【2】
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帝国孤児院。ユナ第五席が所有、経営する超大規模な孤児院でその面積は一刻の城ほどもあると言われる。
と言うより元は城だったものをユナ第五席が買い取って改築、改装したものがこの孤児院だ。
中は城というよりも聖堂教会のような何処か古めかしくも神々しい作りになっていて、ステンドグラスから差し込む光が眩しく照り輝いている。
いつもなら入り口に入るなり子供達の笑顔と騒がしい笑い声の歓迎が待っているのだが、今回ばかりは表の庭園で行われている、色取り取りの風船や玩具が並ぶ孤児院主催の聖剣祭パーティーに忙しいようで孤児院内はとても静かなものだ。
さて、そんな孤児院にユナ第五席を尋ねたガルスはと言うとーーー……。
「……ユナ第五席がいない?」
「えぇ、まぁ……」
その言葉に、驚きを隠せていなかった。
孤児院で働いているであろう腹周りふくよかな中年女性の言葉は申し訳なさそうに俯き、それを宥めながらも彼は思案する。
――――普段ならユナ第五席は聖剣祭中、孤児院の子供達と一緒に聖剣祭パーティーへ参加するのが通例のはずだ。イトウに頼まれて届け物をしたりしていたから、それは知っている。
だと言うのに、いない。中年女性も今までにこんな事は無かったとガルスに口を揃えて首を捻る。
まぁ先日の事件を考えれば十聖騎士である彼女が何らかの疲労から体調を崩したのだとしても不思議ではないのだけれど、どうにもそういう理由でもないらしい。
「子供達と遊ぶ時はいつも通りだったんですけれど、それが逆にまたあの方を悩ませているようでして、パーティーの準備が終わるなり部屋へ籠もりっきりに……。今年の出資者の方々への挨拶回りは私どもが代行しております。ガルスさんも、今年はイトウ様から?」
「あ、いえ、今年は先生からの配達ではなく個人的な用で……。しかし、そうですか。彼の事を聞こうと思ったんですけれど……」
「彼、ですか? ……あら」
「あの、どうかしましたか?」
「いえね? 他の職員がユナ第五席の呟きを聞いていて……、それが『彼がいない』だったので。たぶん関係無いとは思うのですけれど、えっと、一応お話は聞きますか? もしかしたらという事もありますし……」
「……そうですね、ではお願いします。少しでもユナ第五席に元気が戻ればと思って」
そういうわけでユナ第五席へ確認に行った中年女性の背中を見送りつつ、ガルスは踵を返して表で待たせていた聖女の元へと向かう。
聖剣祭を楽しむ子供達に微笑んでいた彼の表情を曇らせる事を考えると、さて、どう報告したものか。
体調不良や怪我ではないという事だから大事でなければ良いのだけれどーーー……。
「わぷっ、ガルスさっ、にゃ゛っ、ひゃっ、あひひ、あはっ、にゅうひっ!?」
そこには子供達に容赦なくもみくちゃにされる聖女の姿が!
「わぁああああああーーーーー!! ちょ、ちょっと君たち駄目ダメだめぇ!!」
子供達にくすぐられたり浣腸されたり抱き付かれたりと大人気な聖女を、ガルスは自身も被害に遭いつつどうにか救出する。
エレナのおどおどした様子が子供達に面白がられたのか、それとも聖女としての溢れ出るカリスマが無邪気な子供達を引き寄せたのかは解らないが、たぶん前者だろう。しかしあの執拗に浣腸を決めてくる子供は何だったのか。
「ぶ、無事ですか? 聖女様……」
「はい、何とか……。それであの、ユナ第五席は?」
息も切れ切れになりつつ、二人は庭園の子供達による聖剣祭パーティーから脱出し、孤児院の中へ。
ガルスは息を整えつつ大凡の内容をエレナに説明すべきかどうかと悩んでいたが、やがて戻って来た中年女性の案内によって図らずも実際に会うという形で解決することになる。
――――まぁ、確かに下手な説明で不安がらせるよりは直接会った方が良いだろうけれど、ユナ第五席は本当に大丈夫なのだろうか?
いったいどうして彼女は表にも出ず部屋に籠もりきっているのだろうーーー……。
「こちらです」
中年女性に連れられて長い廊下を抜けると、そこには使用人部屋かと見間違うほど質素な扉があった。
少なからず驚きの色を見せたガルスと表情こそフードで見えないが声色は驚愕に染まるエレナに、中年女性は『大きな部屋は全て子供達の為に使ってしまうんです』とはにかみながら説明する。
「ユナ第五席! 入りますよ、マザー・ユナ!!」
彼女の数度のノックが扉を慣らすと、部屋からはどたばたと忙しない音が。
それから数十秒としない内に扉は勢いよく開き、中からユナ第五席が姿を現した。
「あぁ、ユナ第五せ、きっ……!?」
お休みのところを申し訳ない、という社交辞令染みた言葉がガルスの口から出ることはない。
部屋から出て来たのはユナ第五席は乱れた寝間着のまま顔を赤らめて息を切らす、何処か妖艶ささえ持った姿だったからだ。
余りに色っぽいその姿にガルスは戸惑い、思わず目を逸らす。元より未亡人のような色気を持っている彼女だから、余計にである。
「マザー・ユナ! 何ですかその恰好は!! 子供達が見たらどうするのです!?」
とまぁ、そんな恰好も中年女性の叱咤激励で慌てて直すことになるのだが。
ちなみにガルス、子供と言えばと聖女に目をやったがエレナは気まずそうに微笑むばかりで何ともなかったそうな。
彼は『自分がおかしいのかな』と焦りもしたけれど大丈夫、君はまともだ。
「あ、も、申し訳御座いません。それで、あの……、ご用件とは?」
「あ……、は、はい。実は先日の事件を解決したフォっち……、じゃなくて勇者フォールさんを探していまして。何かお心当たりがあればと思ったのですが、えっと、その様子だと……」
「……申し訳ございません。私も身勝手ながら余り外に出ていなくて。話を聞き集めるぐらいでしたら今でも可能ですが」
「それは有り難いですけれど……、もしかしてお体の不調で……?」
「あ、いえいえ、そういうのでは……。ただその、夫のことが……」
「夫!? ご、ご結婚、されてましたか……?」
「そういうわけでは……、いえ、そうですね。フォールさんについて調べるまで少し時間がありますし、対価を要求するのも傲慢な話ですが、少しお話を聞いて戴ければと思います」
ユナ第五席はいつもの優しい、慈愛に満ちた笑顔を見せながらガルス達を部屋へと招き入れるようにどうぞと扉を大きく開く。
そこから見えるのは本当に古めかしい、イトウと同じく書物や書類と子供達からのプレゼント、そしてほんの僅かな装飾品意外は何もないこざっぱりとした部屋だった。聖母と崇められるほどの彼女にしては何処か素朴すぎる感じもするが、いや、この部屋も彼女の純朴さを現しているのだと考えれば納得がいく。
そして彼女はガルスとエレナの二人を招き入れると中年女性にフォールの話を誰々から聞き集めてくることと、お茶とお菓子を持ってきて欲しいとお願いして部屋の扉を閉じた。
「……ぁ、えっと、申し訳御座いません。お願いばかりか、こうしてお部屋にまで上げて戴いて」
「いえ、そう畏まらないで下さい。今はただのユナ・レイン・ミルフォリア……、孤児院の母ユナですから。それに、フフ。畏まるなら私の方ですよ」
くすくすと微笑む彼女に顔を見合わせるガルスとエレナ。
何気ない仕草だったが、その間があれば彼女の笑みにも合点がいくというものである。
「……もしかして、バレてます?」
「とっくに。……お忍びですか、エレナ様?」
その言葉があれば、もうフードは要らないだろう。
エレナは気恥ずかしそうに耳先を真っ赤にしながら、フードを取り払った。その様を見てユナ第五席はまたくすりと笑う。
「子供達には洗礼を受けたみたいですね。……髪の毛、華飾りが付いてますよ」
「あっ、本当だ……。い、いつの間に」
「フフ、いたずら好きな子供達なんです。いつも元気いっぱいで、あの子達の笑顔があるから……」
そう語るユナ第五席の表情は、何処か憂鬱なものだった。
理由はきっと、彼女の言う『夫』のことなのだろう。
「……失礼、ユナ第五席。それで、その、貴方が悩んでいるのは旦那様のこと、なんですよね?」
「えぇ、はい。旦那……、夫と言っても婚儀は挙げてないのだけれど」
ガルスの促しに、ユナ第五席は対価である愚痴をつらつらと話し始めた。
いいや、きっと彼女も話したかったのだろう。或いは聞いて欲しかったのだろう。ユナ第五席にしては珍しくも饒舌に、その過去は語られていく。
「あの人と出会ったのは、雨が降る日でした……。とても冷たい雨……。傷だらけで路地裏のゴミ箱にもたれ掛かるあの人と、私は出会ったのです」
彼女が語る内容は、本当に悲愛劇のようなものだった。
――――その男が堅気でないことは一瞬で解った。けれど傷だらけで今にも死んでしまいそうなその人を放っては置けなかった、と、
そうして自分はいけない事だと解っていながらもその人物を保護して甲斐甲斐しく世話をし、寝たきりの彼に手造りの粥を食べさせたり体の包帯を変えたり薬を与えたり、時には悪夢に苦しむ彼の手を握って慰めたりもした。
それはとても幸せな日々だったとユナ第五席は言う。赦される日々ではなかったけれど、とても、幸せな日々だったとーーー……。
「……やがてあの人と私は愛を誓いました。決して長い間一緒にいたわけではないけれど、あの人と過ごした時間は大切な私の思い出です。……決して無くすことのできない、愛の時間でした」
「……そ、その人は、いなくなってしまったんですよね?」
「はい。傷が治ると共に、君に迷惑は掛けられないと……。私は彼を引き留めましたが、彼自身がそれを赦さなかった。いつか罪を償ったのならまた会いに来る、と。その言葉だけを残して……、彼は行ってしまったの。もう、何年になるか……、彼を待ち続ける時間は永遠のようにさえ感じられるのです……」
涙に潤み、悲しさに伏せる睫毛の艶やかさに思わずガルスとエレナは息を呑んだ。
――――本当に、まるで劇のようだ。結ばれぬ男と町娘の、そんな情劇。彼女の何処か未亡人染みた色気というか艶めかしさはきっとこの悲しみから来るものなのだろう。
しかしその男というのも酷い奴ではないか。せめて何かもっと、彼女に残すものがあっても良かっただろうに。そんな彼女を見捨てるような去り方をしなくても良かっただろうに。数年なんて時間を空けるぐらいなら、せめて一度か二度会いに来ても良かっただろうに。
「……でも私は信じています。あの人がきっとまた私に会いに来てくれると。それが数年、数十年、いいえ、もっと永く遠い刻の果てでも……、私は信じ続けます」
「ユナ第五席……」
「いっ、ぅっぐすっ、がなじいはなじでじゅね゛っ……」
「聖女さ……、聖女様!? 大号泣じゃないですか!?」
「だっでごんながなじいはなじぎいだごとなぐでぇええ~~~……」
えっぐえっぐと嗚咽を零しながら大号泣。涙は涙でもいつぞやの魔王様とは大違いの綺麗な涙である。
まぁ、ガルスにしても然り、不覚にも涙腺に来てしまいそうな話だった。ユナ第五席の語り口調が大きいのだろうけれど、何も聖母と呼ばれるほど綺麗で優しい女性を悲しませなくても良いじゃないか、と。
「……フフ、私の愚痴はこれだけです。ごめんなさい、独りでに語ってしまって。でもお陰で心が軽くなったわ。フォールさんの情報は、そろそろ集まると思いますので」
「いえ、こちらこそお話ありがとうございました。……見付かると良いですね、その人。僕も応援しています」
「……ありがとうございます」
涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしたエレナの鼻をかませながら、ユナ第五席はまた寂しげな笑顔を見せた。
そしてそれを振り切るように、話題を変える。
「それにしても先日の騒動……、本当に大変な事件でした。私もフォールさんの手助けをした事が間違いでなくて心からほっとしているぐらい。まさかカイン第一席が魔族で、あの事件までも魔族による陰謀だったなんて……、思いも寄らなかったものだから」
「えぇ、僕も……。良い魔族を知っているから余計にです。リゼラちゃんみたいに良い魔族ばかりなら、争いなんて起こらないのに」
まさかそのリゼラちゃんが全ての根源とは思うまい。
「そう言えば今日は王彰式があるのでしたね。ガルスさんは参加されるのかしら?」
「え、えぇ、恐縮ですが……。ユナ第五席も?」
「……いえ、私は暫く自粛するつもりです。どのような形であれ一度は帝国を裏切りましたから。余り表に出られる身ではないでしょう。イトウ第四席のように復権を目的とするのならそうすべきなのでしょうけれど、私は権力に興味はないから」
その言葉に、ふとエレナが顔を上げた。でろんと鼻水が垂れて情けない様子ではあったけれど、二つの瞳には驚きの色がある。
彼女の言葉は今、権力の渦中に立たされている彼にとって、少なからず耳にするはずもなかった言葉なのだろう。
「権力に、興味が……? で、でもそんな事したらこの孤児院が……」
「フフ、そこは大丈夫ですよ。一応これでも経営者ですので、ミツルギ第八席と色々と契約は交わしています。物凄く嫌な顔されましたけれど、彼女は商売に置いては誰よりも信用できる人ですもの。間違いはないわ」
「抜け目ないというかしっかりしていると言うか……、ではユナ第五席は十聖騎士を辞されるのですか?」
「……それは解りません。権力だけではなく、あの立場は私の行いを認めてくれた聖堂教会が与えてくれたもの。誰かを救うのにあれより適した立場はない。だけど私がその聖堂教会と帝国に不忠を働いたのもまた事実。……だから、後は流れに身を任せようと思います」
「ユナ第五席……」
「……エレナ様。貴方様からすればこの行為は逃避か、無責任なものに思えるかも知れません」
「そ、そんな! 僕は……」
「いいえ、責めているわけではないのです。……ただ、こういう道があるというのも憶えておいて欲しいの。道はいつでも真っ直ぐに伸びているわけじゃない。曲がり角、下り坂や上り坂、扉や壁なんていうのもあるでしょう。そして貴方様はいつか、いいえ、きっと今それに直面している」
「……そ、それは」
「……だから、エレナ様。どうかその道を真っ直ぐ進むことだけが歩むことだと思わないでください。右へ左へ、時には道を外れることだって、元来た道を戻ることだって勇気なのです。その道に正しいはなくて、あるのは貴方の手にある白紙の地図だけなのだから」
いつか、フォールにも似たような事を言われたのを思い出す。
彼等はーーー……、どのような道を歩んでいるのだろう。勇者や聖母と呼ばれる彼等は、いいや、盗賊だって戦士だって騎士だって、色んな人がいる。そんな人々は誰一人として同じ道を歩んでいない。
――――だとすれば、自分はどんな道を歩むべきなのだろうか。
「…………なんて、説教臭い話はオシマイです」
丁度、彼女の掌がぺちんと合わさった頃だろう。扉が数度ノックされ、先程の中年女性がお茶とお菓子を持って来た。
どうやら表の庭園で開かれている聖剣パーティーで焼かれたクッキーのようだ。形や色合いは拙く乱れているものの、とても良い香りがする。優しくて温かい、太陽のような香りだ。
中年女性はそれを机に置くとフォールの情報を集めるのにはまだ少し時間が掛かるのでごゆっくり、と言い残して部屋を後にした。
「……そういう事みたいです。なのでもう少しだけ、フォールさんが見付かるまで少しだけの間、私のお話に付き合って貰えませんか?」
ガルスとエレナはまた互いに顔を見合わせ、微笑み合う。そこに確認の必要はなかった。
温かいお茶とお菓子と、ほんの少しでも彼女の励みになれるのならば断る理由はないだろう。
だから今はほんの少しの間、心安らぐお茶会といこうではないか。美味しいお茶と子供達の焼いてくれたお菓子を囲みながら、話に華を咲かせようではないか。
フォールが見付かるまでの少しの間だけ、ただ楽しい時間を過ごそうではないかーーー……。




