【プロローグ】
――――勇者、勇ましき者よ。聖なる女神より加護を与えられ賜うし者よ。
遂に、相見えましたね。邪悪なる叡智たるその者と、幾多の試練を与えてきたその者と。
戦いは熾烈なる激戦を極めるでしょう。誰も彼もが無傷で終わることはないでしょう。貴方自身でさえも、ただこれまでの旅路に産まれた傷を癒すことはできないでしょう。
ですが、剣を手に取るのです。貴方を支えてきた者、貴方に微笑んできた者、貴方に許しを請うた者、皆々の思いを胸に負い、その戦場に立つのです。貴方は、立たねばならないのです。
さぁ、一歩を。貴方がその先へ進む為の、その一歩を今こそーーー……。
これは、永きに渡る歴史の中で、雌雄を決し続けてきた勇者と魔王と四天王。
奇怪なる運命から行動を共にすることになった、そんな彼等のーーー……。
「ほ、本当に四天王とは知らなかったのか? 貴殿……」
「魔族ということは把握していたが、奴が四天王というのは初めて知った。ただの変態かと……」
「いやただの変態じゃけども」
「……しかし、うむ。ところで疑問なのだが、奴にも称号があるのだろう? 何だ、『最速』か? まさか『最硬』とは思わないが」
「「最智」」
「………………………………最痴」
「「最智」」
「…………」
「やべぇ、此奴のこんな苦そうな顔初めて見たぞ!?」
「気持ちは解ります。……えぇ、気持ちは」
爆動の物語である!!
【プロローグ】
「僕の知っている勇者フォールは、とても強い男さ」
上半身の着物を投げ捨て、下半身の厚皮下着も脱ぎ捨て、彼女は産まれたままの姿で夜の黒風が吹き抜ける渡り廊下を歩んでいく。
その空間はーーー……、余りに異様なものだった。竹筒で造られた柱や漆塗りの床、妖しげに浮かぶ灯籠に月光りに照る瓦屋根も然り、時折ちりんちりんと聞こえる風鈴の音や夜風に揺れる葦草のざわめきまでもが、浮き世とは遠くかけ離れた和造りの数々として彼女を迎え出でる。
それらの建造は如何様にも、この美しき月夜を映えさせるに充分なものだ。その者を迎える喝采と装飾にしては、充分過ぎるものだ。
「三度の弱体化を経たとは言え、その実力は未だ『最強』の四天王に切迫している。常人なら魂どころか存在さえ消滅しかねない封印を三度も受けてだよ? 全く、はは。悪い冗談以外の何だって言うんだ」
「その割には随分と余裕のように思われますが」
全裸で堂々と廊下を進む彼女の後ろに着き従うのは清楚な雰囲気漂う、物静かな女性だった。
しかしその風貌は人間のそれとは違い、兎のように垂れた白長の耳やもふりと丸々しい尻尾など、獣に近いものがちらほらと視られる。
そう、彼女は俗に言う獣人だ。亜人の一種でありかつては不当な差別を受けたこともあったが、現在では人間に近しい存在として認められており、世界最大国家である帝国ばかりでなく様々な国々でも数多く姿を見かける、一人種である。
――――ただし、彼女は獣人であって獣人ではない。その血統故に、獣人とは認められていない。
「おいおいマリーちゃん。これでも僕は『最智』の四天王だぜ? そのぐらいは考えてるさ」
「……どうですかね。普段からぶらぶらと歩き回るし帝国に抜け出すし、挙げ句の果てには勇者一行と行動を共にするなど聞いたことがありません」
「にゃはは、一応は威力偵察ってことで勘弁しておくれよ。……その代わり、彼等を倒す策は考えてきてるんだぜい?」
「戦っても勝てないのに、ですか?」
「はは、力量差なんて勝敗の要素においてほんの数割程度さ。戦って勝てないのなら、戦わずして勝てば良い。単純な話だろう?」
そう単純とは思えませんが、というマリーなる兎の獣人の言葉に、ルヴィリアの頬は僅かに緩む。
安堵や喜笑故にではない。それは、確信的な何かを噴き出すかのような微笑みだった。
「単純さ。だって、そうじゃないか。確かに彼と剣を交わらせれば勝てないが、交わらせなければ勝ち筋は僕の方が多いんだ。何の為に僕が彼と今まで行動していたと思う? 何の為に僕が彼と言葉を交わしてきたと思う? 他ならぬ、彼自身を知る為にだよ」
「……それで、勝てる方法が知れたと?」
「知れたさ。彼は余りに人間らしくなさ過ぎる」
漆塗りの床板に爪先を這わせ、彼女はくるりと半回転してみせた。
月夜に映える肌は艶めかしく光を溶かし、淡い薄桃色さえも白絹のように柔らかく蕩けさせる。
妖艶ーーー……。女であるはずのマリーでさえ思わず息を呑んでしまうほど淫らな姿だ。けれど彼女の視線はそればかりを捕らえているわけではない。むしろ、もっと、気に掛かるものが一つ。
「……魔眼は、使われていないのですね」
「フフ、気付いた? そうだよ。僕は今魔眼を使ってないんだ」
「……リース様にさえ明かさなかった秘密。その男には明かした、と?」
「まさか、明かすわけないじゃないか。それを今から試すのだから」
「試す……、ですか。それと彼への対策、いったいどんな関係性が?」
「フフ、ここまで言っても解らないかい? 彼に戦わずして勝つ方法は単純さ。ただ、彼に僕の秘密を探らせるだけで良い。そう、三日という猶予の中でこの島を歩き回り、僕の秘密を知ろうとするだけで良いんだ。それだけで勇者フォールは僕に敗北する。彼が人間である限り、せざるを得ない! ……この島の統括を任せている君になら、その理由が解るんじゃないかい?」
「……嗚呼、なるほど。そういう事ですか」
「うん、そういう事さ。この島がどんな島かは、君と僕が誰よりも知っている」
微睡みのような笑い声が、葦草の呼応に消えていく。
その微笑みを零す瞳は半月よりも禍々しく、そして、淫靡に笑う。
「……そこでマリーちゃん。君にお願いしたいことがある。フォール君達の案内役を頼めるかな?」
「此方が、ですか。しかしその勇者フォールというのは……」
「問題ないよ。彼はまだ僕が敵意を持っているとは気付けないだろう。あの慎重な性格から考えて、猶予ギリギリまで情報収集に入るはずさ。だから、都合が良い」
「しかし……、そうとも限らないのでは?」
「うん、だけど万が一はないさ。だって三日かかるということはアレがあるんだから。……ま、それ自体が目的でもあるから今回の課題を作ったんだけどね。僕も魔力回復に努めたいし!」
「それ自体……、あぁ、そういう事ですか。だから三日という日数を……。やはり貴方は性悪ですね」
「性悪? ……かも知れないね。けれど今は魔族、『最智』なる四天王ルヴィリアだ。それで良いんだよ」
彼女は闇を纏い、灯籠の灯りも届かぬ闇の中へと溶けていく。
光が舐めていたはずの肌はいつの間にか漆黒に消え失せ、淫靡なる肉さえも黒き衣に覆われて。
「マリー。ダキと……、そしてあの子に呼びかけを。これよりこの街は勇者フォールを破滅させる為に幾多の策謀を重ねた要塞と化す。彼が情報収集を終え、敵意を持つまでが勝負だ。我等は……、魔族として勇者を打倒する」
「……拝承。此方は四天王ルヴィリア・スザク様の仰せのままに」
やがてその闇の中に漂うのは、輝きを失った緋色だけとなる。白き耳尾を持つ者も、夜天の月さえもない。彼女が佇むその闇は、彼女だけのものだ。
――――フォールは気付かないだろう。まさか自分がこんな策略を用意し待ち構えていることなど。万全の敵意と共に研ぎ澄ませた刃を用意していることなど。
だから勝てる。夢を視る嘘でしかない自分が、彼に勝つことができる。勇者フォールという男の慎重さと甘さを知っている自分だからこそ、勝つことができる。
このおぞましき蜜壺の中で彼は破滅するのだ。我が策略により、気付かぬままにーーー……!
「……さぁ、勇者フォール。この島に足を踏み入れるが良い。君はきっと気付かないだろう、自分に向けられた敵意も、自分に迫る危機も。嗚呼、確かに君は強いさ。だがその強さ故の慎重さが仇になる。自分の置かれた状況を甘く見る隙が生まれる! そして、僕はそこにつけ込める……!!」
闇に、緋色が消える。
「君が僕に敵意を向けられるのはいつかな? 君が自分の慎重さに気付けるのはいつかな? 三日目か、速過ぎても二日目か。だがどちらにせよ、その時にはもうーーー……」
あの夜空に浮かぶ月星を塗り潰す、暗雲のように。
「…………遅いのさ」
やがて、その言葉を幕切れに彼女の姿は完全に闇の中へと消えた。夜空を暗雲が覆い尽くすように、その姿もまた果てなき闇の中へと消え失せたのだ。
――――そして、そんな彼女を呑んだ漆黒に等しい闇夜に沈む海を征く、無果の海峡があった。月星の浮き揺れる水面を裂く帆船の角、潮風を薙ぎ仰ぐ純白の旗と白濁の怪、船首に構える真紅の双眸。それらを靡かせながら進む者達がいた。
彼等は一つの島を目指している。これより辿り着くであろう小さな島を。魑魅魍魎集うその島を。夢幻に魔道その島を。
勇者率いるグレイン海賊団。彼等は、最智が待ち構えるその島を、目指していたのだ。
「フォールさん、明日の朝には到着です。雨風も大したもんじゃねェし、航路に問題はねェ」
「あぁ、そうか。すまんな」
「……しかし、その、大丈夫なんですかい? そのォ」
「あぁ、問題ない」
彼の断言に、グレイン船長はそれ以上の追求もできず、不満を擦り付けるかのように頭を掻きむしりながら引き下がった。
既に船首へ残るのは当の勇者を含む魔王と四天王二名。肉眼で目視可能となった小さな島を眺めつつ、ただ彼等は潮風に全身を吹々かれる。
「……まさか、ルヴィリアがこのような形で行動を起こすとはな。貴殿はどうするつもりなのだ? 奴の魔眼に掛かった以上、解除方法は奴自身に解除させるしかないぞ」
「しかもご丁寧に三日という期限付きじゃ。ルヴィリアのことだ、あのタイミングで御主に仕掛け、さらに期限まで定めたとなれば妖怪島とやらにも何かを用意しておるのは確実。それも容易く突破できるような、最低でも三日以上の時間を稼げるものであるのは間違いあるまい。御主も遂ぞ最大の危機が訪れたわけじゃ」
「…………いや、そこまで追い詰められているようには思えんがな」
「何?」
「奴が下した命令は絶対服従だった。やろうと思えば即死させることもできただろう。だがそれをせず、さらに猶予まで付け足した。それが発動条件の一種か、それともただの情けだったのかは解らないが……、奴の戦意は低いと見える」
「…………」
「で、あるならばそう急ぐこともあるまい。むしろ探るべきは奴の真意だ。それも三日、いや到着までを考えれば二日半という猶予があれば何ら難しいことではない。今から向かう妖怪島に何があるかは解らんが、兎も角まず奴の考えを……」
「……シャルナ、御主フォールに絶対服従できるなら何を命令する?」
「え? 添いっ……、で、ではなく、そうですね」
シャルナは一瞬考え込んで、何処か遠い目をしながら一言。
「スライム信仰剥奪?」
「スライム撲滅」
「「…………」」
二人がちらりと視線を流せば、そこには『やれやれ何を言っているんだコイツ等は』と言わんばかりに呆れため息を見せるフォールの姿が。
「良いか? あんな奴でも一応は旅を共にしてきた仲間だ。ここに来ての裏切りは奴の中にある僅かな魔族への誇りや忠誠のためか、それとも奴自身の最後の意地なのだろう。俺はそれに真摯なる態度で応えるつもりだし、奴との戦いにも歴然とした意志で望むつもりだ。何より奴との戦いが終われば再び仲間としてその行いを水に流して受け入れてやるべきであり……」
「フォール、御主……」
「そ、そうだな。要らぬ邪念など持つのが奴に対して失れ」
「そして殺す」
「「…………」」
「奴にも様々な感情があったのだろう。葛藤、深読、苦悩、悲哀、決意……、その感情を無下にしようとは思わない。そして今まで奴と過ごしてきた中で嬉しいこと、楽しいこと、悲しいことも悔しいことも様々あった……。そんな思いを無駄にすると言う事はその者の魂を無駄にするということだ。奴が巡り描いた様々な感情こそ奴の魂であり、何よりも奴を現すものなのだろう。ならばそれに応えることが奴に対し何よりの礼儀なのだと俺は思っている。だからこそ俺は諦めない。奴を倒し、そして俺達の元へと連れ戻し……」
「「……そして?」」
「躊躇なく殺す」
「「…………」」
「これからの戦いは熾烈を極めるに違いない。もしかすれば俺も無事では済まない可能性もある。奴は奇人変人を極めているがその知能と策略性は確かなものだ。俺も気を抜くことはできない。或いはどちらかが戦刃に倒れることもあるだろう。だが俺は奴を認めている、その生き様に納得している。ならば奴を生かし、そして活かすことこそ俺に対する使命だ。俺は勇者として奴に立ち向かい、再び奴の手を取って」
「「殺す?」」
「微塵もなく殺す」
「「…………」」
リゼラとシャルナは微笑み合い、星々の輝く空を見上げた。
――――アイツ、死んだんじゃね?
――――まぁ、死にましたね。
そんな儚いことを呟きながら、遠きお星様に願いを馳せる。
――――もうすぐそっちに仲間が行きますよ。
つまるところ、どういう事かと言うとーーー……、はい。
甘さなんて、微塵もなかったよ。




