【10】
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「何か街が騒がしいな」
「だよなぁ。ちょっと見に行くか?」
「バカ、俺達はここの見張りだろ。ボーゾッフ様に何言われるか解んねぇぞ」
「けどよぉ。何か騒ぎがあるなら見た方が良いんじゃ……」
「う、うーん……」
街の様子が気に掛かり、職務そっちのけで話し込む、ボーゾッフ邸宅前に群がる数十人の冒険者達。
彼等は邸宅の見張りや防衛としてボーゾッフに雇われた冒険者である。そんな彼等にも見張りや防衛以外にもモンスターの襲撃や怪しい訪問者の検査など職務は様々あるが、今日はそのどれもをこなしていなかった。
別にサボっているわけではない。ただ、何故だかモンスターがこの辺りから消え失せたし、怪しい奴が尋ねてくることもないし。要するに暇なのである。
だから彼等は職務よりも街の城壁から立ち上る煙の方が余ほど気になっているのだ、が。
それこそが彼等を見下す、金の双眸を唸らせる男の目的だった。
「おーおー、集まりも集まって冒険者さん達ねェ……」
眼光を闇に光らせる男ーーー……、カネダ。街の中心地で人々の避難を誘導しているはずの彼が、どうして後回しと言っていたはずの邸宅、それも屋根裏などにいるのか。
そもそも彼は避難誘導などハナからするつもりはなかったのだ。欲しかったのはあの場所から離れる口実と、それに乗って来る馬鹿な二人組。つまりは、囮。
「ま、悪いけど」
彼は匍匐のまま器用に方向を転換し、屋敷の奥へと侵入していく。
表の数十人近い冒険者や邸宅内の百人近い冒険者。門と鉄柵に仕掛けられた対侵入者用の魔方陣から室内の各部屋に仕掛けられた致死性のトラップ。この邸宅ではそれ等が行く手を阻むはずなのに、彼相手には一つとして意味を成さない。いや、もっと多くの、またさらに高い精度を有していたとしても彼を拘束するどころか捕捉することさえ不可能であろう。
カネダはそういう男だ。当然、街の人間でも旅人でもないこの男は、そういう男だ。
「無意味なんだよネ」
率直に述べよう。カネダ・ディルハムは盗賊である。ただし、ただの遺跡荒しや夜盗のような盗賊ではない。いや、今のようにそれに似たことを行う時もあるが、盗む規模が違う。
通称『影なく奪う者』。世界最高峰の技術を有すと畏れられ、かつては国一つさえ盗んだとされる大盗賊である。
その名はとある界隈では口にすることさえ赦されないほどのもので、知る者は彼を『金色の悪魔』とさえ呼んだ。如何なる防御、防衛、防犯さえ容易く摺り抜け、瞬きすることなく見張っていても盗まれてしまう。奴は悪魔だ、と。
「邪龍の卵……、とんでもねぇお宝だな。盗まないテはないさ」
この男は初めから、この街に忍び込んだ時からずっと邪龍の卵を狙っていたのだ。
邪龍の出現という予想外の出来事こそあったが、それも渦中の二人を囮にすることで切り抜けた。いや、その出来事は幸運でさえあった。
間もなくあの二人が人々を避難させようとして、騒ぎを起こすだろう。この際、邪龍が生きていようが生きていまいが関係ない。街の連中があの二人を信用しようが信用しまいが、それもどうでもいい。
騒ぎが起きて、ほんの少しでも街に見張りが裂かれた瞬間、自身の勝ちなのだから。
「恨んでくれるなよ。世の中『弱肉強食』ってんだ。……ま、ちょっくら他のお宝もちょろまかしてくれてやっから、赦してくれるかね」
赦してくれなかったら全力で逃げよう。
なんて算段を立てつつも、彼は屋敷の屋根裏や梁を軽々と進んでいく。不安定な足場なんて何のその。全体重を人差し指で支えて飛び上がったり、靴底に仕込んだ鉄針でぶら下がったりと、その重力を無視したかのような無音移動は暗殺者も顔負けのものだった。
シャンデリアや装飾に足音なく着地しては、揺らすことさえなく跳躍する。罠や魔法があれば僅かな感覚から黄金の瞳でそれを見抜き、回避する。
卓越。その技術は常人の粋を遙かに超え、いや熟練の冒険者でも目端に捉えることさえ難しいだろう。彼にはそれ程の技術と能力があり、裏付けされた確固たる自信と信念、さらに全てを貫けるだけの頭脳があった。この屋敷の財宝を一つ残らず、砂金一粒さえ残さず盗み出せるだけの力があった。
その男さえ、いなければ。
「見つけたぜ、鼠」
瞬間、カネダの視界に空が映った。否、本来は空と一室を隔てるはずの壁が爆ぜ飛んだのだ。
男は何をしたでもない、ただ斬撃を放っただけ。それだけで邸宅の半分を文字通り抉り取ったのである。例えるならば泥をすくい取るように、景色という泥に斬撃という掌を突き刺しただけのこと。たった一振り。それだけ。
「なッ……! お、お前は……!!」
「よぉ、誰かと思えば影なく奪う者じゃねぇか。テメェに会えるたァ嬉しい誤算ってヤツだぜ」
瓦礫を躙り砕き、男は刀剣から破片を振り払った。装飾やシャンデリアの硝子が余波で散らばり、煌めきが土埃の中へと消えていく。何と勿体ないことであろう。
だが、カネダはそんな事を気にする暇はなかった。男から視線が外せない。真正面にいる、一見すれば浮浪者のような男から視線を外すことができない。外すな、絶対に目を逸らすなと本能が訴えかけてきているからだ。
「……俺も、まさか『最強の傭兵』と名高いお前に会えるとは思ってなかったさ」
その男を一言で表すのならば戦闘狂だ。戦う為だけに生き、戦う為だけに死ぬ。戦闘の為ならば如何なる者をも見捨て如何なる者をも殺すマジキチ野郎。噂では戦いたいが為にわざと大国を敵に回し、大軍隊を前に剣一本で挑んで壊滅させたという。こんな話、鼻で笑ってやりたいところだが、この男には確かにそれだけの実力がある。異常なまでの戦闘力がある。
この男、『最強の傭兵』メタルにはーーー……、戦場の死神とさえ忌み嫌われる最悪の男には。
「カネダ・ディルハムよぉ。楽しもうぜェ」
彼、メタルが歩むと共に、その脚は魔方陣を刻んだ瓦礫を踏み潰す。本人は気付かず、偶然にも踏んでしまったのだろうが、トラップである魔方陣に容赦などあるはずはなく。
瞬間、彼の全身を幾本もの長槍が貫いた。否、それだけではない。先程の斬撃で薙ぎ払われたトラップや防衛魔法が連鎖的に発動し、人間という存在に放つには余りに残酷なほどの攻撃が幾千と降り注いだ。
「ぐッ……!」
カネダは息を呑む。衝撃と爆炎の煙が彼の姿を覆い隠したが、きっとそれが晴れてもメタルは現れない。姿形さえなく、いや、残らずに消えてしまうだろう。髪の毛一本でも舞えば奇跡だ。
あの男が、常人だったならば。
「洒落くせェ」
幾千が、一刃によって薙ぎ払われる。
吹き荒ぶ黒煙に目を潰されながらも、カネダが捉えた男の姿は異様なものだった。
あんな、常人ならば消し炭も残らない攻撃を受けておきながら、ほぼ無傷。それどころか彼を貫いたはずの長槍が折れ砕けている。
正しくその男は怪物だった。カネダが卓越の盗賊だとするのなら、その男は傑出の戦士。それは奇しくも盗賊と戦士の最高峰が邂逅した瞬間でもあった。
「カカッ……、カネダ、だったっけかァ? お前はこんなチンケなブツより楽しませてくれるよなァ」
「は……、どうだかな。自信はないぜ」
「楽しませてくれなきゃ困るぜ。邪龍を狩る前の準備運動ぐらいにはよ……、なって貰わねェとなぁッ!!」
閃光。音を置き去りにする斬撃の余波がカネダの頬を斬り裂いた。
然れど彼は動じない。内心の鼓動が早まり、額に嫌な汗が浮かび、頬から鋭い痛みが眼底に響こうとも、動じない。相手に悟られないよう深く、さらに深く、もっと深く息を吐く。
下がれば死ぬ。この土壇場を乗り越える為に、覚悟を決めて。
「どうした? 怖いかよ」
「ハハッ……、笑わせるな。俺が恐れるのはただ一つ。手前の信念も貫けないことさ」
カネダが、腰元から銃を引き抜いた。
同時にメタルもまた、剣を構え直す。
「ご立派だねェ。尾っぽ巻いて逃げ出すなら見逃してやろうかとも思ったんだが……」
「逃げる……、か。確かにここで引き下がらなきゃ俺は死ぬかも知れない。お前の言う通り尻尾巻いて生き残る為に逃げるなら、その手はアリかもな」
「……じゃあ、逃げるか?」
カチンッ。撃鉄が、弾かれた。
「逃げるってのは失うってことだ。失ったものは取り戻せない。また手に入れても、それは失ったものじゃない。……俺は失いたくないんだよ。だから、逃げない。逃げて失って、それで生きたってな、紛い物で誤魔化す人生なんか御免だね」
「……ク、ッフ」
くつくつくつ。獣が如き、底なし沼の底を革靴で打ち鳴らすような笑い声。
カネダの背筋が凍った。然れど彼の双眸に怯えの色はなかった。トリガーに引っ掛けられた指が震えることもなかった。
勝負は、一瞬。恐らく自分は無事では済まないだろう。この男と真正面から戦うなど自殺行為だ。
だが、この先にお宝がある。あの男を倒して抜けた先に、求める財宝がある。ならば盗賊の矜持に賭けて、この身を投げ出すに値する。
「行くぜ、『最強の傭兵』。俺の手から目を離すなよ」
「お前こそ、ド頭から目を離されても文句言うなよ……」
静寂が、彼等のみを蝕んでいく。
鼓動が、高揚が、倍々に高まって、胸骨を突き破って暴れ出しそうだった。然れど脳髄を走る思考は何よりも澄み渡り、乾ききった眼球の痛みや喉に溜まる唾液の苦しみを鮮明に刻んでくる。
それでも彼等は視線を逸らさない。一瞬、たった一瞬で全てが決まる。この空間で決定的な何かが動いた時、どちらかが、死ぬのだ。
「…………」
静寂。開いた天井から差し込む日差しが雲に隠された。
「…………」
静寂。浮き立つ燼煙が風に攫われていく。
「…………」
静寂。静寂。静寂。
瓦礫、崩れ。
「ーーー……ッ!!」
疾駆。崩れた瓦礫が地に落ちるよりも前に彼等は同時に疾駆した。
声にならない絶叫を上げながら、眼を現界まで見開き、生死の刹那に閃光を刻む。
最強の戦士と最巧の盗賊が、今、決着をつけない。
「「え」」
曇った空、消えた日差し。吹き抜けた煙、音なき風。
二人の視線が同時に空へ向いた。表の冒険者達や部屋で卵を撫でていたボーゾッフの視線も向いた。
空を覆い尽くす黒と、音さえも圧殺する衝撃。誰も彼もがその光景に全力で思考を廻すが、現実という答えに辿りつくことはなかった。辿り着けることはなかった。
何故なら、到達するよりも前に落ちてきたからである。
つまるところ、その、問題の邪龍さんが。
「…………」
遙か遠方、山間で巻き起こる轟音と土砂崩れ。山に覆い被さるように沈んでいく邪龍。
その一部始終を街から眺める勇者フォールは軽く手から埃を打ち払って、一言。
「な、問題なかっただろう?」
唖然と、山の崩壊による土煙消える最果ての彼方を見つめて、魔王リゼラと街の人々は思いを馳せる。
あぁ、お空はあんなにも綺麗だったんだなーーー……、と。




