ! 流石は腐っても魔王様、その程度はお解りになるようで!! ……えぇ、心臓めは貴方に心酔し切きっていたせいで失態を犯したようですが、しかし私は違う!」
龍は醜く眼を歪めながら、彼等を嘲笑う。
「大変だったのですよ? 結界に忍び込むのもこの者を捕らえるのも秘宝を発見するのも……、さらに言えばクラーケンの雌を興奮させ怒りで我を失わせるのもねェ! あそこで貴方達が沈んでくれれば、物事はもっと楽に運んだでしょうに!! あぁ、ですがご心配なく……。残念ながら傷付き疲弊した貴方達を今ここで始末すれば、結果は変わりませんから!!」
「何と卑劣なッ……! 貴様それでも誉れ高き魔族か!?」
「クフフハハハハハハハッ! 知ったことではありませんねェ!! いやはや、しかし全く、何ともやりやすいことだ! なぁにが知恵比べでしょう。貴方達は皆、この私の存在に気付かず無様に踊り狂っていただけなのですから!!」
響き渡る、邪悪なる嗤い。
その悍ましさに誰も彼もが戦慄する。強かに、容赦なく、慈悲もなく、悪しき手段で相手を嘲笑う。如何なる努力をも暗闇からの刃で断ち切り、如何なる結束をも毒沼のような言葉で亀裂を走らせ、如何なる勝利をも黒く塗り潰すかのように引き摺り落とす。
果たして、こんな悍ましき者が他にいるであろうか? こんな悪しき者が、他にいるというのだろうか? こんな、こんな、こんなーーー……。
「…………で、話は終わったのか?」
横にいたわ。
「クックック、勇者フォール……! 貴方は一応心臓の仇。役立たずとは言え仲間でしたからねェ、敵は取らせて」
「ルヴィリア、言い忘れていたが貴様に対し一つ為すべきことがあってな。丁度良いから今やってしまおう」
「え、何が?」
「いや、本来は貴様への約束の為に準備していたものなんだが生憎と使う機会がなかったのでな。それも今使ってしまうから、貴様は死ぬ気でマリーとあの水晶を取ってこいという話だ。できるな?」
「あの……、フォール君? いやあの、僕もう魔力ないんだけど……?」
「今まで貴様と旅をしてきて、さらに先刻の戦いを経ても確信は変わらない。貴様は困った奴ではあるが信頼に足る人物だ。あぁ間違いない、俺が保障しよう。お前の正しさというものは必ず実を結ぶだろう。例え今回の策略が如何なる過程を経たとしても俺はお前の持つ想いとやらに気付くことができた。それはとても喜ばしいことだ。だから、それを祝って貴様をーーー……」
「だ、だから僕に何をするつもりなのさぁっ!?」
とんっ、と。
フォールの手は彼女の背中を軽く押して、そう。
この高度から、何と言うことはなく突き落とす。
「半殺す」
「ちょ、おまぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
絶叫と共に落下して征くルヴィリアの姿に、誰も彼もが戦慄する。
強かに、容赦なく、慈悲もなく、悪しき手段で相手を半殺す。如何なる人物をも暗闇からの刃で断ち切り、如何なる集団をも毒沼のような言葉で亀裂を走らせ、如何なる英雄をも黒く塗り潰すかのように引き摺り落とす。
果たして、こんな悍ましき勇者が他にいるであろうか? こんな悪しき者が、他にいるというのだろうか? こんな、こんな、こんなーーー……。
いいや、いるわけがない。
「ま、まさか仲間を突き落とすとはね……。少々面食らいましたが、フフ、戦力を減らしてくれるとは有り難いことです!」
「いや、もう疲れたから貴様と戦うつもりはない。さっさと帰ってくれ」
「馬鹿な、私が帰るとでも……。ちょっと待ってください、何ですかその手に持っている紐は」
「小細工」
彼の呟きにシャルナは思い出す。そう言えばマリーの私室で起床した時にフォールが何かしていたな、と。
――――彼のことだ。ルヴィリア用と言っていたし、きっと彼女との戦いに備えて凶悪な罠を用意していたに違いない! この城の罠を利用したのか、それとも新しく用意したのかは解らないが、ルヴィリアの飛空さえ押し留める対空の罠を用意していたのだろう!!
あぁそうだ、そうに違いないとも! きっと、あの龍の動きを封じるに充分な罠をーーー……!
「と言う訳でスイッチオン」
ヒュンッ、と紐を引いた瞬間、彼等の目の前で龍は爆発四散した。
言っておくが比喩でも隠喩でもない。ごく当然のように、むしろ控えめな表現で言って爆発四散した。天高くキノコ雲が舞い上がり結界の一部が崩壊し風圧で屋敷城の瓦が根刮ぎ吹っ飛びついでにリゼラも吹っ飛び城を覆う爆炎まで吹き消されるほど、爆発四散した。
余りに一瞬。下で龍の破片からマリーと水晶をギリギリキャッチしたルヴィリアが唖然とするほど、彼の真横にいたシャルナが真顔で固まるほど、リゼラに到ってはもう何処まで吹っ飛んだか解らないほど、一瞬だった。
「………………貴殿、何を飛ばしたんだ?」
「いや、魔力を備蓄しているという魔石を投石の容量でな。……本来はルヴィリアのお仕置き用に使うはずだったんだがなぁ」
「そうか……。それは……、残念だな…………」
遠い瞳で噴き上がる黒煙の惨状を見つめつつ、いつもの無表情と悲しげな真顔が並び合う。
そしてそんな彼等の眼下で同じ惨状を見つめるルヴィリアは、ある答えに到っていた。
――――もしかして自分とフォールの間にあった差は、先手必勝とか後手万能とか、魔力とか魔眼とか四天王とか勇者とかそういうのではなく、ただ単純に容赦のなさだったのではないか、と。
「……勇者って、何だっけ」
全く持ってその通りである!
「か、ぁ……! は、ァアアア……!!」
と、そんな唖然とする彼等を他所に、黒煙を纏いながら現れる影が一つ。
先刻まで龍だったその人物は影に覆われたまま異形の腕で顔を覆うと、揺す振られる意識を頭蓋ごと食い止めるように強く握り締めた。否、その様は憤怒を無理やり押し込めるようでさえある。
そして、掌に覆われた眼はそのままぎょろぎょろと辺りを散見すると、周囲の結界が解除されつつあることに気が付いた。
「……見事、と称賛しましょう。四方やこの私が不意を突かれるとはね」
未だ黒煙の衣に覆われながら、顔貌は悔悶に満ちた音色を零す。
その声が向けられているのは他の誰でもない、勇者フォールである。
「フ……、良いでしょう。この勝利は貴方との邂逅への手向けとします。しかし、次からこうはいかないと思いなさい。私はいつでも貴方を見ている。この変貌せし我が牙は、いつでも貴方を襲いましょう」
「……良いだろう。、顔貌。その挑戦受けて立つ」
フォールは眼下の瓦礫を一つ拾い上げると、結界へ向かって渾身の投擲を見せた。
既に崩壊し始めていた結界はその衝撃により砕け散り、人一人が通るに充分な穴が開く。
「行け。戦意を喪失した者を叩く趣味はない」
シャルナ、驚愕して絶句。
「……クク、流石は勇者、慈悲深い。ですがこの慈悲を後悔しないことですね。次に会う時を楽しみにしておきますよ!!」
黒煙纏いし腕は刹那にして巨大な羽となり、脚は風切りの尾と化した。
そこに現れたのは速さのみを求めたかのような歪な生物であり、一目で尋常ならざらぬ存在であることが解る。そう、それこそがこの変貌を自在に操る顔貌なる者の脅威なのだろう。
「さらばです勇者フォール! この慈悲、己の首を絞める鎖と知りなさい!!」
怨嗟籠もる捨て台詞と共に顔貌は飛空し、結界の中から姿を消していった。
フォールはその様を見送るでも睨め付けるでもなく、ただどうでも良さ気に踵を返して階下への階段を探り出す。無論、シャルナはこれに納得いくはずもなく。
「ふぉ、フォール!? どうして奴を見逃したんだ、敵だろう!?」
「単純に面倒臭かった。あと目がしばしばする」
「目は後で目薬さしてやるから! だからそうじゃなくて!!」
「落ち着け。別に俺は戦いはしなかったが見逃してやったわけじゃない。……あちらの方角に覚えはないか?」
「あちらって……! 島の入り江があるところっ……、ぁっ」
「ま、つまりはそういう事だ」
後ろ手を振る彼の意志を汲み取るが如く、高速で飛空する何かの前に海中から巨大な腕が現れる。
いや、それは正確には脚なのだが、顔貌にとっては大差あるまい。
その余りに巨大過ぎる白濁色が何なのか、ご丁寧に二本合わせて立ちはだかるそれが何なのか、遙か天空までを覆い尽くすほどのそれが何なのかなど、大差あるまい。
今から叩き落とされる奴に、そんなことなどーーー……、大差あるはずが、ない。
「ふむ、では目薬を頼んだぞシャル……、何だその目は。何か言いたいことがあるのか?」
「……いや本当に貴殿って勇者なのかなって」
「何を言う。四天王を打倒した勇士など……、そうでもないな」
「うん……」
やっぱり全く持ってその通りである!!




