【プロローグ】
これは、永きに渡る歴史の中で、――を――続けてきた――。
――なる運命から行動を共にすることになった、そんな彼のーーー……。
「…………」
――――存在するはずのない、物語である。
【プロローグ】
「ただいまより、聖剣祭の開幕を宣言します」
朗らかな言葉と爽やかな笑顔に、誰もが祝福と歓喜の喝采を送った。それは誰もが待ち侘びた言葉で、誰もが待ち侘びた時。帝国中に花吹雪を降らせ、喝采よりも大きなファンファーレが吹き荒れる時。世界で一番の国が世界で一番賑やかになり、世界で一番楽しくなる日。
――――聖剣祭。古来より勇者がその手にし邪悪なる魔王を討ってきた聖なる剣を抜き、勇者を選定する風習から始まった大聖祭。
それが、始まる日。
「……ふぅ」
帝国城門下、広大な湖を見下ろすバルコニーから万雷の拍手をその背に受けながら、カイン第一席は城内へと踵を返してきた。
それを出迎えるのは、ヴォルデン第二席。彼はいつも通り豪快な、この輝華絢爛な一室に似合わない笑い声をあげながら大袈裟に応と頷いた。
「うぅむ、良い宣言であったぞカイン第一席! やはり儂のような武骨者より御主のような華奢者の方が映えるなぁ!!」
「恐縮です。……しかし今年も聖剣祭を開けて良かった。まだ侵入者は二人、いえ、三人ほど捕らえられていませんが」
「なぁに、案ずるでない。ここが正念場という奴よ。……のう? コォルツォ第九席」
天井を見上げる視線に応えるが如く、何もなかった空間から一人の男が現れた。
黒衣に身を包んだ彼は影を剥がすが如くずるりとぶら下がり、軽く首を鳴らしてみせる。
「ヒヒヒッ、カイン第一席の予測通りやっぱり凱旋ルートが露見してたぜ。……だが、先ほど別ルートの選定も完了した。幾ら奴等が襲撃の計画を練っていようと直前に場所を変えられたんじゃ対応のしようがねェだろうなァ~」
「迅速な対応、感謝しますよ。……しかし、えぇ、いざこの時になってみれば残った十聖騎士は御二人含め六人ですか」
「魔力欠乏で療養中のルナ第七席、全身複雑骨折で絶対安静のソル第六席、裏切りのユナ第五席にイトウ第四席……、クヒヒッ、ソル第六席とルナ第七席は兎も角、ユナとイトウは笑えねーなァ」
「仕方あるまい、あの二人は騎士であって騎士ではない! この帝国の闇に徹せぬのは必然の理というものだ!!」
「だがよォ~、それを言やァ好き勝手やってるミューリー第三席のアマも相当……」
「はいはい、無駄話はそこまでにしましょう」
外の喝采に掻き消されそうな、静かな拍手でカインは二人の話を中断させる。
そしてこつこつと、規則正しい音で部屋の奥へと歩んでいって。
「御二人にはこのまま……、ソル第六席とルナ第七席を欠いたままではありますが、当初の予定通りアストラ・タートルの討伐へ向かっていただきます。凱旋路はコォルツォ第九席の選定した道を」
「クヒヒッ、任せな。あの道は何処からだろーと狙撃も奇襲もできるような道じゃねぇ。来るなら真正面から来るしかないってワケだ」
「えぇ、仰る通りです。貴方達には苦労を掛けますね。何せアストラ・タートルの討伐と罪人捕獲を一度に為していただかなければならない」
「余裕だぜ。その為の人員も、エサまでも! ……用意したんだ。釣りは釣れねェと楽しくねェ。奴等が何処からだろうと仲間を取り戻すべく出て来たが最後、ってワケだぜ」
「フフ、頼もしい限りです。あぁ、それと、万が一乱闘になって騎士に被害が出てもご心配なく。既に城外のアストラ・タートルとの邂逅予定地には彼がいますから」
「彼……、うむ、あのメタル第零席であるな!? 奴は中々どうして豪快な奴よ!! しかし奴だけで待たせて良いものか!? 先日のあの咆吼、儂も起き上がるのでやっとだった程だ、もし勝手に戦い始めたらどうする!?」
「はは、その点に関してはご心配なく。どうにも愛しの目的人に逃げられて随分傷心の様子でしたから、そうそう勝手なことはしませんよ。……それにどのみちアストラ・タートルは必ず仕留めなければならない存在です、多少の犠牲は織り込み済みですから。……聖剣祭の為にも、ね」
「……で、あるな!!」
「あァ、その通りだ」
「はい。ですから御二人には……、是非とも罪人達の捕縛を、お願いしますよ」
彼の呟きに、ヴォルデン第二席とコォルツォ第九席は肯定の意を示すためその部屋を後にする。
間もなく彼等はアストラ・タートル討伐のため、数多くの騎士を率いて凱旋を開始するだろう。そうすれば帝国内はより一層賑やかとなり、誰も彼もが歓喜に打ち拉がれるに違いない。この日を待ち侘びたと涙する者さえいるに、違いない。
――――いや、それは自分も同じか。この日を、嗚呼、この日をどれほど待ち侘びただろう。永く苦しい日々を超え、ようやくこの日がやってきたのだ。願いが叶うことはなかったけれど、それでもなおあの御方は自身に機会を与えたもうた。真摯なるこの精神から、ただ一度の赦しを与えてくれた。
ならば応えよう。全てを為し、今こそあの方の御足を支えるべき身となろう。
「……その為にも、えぇ」
彼の歩みはヴォルデン第二席とコォルツォ第九席と同じく扉へ向かうもの、ではなく、かと言ってバルコニーに向かうわけでもない。
その歩みは、壁へ。絢爛の一室に相応しい壁画の飾られた壁へ。そしてそこから開け放たれる、秘密の部屋へ。
「もう少し、待っていてください」
その部屋には一つの椅子があった。そこに座す一人の少女がいた。
少女の瞼は深く閉じられており、可憐な衣もあって花畑に眠る姫のようにさえ思わせる。この隠し部屋に押し込められる姿は囚われの姫、とでも例えるべきだろうか。否、どちらだろうと彼女の華奢さには大して関係の無いことだ。その憐姫の可憐さを脅かすことは、いや、この美しさを脅かせるものなど世界には何もないのだろう。
カイン第一席もまたそれを理解してか否か、その様に満足げな吐息を零し、静かに決意を露わとする。
「私は、あの方の道となる」
――――叶わなかった夢を、もう一度。
「待っていてください。全てが終われば、必ず……」
銀の甲冑は、影から再び陽光の下へと歩み出す。
甲冑から翻る背衣は風を震わせ、少女の鼻先へ僅かに埃を舞い立たせた。
まるで再び密室へと戻るその部屋の、眠り姫の頬を撫でるようにーーー……。
「ゥッッッッェぶっっくしょォオッッッイ!!」
ずっと眠ってて欲しかったです眠り姫。
「んぁ? ここ何処じゃ!? 何かまた移動してるんじゃが!?」
目覚めた眠り姫様の視界に映るのは花瓶が飾られたりしているものの、窓も扉もない、閉め切られた不格好な部屋だった。
どうやらいつの間にか捕まってしまったらしい。その割には恰好が昨日のままだったり椅子に座らされているだけだったり縛られてすらないと色々奇妙だが、今はそれどころではない。
――――ここは、何処だ。自分はどうして、捕まっている?
「くそっ、取り敢えず脱出せねば! と言うかマジで何処じゃここ今朝か? 朝か!? めっちゃ腹減っでぇぶしっ!!」
椅子から立ち上がったリゼラだが、足を引っ張られるように情けなくスッ転ぶ。
別に足が縛られていたとか、長い時間座っていたせいで尻が痺れたとかそういう恰好通りのマヌケな理由ではない。何故か、靴が履き替えさせられていたのだ。
幼児化する前の身長の時ならまだしも、今の恰好には全くと言って良いほど似合わない、キツ目のハイヒールに。
「なんでこんなモン……、えぇい邪魔じゃ! と言うか腹減ったわ!! この腹の減り具合からして……、朝か? 朝じゃな! 昨日の夕方からもうっ……! ま、待て、朝じゃと!? 馬鹿な、そんなに時間が経っているということは、まさか……!! 夕食と朝食喰えてねぇぶっ」
言わせねぇよとばかりに彼女の頭上へ落ちてくる花瓶。
魔王は情けない悲鳴を上げつつごろごろと辺りを転げ回り、涙をちょとぎれちょん。
しかしそこは幼くなっても魔王リゼラ。彼女は痛み収まらぬ頭を抑えつつも、リセットされた頭で花瓶の花を貪り喰いつつ、思考を整理する。
「……つまり、妾は昨日の夕方に、えぇと、確かカイン第一席じゃったな。あのいけ好かないイケメンに捕らわれてここに幽閉されたのか? 子供じゃったから特に警戒されなかったのか? ……よく解らんが、兎も角これはチャンスじゃな」
窓も扉もない部屋ではあるが、人の気配だけは感じられる。
いや近くに誰がいるというわけではない。ただ、凄まじい歓声が部屋の壁を通り抜けて聞こえて来るのだ。
と言うことは地下とか水中とか、そんなトンデモな場所ではないということ。充分に、脱出できる場所ということ。
「……ふ、フフフフフ」
何処からか聞こえる歓声を耳に、魔王は腹の底から溢れてくる嗤いに腕を揮わせた。
喜びではない。安堵でもない。それは、怒り。言わずもがな、昨日の夕食と今日の朝食を食べられなかったが故の、怒り。
「第二十五代魔王、カルデア・ラテナーダ・リゼラを舐めるなよ……!!」
もしゃり、と花弁の茎を食い潰しながら魔王は立ち上がる。
彼女の憤怒はいったい何処へ向かうだろう。空腹の虫は、何処へ向かうのだろう。
それを知る者は、いや、今日この日、帝国で起こる事件のことを知る者さえ、誰一人としていない。
『帝国十聖騎士壊滅事件』の全貌を知る者など、誰一人としてーーー……。




