【5】
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あの惨劇を説明するにはまず、時間を数分ほど戻さねばなるまい。
いや数分と言っても帝国市街地の襲撃宣言が為され、リゼラ達が秘密の抜け道に入った頃までだ。覚醒魔族の大軍が湖を越えるべく完全な装備と共に四方の大橋へ足を踏み入れ、帝国滅亡の奏曲も佳境に入ろうとしていた、その時まで。
「フフ……、それでは私も指揮に入りましょう。『顔貌』、『四肢』。貴方達も準備を進めると良い……」
「あァ」
「えぇ」
「「全てはあの御方の為に……」」
仲間からの通信が途切れると共に、カインは杯の中にある真紅を一気に飲み干した。
――――これより始まるは滅亡と絶望の交奏曲。何人も逃れられぬ滅亡と、全てに降りかかる絶望の織りなす、魔なる者達が奏でる破壊の音。
さぁ、誰も彼も謳い賜え。誰も彼も奏で賜え! 如何なる者も逃さず、如何なる者も逃げられない、この交奏曲を!
そして勇者よ、貴方も奏でるが良い。この帝国城に辿り着くことすらできず、己の無力に膝を屈しながら護るべきもの達が壊れ征くその様に、悲鳴という喝采を! 諦観という花束を!! 最早、誰に止めることさえも不可能なこの進撃を、ただ祈ることさえも忘れて心を砕くが良いーーー……!
「……フフフ、ククク! ハーハッハッハッハッハッハッハッハッハ!!」
傾れ落ちる絶望、砕け散る希望。誰に求められぬ滅亡と、光なき闇に沈む存亡。
全ては始まってしまった。懺悔の時間すらなく、帝国滅亡は始まってしまったのだ。
やがて市街地からは黒煙が上がり、帝国は悲歎の花園と化すだろう。勇者の奮闘も聖女の祈りも虚しく、誰も彼もが顔を覆いて滅亡と絶望の濁流に涙することになるのだろうーーー……。
――――そうなる、運命なのだから。
「……ふむ」
運命は。
「ならばお望み通り、滅亡と絶望を与えよう」
その男にとって。
「貴様等に……、だがな」
最も無縁なものである。
「……ハ?」
――――ドッガァアアアーーーンッ!!
その炸裂は突如としてカインの鼓膜を劈いた。衝撃の閃光は窓から彼の影を王座に焼き付け、帝国城の硝子全てを粉砕し尽くしたのだ。
「ハ……ハハ……。また無駄な……砲……撃…………?」
では、ない。
振り返れば窓を埋め尽くす程の黒煙が濛々と噴き上がっていた。帝国城全体を覆い尽くすほどの爆炎が、帝国城から吹き荒んでいた。
信じて送り出したはずの部隊が湖堀の水面で藻掻き苦しみ、凄まじい悲鳴を上げている。市街地へ永遠と伸びているはずの大橋が、黒煙を噴き上げる瓦礫と化している。滅亡と絶望への道が、断たれているーーー……。
「何だ、これは…………? 何なのだこれはぁっっっ!!」
絶叫と共に、抜刀。魔族としての本能が瞬間的に剣を抜かせたのだ。
鍔迫り合いの火花の先、熾烈なる閃光の向こう側に、その者の姿があった。未だ橋の向こう際で稚拙な策謀を巡らせているはずの、男の姿があった。
メイド服姿で斬り掛かってくる、フォールの姿があった。
「……ゆ、うしゃ? 馬鹿な、何故、貴様が。馬鹿な! 馬鹿な!!」
「何故? 可笑しなことを聞く」
全ての答えは彼の持つ黄金の刃にあった。
カインが懺悔と嘲笑のために残した不完全な剣、聖剣。それが、全ての答えなのだ。
「まさか……、転移に使ったのですか? 聖剣を、自らに突き刺してッ……!!」
「唯一の不安は魂が転移できる可能距離だったが……。いや、そこを思慮するぐらいならばカネダの女装演技を褒めてやることだな」
「この……ッ! 変態がァッッッッッッッ!!」
閃光は金属音となって爆ぜ渡り、両者は距離を取る。
王座を挟む対峙でフォールが息を整えるのに対し、カインは思考を整えた。整えざるを得なかった。
「変態とは……、失敬な奴だ」
「ぐ、ぅッ……!!」
――――馬鹿な。橋の向こう側にいたのは、この男ではなかったのか。そんな馬鹿な、この男の魂の波動を見間違えるわけがない、魔力を見間違えるわけがない! いいや違う、そうだ、そうではないか。この男は事実として帝国城にはいなかったのだ。いたのは、体だけだ!
つまりこの男は何らかの方法でカネダーーー……、あの盗賊と体を入れ替え、自身の体をメイドに扮させて帝国城へ侵入した! あの盗賊ならばこちらの警戒網を櫂潜ることは可能だろう! そしてそのまま私の注意を逸らすため、ごく自然にメイドとして振る舞い、石化させられる事で私の意識から除外されたーーー……!!
女装し、メイドとして振る舞うことで、潜入を可能としたのだ!!
「……やはり変態ではないかッ!!」
「まさかメイド潜入の経験がこんなところで役立つとは……」
「えぇいやかましいッッッッ!!」
――――それだけじゃない。この男はは橋向こうで自身の注意を引きつつ、露骨な挑発で覚醒魔族達の進軍を促せた……!! 橋を爆散する為に!! 帝国への道を断つ為に!!
全て、計算していたのか。全て、思い描いたのか。あの邂逅から数時間と経過していないたったこれだけの間に、この男は、この事態までもッ!!
「段々と……、化け物皮が剥がれてきたな。カイン・ロード。それが貴様の本性か」
「……ふ、フフ。フフフフフフフフ!」
だが、それがどうしたと言うのだろう。
「フハハハハハハハハハハハハッ!!」
未だこの状況、自身の有利に変わりない。
確かに予期せぬ潜入を赦した、帝国市街地への襲撃に失敗した。だがそれが何だと言うのだ。
そんなものいくらでも取り返しが付く。全ての基点はこの男にあり、自身が警戒するのもこの男だけなのだから。反撃の狼煙に火種を与えられるのは、この男だけなのだから!
「迂闊……、えぇ、全く迂闊ですよ。勇者フォール」
そしてその男は今ーーー……、目の前にいる。
為すべき事は何ら変わらない。この男を倒し、全てを手に入れるだけのこと。
火種のない焚き火の、何を恐れよう。意味なき煙の、何を恐れよう。狼煙は上がらない。この男が、火種たるこの男が! 呪いに蝕まれながらも単独で敵地に乗り込んできたこの間抜けが! ここにいるのだから!!
「貴方は自らの傲慢で身を滅ぼすことになるッ! そう、今この瞬かんほぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
カイン、絶叫。
「し、尻が……! 尻がぁあああああああああああああ……!! ば、馬鹿な貴様、何を、いったい何をぉおおおおおおおおお…………!! この私に何をしたぁあああああああ…………!!」
「何……、と言われてもな。イトウに頼んで超強力な下剤を懐に忍び込ませていただけだ。ふむ、カネダには適正量の4倍を飲み物に仕込むよう伝えてあったのだが、この様子を見るに400倍はいったか……」
「よ、よんひゃくぅうううんほぉおおおおおおおおおおらめぇええええええええええええええええええ!!!」
尊厳もクソもねぇや。
いや、クソはあるけども。
「……カイン・ロード。貴様の先見は確かに優れていた。俺に対する解析も的確だったな。聖剣での奇襲は予想外だったし、城への配備も完璧だった。ただ、貴様は間違いを犯した」
「んふぅ……! ま、間違い……、だ、とぉ……ッ!?」
「そうだ」
腹痛に身悶え、内股で叫びを上げるカイン・ロード。
その白銀の双眸に、黄金の光が灯る。歴代の魔王を封じ、幾多の勇者が掲げてきた聖なる剣ーーー……、その、黄金の光が。
「……我が誇りを、汚したことだ」
フォールから、靄斬りのような殺意が溢れ出す。対峙する者の背中を凍水滴る刃で斬り裂くような恐怖が突き抜ける。
――――例え如何なる理由であろうと、それを汚すものは赦されない。
中身の綿が飛び出て手足(?)が拉げたあの姿を忘れるものか。悲惨に踏み潰された、あの屈辱を忘れるものか。
それは決して汚してはならないものだった。勇者フォールにとって、決して犯してはならない領域だった。
「見せてやろう……、『心臓』。そして知れ」
そして、時は収束する。
魔族達が扉を突き飛ばして入室してきた、その時へ。
勇者フォールと『心臓』カイン・ロードが対峙する、その時へ。
「これが……、人間の力だ」
――――今、決戦の時!




