【プロローグA】
――――勇者、勇ましき者よ。聖なる女神より加護を与えられ賜うし者よ。
貴方は栄繁なる頂の国に足を踏み入れ、私と出会うでしょう。しかし、それは試練の始まりとなるでしょう。
私の預言は闇に覆われ、この国の父母は呪われています。だからどうか、勇者よ。貴方はここから先へ踏み出すことはしないでください。
勇者、嗚呼、勇者よ。勇ましきものよ。これから貴方に訪れる試練が、どうかその身を苦しめるものでなきよう切に願いますーーー……。
これは、永きに渡る歴史の中で、雌雄を決し続けてきた勇者と魔王。
奇異なる運命から行動を共にすることになった、そんな彼等のーーー……。
「御主、正気か……?」
「俺が正気じゃなかった事があったか?」
「いやむしろ正気だった事がねぇんだけど」
「そうか……。スライム講座120時間コースがお望みか……」
「お、憶えてやがったやめてやめて嫌だ死にたくない死にたくないうわぁああああああああああああ嘘です嘘です正気でしたずっと正気でしたぁ!!」
「何、240時間コース……?」
「地獄しかねぇ」
激動の物語である!!
【プロローグA】
「表彰、ですか」
「そんなに軽いものではないがな。帝国国王直々の王彰だ」
山、というか谷というか。もう天高くどころか天井を支える柱よりも高いような書類の塔に囲まれたイトウの言葉に、ガルスは思わず首を捻る。しかしその僅かな疑問も一瞬で答えに辿り着いて納得の声を返したが、それで資料の柱が崩れかけ怒られるという何とも理不尽な顛末を見せた。
――――要するに『王彰』というのは先日の魔族カインによる帝国叛逆を救った勇者達への褒美を与える場であり、また聖堂教会の象徴たる聖剣のお披露目の場として執り行われる式典、という話である。
「で、でも、できるんですか? 確か王城って……」
「何の為に私がこんな書類の山に囲まれていると思っている? 唯一帝国にある大貴族、ラドッサ第十席のマクハバーナ公爵家を借用する為だ。規模こそ帝国城の半分程度だが屋敷としては大規模に属するものだからな。賞与の間借りる程度ならば先代当主のマクハバーナ氏も認可するだろう」
「おぉ、それは良かったですね、先生!」
「……良いと思うか? 認可するのに何故こんなに書類の山ができる? 孫娘が十聖騎士の末席である事への嫌がらせ云々がいったいどうして私に降りかかると」
「あ、はい。政治の黒い部分ですねごめんなさい……」
イトウの手にある羽ペンが飛んで来そうな気配を察知して、ガルスは静かに話題を打ち切った。
しかし何はともあれ、どうしてそんな話をするのだろうという事に言葉を持って行く。
「む? あぁ、それがな……。私の家に泊まらせているはずの奴等に連絡が付かんのだ。何度か使いの騎士を行かせたがどうにも家にいる様子がない。時折呻き声や悲鳴が聞こえてくるという話だが……」
「先生、それホラーです」
「まぁ奴等の事だ、今更何をしても驚かんがな」
ぱさり、と処理し終えた一枚の書類を山へ投げつつ、イトウは疲れ目を軽く摘んで深く息をつく。
あの事件が終わったばかりだと言うのに既に昨夜からこの調子で、叛逆の疑いから謹慎同様の扱いを受けていた時の書類も合わさって、とても今日中に終えられるような様子ではなかった。
――――と、言うことはもう大体何が言われるかは予想がつく。
「見ての通り私は手が離せん。貴様が行ってこい」
「あぁ、やっぱり……」
まぁ、そうなるだろうとも。
「別に呼びに行くだけだ。未だ聖剣はフォールの手にあるのだから、奴が来なければ話になるまい。……そこに何の問題がある?」
「だって先生の家から出て来ないって事は何か変な発明品の被害に遭ってるかも知れないってことじゃないですか! 忘れてませんよ二年前の殺戮ガス漏出シチュー事件!!」
「あの時はちょっと間違えただけだ」
「危うく帝国滅亡の危機でしたよあの時も!! って言うか家から呻き声とかするのに騎士が中に入らなかったのって、絶対にそういうの警戒してたからですよね!?」
「それは違う」
「な、何が違うんですか」
「今、私の立場で人死にを出すのは流石にマズいからだ」
「やっぱりそういう事じゃないですかぁ!!」
「まぁ待て……。きちんとした理由もある」
イトウは一旦作業の手を止めて眼鏡を机の上に置いて立ち上がり、資料に埋もれすぎてもう棚なのか床なのか解らなくなった調理棚から温くなった珈琲を持って来た。
当然のように自分の分だけというのはいつもの事としても、何処か改まるような様子にガルスは居を正す。
「今回の事件で帝国は大きな被害を受けた……。経済面で聖剣祭の失敗や権力面でも十聖騎士第一席の叛逆、及び間諜行為。人間に化けることができるあの魔族、カインは覚醒魔族と呼称していたようだが……、それへの警戒もある。無論、帝国城中央塔の崩壊も大なり小なり被害の一部だ。フォールや盗賊カネダがエレナと交わしていた約束という契約のお陰で人員的被害が出なかったが、所詮はそれだけにしか過ぎない」
「……で、でも」
「別に非難しているわけじゃない。むしろ称賛すべきことだろう。だからネファエロも王彰を決定したのだろうしな」
ズズ、と温い上に無駄な苦みの多い珈琲を口にしたイトウは僅かに眉根を顰めるも、吐息と共に気を取り直す。
「私が言いたいのは復興に時間が掛かる、ということだ。有り体に言って人手が足りん。統率を取るはずの十聖騎士もコォルツォ第九席、ソル第六席とルナ第七席兄弟が入院中。ユナ第五席も何処か仕事が手についていないし、ミューリー第三席はしばらく使い物にならん状態だ。……かく言う私も、これだしな」
ふと気付けば、白衣の下の腰元辺りがぐるぐるの包帯締めとなっていた。
一目見ただけで重傷と解るようなその様子にガルスの目は大きく見開き、驚愕に言葉を失ってしまう。
「どっ、どう、どっ、どうしたんですかそれ!?」
「歩きすぎて腰を痛めた」
「僕の心配を返してください……」
「馬鹿な、重傷だぞ」
腰痛は座り作業の天敵である。
「……とは言え、今まともに現場指揮ができるのは筋肉馬鹿のヴォルデン第二席ぐらいでな。実家準備のラドッサ第十席や会場経営のミツルギ第八席と人手が不足しすぎているわけだ。……そこで、お前にも働いて貰うことになる」
「ぼ、僕もですか? それは構いませんけど、今まで先生が十聖騎士ってことも知らなかったぐらいなのに……」
「構わん。お前には私の助手ができる程度には能力があることは確認済みだ。普段の書類整理に比べれば楽なものだろう。年末のアレとか」
「あぁ、年末のアレですか……」
ガルスの表情が酷くゲッソリしている辺り、年末のアレと何があるのかは想像に難くない。
「……まぁ、それ自体は構いませんけどモンスターの実地調査はどうするんですか? まだ帝国周辺までしか調査は終わってませんし、そもそもその仕事だってカネダさん達が出発するまでに終わらせないと。あっ、でもこれからは難易度が高いところだって大丈夫ですよ! カネダさんやメタルさんがいるお陰で護衛はバッチリで」
「その任務は一旦終了だ。お前は帝国の任につけ」
突然の言葉に、ガルスの指先が固まった。
吐息のような声と共に、困惑と驚嘆の入り交じった汗が頬から流れていく。
「……で、でも、先生」
「今は何よりも今晩の王彰式にフォール達が間に合うかどうかだ」
イトウはそれだけ言い切ると再び資料の処理に戻る。
各地の被害や聖剣祭の停滞状況の確認、石化魔法被害者の解魔薬調合、下水道に集う邪教集団の報告など片付けるべき問題は幾ら数え考えてもキリがない。
こんな仕事、終わらせるのにいったい何ヶ月掛かるやら。いや、こんな事を考えるぐらいなら今から必要なインクの費用でも計算していた方が幾らか有意義だろう。
「兎角、詳しい話はまた後で話す。……任せたぞ」
再び作業に戻った彼の姿を前に、ガルスは消沈の意を現すが如く弱々しい一礼と共に部屋を後にする。
扉の閉まる軋音と揺れる書類の山に顎肘を突きながら、イトウはもう見えるはずもないそんな後ろ姿に大きなため息を零し、また眼鏡を双眸へと翳すのであった。




