【1】
これは、永きに渡る歴史の中で、――を――続けてきた――。
――なる運命から行動を共にすることになった、そんな彼のーーー……。
「……さて、始めようか」
――――存在するはずのない、物語である。
【1】
「……フフ」
白銀の大翼を背負う男は、玉座にて好悦の笑みを零した。
暗天から穿たれる雷光の灯火が自身の眼を照らす。この刻まで欲して止まなかったこの国という存在に閃光を走らせる。あの勇者という存在故に、全て筋書き通りとなった物語へ歓声を送るように、轟くのだ。
その様がこの男にとって、さて、如何ほどに喜ぶべきものであろうことか。
「あ、あの、ワインを……、お持ちしました……」
そして、歓喜の舞台には祝杯が必要というものだろう。
余裕綽々と言わんばかりに足を組む男の元へ、肩を竦ませ膝を震えさせる一人のメイドが現れた。彼女の持つ銀盆の上には56年ものの帝国産ワイン。宝石のように揺れる真紅は男の好悦を満悦に変貌させ、爽やかさなど失われた邪悪な笑みを浮かべさせた。
「ご苦労様です。……ふむ、良いワインだ。素晴らしい選出ですね」
「あ、あの、では……」
「えぇ、ご苦労様でした。……貴方もお眠りなさい」
パチン。彼が指を鳴らすと、メイドは悲鳴を上げる間もなく全身の色が消え失せ石像へと成り果てた。
その様さえも嘲笑うかのように男は、否、魔族三人衆が一にして『心臓』カイン・ロードは杯の境界を揺らし、味わうのである。
全身に染み渡るかのような鮮血の、何と美味なことか。達成による快楽の、何と美味なことか。勝利の呼びたるものの、何と美味なことか。
「フフ、フフフフフフフ……」
――――笑みが、止まらない。栄光の褒美を思えば止まるわけがない。
嗚呼、魔王リゼラ様は自分をお褒めくださるだろうか。いや、ここまでの不手際を或いは叱責されるかも知れない。高潔にして冷血たるあの方であれば我が愚物たる身に何たる御言葉をくださるだろうか。
或いは言葉ではなく、それよりも恐ろしいーーー……。
「……いや」
自身の緩みきった意志を戒めるように、カインは軽く首を振り払った。
然れど未だ王座に浸る指先は抑えきれぬ興奮と快楽に装飾を掻き、爪先は忙しなく踊り狂う。冷静にして爽純たる十聖騎士第一席だった彼であれば考えられぬ姿だろう。
しかし、ここにいるのは第一席でも騎士でも、まして人間でもない。人類を崩滅させし魔族の王が下僕、カイン・ロードなのだ。
「随分と、楽しそうですね」
「その様子だと計画は上手くいったみてぇだなぁ」
彼の享楽を遮る様に何処からともなく響き渡る、蔑むような声と湧き踊るような声。
カインは特に表情を変えることなくそれに眼を向け、興奮を吐息と共に吐き出した。
「……『顔貌』と『四肢』ですか。三人衆揃い踏みですね」
「クフフ、貴方の計画達成の御祝いに……。流石は『心臓』、周到に準備を進め続けあの御方から授かった覚醒魔族達を忍ばせていただけのことはありますね」
「でしょう……、と鼻を高くしたいところではありますが、買い被りですよ。私はむしろ勇者フォールの行動を利用した立場ですからね。本来であれば聖剣の完成を待ってから計画を発動したかったが……、いえ、それでも現状は僥倖という言葉が何より相応しいでしょうがね。これもそれも勇者フォールのお陰だ」
「……勇者フォール、ねぇ。だが奴は狡猾で卑怯な手段も厭わないと聞くぜ? ……どうしてさっさとあの場で始末しなかったんだ?」
「はは、『四肢』。貴方の不安も尤もですが……。私も間抜けではない。十聖騎士が倒される中、彼の性質について理解を深めていたのですよ」
「ほう、性質」
『願望』と称された人物の中性的な声が、彼の理解について促すように問い掛ける。
それに対する返答は、ワインのテイスティングと、嫌らしく歪んだ笑み。
「あの男は鋭剣が如き、研ぎ澄まされた刃……。その斬れ味は如何なる鉄壁をも斬り裂いてしまう剣とも言えます」
「おいおい、じゃァ防ぐ手立てなんか……」
「いえ、逆ですね。……鋭剣はその凄まじい斬れ味とは引き替えに酷く脆い。それは斬れ味が鋭ければ鋭いほど顕著なものです。……歴暦に残る名剣は屈強で使い勝手の良い汎剣と一撃必殺にのみ全てを捧げた捨剣ですが、貴方の言う剣は後者でしょう?」
くすり、とカインはワインの風味と嘲笑を共に呑む。
「そう。奴の策戦はいつでも初撃必殺だった。周到な準備や入念な下調べを持ってようやく放てる一度限りの必殺……」
「だったらそれこそさっさと仕留めるべきだろ? どうして時間をくれてやったンだ」
「血気盛んなことは結構ですが、『四肢』……。急ぎ早ではいつか二の轍を踏んでしまうものですよ? 勇者フォールの恐ろしいところは凄まじい戦闘力や一撃必殺の策略とありますが……、それ以上に不屈の精神力にもある。例え刃を折られようと即座に別の刃を構え斬り掛かるような……」
「つまり、貴方はその刃を完全に砕きたいわけですね」
「如何にも」
真紅の雫が、硝子の杯を伝わって王座へと流れていった。
然れど未だ白銀に揺れる笑みは崩れない。いいや、玉座に流れる紅のその様さえ悦び煽る。
「帝国の中心たるこの場所を抑え、国王と王妃、他にも帝国騎士やメイド達を数千人単位で人質に……、さらには魔族の協力者まで得た上に勇者本人には聖剣の呪いを刻みつけた。極めつけにここは城ひとつ借り切った完璧な要塞だ。魔道結界24層、特殊召喚陣3基、猟犬代わりの覚醒魔族、凶暴モンスター数千体、無数のトラップ、通路の一部は異界化させている空間もある……」
喝采も、称賛もない。然れど彼等には核心的な勝利の頷きがあった。
――――遂に、あの男を倒すことができる。世界最大の脅威であり魔王リゼラ様の敵対者にして、あの御方の意志に背く者。我ら魔族の敵たる、あの男を。三日という僅かな時間で帝国さえも滅亡寸前まで追い込んだ、あの男を!
進むべき道を逆行するあの怪物を、倒すことができるのだーーー……!!
「範囲破壊という奇手も人質故にできず、単騎特攻という無謀さえも呪い故に不可……。しかし、万策尽きたが為に仲間を連れて真正面から挑んだとしても、ダンジョンと化した帝国城の突破は余りに無謀! そして最後はこの私が待ち構えている以上、彼等の勝利は有り得ない!! あの場で見逃したのは、彼の希望を砕くために赦された懺悔の猶予でしかないのですよ!!」
雷鳴轟く銀細工を仰ぐ彼の手が、闇を掴む。
絶対の勝利という希望を、彼等にとって絶対の敗北という絶望を!
「……勝ちましたよ諸君! この戦い、我々の勝利だ!!」
邪悪なる嗤叫が王座の間に木霊する。本来であれば決して魔族が座してはならない、その場所に。
その叫びを誰が止められよう。誰が黙らせられよう。この帝国を覆う悪を、いったい、誰が。
「フフフ、はは、ハハハハハハハハハハハハハッッ!!」
――――王の間、爆散。
「は」
帝国城近郊から放たれた爆撃は容易く王城頂点たる王の間を爆砕し、業火と黒煙の破壊を叩き込む。
一切の躊躇も容赦も捨てた連続の砲撃だ。一方位から逃げ場無しに数分間もの爆撃が行われ続け、暗闇の空が降りてきたのかと思うほどに黒煙は濛々と猛りて帝国城頂上を埋め尽くしたーーー……、が。
「は、くふ、くふふ……、ははははははははははははは!!」
それでもなお、崩れない。
天閣塔に僅かな亀裂が入りはしたものの、カインが控える王の間は完全に無傷。未だ、カインの嗤いが響き渡っているその場所への被害は精々が瓶のワインを揺らした程度のものだ。
本来ならば木っ端微塵に吹っ飛ぶどころか塵になってもおかしくないような爆撃にも関わらず、何故無傷なのか? その問いに答えるのはやはり、帝国城中央塔の王座の間周辺空間に展開された結界の存在に他ならない。
――――奇襲への備えは万全、外部からの攻撃は全て無効化、内部への戦力は過剰域でさえある。
この城を、いったい誰が落とすことができようか。この様な城を、いったい、誰が。
「そこにいるのでしょう……? 貴方の無駄な足掻きはよく解りました」
最早、目視する必要さえない。それでもなお嘲笑に見れば、王座謁見の間にある金色の硝子を通して暗天に沈む橋先へ一つの人影が見えた。
外灯を纏い聖剣を手にする男ーーー……。闇にその姿を滲ませようと誰であるかなど解りきったことだ。あの魔力は、あの覇気は、あの立ち姿は、他の誰でもない。
――――勇者フォール、その者だ。
「決戦の祝砲をそちらが挙げてくれるのならば……、こちらもそれに応えるまで」
醜く歪んだ双眸が、残酷な彩を宿す。
掲げた刃は咎人の首根を切り落とす断刃が如く振り下ろされた。
「覚醒魔族部隊を市街地へ。……戦争の始まりです」
こうして始まる、『帝国十聖騎士壊滅事件』に続く『帝国崩壊』の序章が奏でられる。
翌日には亡くなるであろう『帝国』を巡り、人間と魔族の大戦争が今、開始されたのだ。
勇者フォールの指揮の下に放たれた砲撃という、開幕の合図によってーーー……。
「帝国を、滅ぼしましょうか」




