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最強勇者は強すぎた  作者: MTL2
――――(後)
213/421

【7】


【7】


――――恐ろしい。恐怖というのは、きっとこのことを言うのだろう。

 手足の冷たさや喉の渇き。背筋に立つ鳥肌や瞳を焦がす焦燥。何もかもが入り交じって、全身を震わせる。今すぐこの場から逃げたいと心へ訴えかける。どうして、なんで、と。情けない叫びが全身へ叩き付けられる。

 早く、逃げたい。この場所から逃げ出してしまいたい。


「エレナ……。辛いのなら……」


「…………いえ」


 それでも、少年は逃げようとはしなかった。

 曇天に轟く雷鳴に肩を震わせ、恐怖に涙を浮かべようと逃げはしなかったのだ。


「師匠が信じて託してくれたから……、イトウおじさんがそれを認めてくれたから……。そして何より聖女として、この帝国の王族として、人々を護るべき要として、僕は逃げません。逃げるわけにはいかないんです」


 彼は、胸元に拳を握り締める。

 その拳が掴むのは、騒然たる帝国の姿。誰も彼もが天に祈り、誰も彼もが恐怖に逃げ惑う帝国の姿。

 希望と栄光に溢れ、秩序に護られた栄光国家の姿など最早なかった。滅亡と絶望を前にした民草は救われることさえ赦されず、ただただ逃げることしかできない。その逃げ道さえもないと言うのに。

 人々の瞳が見るのは何であろう。滅亡でなければ、絶望でなければ何であると言うのだろう。曇天に輝く雷鳴も帝国を揺らす激震も、ただ恐怖しか与えられぬその世界で見るのは、何であろう。


「……だから、今こそ」


 エレナは、高台にいた。街をいっそう見下ろせる塔にいた。

 帝国城よりも遙かに小さく低い、それでも街一番の高台にいた。そこで、背筋を伸ばして胸を張っていた。

 怯え逃げる人々を前に、民草の為に、小さな胸を、張っていた。


「私は……、いいえ、僕は聖女でありたい」


 嵐の風に舞う華奢な衣服。その輝きを眼にして、誰も彼もが逃げ惑うことさえ忘れて高台へと目をやった。アレは聖女だ、どうしたあの方が、いやしかし体付きがおかしいじゃないか、アレは男ではないか、では聖女ではないのか、と。口々に言葉を交わしながら立ち止まった。

 それ故に、喧騒溢れるこの帝国へ刹那の静寂が訪れたのだ。ほんの小さな、そしてほんの僅かなーーー……、静寂が。


「皆さん、どうか聞いてください!!」


 目一杯、大声を上げることなど知らなかった少年の叫び。

 声枯れ、震え、甲高く引き攣った、酷く情けない叫び。けれどそれは何より高く、雷鳴より轟く、叫び。


「僕は……、皆さんに嘘をつきました! 帝国のためと偽り、民草のためと誤魔化し……っ、自らを欺き続けました!! 決して逃れてはいけないものから逃れるために、自らを騙し続けました!!」


 それは授罰か、贖罪か。


「僕は……、僕は、皆さんの真摯な思いを踏みにじり、騙し! 向き合うことを恐れたのです! 向き合うことから、逃げたのです!! 自分の身可愛さに、誰かが護ってくれることだけを信じ、それに頼り切っていたのです!!」


 聖女の悲痛な声は、帝国へと響き渡る。

 自らを罰し、自らの罪を購うその声は、果てなく、果てなく。


「それが、赦されるとは思いません。赦されるとも思っていません……。幾ら謝っても皆さんの思いを踏みにじった罪は、決して赦されるものではないのでしょう。そしてその罰は、決して軽いものではないのでしょう」


 胸元に携えた拳が、酷く震える。

 ――――怖い、怖い、怖い。全身を刃で裂かれるようだ、業火の炎で焼き潰されるようだ。

 この場から逃げ出せたのなら、どんなに楽なことだろう。瞼を閉じて目の前の現実を振り切れたのなら、それはどんなに嬉しいことだろう。

 恐ろしい。自分はどうなってしまうのか解らない。あの空のように、永劫の闇へ連れ去られてしまうかも知れない。

 だから、どうか赦して欲しいと切に願う。誰も何も聞かず、ただ、何事も無かったかのようにーーー……。


「…………でも、僕はある人に出会いました」


 けれど、嗚呼、だけれど。

 逃げないと、決めたのだから。


「その人はよく解らない人でした。頼り甲斐があるようで子供っぽくて、でも大人びていて、いつも冷静に物事を見ていて……。憧れという感情を抱きました。信頼という感情を抱きました。これが大人なのだな、と……、そう思いました」


 あの人がそう、信じてくれたのだから。


「あの人は言いました。『初めから無理だと決めつけるのだから無理なのだ』と! 目的を達成することに必ずしも勝利は必要ではないのだ、と……!! ただ、乗り越えることを目指せば良いのだと!!」


 震え、怯え、恐怖する。そんな小さな背中を深緑の瞳が硝子越しに見つめていた。

 ――――何と、か細い背中だろう。男と言うには小さく、少年と言うには脆すぎる。触れるだけで壊れてしまいそうな、この瞳を覆う硝子よりも砕けてしまいそうな背中だ。年相応ならばもっと逞しく、真っ直ぐな背中だっただろう。帝国と聖堂教会の秩序と民々の信頼という茨に蝕まれ、この背中はこんなにも怯えてしまった。どうしようもなく華奢な、震えることしか知らない背中だ。

 だと言うのにーーー……、けれど、嗚呼、何故だろうか。今その背中はとても大きくて、立派に見えた。細くて小さくて脆いはずの背中が、とても、逞しく見えた。


「僕は自分を乗り越えたいッッッ!!」


 こんなにも、希望に満ち溢れて見えた。


「だから、その為にどうか、僕に力を貸してください! 帝国に、聖堂教会に、今戦ってるあの人達に、力を貸してください!! どうか、どうかっ……!!」


 ――――静かな、嵐だった。

 言葉なく、喧騒もなく、雷鳴さえも止むような、嵐だった。

 誰もが、何もが、静寂の水面に浮かぶような静けさだったーーー……。


「…………聖剣を盗もうとした時に、アイツを見たことがある」


 そう呟いたのは、帝国城の湖堀近くでアストラ・タートル討伐隊の隊列から引っ張ってきた砲台に肘を掛けながら、白煙を巻き上げる一人の盗賊。

 彼は未だ大橋の爆破に劈かれる鼓膜を軽く叩きながら、懐古の思いを巡らせるように小さく呟いた。 


「……カネダさん?」


「あの時はガキだったんだ。恐怖に泣き出しちまうような、弱々しい奴だった……。騎士達に護られてばかりの、そんな……。頼りない、指先で突いたらそのまま転げ砕けちまうんじゃないかと思うような、ガキだった」


 白煙の先に灯る灯火が、砲台の着火戦へと落ちた。

 じりじりと迫る紅色が、やがて漆黒の砲門へと迫りーーー……。


「…………成長、か」


 その巨大な鉄球を、撃ち出した。

 撃音は帝国中に轟き、逃げ惑うことも祈ることも忘れて立ち尽くしていた民々の背中を叩き上げる。

 それは促すようでも迫るわけでもなく、ただ問い掛けるように。民々の心へ『お前は何を思う』と、そう問い掛けるように。


「「「…………」」」


 誰もが、静かに立ち尽くしていた。呆然としていたのではない、心の内に、思いを反芻させていたのだ。

 ――――言葉は、要らない。ただ己の思いにのみ、従う。聖女の言葉を、今この滅亡と絶望の濁流に晒されているこの身を、静かに思う。それは意志とも呼べるものだった。

 やがて始めに動いたのは、誰だったのだろう。小さな少女か、腰の曲がった老人か、背の高い男か、物腰柔らかな女性か。それとも剣を構え槍を構える騎士や憲兵か、傷を負いながらも少年の成長に立ち上がった十聖騎士(クロス・ナイト)か、無力であろうと僅かな力だろうと構わないと奮い立った十聖騎士(クロス・ナイト)か。

 誰でも、ない。初めは誰でもない。皆が一斉に、立ち上がったのだ。

 ――――漆黒の砲門から放たれた弾丸に伸びる鎖の元へ、誰もが、その意志の元に集まったのだ。


「……嫉妬しちまうぜ。エレナ」


 カネダが腕を振り上げると共に、皆がその鎖を掴む。

 数メートルや数十メートルではきかない、果てなく伸びるその鎖を。帝国城の結界の下、中央塔の根元へ突き刺さった刃を引くための、鎖を。

 例えどんなに小さな力でも構わないーーー……、ただその鎖を引くために。


「引けェエエエーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッ!!!」


 その咆吼は大地を揺らす激動よりも激しく、その力は如何なるものよりも強く、その意志の鎖は仮初めの秩序よりも遙かに堅かった。

 一次砲撃で亀裂の入った帝国城中央棟が、見る見る内に崩壊していく。煉瓦の壁や大理石の柱までもが紙切れのように、刃の鎖によって引き剥がされていく。

 ――――それこそが、勇者の立てた最後にして最大のやいばだった。空間を護る結界から引き剥がし、戦場たる王座の間を敵本拠地から無理やり引っ剥がす規格外の妙策ーーー……。正真正銘、最後の手段。


「こんな、こんな事までもッ……!!」


 大きく傾きゆく王座の間で、カインはただ異様な光景に目を剥いていた。

 最早何度、この現実を確かめただろう。最早何度、この光景に己の目を疑っただろう。

 それでもなお変わらない。王座の間が、鉄壁の要塞が、崩されていく。帝国城の象徴が、崩れ、壊れていく。世界が、嗚呼、世界がーーー……、傾いていく!


「繰り返そう、カイン・ロード。……これが、人間の力だ」


 崩壊に蠢く装飾の中、カインが見たのは雷鳴の曇天を背負う勇者の姿だった。

 直角に重力の当て変わった王座の間。倒れゆく中央塔の残骸の中で、カインは確かに見たのだ。

 ――――己を見下ろし、黄金の刃を構える勇者の姿を。


「倒れるぞォオオオオオオオオオオーーーーーーーーッッ!!」


 誰かの叫びと共に、帝国城中央塔が崩壊する。暗雲を斬り裂く刃が如く、城外に向かってその巨大な象徴が瓦解する。

 その崩壊は、誰にも止めることはできない。滅亡と絶望を斬り裂く刃は、誰にも止められない。


「勇者……! 勇者フォォオオオオオオオオーーーーーールッッ!!」


 銀の大翼を羽ばたかせ、異形なるカインは空を舞う。

 垂直に倒れる王座の間で、二人は刹那の交錯へと向かって行く。

 天輪に雷撃を収束させ銀翼で飛翔するカイン、重力に引かれるまま黄金の刃を突き立てる、フォール。

 そう、それは刹那だ。閃光も斬撃も交錯するのは刹那でしかない。秒にも満たず一瞬でもなく、瞬きさえも赦されぬ、刹那の激突ーーー……。

 そして、刹那の決着。


「ーーーーー…………ッ!!」


 浮き上がる体を押さえながら、シャルナがその様を目撃した瞬間、全ては決着していた。

 最早、天地さえも逆転した王座の間で、暗天に腕を伸ばす異形の姿と、黄金の刃を振り抜いた勇者の姿があったのだ。

 未だ羽ばたきを止めぬ異形と、綻びた聖剣を振り抜いた勇者の、姿が。


「……やはり、天運は私に味方した。もしその聖剣が完成していたのなら、私に勝機はなかったでしょう」


 その旨に大きな斬痕を作りながらも依然羽ばたきながら己を見下ろすカインを、フォールはただ鋭い眼光で睨みながらもその現実を認識する。

 僅かに、とどかなかった。本当に僅かな、ほんの少しの刃がーーー……、とどかなかった。


「此所は……、今回だけは貴方の勝ちとしておきます。勇者フォール。しかし努々忘れないことだ。ここで私を仕留められなかった報いを……、いつか貴方は受けるでしょう」


 フォールとカインの距離は、次第に離れていく。

 一人は落下する帝国城中央塔、王座の間。一人は銀翼が舞う、暗天。


「憶えておくが良い。……貴方を倒すのは、この私」


 ――――繰り返す。


「カイン・ろっ」


 いったい誰が、それを予期したと言うのだろう。


「……………………アータァーマァー」


 フォールの計算上、確かに倒れた中央塔は勢いのままに帝国城外へ吹っ飛ぶはずだった。

 それは間違いなかったのだ。確かに帝国城中央塔は鎖の引き手達の尽力によって帝国城外まで吹っ飛んだし、覚醒魔族達も唖然とするしかないような計画だった。そう、全ては上手くいったのだ。

 ただ少しーーー……、引き手達が頑張りすぎて、吹っ飛びすぎたこと以外は。


「あぁあああああたぁあああまぁああああああああをォオオオオ…………ッッッ!!」


 それが何処まで吹っ飛んだのかなど、最早語るまでもないことだろう。

 帝国城市街地を超え、城壁を越えーーー……、その先へ。

 そう、草原にいるアストラ・タートルの、頭上まで。


「垂れろォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!」

 

 中央塔はアストラ・タートルの頭蓋に激突、崩壊。

 同時に怪亀の頭は大きく下がり、眼下に構える異貌の徒の元まで一気に墜落した。

 そこから何が起こったのか、刹那の内に何が起こったのか。

 起こりえるはずもない、起こってはいけないことが、起こってしまったのだ。決して交わるはずのなかった、交わるべきではなかったーーー……、表と裏の邂逅が、起こったのだ。


「……は?」


 異貌の徒、メタルの拳が頭上より墜ちるアストラ・タートルの顎に向かって全力の剣戟を振り抜いた。

 その衝撃は一瞬で怪亀の意識を刈り取り、顎を割砕き、天の果てまで跳ね上げる。

 無論、、衝撃は亀の巨頭で止まるはずもない。鱗の上、頭上に降り注いだ中央塔の残骸までも突き抜けてーーー……。

 ――――その瓦礫を、天高く跳ね上げる!


「何……、えっ?」


 カインの瞳に映ったのは、爆煙の炸裂と共に自身の眼前へ現れた勇者の姿。

 そして最後の神獣を討伐したことで、真なる黄金の輝きを取り戻した聖剣の姿。


「天運は俺に味方したようだな……。カイン・ロード」


 聖剣ーーー……。


「あの世で、スライム神に詫びてこい」


 ――――斬閃!


「馬鹿なぁああああああああああああああああああああああああああああッッッッッッッ!!!」


 聖剣の斬撃は暗天を斬り裂き銀翼を破壊する。勇者の聖なる一撃が邪悪なる魔族を打倒する。

 傲慢なる光は地に落ちた。天に輝くのは太陽が如き聖剣の輝きと、真紅の双眸ばかり。

 この瞬間、この刹那こそーーー……、勇者フォール、彼が帝国を救い激闘に幕を降ろした、瞬間だった。暗雲を打ち払い、最期の一撃を斬り放った瞬間だった。


 ――――決戦、終幕!!



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