【2】
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「あぁ、フォールさん! いらっしゃいましたか」
さて、そんな宴の昼食から数時間。船が潮の導きに帆の旗を掲げて紅蓮の海を進む頃、フォール達は船長であるグレインによって船長室へと案内されていた。
流石は海賊の船長室というだけあってオウム鳥だの古くさい海図だの、はたまた髑髏だのが勢揃い。本来なら他の部屋々々よりも一等豪華な装飾に目眩でも起こすべきなのだろうが、流石にここまで在り来たりだと逆に呆れのため息も起ころうものである。
まぁ、生憎と勇者一向は頭部が黄金爆発を起こした魔王のせいでそれどころではないようだが。
「すまんな、阿呆の手当で手間取った」
「ふがふがふがっふふが(誰が阿呆だはっ倒すぞ)」
「り、リゼラ様。流石に包帯グルグル巻きでは威厳が……、い、今、口の辺りを外しますので」
「っぷは。うむ、ふむ、喋れるな。……で、グレインとやら? せっかく妾が夕食前のトランプ大会で優勝仕掛けだったところを呼び寄せたのだ、それはもう大層な理由であろうな?」
「負けそうになったら山札へダイブしまくってたのによく言うよ……」
「トランプ大会って……。いや、まァそこまで大層な話じゃねェんだが、一応テメェ等も聞いといた方が良いだろ。何、これからの進路の話さ」
船長室の横長な机へ乱暴に拡げられる、一枚の地図。
その地図にフォール達一同は顔を覗き込ませるが、どうにも見たことがない地形だ。
それもそのはずだろう。これは地上を現したものではなく海を現した地図ーーー……、即ち海図なのだから。
「既に港を出発して半日、もう間もなく日が沈む。そうなりゃ速度は大きく落ちるし方向転換も効かなくなるから、今のウチに確認しておきたい」
「む、待て。グレイン船長よ。どうして日が沈むとそのようになるんだ?」
「そりゃこちとら真っ青な海を何の目印もなしに進んでるワケだからな。敢えて言うならコンパスや星詠み。それと海域魔法……、なんて上等なモンはねぇから謂わば、ほぼほぼ手探り状態なわけだ。そんな中でキングクラーケンなんかがいるかも知れねェ夜の海を無闇に進めるか? テメェ」
「あ、あぁ、なるほど……。話の腰を折って悪かった、続けてくれ」
「よし。……んで、今進んでるのがここからここまで。昼過ぎに街を出たにしちゃァ順調だな。海峡も越えたし潮の流れも調子が良い。いつもはガロラ・マーダインフィッシュの群れと出くわしたりするんだが、今日は……」
「む、がろら? 何じゃそれ?」
「ごほんっ! ……話を続けろ、グレイン」
「へい、旦那! んで、キングクラーケンらしき影を見かけたって地点に到着するのは明日の朝から昼前になる。それだけなら上等の二文字で片付くんだが、どうにも櫓の物見連中が厄介なモンを見つけちまったみてーでね」
「厄介なモン? 何だい、それは」
「海の死神……、嵐雲だよ」
「……ふむ」
彼の言葉にフォール含め、シャルナとルヴィリアの顔色も変わる。
唯一変わらないのは『何? 雨降んの? 長靴あるよ?』と首を傾げる魔王様ぐらいなものだ。
「この海域じゃ珍しい話でもないが、今回のはかなりデカそうでな。……嵐はヤバいぞ。波も風も何もかもがグチャグチャになっちまう」
「進行は難しいか」
「いや、可能ですぜ。……と言うより進むしかねェんですよ。昔からキングクラーケンの影と嵐雲は剣と盾みてェなモンだって言われてて、妖怪島の結界みたく扱われてんでさァ。偶然なのかそういうモンなのかは解りませんが、ま、どうやらただの言い伝えじゃなかったみてェで……」
そうなのか、とフォールが視線を向ければ、ルヴィリアはすっとぼけるように口笛を吹くばかり。
実際は帝国でもカインが暗雲を巻き起こしたように、キングクラーケンが無意識に放つ魔力が自然魔力と混ざり合って突発的な嵐を起こしているのだが、これは完全にルヴィリアの伝達ミスである。
しかし今更責めてもどうこうなるワケではない。仕方なく、フォールはそのまま話を途切れさせないようグレイン船長へと瞳を向け直す。
「ぶっちゃけ嵐の中を進むのは俺達だって腐っても海賊、やってみせましょうとも。だがフォールさん、アンタ達はそうもいかねぇでしょう。嵐の中での戦い、しかも船の上だ。俺も帝国のミツルギ商団の私兵どもとやりあった事があるが、陸と海じゃ全く違うモンさ。波や風だってある……。とても怪物を倒せる状況たァ思えねェ」
「……ふむ」
「俺ァ引き返すことをオススメしやすぜ。キングクラーケンがどんなモンか聞いたことァねぇが、巣を作っただけで街を沈めちまうような化けモンだ。幾らフォールさんとアンタ達が腕に覚えのある冒険者でも陸と海じゃ話が全く違ってくんのさ」
「え、妾たち冒険者ってせってむぐぐぐーーー!!」
「「はいはいシャラップシャラップ」」
「……ふむ、グレイン。貴様の言うことも尤もだな。確かに厳しい戦いとなるかも知れん」
「でしょう!? フォー子ちゃんの手前、兄貴であるフォールさんを死なせるわけにゃいかねぇ!! 怖じ気付くわけじゃァねぇが、ここは一旦……」
「だが」
言葉を動作で示すかのように、勇者は海図へと指を添える。潮風に皺ついた紙は荒波が如く彼の肌を引き寄せたが、それでもその爪が示す場所は変わらない。
現在地より半日、広大な海原の果てにある僻地の孤島ーーー……、妖怪島。隣で魔王を抑える四天王が根城を置くという、ただその島へ。
「生憎と嵐程度で揺らぐような覚悟で貴様等を呼びつけたわけではない。船が進めるというのなら我々もまた進むだけだ。続く道に背を向けるのは過去を振り返るその時だけで良い」
「……ハッ、ハハッ! ヒャハハハハハハッ!! 流石はフォー子ちゃんの兄貴だぜ! 惚れたっ!! こんなに昂ぶるのはァ伝説の盗賊と一仕事やった時以来だ!! ハハ、ハハハハハハッ!!」
バァンッ! と激しく机を叩き上げ、グレインは跳ねるように立ち上がる。
その表情は歓喜そのもの。幾千の金銀財宝を目の前にしたかのような、そんな喜び様だ。
「良いぜ、我がグレイン海賊団はフォールさんと共にキングクラーケンの討伐に乗りだしてやらァ! ハーハッハッハッハッハッハ!! また我が海賊団に伝説が増えちまうなァ!!」
ゲラゲラ笑いながら、今にも腰のマスケット銃を振り回さんばかりにはしゃぎ回るグレイン船長。
その様子に笑うでもない、然れど呆れるでもない曖昧な無表情を浮かべながら、フォールもまたこれより訪れる波乱の嵐に頷きを見せているようだった。
――――それはまた、渦中へ投げ込まれる魔族達も例外ではなく。
「なぁーんか大事になりつつあるのぅ……」
「ま、まぁ、元より結構な大事でしたので……。その実、まさかただのペット脱走とは考えないでしょうね」
「全くだ。ペット一匹で世界がヤバい」
いやしかし戦闘力と言い規模と言いペットと言うには少々凶悪すぎるが、と。
そこまで喉から出しかけて、リゼラはふと思案顔になる。包帯塗れの顔からでも解るぐらい、その表情は沈妙なものだった。
シャルナもそんな彼女の表情に気付いたのだろう。どうしたのですか、と覗き込もうとしたが、その首に華奢な腕がぐるんと回される。
「……すっかり忘れておったが、オイ。ルヴィリアの根城ということはあるじゃろ、アレ」
「あ、アレ、ですか……?」
「ほら、フォールを封印する道具。何かは知らんが根城ならあるはずじゃないか?」
「あ、あぁ、そう言えば……」
『魔王城』に壺が、『爆炎の火山』に覇龍剣があったようにーーー……、そう。ルヴィリアのところにもあるはずだ。古来より魔族が女神を封印する最終兵器として受け継いできた遺物が。勇者フォールの異様な力を封印することができるはずの、遺物が。
帝国での騒動や日々の喧騒のせいで危うく忘れるところだったが、自分達はそれの為にスラキチ勇者と旅をしているのではないかとリゼラ達は再確認する。
「と言うよりすっかり顔馴染みになりましたが、ルヴィリアはどうするつもりなのでしょう? まさか四天王としての責務をしっかり果たすのでしょうか?」
「いや、あ奴の魔眼は確かに強力じゃがフォール相手に通じるかと言われるとなぁ……。うぅむ」
「怪しい、ですよね……」
「奴は魔力も相当なモンじゃが、それだけではフォールには……」
ちらり、と二人の視線がルヴィリアへ向けられる。
彼女は何を言うでもなくにっこりと微笑んで軽く手を振るが、今欲しい答えはそれではないのだ。
どうにもーーー……、読めない。
「まぁ、万が一になったら罪全部擦り付けて生贄にすれば良いし……」
「リゼラ様、一応魔族の王なんで失言には気を付けてください」
「いやいや、失言とは失念した言葉と書いてじゃな」
「…………え、えぇ、はい」
「なっ?」
「失念していたわけではないと!?」
「妾の口から出る言葉はいつだって本心ですけど?」
――――『げへへへ、フォール様は天下に轟く最強の勇者様ですなぁ!!』
by夕食抜き124時間の刑、開始から20分頃のリゼラ発言より。
「ともあれ、ルヴィリアだな。妖怪島とやらに到着する前に、巻き込まれない為にも奴の本心を探っておきたいが……、あ奴め言わん時はホント言わんからな」
「えぇ、かつてのダークエルフ……、リースでしたか。彼女のことも全く初耳でした。あの一件で多少なり毒を抜かれたようにはなりましたし本心をさらけ出すようにはなりましたが……、まだ何処か壁を感じるというか、何と言うか」
「何かと言ってあのアホと一番絡んどるのは御主じゃからな。御主がそう言うなら間違いはあるまい。……奴め、何か企んでおるな」
「企み……。ルヴィリアも普段はあんなではありますが、魔族の中では最大の悪辣を極めた智将です。世が世でなければ自らの手を汚さす人間を地獄の深淵へ叩き落としたと称されるほどの逸材ですからね。何を企むにしても、きっと今のフォールに対して最適にして最大の策略を用意することでしょう……」
――――ルヴィリアの謎は多い。
古来より魔王となるべく無二の友と魔族の頂点を目指し続けてきた純潔なる魔族、魔王リゼラ。
先代より鍛錬を受けながら己の力と技を磨き続けることに尽力した邪龍の末裔、『最強』の四天王シャルナ。
そして『最速』『最硬』にもまた、彼女達が知り得る経歴という過去がある。今までどうやって生きてきたか、生まれは、種族は、意志はーーー……。そういうモノとして彼女達を証明する根拠がある。
だが、ルヴィリアにはそれがない。彼女の中で証明されたのはエルフの森で出会ったダークエルフのリースと、その変態的性欲。そして異端なる権能、魔眼だけだ。
彼女が何者なのか、リゼラやシャルナでさえ、知りはしない。彼女の経歴を、まだ、誰も。
「……我々にも避けて通れぬ問題なのかも知れませんね。ルヴィリアのことは」
「然りじゃな。奴がどんな策略を立ててくるか……、心して待っ」
チュイン、と。
リゼラの頬を擦り、背後の扉を破壊する弾丸。その亀裂へと流れていく魔族達の視線。
気付けばいつの間にかその部屋にルヴィリアとフォールの姿はなく、目の前で狂喜乱舞していた海賊船長のマスケット銃からは次々に弾丸が発射されておりーーー……。
あの勇者と四天王、躊躇なく見捨てやがった。
「これ、正当防衛成立するかなぁ……」
「するんじゃないですかね」
この後、数時間に渡り船長室で一方的な虐殺ファイトが起こり、密室船長殺害事件と語られる大惨事に発展するわけだが、それはまた別のお話である。




