【エピローグ】
【エピローグ】
「…………」
男は、平原に座していた。空の淵から舞い込む雷鳴に目もくれず、大地に剣を突き立たまま座していた。
その平原は名の通り果てなく拡がるもので、城門を背に座す男が霞んで見える。緑一色に塗ったキャンパスに針先を掠めて窪ませただけのように、男の姿はちっぽけなものだった。
それでも男は平原に座していた。絨毯のように薙ぐ草木にからかわれるように膝をくすぐられようと、その中から嘲笑うように小さな羽虫が服裾へと飛び移ろうとも、座していた。
男は誰かを待っているのではない。ただ、刻を待っているのだ。己の中の妄執にその身を喰らわれながら、ひたすらに刻を待っているのだ。
帝国で起こる喧騒にも、空を漂う大轟にも耳を貸さず、この平原のように果てしなく、それでいて如何なるものよりも静寂な意識の水面に浸かりながら、待って居るのだ。
「………………」
男は、戦場の死神と呼ばれる者だった。或いは最強の傭兵と呼ばれる者だった。
――――別にそんな事を意識したつもりはないし、しようとも思わない。いつの間にか勝手に呼ばれていただけだ。
しかしそこに一匙の矜持があったのは事実だし、裏付けるように日々を戦乱で潤していたのも事実。男にとって日々は幸福であった。
あの日ーーー……、『死の荒野』で初めての敗北を知る、あの日までは。
「……………………」
男にとって明確な思想はない。AであるからB、BであるからCなどと、単純に直結する回路でもない。
あるのはただ感情のみだ。気に入る気に入らない、楽しい楽しくない、興味が湧いた興味が失せた。そんな単純な感情が混ざり合って脳という形を取っているだけだ。
しかしその感情故に、彼はとある決断を下していた。その決断故に、彼はこの平原にいた。
頬を虫が這おうと静かに、鳥が虫をついばむべく肩に留まろうと静かに、静寂の苦痛が身を蝕もうとなお静かに。
それを、待っていた。
「………………ぁア」
ずぅん。それはこんな音だ。
地鳴りという言葉が相応しいのだろうが、然れどその言葉は余りに不適切過ぎる。
大地が鳴っているのではない。この平原に拡がる矮小なものが、大地であろうはずがない。
大地とは今から訪れるものの事を言うのだ。白霞に紛れ山を踏みならし、歩むものの事を言うのだ。
で、あればこれは何と言う。この大地の産声を何と言う。――――躍動、と言うのだろう。
「来た、か」
彼の頬から虫が落ちた。鳥が落ちた。彼をからかっていた草木が枯れ果てた。
男は大地、いや、地面から剣を引き抜き立ち上がる。歪んだ地平に口端の牙を見せる。
胸躍り血湧き肉猛る。全身が歓喜の悲鳴に砕け散る錯覚さえ憶えるほどだ。
然れどなお男は未だ静寂の中にいた。背後で巻き起こる喧騒など知らず、天から降り注ぐ雷鳴さえ知らぬ静寂の中にいた。
眼前の大亀のみを捕らえる、静寂の中にいた。
「テメェを倒すことから、始めよう」
――――今ここに、表裏の決戦が始まろうとしていた。
表の戦いは誰に知られることもなく、終結するだろう。無謀にも最強に溺れた一人の男が世界を揺るがす神の使いに対峙したのだ。
裏の戦いは帝国の誰も彼もが語り継ぐ、決戦となるだろう。悪しき魔王の使い魔族三人衆『心臓』のカインとの戦いが、帝国全土を巻き込んで始まろうとしているのだ。
そう、これは表と裏の戦い。表は誰に知られることもなく、裏は誰もが知ることとなり、決着する。等しく世界の命運を賭けた決戦でありながらーーー……、それらは、交わることのない、そして交わってはいけない、戦いなのだ。
「待ってろよ、フォォォオオオオオオオオオーーー……ル。今、行くぜ」
決戦、開幕。
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