【3】
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「……この辺り、だと思うんだけどなぁ」
さて、時は少し過ぎて昼下がり。
ユナ第五席の孤児院で情報を受けたガルスとエレナは、フォールが目撃されたという場所まで足を運んでいた。
その場所というのは帝国南部の城壁近くにある僻地だ。中央区にある孤児院から魔道列車や移動用の馬車を乗り継いで、大体二時間ほど。フォール達の家から一時間ほどという、とにもかくにも結構離れた距離である。
無論、幾ら帝国中が賑わう聖剣祭とは言えこんな僻地まで来れば騒がしさも少しは落ち着こうというもの。通りこそ未だ幾つかの住宅や店々が立ち並んでいるが、祭りに栄える中央区に対してここでは精々が農耕区民によるささやかな内々の宴が行われている程度だ。
今日の夜は祭の主役になる英雄にして勇者たる彼がこんなところにいるとも思えないが、さて。
「師匠ったら何でこんなところに……? この辺りは帝国の果てで、珍しいものと言えば畑だとか小さな湖だとか、地下水道への点検所ぐらいしかないはずですけど……」
「僕もそう思うんですが……。まさか目撃情報が間違っていたとも思えないんですよ。黒髪で目付きが悪魔みたいに悪い男と帽子を被ってぎゃあぎゃあ騒いでる女の子って、きっとフォっちとリゼラさんでしょう? そんな二人なんてそうそういないはず……」
けれど、とガルスは付け足して。
「翡翠色の髪が綺麗な、何処か高貴な雰囲気のある女性……、っていうのが解らないんです。シャルナさんとルヴィリアさんの他にそんな人いたかなぁ?」
「いえ、そんな人を見た覚えは……。帝国に住んでいるお知り合いという事なら解りますけれど……」
疑問を口にしながら閑散な住宅街を歩む二人。時折擦れ違う人々と挨拶を交わしながら、長閑な道を行く。
ただの散歩ならばこれほど平穏な道程はないだろう。立ち並ぶ家々や時折見える畑の緑、そして頬を撫でる涼しい風と遙か彼方から聞こえて来る歓声の音。何処か浮き世離れした雰囲気に心が躍り、それを安穏な道が宥める、安らぎの一時。散歩というのなら、こんなに良い道があろうか。
しかし今はフォールを探索中なのだ。二人は性格故かどうしてもほんわかのんびりしてしまう顔を引き締めつつ、辺りを見渡してフォールの影を探す。
「うぅん、やっぱり見当たりませんねぇ。フォっちとリゼラさんがいれば絶対に目立つと思うんだけど……」
「ですよね。こう、道を歩いているだけでも注目を集めそうな……」
そう、例えばあんなメイドみたいに。
「えっ」
「えっ」
そのメイドはこちらに気付くと、清楚正しき足取りで歩み寄ってきた。
いや姿勢を崩さず手を前にという非常に綺麗な歩みなのだが、異様に速い。一歩で数メートルは進んでいるんじゃないかというぐらいに速い。
無論そんな歩みだからガルスとエレナは逃げるに逃げれず、状況を整理するに整理できず、狼狽えに狼狽えれず、あっという間に距離を詰められてしまった。
二人がどうにか反応できた事と言えば、精々が絶句ぐらい。全く今日は驚いてばかりである。
とは言え無理もあるまい。こんな閑散とした地区を、十聖騎士第三席が一人で歩いていたのだから。
「みゅ、ミューリー第三席……!?」
「匿って下さい」
「えっ、へ、えっ!?」
ミューリー第三席はエレナの外套に潜り込んだかと思うと、そのまま彼の後ろに姿を隠す。
横から見ればもっこりとした盛り上がりが不自然過ぎるのだが、真正面からなら意外とバレないものだろう。いや少し注意深く見れば解ることだが。
もっとも、そのバレるかバレないかという判断は今すぐ下されることになるワケで。
「失礼、そこの貴方達!!」
住宅地の壁へ追い込まれるように立つガルスとエレナをさらに追い込むように、数十人のメイド軍団が走り寄る。
どうにも彼女達は焦燥した様子で誰も彼もが口早に『ミューリー第三席を見なかったか』『メイド服姿の綺麗な女性です』『急に居なくなってしまって』『昨日からお仕置きしてもらってません』『もしかしてミューリーお姉様は浮気しているのですか』と嵐風やら滝水やらのように話しかけてくる。
そんな調子なのでガルス達はもう半分泣きそうになりながら知りませんとシラを切るより他なかった。と言うか背後から這いずる様な殺気のせいで、そうする以外になかった。
メイド達は彼等の必死迫る表情に納得したのか、また大慌てで何処かへ駆けていった。あんなメイド軍団の大移動ならまだ嵐や滝の方がよほど可愛らしいというものである。
「……行きましたか」
と、そんな嵐やら滝より恐ろしい軍団に追われていたのであろう、ミューリー第三席。
彼女はエレナの外套からするりと抜け出すと、自身と同じ恰好の者がいない事に安堵の意を示すが如く、吐息を零す。もっとも、その鉄仮面は相変わらずなものだった。
「い、今のはいったい……」
「少々仕事から逃げて私用に走りましたのでこの有り様です。今日から明日までの指令書は残してきたのですが……、如何せん殆どの仕事を取り仕切っておりましたもので部下のメイド達が逃げることを赦してくれなかったのですよ。えぇ」
「……逃げた!? ミューリー第三席が、貴方がですか!?」
「はい。逃げましたが」
その言葉に、エレナは今日一番の驚きを見せる。温厚な彼にしては珍しいほど過剰な驚きというほどに。
呆気にとられて何事か解らないガルスだが、無理もない。帝国城に勤める者なら誰もが知っていることだが、まさか彼が識るはずなどないのだから。
ミューリー第三席が女好きという噂は周知にして事実だが、その自堕落な性活を送るだけの、そしてそうする事が認められるだけの規律正しさが彼女にはある。
いや、元よりその規模だけで小国に達してもおかしくはない帝国城のメイド達を一人で統括しているのだ。無論、間に伝達係として何人かの熟練者を選抜しているものの、その作業量で考えれば毛先ほどの誤差でしかない。
彼女はそれをこなす。人の生活に休みがないように、彼女の職務にも休みはない。それを日々、如何なる状況にもその鉄仮面で狼狽えずして文官達が辟易する仕事の数百、数千倍をこなしーーー……、そしてなお性活という堕淫に興じるのだ。エロスはパワーと誰が言ったものか。
と、ここまで仰々に説明したが、要するに彼女がメイドの身でありながら第三席まで上り詰めたのは決して戦闘力ばかりではなく、時として文官の補助までも担当する、鬼よりも恐ろしい鉄則の業務率があるが故、という事だ。
――――故に、エレナは驚いた。そのミューリー第三席が、仕事から逃げた? サボった? 彼女が!?
「ど、どうし、て……」
「それを言うなら貴方様こそどうしてここに……、いえ、無粋ですか。そうですね、質問にお答えしましょう」
地面の砂埃を振り払いながら、ミューリーは声を整えるように一度咳き込んだ。
そしていつも通りの屹立とした表情で真っ直ぐエレナを見つめ、一言。
「お姉様とえっち、ぁっ、いえ失礼。……ある人に会うためです」
今の失言は聞かずにスルーするのが大人というものである。
「……エレナ様は、お耳にしていますか。私は先日の件で半魔の血に従いカイン・ロードに味方した。帝国を裏切ったのです。己の欲望の為に動き、己の欲望を満たす為に民々を踏みにじった。……そういう、行いをしたのです」
「……は、初耳です」
「そうですか。では他の十聖騎士……、恐らくヴォルデン第二席かイトウ第四席辺り辺りが情報を隠しているのでしょう。確かに、黙っていれば解らないことかも知れません。ですが私の犯した罪はとても重い」
僅かに、ミューリー第三席の鉄仮面が揺らいだ気がした。
それは瞬きの間に見えた、ほんの一瞬のものだったけれど。
「……あの、横から口を挟ませていただきます。ミューリー第三席。先生、いえ、イトウ第四席の助手で、雇われ冒険者のガルスです」
「はい。何ですか」
「その行為に関しては……、私が口を挟めるところではありません。ですが、その、その行為を犯したのならば尚更、帝国に尽くすべき時ではないのですか? 逃げるというのは、あまり……」
「ごもっともな正論です。えぇ、正しくその通りでしょう。……ですが私は違った。間違うことを撰びました」
「間違うこと?」
「はい。……堕落した私はあの時、その人と戦いました。その人は真っ直ぐで、私の間違いを指摘してくれました。今でも正直、彼女の主張が正しいのか私の主張が正しいのかは解りませんが、彼女は私に真っ直ぐ向き合ってくれた。それだけで、私は救われたのだと思います」
――――ミューリーは思い出す。
あの時、中央塔が崩壊した帝国城の瓦礫の中で見上げた夜空のことを。白い毛布に包まれながら、快楽に痺れる指先で掴んだ彼女の残香を。指先から流れる涙と、頬に垂れる真っ白な彼女の微笑みを。
「ですから、そのお礼を言わないことには仕事も手に着かないので逃げました。正直、呆然と向き合っても作業効率が落ちるだけですから。一の仕事を百掛けて終わらすより百の仕事を百掛けて終わらせる方が良いのは道理です」
「そ、それはそうですが……」
「はい、そうです」
「…………」
「…………」
罪の告白を終え、土埃を払い終わった後も、ミューリーはその場に立ち尽くしていた。
何かを言うわけでも何かをするわけでもない。ただ真っ直ぐに、いつも通りの鉄仮面と綺麗な姿勢のままエレナに真っ直ぐな視線を向けている。ただ、それだけだ。
無言の時間。彼女はただただ何かを待ち続け、二人はそれが何なのか解らずに立ち尽くす。そんな時間。
やがてーーー……、ガルスがその探し人は誰ですか、と問おうとした、その時。
「糾弾、されないのですか」
ミューリーの麗しい唇が、言葉を紡ぎ出した。
「……ぼ、僕ですか?」
「そうです、エレナ様。貴方です。貴方にはその権利があるはずです。……確かに貴方を中央棟最上階のあの部屋に押し込めていたのは帝国の規律と民々からの信仰です。聖女故に、その伝統故に性別を隠していたのはそれが理由です。ですが、貴方を押し込めていた実行者は他ならぬこの私でしょう。貴方のその華奢な体や女らしい声、服装、恰好、爪先に到るまで、創り上げたのは、創り上げてしまったのは私でしょう」
ならば、と。
「貴方には糾弾の権利がある。逃げなかった、逃げる事ができなかった貴方を、逃がさなかった私が……、真っ先に逃げたのです。ならば、それは糾弾されて然るべきことでしょう。貴方に今ここで刃を向けられようと、それを避ける権利は私にはありません」
ミューリー第三席はそこまで言い切ると、静かに頭を垂れた。主人を見送るが如く、目の前のエレナへその頭と首を差し出したのである。
それは、規律の鬼である彼女なりの謝罪なのだろう。彼女ができ得る最大の贖罪なのだろう。ただ物言わぬ屹立さが何よりもそれを示す。彼女の纏う静寂が、それを赦す。
――――故に、初めは困惑していたエレナも口端を縛り、息を整えた。
軽く息を吸って、掃いて、そして彼女がそうしていたように彼もまた、真っ直ぐにミューリー第三席を見つめて。
「こ、こらぁ~……っ!」
精一杯の勇気の拳で、その頭をぽかり。
「……………………? ……はい。…………はい?」
「あっ、あの、ごめんなさい。痛くありませんか? たんこぶとかできてませんか? あ、頭、ガルスさん、お水持って来てくださっ、あ、あの、いややっぱり僕が持って来ますから、あの」
「落ち着いて下さい聖女様! あの程度で怪我する人間はいません!!」
「で、でも思いっ切りぽかっ、ぽかって!」
「カネダさんならここで発砲してるレベルですよ!? ズドンじゃないから大丈夫です! ズドンじゃないから!!」
「だ、大丈夫ですか!? ズドン!? ズドンじゃないから!?」
「そうですズドン! ズドンじゃないから!!」
やいのやいのと余りに慌て振りに何が何だか解らないフォローをし合うガルスとエレナ。
そんな二人の慌て振りが逆にミューリー第三席を落ち着けたのだろう。彼女の落ち着きすぎて感情があるかどうかも怪しい静止の一声で、二人は思わずピタリと停止する。
「……よろしいのですか。自分で言うのも何ですが、このような気紛れは二度とありませんが」
「え、えっと……、その。僕は師匠、いえ、勇者フォールみたいにズバッと何かを言い切るような、そんな事はできませんから、ごめんなさい。少し言いづらいけれど、えっと、ユナ第五席が教えてくれたんです。道には色んな道がある、って。時には歩んできた道を戻ることを撰ぶのも勇気だ、って……。だからミューリー第三席が撰んだ逃げることも、また一つの道なんだと思います。貴方の選択は間違っていないと……、僕はそう思うから、怒ることはありません」
「…………しかし」
「む、むしろ謝るのば僕の方です! ミューリー第三席やシェフの人達が作ってくれた料理を、その、いつも捨てちゃって……。美味しく作ってくれていたのに、その、だから……、ごめんなさい!!」
地面にぶつけんばかりに勢いよく、エレナは頭を下げた。めいっぱい謝った。
それは、その言葉と行いは、何より彼を現しているのだろう。真っ直ぐで純粋で、本当に、汚れを知らぬ無垢な少年のことを。己を閉じ込め、縛り付けていた者にさえも頭を下げられるこの子のことを。華奢な体で小さな瞳で、けれど抱え背負う者は何よりも大きな、少年のことをーーー……。
「…………」
そして、そんな純粋無垢な心を向けられるミューリー第三席は、応えることはしなかった。
彼のようにまた頭を下げることも、逆に上げさせることも。その行為を戒めたり讃えたりすることも、ない。
ただ、微笑んだのだ。応えではなく、微笑みという形で、その気持ちに意味を示したのだ。
それは同時に、氷結が如く固まってしまった鉄仮面に、少しだけ穏やかな日差しが差し込んだ時でもあったのだろう。
「……エレナ様。貴方にはきっとこれから、幾度とない試練が待ち構えているでしょう。それはこの帝国という世界最大国家故に、そして聖堂教会の聖女という地位故に、決して避けられぬ問題です。私には、いえ、他の誰にだってその苦痛の試練を取り除くことはできません」
ですが、と華奢な指に真っ白なミューリー第三席の手が添えられる。
その手は言葉などなくても充分な、温かい掌だった。
「その道を共に行くことはできます。……このミューリー・アクリア・リリス第三席。貴方の為に尽くすとここに誓いましょう」
エレナは悦びに面を上げ、満面の笑みでミューリーへと抱き付いた。本当に無邪気な、子供のように純粋な子だ。
ミューリーも彼の抱擁を優しく受け止め、静かに瞼を伏せる。まるでその温かささえも、受け止めるように。
もっとも、ガルスにはミューリーの『許容範囲……』という呟きが聞こえていたのだが。いや気のせい、きっと気のせい。
「……む、失礼。いつまでもこうしている訳にはいきませんね。今晩の王彰式までにあの方に会わねば」
「あっ、ミューリー第三席はご出席されるんですか?」
「はい、僭越ながら。とは言っても料理などの用意と警備だけですが……。私の他にもヴォルデン第二席とイトウ第四席、ミツルギ第八席、あとは会場責任者としてラド第十席がが式典には出席されるはず……」
と、そこまで言いかけてミューリーは背後へと素早く振り返った。その数秒後にはガルスもエレナも、そちらへ視線を向けることになる。
何せ先程のメイド軍団が『こちらからお姉様の声が』とか『お姉様の香りが』とか『お姉様の気配が』とか叫びながら、凄まじい勢いで迫ってきているのだから。
「これは……、いけませんね。逃げるとします」
また、姿勢正しく歩んでいるはずなのに異様な素早さを発揮する歩法の構えを取って、ミューリー第三席は瞬く間にその場を後にした。
そこから後は言わずもがなメイド軍団の大行進とミューリー第三席への大合唱だ。ガルスとエレナはその迫力に気圧されて呆気にとられ、祭にしても異様すぎる行列の後ろ姿を見つめながら、ただただ唖然とするばかりであった。
「……何と言うか、凄まじいですね。本当に」
「え、えぇ、全く……」
疲弊やら驚きやら、或いは呆れやら。色々と入り交じって結局は疲弊に辿り着いた表情のガルスだが、そんな彼とは違いエレナの頬は何処か嬉しげに緩み微笑んでいた。
――――彼にとっても、ミューリー第三席と解り合えたことは大きいのだろう。そしてこれから訪れるであろう苦難の道へ共に立ち向かえる存在ができた事が大きいのだろう。
きっと、エレナにとってもその道は楽なものではないはずだ。苦しく、辛く、幾多の困難が待ち構えているはずだ。例え幾度振り返ろうとも、それは救いのない茨の道なのだろう。
けれど茨は、花を護る刃だ。彼はその苦難を乗り越え、やがてこの国に蔓延る伝統や信仰故の呪鎖に縛られるだろう。だが、その茨を乗り越えてこそ民々の笑顔という花が咲く。エレナの生きる意味という美しき花が咲く。
それこそが王の役目なのだ。自身を偽ってきた、聖女としての役目なのだ。
「…………」
けれどそれは、悲しいことだとガルスは思う。
彼の望むべくして与えられたものなら、乗り越える運命もあるだろう。しかしそれは、この国が、世界の頂故に、永劫の平穏故に創り出してきた対価のような、負積のようなものだ。
それを聖女エレナだけに背負わせるのは、少しーーー……、心が痛む。
「……フォっちなら、こういう時なんて言うのかな」
エレナは言った。師匠ならズバッと何かを言い切るのだろうけれど、と。
自分も確かにそう思う。フォールならこんな悩みにズバッと答えを出してくれるだろう。
だけど今、彼はいない。探し出すべき彼の姿はない。いいや、それどころか彼に言ってほしいその悩みは、自分のものだ。
今この心に巣くう悩みは、自分が決めるべきものだーーー……。
「……どうすべきか、か」
「何だ、夕飯の話か? ガっちゃん」
メイド達が過ぎ去った道程、を同じく過ぎ去る荷台馬車の背にその男はいた。
もさもさの藁布団に背を預け、のんびりと風に吹かれ撫でられるその男は。
「…………フォっくんって時々、空気読めないよね」
「な、何だと!?」
残念ながら当然である。
「師匠!? いた、師匠いましたよガルスさん!!」
「いたね。いたけどもう少し登場の仕方を考えて欲しかったね」
「登場の仕方……、リゼラを爆発させるぐらいしか……」
「いやそれはちょっと……」
「って言うかリゼラさんもいるんで……、爆発? 爆発!?」
よくよく見れば、荷台へ山のように積み上げられた藁布団の中からは見覚えのある小さな脚が覗いていた。
生きているのだろうか、死んでいるのだろうか。たぶん死んでいる。七割ぐらい死んでいる。
「そ、それにしてもフォっち、どうしてこんな所に……? と言うか何で馬車に乗ってるの……?」
「む? あぁ、偶然知り合ってな。色々と奔り回っていた。……少し待て」
フォールは馬車から降り立ち、操者である老人の元まで歩んで彼と何かをコソコソと話し合う。
偶然知り合って、という割には随分親しげだ。この距離では何を話しているかよく解らないが、フォールにしては珍しく口数が多いことぐらいは解る。まぁ、大方は馬車に乗せて貰ったお礼だとか、たわいない世間話だとか、その辺りだろう。
そして彼はそのまま操者の老人と別れを告げ、ガルス達の元まで戻って来た。なおこの際にリゼラを忘れていた為に再び馬車まで走るハメになった事を追記しておく。
「うむ、待たせた。……それで、どうしたんだ? 二人とも。珍しい組み合わせだな」
「どうしたんだって、フォっちを探してたんだよ! ずっと!! 聖女様と帝国中歩き回ったんだからね!?」
「師匠、僕頑張りました! 褒めて下さい師匠っ!!」
「そうか……、それは手間を掛けたな」
フォールは撫でて撫でてと言わんばかりに飛び跳ねる少年に手を伸ばした時、ふと気付く。
その少年が、昨日よりも少しだけ大きくなっていることに。身長や体付きではなく、何処か、雰囲気がーーー……。
「……何か、あったのか? ガっちゃん。今日の道中で、何か……」
「今日の道中? ……そうだね、うん。色々と、かな」
そこから、ガルスは今日起こった事を一通り説明する。
王彰式があることやシャルナ、ルヴィリアと擦れ違ったこと。孤児院でユナ第五席と話したことや、ミューリー第三席と話したこと。大きな事から小さな事まで、色々と。
特に説明する必要もないことまで何となく説明したのは、きっと説明を聞く片手間に撫でられるエレナがむふぅと満足げに微笑んでいたからだろう。まぁ、ちょっとした雑談で彼の至高の時間が伸びるのなら悪いことではあるまい。
「……そうか、そんな事がな」
「こうして振り返れば、フォっちを探す時間も無駄じゃなかったって思えるよ。……それにしてもフォっち、どうしてこんなところに? 家にもいなかったそうだし、何処に行ってたの?」
「少し、準備にな。本当はシャルナかルヴィリアに任せたかったのだが、二人はガっちゃんも見た通りの調子だろう。なので俺が直接動くより他なかったんだ」
「あの調子……、って、アレはいったい何が?」
「いや、むぅ……。流石の俺も、少し悪いことをしたとは思っていてな……」
――――明言こそしないが、やはり発明品で何かやらかしたのだろうか。
ガルスはそんな怯えで言葉を失うも、フォールの気まずそうな顔というか、彼なりに罪悪感を感じている表情を見るにどうも違うらしい。
でも罪悪感を感じるのならばその手にぶら下がる魔王様に感じて欲しいものだ。顔、真っ白。
「……ともあれ、そうか。王彰式か。うむ、まぁ、丁度良いな。場所は何処で行われるのだ?」
「あぁ、ラドッサ第十席の邸宅なんだけど、ここから帝国城の丁度、中間辺りにあるよ。大きな家だから辺りの人にマクハバーナの名前を出せば直ぐに解るはずだし……、フォっちの家からも比較的近いから魔道列車を使わなくても来れるだろうしね」
「それは……、手間が省けるな」
「だよねぇ、交通費は大変だから……」
何気ない、談笑のような会話。この長閑な道でなら珍しくもない光景だろう。
しかし、もしフォールの手にぶら下がる魔王が起きていたのならーーー……、それが談笑などでない事は、直ぐに解っただろうけれど。
「取り敢えずその式典には行くとしよう。開始はいつになる?」
「えっと、今日だけど……」
「そうか。……ふむ、まぁ元より突貫だ。構うまい。エレナもその式典には参加するのか?」
「えへへ、えへっ……。ふふっ……」
「エレナ?」
「あ、ひゃ、はい! します! 参加します!!」
「そうか、ならば尚更好都合だ。ではその時間にリゼラ達も連れて正装で向かわねばな。……うむ、道程と人数と、うむ。そうだな、王彰式というぐらいだから相当の立場が集まるだろう。丁度良いか、うむ。そうだな、うむ」
考える仕草を何度も繰り返し、フォールは数秒ほど思案に耽る。
その間もエレナの頭を撫でる手を止めないのは彼なりの思いやりか、それとも撫でるのが癖になりつつあるのかは、解らないけれど。
あと片手の魔王様を持ち直してください死にかけてます。首が、首が。
「……解った。そうか、そうだな、そうしよう」
その一言で思案に決着を付けた彼はエレナの頭を撫でるのをやめ、彼の前に膝を折った。
屈み込み、その麗らかに微笑む無邪気な瞼に双眸を向ける。何処か口惜しそうに落ち込む少年の前に、自身の視線を差し出す。
それは、そう。向かい合うように。
「エレナ。……話に聞く限り、お前はもう答えを出したのだな。幾たびの経験の果てに何を視るか、何を聴くか、そして何を信じるかを決めたのだな」
「……し、師匠?」
「俺はその答えを歓迎しよう。……道を示したのなら、相応の責任というものもある。故に俺はその答えを肯定しよう。だが、あぁ、そうだな。だがしかし、お前のその覚悟は正しき道で使え。その優しい心は、正しき者達へ向けてやれ。……それが俺のできる最後の応援だ」
わしゃり、とその頭を最後の一撫でが掻き払う。
今の言葉の意味は、エレナに解るものではないだろう。ガルスにだって解りはしないだろう。
ただ、それでもフォールには伝えておく必要があった、理由があった。それは彼なりに贈れるエレナへの手向けの言葉であると同時にーーー……、とある意味も含む言葉だったからだ。
「……では、また式典でな」
フォールはそれだけ言い残すと、馬車が進んでいった方向へと同じく歩んでいく。彼等の家とマクハバーナ邸宅がある方角とは真逆の方向だ。
エレナにはその背中がいつも通り頼り甲斐のある大きくて格好良い背中に見えたけど、何故だが、それを呼び止めたくて堪らなかった。
待ってください、と。そう叫びたくて堪らなかった。
「師しょーーー……」
「エレナ」
けれど、その叫びは。
「……良き王になれ」
その一言で、充分なものだったから。
「……………………」
「……止めなくて良いんですか? 聖女様。一緒に聖剣祭を回るんじゃ」
遠ざかり、歩んでいくフォールの背中。
目覚め暴れ出し、何かを叫ぶリゼラの口へ辺りの雑草を突っ込む勇者の背中を見つめつつ、聖女はガルスの言葉に首を振った。
「……また、会えますから」
騒がしい背中を見送りながら、エレナは髪先に残る温かさを覆って優しく微笑んでいた。
やがて日は夕刻となり、式典の開始が告げられるだろう。大貴族の邸宅に幾人もの地位有る者達が集い、此度の勝利と終結に讃え祝う拍手を送るだろう。それはそれは、聖剣祭の最夜に相応しい栄光の夜となるだろう。
――――だが、未だこの帝国の誰もが知る由はない。後の数千年まで『帝国十聖騎士壊滅事件』に続いて語り継がれる事件が起ころうことなど、知る由もない。
そしてそれを起こす者が誰であるかも今はまだ知る者はない。そう、今は、まだ。
「でぇええい離さぬかぁッッ!! 御主こんなトコまで引っ張って来おって!! 嫌じゃあ、あのクソ臭い場所に戻るのは嫌じゃぁあああああああ!!」
「我が儘を言うな。……何、直ぐ終わるとも。彼女がいれば直ぐに、な」
帝国崩壊の始まりを知るものなどーーー……、いないのだ。




