【3】
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「シャルナ、起きろ。おい、起きろ」
「うぅんむにゃむにゃ……、だ、駄目だぞフォール、昨晩あんなに……」
「阿呆なことを言ってないで起きろと言っている」
「みゃ゛っ!!」
その拳骨に悲鳴を上げながら跳ね起きたシャルナ。
彼女の視界にまず映ったのは苔生した岩壁だった。幾多もの岩石が隙間なくガッチリと組み合わされ、石垣のように壁を造り出している。天井までその造形というのだから今にも落下してきそうだが、いや、苔や蔦が天井まで伸びているところを見ると頑丈さは古さは自分が危惧できるようなものではないのだろう。
そして辺りを見渡すに、ここは小部屋だ。決して狭くはないが広くもない、それこそ『爆炎の火山』でのダンジョンの最後の部屋を思い出す。そして奇しくもかあの部屋と同じく出入り口は自身の背後に伸びる一本のみ。その先にあるのは闇ばかりで、果てどころか宵の口さえも見ることはできない。
なおそれを確認する前に目端で魔王が勇者の手を食べたりして殴り起こされているのだが、そこはツッコまないようにしておこう。
「ここは……、何処だ? 我々はマリー殿の部屋で眠っていたはずだ」
「さてな、そのマリーもいないときたものだ。尤も当然だろうが……」
「……嵌められたのか? 我々は」
「俺もそう考えたが、今リゼラに噛まれて大体の察しはついた。ここは夢の中だ」
「夢の……、中?」
「うむ、女神の神託を受けた時と感覚が似ている。痛覚がなく何処か浮遊感を憶える覚束なさ。貴様等とこうして話ができている辺り普通の夢ではない事は確かだ」
「そう言えばそんな設定もあったな貴殿……」
「最近の奴は天気予報も外すし堕落具合もリゼラより酷いしで全く当てにならん上に、聖剣の封印を受けてからは降臨回数もめっきり減ったがな。……だが飯ばかりは毎回毎回注文してくる面倒なヤツだ。と、そんな事より問題はここが夢の中だということだ。見ろ、リゼラなぞ夢と聞くなりアイスクリームとポップコーンを楽しんでいるぞ」
「んマー……、くねぇな。味がしねぇ」
「駄目だったみたいだ。くっ、俺も想像力があればスライムを出せたものをッ……!!」
「……貴殿等の適応力には頭が下がるな、本当」
いつもハッピーな御一行です。主に頭が。
「しかしカラクリ屋敷城の次は夢ときたか……。十中八九ルヴィリアの仕業だろうが、まさかこんな事ができるなんて」
「奴め、備蓄していた膨大な魔力を全て俺達への嫌がらせに使うつもりだろう。まさかこんな罠を仕掛けてくるとはな、読み誤った。抹殺係数にまた追加せねばならん……」
「まさかルヴィリアも知らず知らずの内に死期が近付いているとは思いもしないだろうな……」
「それよか何じゃここ? どー見てもまぁ進めって事だろうが、何でこんな空間なのだ? しかも妾達一緒くたに! どーせなら美味いモンで出来た世界に飛ばせやオラー!! 壁は肉、床も肉! 全部肉!!」
「阿呆、野菜も喰え」
「そういう問題じゃないだろう……」
「「……魚?」」
「マリー殿ォ-! マリー殿頼むから貴殿も来てくれぇええーーー!! この空間に一人なんて嫌だぁーーーーーっ!!」
だが救いはない。
なんて言っている間にも刻々と時間は過ぎていく。いや、この夢の世界で過ぎているのかどうかは解らないが、流石にこんな世界にいつまでもいたいと思うのはスライムをイメージし続けている勇者ぐらいかこんなモンが食べたいとサンプルを出して訴えかける魔王ぐらいなものだろう、何だか段々と料理の装飾は食べられるモノでやるべきか食べられないモノでやるべきかの談義で盛り上がっているあの二人ぐらいなものだろう。
――――シャルナは決意する。多数決だけはやっちゃいけない、と。
「そ、それより早く進むとしよう! 夢の世界とは言え我々は眠っている状態にあるのだろう? 起きた時に猶予を過ぎていたなんて笑い話にもならないぞ!」
「む、それもそうだな。取り敢えずリゼラの意見も頭に入れたことだし、先を急ぐとしよう。……俺の思案も、ここで纏まりを得るかも知れん」
「纏まり? 何のじゃ」
「……後々解ることだ。兎も角、進むとしよう」
フォールの先導により、リゼラとシャルナは首を捻りつつもその小部屋から足を踏み出すことになる。
無論、踏み出す先は唯一この部屋から続く道で、ほんの数メートル先が闇に覆われるような不気味な道だ。一見するに水路のようだが、そこへ幾つもの石が音符のように並べられており、疎らな橋となっている。足を滑らせでもしない限り水路へ落ちることはないだろうが、こんな底も見えないような水路へ落ちるのは御免被るというものだろう。
何より左右に灯る心許ない松明のせいで水面がゆらりゆらりと照り輝き、余計に闇を深くしているからだ。
「うへぇ、こりゃアレじゃな。吉夢か悪夢かで言うと断然悪夢じゃな。飯はあっても味はせぬし、足元はこんな深淵ときたものだ。見ろコレ、何が潜んどるか解らぬぞ……」
「先日の、海洋での夜の海を思い出しますね。……いえ、近い分こちらの方が不気味ですが」
「しっかしルヴィリアめ、あんなカラクリ屋敷の次はこの訳の解らん世界とはいったいどういう了見じゃ? まぁ夢触手プレイとかやり出さないだけマシやも知れぬが……」
「それはないでしょう。あの時……、フォールと別れるときの口振りからして奴は四天王としてこの島にいます。確かに内容は巫山戯ていますが、『最智』の名に恥じずフォールを追い詰めていますからね。それにしては我々まで巻き込んだ理由はよく解りませんが……」
「ケッ、あ奴の考えとることはやっぱりよう解らん。まぁ、フォールよりはマシだが?」
「まぁ、フォールよりはマシですね……」
「聞こえてるぞ貴様等。……今更口笛吹いても遅い」
「しっかしのう、フォール。御主アレじゃろ? 薄々気付いとるんじゃろ、ルヴィリアの狙いとやら。『あやかしの街』で出された問題も御主だけ解いたし。間違いじゃったけど」
「魔王であるリゼラ様と同僚である私に解けず奴に解けるとは……。うぅ、精進が足りないのだろうか」
落ち込むシャルナとどうでも良さげなリゼラだが、フォールはそんな二人を前にそんな事はないと軽くと息を零す。
むしろそれこそがルヴィリアの狙いなのだから、と。
「ん? どういう事じゃ」
「いや、確証がない。忘れろ」
「だぁーーーっ! また御主はそうやって含みあることを言う!! 御主はアレか、物語中盤で出てきて終盤辺りで激闘を繰り広げるも主人公に敗れたあと現れたラスボスから何故か主人公を庇って実は主人公の兄だったことを明かしてから死ぬ意味深キャラか!?」
「何故か随分具体的な上にそこまでいけば意味深ではありませんが、フォールはむしろラスボスポジでは……。と言うか一応ラスボスは貴方様です……」
「誰がラスボスだ。せめて街の神官辺りにしておけ」
「邪教の神官じゃねーか」
「最終的に邪神をその身に降ろしてラスボス化するんだな解るぞ」
「我が身にスライム神がッ……!?」
「シャルナ、この話やめようシャルナ。誰も幸せにならんわコレ」
「一人幸せそうな奴はいますがね……」
ふぅ、と彼女達は一息ついて。
「で? 話は逸れたが結局御主は何を思いついたのだ。憶測で構わんから話してみろ」
「……ふん。憶測で話せるなら疾うに話している。帝国の時ならいざ知らず、今回は貴様等も巻き込まれているわけだからな。だが今回ばかりはそうもいかん。易々と話せる内容ではない。むしろ巻き込まれたのが貴様等でなければ、或いは側に居たのがマリーでなければ、話せたかも知れないな。それこそダキやアクリーン達ならばむしろ……、話すべき内容ですらあった」
「ルヴィリアに近しい者には話すべきではなく、近しくない者にこそ話す内容……? それはいったいどういう事なのだ、貴殿」
「俺に聞くな、ルヴィリアに聞け。奴がそうするように仕組んだのだから。……尤も、うむ、突き詰めれば突き詰めるほど辻褄が合うが、さてこれが本当に奴の狙いなのかと問われると怪しいところだが」
彼はそれ以上話すつもりはないようで、脚場の石を跳ね回りながらすいすい先へ進んでしまう。
リゼラとシャルナは何度か落ちそうになりながらも、いや主に落ちそうになったのはリゼラだけだが、そんな彼の後ろ姿を追っていく。
「貴殿……、貴殿! その様な濁し方をされては私もリゼラ様も腑に落ちない! どういう事なのだ!?」
「だから言っているだろう、貴様等はまだ知らなくて良いと。これはルヴィリアの口から直接言うべきものだ」
こうなっては最早、彼は何も言うまい。二人は仕方なく諦めるように石の脚場を跳ね飛んでいく。
――――しかしこの空間はいったい何なのか。夢の世界にしても不気味すぎるか、何よりあのルヴィリアがこんな世界を用意するとは思えない。いったい全体、何の目的があってこんな世界を用意したというのだろうか。
未だその目的は、定かではない。
「なぁ、ところで聞きたいんじゃが」
と、そんな思考を打ち切って魔王様。
「……何でしょう」
「後ろのアレ、何かな」
「……何でしょうね」
振り返らずとも、大体察することができる。
そこにあったのは、と言うかそこから迫ってきているのは、凄まじい怪物だった。幾つもの目玉や体中にある牙、何十本と生えた手に汚泥のような体躯。この狭い一本道を全て埋め尽くすかのような、巨大さ。
確認する必要はない。と言うか確認したくもない。あんな見るからに化け物な、まるでこの悪夢を住処にしているかのような化け物を、確認したいはずもない。
「おいフォール! 御主アレ何とか……、ってもういねぇ!!」
「無理ですリゼラ様アレやばいです絶対ヤバいですこれ以上ないぐらいヤバいですもう無理です腰が抜けそうでしゅぅ!!」
「御主がここまで怖がるのも珍しいなオイ!? と言うかここで腰抜かしたら放ってくからな! 御主運べると思うなよ妾がァ!!」
「それはそうですが、駄目です。アレ本当駄目です、アレ絶対ダメですからぁああああ……!!」
「気合い入れて走れ気合い入れてぇ! 後ろ振り向かず走れや頑張って!! と言うか何じゃあの化け物!? 悪夢っぽいのがガチの悪夢になりやがったぞ!!」
「わらひにきかないでくらひゃいいぃいいいい……! あ、あの化け物だけは本当に無理です、どうしたって無理ですぅううう……!!」
「だから何で御主がそんなに怖がっとんだ!? あ、でも待て! これアレじゃろ。夢の世界なんじゃから壁とか作れるんじゃね!? おいシャルナちょっとこっち向け!!」
「何で壁で私を見るんですかリゼラ様そういうの魔王としてちょっとどうかと思いますよ聞いてますかそもそも貴方は普段の怠慢からしてどうかと思っていましたが人が気にしてることをズケズケというのは魔王以前に魔族としてちょっとどうかと」
「いやそういうんじゃねーから! 頑丈性っていう意味だから!! 御主の立ち直りはえーなオイ!?」
「あ、あぁ、そういう事でしたか……。ではお願いします、リゼラ様! どうかその純粋無垢に単純すぎる思考回路の賜を見せてくださいませ!!」
「やっぱ御主まだちょっと怒ってる!?」
ぎゃあぎゃあ騒ぎながらも、リゼラはその手から純粋なイメージにより巨大な壁を出現させた。
通路全体を遮断させるほどの規模と重厚さだ。幾らあの怪物であろうとこの壁を破るのに数分はかかるだろう。
それだけの時間があれば逃げることもーーー……、ゴォンッッ!!
「……まぁ、料理に味がないぐらいだし、壁に強度とかないよね」
「リゼラ様、見捨てないでくれますよね? ね?」
「当たり前じゃろ、妾達は仲間……」
魔王の脚を掴む四天王、そんな四天王を必死に引き剥がしに掛かる魔王。
何とまぁ、見にくい光景でしょう。
「うぉおおおおおおおおおお離せぇええええええええええええ! 妾はこんなトコで死にたくねぇええええええええええええええええええ!!」
「死なば諸共! 地獄までお供しますよリゼラ様ぁああああああああああああああああ!!」
「オメーそれお供させてんだろォがふざけんなぁああああああああああああああ!!」
そんな惨劇を経ても怪物が止まってくれるわけはない。
二人は取っ組み合いながらも全力疾走のまま石の脚場を跳ね飛び、駆け抜けていく。
幾ら夢の世界とは言え、あんな化け物に飲まれてろくな末路が待っているワケがない。誰よりもフォールがさっさと逃げた辺りからしてそれは確実だ。
と言うかあの勇者め、躊躇なく見捨てやがった。
「えぇいクソ、いつもろくな事になりゃしねぇ! 妾何かやった!? 妾なんかやったかなぁ!?」
「まぁ普段の行動がありますが……! あっ、待ってくださいいました、フォールいました!! あそこで蹲ってます!!」
「何ィ!? 真っ先に逃げやがったくせにアイツゥ!!」
何と、そこには珍しく蹲って動かないフォールの姿が!
「ブハハハハハハハハハハハハハハ! ブゥウウウウザマァアアアアアアアアアあああああああああああああ脚がァアアアアアアアアアアアッッ!!」
「笑い方ゲス過ぎませんか!? いやしかし何故フォールがあんな様にぃいいいいいいいいいいいいいいああああああ脚がァアアアアアアアアアッッ!」
なんて言ってたゲス魔王と四天王も凄まじい衝撃を受けてその場へ転がることになる。
極所へ全衝撃を収束させるが如き一撃。それを受ければ如何に勇者であろうと魔王であろうと最強の四天王であろうと耐えられはしない。いや、誰であろうと、例えこの世を支配せし者であろうと耐えられるわけがない。
そう、それこそ属に苦痛王の一撃と呼ばれるーーー……、世界最悪の一撃である。
「ぐ、む……! 馬鹿な、こんなところに何故角がッ……!?」
「小指がぁあああ……! 小指がぁあああああ…………!!」
「ふぉ、フォール……! これはいったい……!?」
「解らん……! 貴様等を生贄に捧げて逃走した途端にこれだ……!!」
「今御主、生贄に捧げたつった?」
「気のせいだろう」
「ボケてる場合かッ……! い、今にも後ろから化け物が……!!」
「解っておるわ! えぇいこの程度の痛みで普段アイアンクローされとる妾が怯むとでもァア゛イダイッ!!」
「何をやっている馬鹿め、二度も三度もぶつける奴がぬぐぅッ!?」
「だから巫山戯てる場合ではないと! 早く逃げねばぁあっ!?」
起き上がる度に小指インパクト。凄まじい激痛が全身を駆け巡る。
何がどうなっているのか。もう運命で定められているのか因果で定められているのか、どう足掻いても小指に角がぶつかってしまう。あっちを向いてもこっちを向いてもそっちを向いてもどっちを向いても小指小指小指のインパクト。伏せても立ってもインパクト。どうしようもなくインパクト。
「くそっ、ルヴィリアめ! 何処まで俺達を苦しめる……!?」
「御主勇者じゃろ!? エロゲ設定の次は小指でピンチとかどうにかならんのか!?」
「リゼラ様言い方言い方! せめてルヴィリアの策略と言ってください!!」
「策略? 化け物の次は小指だと、こんな魔法があるとでもっ……!」
「あっ、そう言えば昔側近の奴にこんな呪い掛けられたことあったわ。確かあ奴が妾に黙って魔貴族のボンボンと合コンしやがったからその腹いせに奴の髪型を一週間ほどモヒカンで固定してやったら、常に小指を角にぶつけ続けるっつー呪いをじゃな」
「おいシャルナ、本当にこれが魔族の長で良いのか」
「いや……、うん……、もう……、何て言うか、うん……」
何とも言えねぇ。
「しかし何故それが今こんな夢の中で……、む、待て、夢? そうか、夢か。ここは夢ではないか。つまりこれは俺達が見ている過去の嫌な思い出ということか?」
「じゃ、じゃああの化け物も誰かの思い出なのか!?」
「解らん。だが誰かのかつての悪夢と考えるならば筋は通る。とは言っても俺の身に覚えはないが……」
「妾もねぇよ? あんな化けモン」
「「…………」」
「……そ、そう言えば、昔、その、おねしょしてしまった時に見た悪夢が、あんな感じだったような」
「よっしゃあんなモン小便悪夢と解れば怖くねェ! 野郎ブッコロしてやらァア!!」
「だから言い方ぁあああああああああああーーーーーーーーーーーっっっ!!」
「よし、この世界ばかりは至高が単純ななリゼラの独壇場だな。まさかこの馬鹿に頼る日が来ようとは思いもしなかった」
「ぬははははははは! 任せよ任せよ妾こそ最強よォ! 御主等は無様にそこで這い蹲って妾の勇士を見るが良いわぁ!!」
「うむ、そうさせて貰おう。……しかし、何だな」
化け物相手に爆裂無双を見せる我等が魔王様の後ろで、ふと思案顔を見せながらフォールはぽつりと呟いた。
何気ない、本当に何気ない面持ちと口調で、どうでも良さげに、その事実を呟いたのだ。
「状況から見るにシャルナのトラウマ、リゼラのトラウマと来たわけか。ならば次は俺のトラウマが来る訳で」
リゼラ&シャルナ、逃亡。
それはもう一切後ろを振り返らない美しい疾走であったという。
「おい待て貴様ら、何故逃げる」
「御主のトラウマとか世界滅亡以外に何があるって言うんじゃボケェエッ! 存在自体がトラウマな奴のトラウマとか地獄でしかねぇわ!!」
「すまないフォール、夢の世界で拷問など受けたくないッ……! 嫌だ、もうスライム洗脳は嫌だッ……!!」
「…………」
「あ、ちょっとショック受けてる」
「ホントこいつ妙なトコで繊細じゃなぁ!?」
しかしそんな勇者が膝を抱えていじけている間にも化け物は迫ってくるし小指インパクトは襲ってくるしでもう散々である。最早、この勇者のトラウマが何なのかなど言っている場合ではない。
リゼラとシャルナは蹲る馬鹿の首根っこを掴むとそのまま全力で走り出す。時折小指に激痛が走るがもうそんな事に構う暇さえないときた。走れ走れの全力疾走全力跳躍。ここが悪夢というのならさっさと目覚めてくれと言わんばかりに彼女達はなりふり構わず走り抜けていく。
ヘルプ、ヘルプ。夢が、あぁ夢が迫ってくる! 悪夢の宴のように!!
「と言うかこれ小便悪夢から逃げとるがフォールの悪夢からは逃げられるのか!? つーかさっきから小指が痛い!!」
「だからその言い方はどうかと! しかしあの悪夢と真正面切って戦っても倒せるかどうかっ……!! そもそも夢ならば覚めれば万事解決では!?」
「それができれば苦労していない……。いや、むしろ俺達は段々と深い眠りについていると見るべきだろう。考えてもみろ、小指の痛みを感じているのに起きていない。感覚も段々ハッキリしてきているんじゃないか」
「つまり何か!? この空間に長くいたから夢の世界に取り込まれつつあると!? あと御主はそろそろ自分で走れ!!」
「いや……、追い立てられることを考えるに、恐らく空間にいる時間よりもこの通路を進んでいるからだろうな。この道はそのまま深い眠りへの誘いなのだろう」
「あ゛!? じゃあ進まぬ方が良いではないか!」
「そうではない、進め。この空間を用意したルヴィリアには何らかの意図があったはずだ。それが知りたい。恐らくそれで……、奴の目的に確信が持てる」
「でもこのまま進んだら御主のトラウマに直撃しますよねェ!?」
「……リゼラ、考えてみろ」
ふとため息を零すように、彼は呟いた。
何気ない風に、親が赤子へ言い聞かせるように優しく、慈悲深く。
「今ここでトラウマを作るのとこれからトラウマを味わうの……、大差などあるか?」
「アッハイ……」
完全に脅しです本当にありがとうございました。
「シャルナ、アカンこれ。選択肢ないわ」
「どう足掻いても絶望とはまさにこの事ですね……」
「笑うしかねぇや!」
狂気的な笑みでレッツゴー。あっちも悪夢、こっちも悪夢のトラウマ大会。
泣いてるのやら笑ってるのやら解らない表情で爆走する二人を追い立てるのは小指への一撃と汚泥の悪夢。そして待ち構えるのは恐らくそれ等以上に最悪で最凶な勇者の悪夢。と言うか立ち止まっても勇者が悪夢。
もうどうしたって止まるわけにはいかないし止まれるわけもない。進め、進むのだ! 赦されるのは地獄への逃走だけである!!
「いやしかし、人に引かれるというのは中々楽なものだな。こう、温かい飲み物など欲しくなる」
「おぉいシャルナァ! こいつ捨ててっちゃ駄目かなぁ!?」
「大凡同意ですが生贄に捧げた場合、絶対ろくな事にならないのでやめてください! 具体的には我々が生贄になる的な意味で!! それよりもリゼラ様、前! 前になにか見えて来ましたよ! アレは光では!?」
「光!? ……いやこの状態で露骨な希望など怪しすぎる! 絶対アレ罠だって!!」
「ほう、貴様も段々理解が深まってきたじゃないか」
「そら今妾の後ろに光を装った絶望の権化がおるからな!?」
「うむ、夢というのは希望と同列に語られるが、いやしかし絶望という形で迫ることも……」
「テメーのことだよッッッッッッッッッッ!!」
「…………」
時としてド正論は人を傷付けるものである。
とまぁーーー……、そんな彼等の喧騒も然ることながら、彼等の向かう何処までも真っ白な空間には一人の男が待ち構えていた。
蒼銀に黄金の彩色が施された大地が如き甲殻に覆われた鎧を身に纏い、天の羽を下げる兜を被り、深淵さえも歩み抜ける神鱗の脚装を纏う、一人の男だ。
「………………」
その男の姿は定かではない。それ等の装備や両腕に握る黄金の剣と輝く盾こそ形を有しているが、纏う者それ自体が黒き靄で作られた異様の存在なのだ。この微睡みの世界に相応しく形を持たぬ、ただその在り方としてここに存在する姿なのだ。
――――彼の名を知らぬ者はいない。この世に存在し、生けとし生ける者皆、その姿を知らぬという者はいない。
それは当然であり、必然である。何故ならその者はかつて、この世界を救うべくタコスッ。
「り、リゼラ様ぁあああああああああああああああああああああーーーーーーッッッッッ!!!」
「いかんな、いつもの癖で投げてしまった。……む? 今あそこに何かいたか?」
「え、いやすまない、見てなかった……。何か騎士的なモノがいたような気がするが……」
「……スライムじゃないならどうでも良いか」
「まぁうん、貴殿はそういう奴だよ……」
伝説の騎士(?)ご退場。
残ったのは魔王の残骸と筋肉ダルマとスラキチ野郎だけでした。
「しかし妙な空間に出たな。どうにも先程とは風情が違うが」
「後ろの化け物……、も追ってきてない。小指への衝撃も消えた。と言う事はここが終点なのだろうか?」
「恐らくは。ところでリゼラ、生きてるか?」
「さのばびっち……」
「生きてるな、良し」
「生きてるというか死に損なってるというか……。いやしかし、本当にこの空間は何なのだ? ここが貴殿のトラウマ、というわけでもないよな?」
「生憎とこんな記憶はないな。だが、終点ならば終点らしく何かあっても良さそうなものだが……」
と、そこまで言いかけた辺りだろうか。フォールの瞳に小さな影が映る。
それは、真っ白な空間の地面に頭部と双角を埋没させたリゼラの近くにあった、一人の少年の影だった。
少年と言ってもその見てくれは少女のようで、年齢も幼児化したリゼラよりも幼い五歳から六歳程度のものだ。未だ世の穢れを知らぬ純真無垢な、何処かのお坊ちゃまのように煌びやかな衣服に身を包んだ愛らしい少年である。
そんな少年はリゼラを突いたり引っ張ったりとして遊んでいたが、やがて飽きたのか果てなき真っ白な空間を駆け巡り始って遊び始めた。その眩しい微笑みは、見ている者の心までも洗い流すかのようだった。
「……アレは、いったい」
「見てくれから大体の予想は付くが俺の思考回路が理解を全力で拒んでいる。……いや、しかし、うむ、あの緋色の眼と言い髪色と言い、まさか、だが、うむ。……嘘だろう?」
「い、いや、貴殿にそう否定されても何処か面影が……、あの姿はつまりそういうこと、だよな?」
楽しげに奔り回る少年に、フォールとシャルナの頬から冷や汗が流れる。
いや、彼は少年ではないのだろう。格好こそ絢爛活発なそれだが、きっと、そうではない。
あの姿はーーー……、あの顔は、間違いない。子供の頃の、ルヴィリアだ。
「……格好よりあの純粋無垢な子供があぁまで穢れるのかと思うと、何と言うか、もう、悲しみしかないな。いったい何処の選択肢を間違えたんだ。バッドエンドでもう少しマシな末路を用意するだろうに。奴はいったい前世で何をやらかしたんだ」
「……………………」
「恐らく下着窃盗か痴漢で歴史に名を残すような……。貴殿? どうかしたのか」
「…………いや」
フォールの頬に流れていた嫌な汗は止まっていた。しかしその代わりと言わんばかりに眉根は高く吊り上がり、何とも悩ましげな表情を浮かべている。きっと今、彼の頭の中では凄まじい速度で否定と肯定を繰り返されているのだろう。今まで、本当に数秒前までは有り得ないと唾棄していたその予想を、反芻させているのだろう。
いいや、そうせざるを得ないのだ。
「そうだな……。貴様はそう考える。そう考えて当然だ。いやリゼラでさえもそう考えるだろう。奴を知っている者は皆、俺でさえもそう考えていた。つまり、奴は、あぁそういう事か。道理で、あぁ、うむ。納得がいった、合点がいった。全てに確信が持てた。つまり、そういう事か」
「だ、だから貴殿一人で納得しないでくれ! あの姿がどういうことなのだ!? いったいルヴィリアは何故こんな姿を見せたのだ!?」
「……それこそ奴に直接問いただす他あるまい。少なくともそれで半殺しか全殺しかに変わる」
「あぁ、結局無事では済まないんだな……」
「当然だ。俺を利用して無事で済ませるわけがあるまい」
純白の世界に噴き上がる、殺意らしき邪悪なる漆黒の靄。
シャルナはその靄を見て確信する。――――あぁこれルヴィリア死んだ、と。
「リゼラを起こせ、シャルナ。いやこの夢の世界でではなく現実の世界で……。いい加減にーーー……、この茶番劇を終わらせる為に」




