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最強勇者は強すぎた  作者: MTL2
――――(後)
210/421

【4】


【4】


「……どっこいしょ、っと」


 廊下柱の壁を持ち上げ、ラドは秘密通路から姿を現した。彼女の確認が済むとその後からシャルナ、リゼラ、ルヴィリアと順番に。

 どうやらこの階層は既にダンジョンの最奥に当たるだけあって覚醒魔族達の見回りもなく、とても静かなものだった。不気味なほどに、静かなものだった。


「こっから道なりに階層を超えて行けば王座の間だ。たぶん道中にゃ敵はいないと思うけどよ」


「うむ、ご苦労だった。……ふん、既にこの辺りからぷんぷんエセラスボス臭が漂ってくるわ。抜け道を用意するラスボスは三流じゃがな」


「エセラスボス臭って、リゼラ様……。しかし確かに、冷気というか邪気というか、何処か薄ら寒いものを感じますね。殺気か、そうでなくとも敵意か……。尋常ではないものであるのは確かです」


 自然と、シャルナの指は覇龍剣へと伸びていた。

 背筋に凍水滴る刃を当てられたかのような恐怖だ。指先が震え、自然と肌が粟立つのを感じる。幾多の戦場を越えた者であろうとこの恐怖を拭うことはできまい。

 こんな、腹底から深淵を這わせるかのような、恐怖は。


「……エセラスボスとは言え、これだけの事を成す相手です。油断はしない方が良ろしいかと」


「解っておるわ。ルヴィリア、魔眼で辺りを警戒せよ。見張りなどおらんとは思うが、せめてフォールが既にここまで来ていないかどうかだけでも……」


 そんな緊迫を押すように、突如として凄まじい爆音と衝撃が彼女達の足下を揺るがした。

 先刻の地震ほどでないにしろ、思わずリゼラが浮き上がって引っ繰り返るほどの衝撃だ。どうにか耐えたシャルナが慌てて窓の外を確認してみれば、風景を埋め尽くし向こう側が見えないほどの黒煙が濛々と噴き上がっているではないか。

 ――――『始まった』、というわけなのだろう。あの喧騒が橋へなだれ込みその先へ向かったのだ、と。そういう事なのだろう。


「チッ、思慮に耽る時間もないか! ルヴィリア、探索はまだか!?」


「……探索は済んでるよ。今この帝国城に僕達以外の侵入者はいないし、この階層に見張りもいない。断言するよ」


「何? と言うことはそもフォールは来てすら……。いや、ならば好都合というものだ! 奴めが帝国城に来る前にさっさと王座の間へ行くぞ! これ以上時間を掛けたらいつ来るやもーーー……」


「待ってリゼラちゃん。見張りはいないけど……、敵はいるんだよ」


 何、と問い返すように振り返ったリゼラの瞳に映るのは、その場に蹲るラド第十席の姿だった。

 苦悶に悶えているわけではない。むしろ小刻みに体を震わせ、普段は衣類の中に仕舞ってあるはずの小さな尻尾を全ての毛が逆立つほどに真っ直ぐ伸ばして震えている。否、そればかりか僅かな体毛が、頭髪さえも全て逆立ってはしなりと力なく垂れ下がり、また逆立っては垂れ下がりを繰り返しているではないか。

 まるで引いては押し返す巨大な波に悶えるような、そんな状態だ。


「お、おい、どうしたラド!? 腹痛か? 腹痛か!?」


「違います、リゼラ様……! これはッ……!! な、何も感じないのですか!?」


「何がって、えっ!?」


 気付けばシャルナも毛先を逆立たせ、口元を抑えながらその場に片膝を屈している。

 その顔は薄紅色に紅潮し、いつもの屹立とした褐色の筋肉が何処か緩みを見せていた。否、背を丸め太股を擦り合わせる様子を見るに、まるで生娘のようとさえ思えてくる。

 ――――あの自戒の鬼たるシャルナまでこの様子だと言うのに、リゼラは何ともないし、ルヴィリアも変わった様子はない。ただただ、その二人だけが悶え、甘く蕩け、止め処なく押し寄せる津波に押し潰されているのだ。


「こ、これはいったい……!?」


「僕達は魔族だからね、そりゃ効かないさ。……ここにミツルギ第八席がいなくて良かった。純粋な人間の彼女がこれを受けたら、きっと正気ではいられなかっただろうから」


 その言葉に同意するが如く、リゼラにも解るほど鬱蒼とした甘い香りが廊下を漂ってきた。

 いや、それだけではない。目に見えて桃色の瘴気が彼女達の足下へ漂い、爪先を舐めずっていく。リゼラ達は相変わらず何ともないが、シャルナは咄嗟に覇龍剣で瘴気を振り払い、ラドに到っては悲鳴なのか喜びなのかも解らないような、理性の消し飛んだ弱々しい叫びをあげている。

 いったい何がーーー……、その問いさえもリゼラの口から溢れることは赦されない。

 全ての答えを指し示す悪魔が、そこにいたのだから。


「フフ、ウフフフフフフフフ……」


 妖しい、背筋を逆なでする微笑。

 かつての鉄仮面など疾うに剥がれ落ち、そこには色欲に溺れた夢魔の姿があった。純白の衣を脱ぎ捨て漆黒の娼装を纏い、極限まで肌を露出させ、夢魔の翼と淫靡の尾を揺らす、その姿があった。

 ミューリー第三席ーーー……。そう呼ばれていた夢魔の半亜人たる彼女が、廊下の奥から情欲の瘴気と共に変貌した姿を現したのである。


「完全に……、サキュバスとして覚醒したようだね。ミューリー第三席」


「フフフ、その通り……。ご覧ください、とても、えぇ、とても良い気分です。要らぬ殻を脱ぎ捨て蛹から蝶になった様ですよ! 抑え付けていた何もかも殻解き放たれ、嗚呼、私はようやく真の姿になれた!! ようやく私は真の愛欲に辿り着けたのです!!」


「……それが真のエロ? 笑わせる。君はエロを求めるが故にエロに呑まれてしまっただけだ! こんな、夢魔の力に頼り切るのがエロだなんて僕は認めない!!」


「フフ、フフフフフフフフ! 幾らでも吠えればよろしい! 貴方もまた、私の元に屈するのですから!! 嗚呼、『心臓アグロ』に感謝しましょう! お陰でまた私は貴方を飼い慣らせる!! アレで女の子だったら言うことはなかったのに!!」


「それは解る!!」


「御主ら巫山戯とる(ギャグな)のか真面目シリアスなのかハッキリしろやッッッッッッ!!」


 本人達は大真面目である。


「リゼラちゃん! ここは僕に任せて、シャルナちゃん達と先に行って!! ラドちゃんは僕が守り抜くから心配は要らないよ!!」


「おう最悪でも道連れにしろよ」


「何か最近当たり強くないリゼラちゃぁん!?」


「普段の行いを振り返ってからモノを言え! ……ったく、さっさとそんな奴片付けて応援に来い!! フォールが来たら足止めになってもらうからの!!」


 リゼラは火事場の馬鹿力でシャルナを持ち上げ、はできなかったけれど、どうにか引き摺りながら廊下の先を進んでいく。ミューリー第三席、否、夢魔サキュバスことミューリーもそれを止めようとはしなかった。

 その理由は語るまでもない、眼前に佇む存在を屈服させるためだ。己こそ正しいのだ、と。この姿こそ正しいのだ、と。如何なるエロも快楽の前には敗北すべきなのだと証明する為に、屈服させなければならない存在がいるからだ。


「……フフ。貴方には、解らないでしょう。真なる快楽も、淫欲も、妖艶も! 愛だ何だとさえずり、上辺だけ語る貴方には解るはずもない!! ただただ、気持ち良ければそれで良い! 私も、相手も、悦びに腰を砕けばそれで良い!!」


「…………」


「どうしました? 言い返さないのですか。貴方らしくもない……、また惨めに囀れば良いでしょう?」


「……リゼラちゃん達は、行ったかな」


「仲間の心配とは余裕ですね。案ぜずとも、彼女達も直ぐに貴方と共に飼い殺してさしあげますよ!」


 嘲るように笑うミューリーに背を向け、ルヴィリアは未だ快楽に悶え苦しむラドの顔を優しく撫で添えた。

 すると緋色の双眸が輝き、うっとりと蕩けた眼の瞼を静かに降ろす。ほんの数秒とせず、ラドは安眠の夢へと堕ちたのだ。


「……魔眼、でしたか。素晴らしい権能です。ですがそれは貴方の言う『強制』の象徴そのものでしょう。快楽で強制する私と、魔眼で強制する貴方! そこにいったい何の違いがあると言うのです!?」


「……そうだね。それを否定する権利は、僕にはないよ」


「認めるのですね……? ルヴィリア・スザクッ!!」


「ううん、認めない。否定する権利はなくとも、否定する理由はある。僕は君のエロを認めないよ」


 緋色の双眸は静かに幕を閉じ、そして再演に躍り出たときにはもう、その宝石に輝きはなかった。

 ただくすんだ色合いだけが桃色の瘴気を見下ろしている。酷く悲しげな瞳で、ただ、煙揺らめく地面を、いいや、快楽に溺れてしまったミューリーの影を見つめていた。


「……宣言しよう、ミューリー第三席。僕は君との戦いで魔眼を使わない」


「自らの最大にして唯一の武器を捨てると? ……いえ、それともまだ何かあるのですか?」


「いや、僕にはもう武器らしい武器はないよ。この魔眼だけさ」


 ミューリーの観察眼を通せば、彼女の様子に偽りがないのは明らかだ。嘘を言っているわけではないのだろう。

 だが同時に、己の唯一の武器を封じると宣言した者の纏う雰囲気でないのも事実。明らかに勝利を確信し、それでいてなお悲しげな双眸を浮かべるその姿は、まるでそれが何を意味するのか解っていながら禁忌を犯さざるを得なかった賢者が如く。


「……できれば、これだけは使いたくなかった。リゼラちゃんやシャルナちゃんも知らない、他の誰だって、リースちゃんだって知らない、僕だけの秘密」


 瞬間、ミューリーの本能がけたたましい叫びを上げる。全身が凍てつき足が地面に縛り付けられ指先までも縫い合わされたような、そんな叫びを。

 ――――目を逸らさねば。それを見てはいけない。それに対峙してはいけない。それは、それは、嗚呼、それは駄目だ。有り得ない、彼女にあるはずなどないのだ。あってはならないのだ。それは、駄目だ。それだけは、駄目だ!


「見せてあげよう……。未だ誰も知らない、僕の本気というものを」


 それは決して明かすべきではなかった。明かすつもりもなかった。

 然れどルヴィリアは彼女の為に禁忌を破る。ひた隠しにし、骸と化すまで決して解くことはなかったそれを。忌み嫌われた魔眼所有者にのみ与えられた咎であり、罪であり、罰であるーーー……、呪われの象徴を、今。


「覚悟するんだ……、ミューリー・アクリア・リリス。手加減は、できないからね」


 ――――解放、する。


「でぇえええい……! いい加減自分の力で歩かぬかぁああ……!!」


 そして、そんな激闘が繰り広げられているとはいざ知らず、ルヴィリアを残して先へ進んだリゼラ達。しかし彼女達は未だ目的地へ到着どころか、先程の廊下から数十メートルも先へ進めてはいなかった。

 と言うのも、魔族よりも龍としての血が濃いことで瘴気の影響を受けてしまったシャルナをリゼラが抱え進んでいるからである。いや、抱えると言うよりは背負い引き摺っていると言うべきだが、褐色筋肉の巨躯に押し潰されそうな当たりどう表現しても大差はないだろう。


「申し訳ありません、リゼラ様……。あ、足腰が、どうにも……」


「おう御主のせいで妾の足腰が粉砕寸前じゃぞ」


「そ、そろそろ立てるはずですので……」


 シャルナは気まずそうに視線を逸らすが、その先でも気分が晴れる光景が広がっているわけではなかった。

 濛々と黒煙が立ちこめ、曇天を窓に塗りたくったかのように景色全てが黒で覆われて外の様子は一切覗えない。それでもなお耳に届く喧騒が見えないはずの景色を鮮明に思い描かせた。

 そして帝国城にいない限りそこで奔走しているであろう、一人の男の姿をも、また。


「フォールは今……、どうしているのでしょうか」


「……何じゃ、いきなり」


「あ、い、いえ、その……。ルヴィリアの魔眼に奴の姿は映らなかった。それに今、外で起きているであろう惨状を奴が見逃すとも思えません。だから今、奴は帝国城外であの巨大な化け物達と戦っているのだろうな、と。そう思ったのです……」


 ――――その双眸が語るのは、不安や心配でこそあったが、だからこそと訴えかけるようなものだった。

 彼だけで背負わず自分達にも頼ってくれれば、と。今こそその時なのではないか、と。

 そう、弱々しく訴えかけるような、眼差しだったのだ。


「ガルスは言いました。いつか彼から頼る時が来る、と。……しかしフォールは決戦の時である今でもなお頼りはしない。ただ一人で駆けて行ってしまった。それはつまり、私など必要無いと暗に言われているのでしょうか。……ただ邪魔なのだ、と」


「……えぇい、御主の優柔不断はいつになったら直るのかと常々言っておろう! どうして一度決めた覚悟が二度も三度も揺らぐのだ!!」


「で、ですが、そのぅ……」


「一回決めたらこうと信じ抜け! 二度考えたらまず己を疑う前に己を信じろ!! 揺らぎ進むよりかは愚直に進む方が余程マシぞ! あの男が力を借りぬのならこちらから力を投げつけてやるぐらいの加減でいかんか!! 御主はどうしてこうも、こう、うじうじと悩む性質なのだ!!」


「……リゼラ様」


「外の惨状だ何だと喚く暇があるのなら、その根源を真っ先にぶちのめしてしまえば良いのだ! 珍しく奴より先んじておるのだ、あのエセラスボスをふん捕まえて奴の前に突き出してやれ! さすればスライムの呪いを受けるどころか奴に頭を垂れさせることも不可能ではないわッ!!」


「……そう、ですね。はい、その通りです! 解りました、あのカイン・ロードをフォールより先に倒し、私の有用性を証明してみせましょう!! あの! 人の!! 話を!! 聞かない!! 男に!! 私はこんなにも!! 凄いのだと!! 見せつけて!! やりましょう!!」


「え、いやうんその通りなんじゃけど御主なんかハイになってない? 大丈夫?」


「大丈夫です! 先程のガスで妙に高揚してはいますが大差ありません! 外の惨状がこれ以上拡がるよりも前に、確実にこの私があの諸悪の根源たるカイン・ロードを倒しッッ!! フォールの助けとなることを証明して!!」


「それさっき聞いたから。大丈夫か、こ奴……」


 どうやら先程の瘴気による反動もあって、やたらとハイになって奔り回る部下は兎も角。

 リゼラは随分軽くなった肩を回しつつも、黒煙で真っ黒に滲んでしまった窓と、その先から聞こえる喧騒へ視線を向ける。

 ――――フォール。あの男が拘った犠牲なき戦いは最早有り得ない。この惨状を見れば、いや、聞けばそれは明らかなことだ。どのような形であれ奴の思い通りにならないという事は相当に追い詰められているということなのだろう。

 それに未だ姿を現していないというのも気に掛かる。ルヴィリアの魔眼に引っ掛からなかったように、もし奴が既に潜入しているなら疾うに事を起こしているはず。にも関わらずここに来るまで大きな騒ぎもなかったーーー……。つまり奴はまだこの城にさえ侵入していないということ。


「…………」


 流石の奴も今回ばかりは封印を受けた身、思い通りに事を運ぶだけの力はあるまい。

 ここでカインを倒せば手助けをするようで気が進まないが、今回ばかりはこのハイテンション脳筋の為にもラスボス演出死守の為にも全ての黒幕を聞き出す為にも、奴を倒さねばなるまい。

 今回ばかりはーーー……、あの勇者めに手を貸してやるのだ。


「行きましょうリゼラ様! 今こそフォールを見返す時です!!」


「……うむ。で、ある!」


 二人は疾駆する。目の前に迫る王座の間まで全力で走り抜ける。

 内心様々な思いあれど、倒すべき敵は一人。勇者が来たるその時よりも前に諸悪の根源たるを倒すことのみを目指し、ただただ走るのだ。

 やがて彼女達の前には巨大な扉が現れるだろう。邪悪な殺意の冷気が扉越しに漏れ出し、恐怖が肩膝を揺らすほどの空間が現れるのだろう。

 しかし二人は怯まない。例えその先に何が待ち構えていようともーーー……!!


「んほぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお尻がぁああああああああああああああああ!!!」


「これが……、人間の力だ」


 例え、内股で悶え苦しむエセラスボスと女装姿の勇者がいようとも!


「……見返したい? アレ」


「いや、ちょっと……、無理です……」


 それはもう、とても悲しい眼差しだったそうです。



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