【9】
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「ぬふぅ~~~……」
突き出た二段腹の間に溜まった汗をかき出しながら、男は脂臭い息を吐き出した。
彼の座す一室は豪華絢爛、と称すべきなのだろうが、その様は複雑怪奇と例える方が余ほど相応しい。動物や神を司った石像だとか天星のような宝石だとか、純銀の金銀財宝だとか。そういったものが一室に丸ごと押し込まれているのだ。
如何に豪華な料理でも、新鮮な食材でも、それを有象無象よろしく全て皿に投げ出せば、それはただの残飯だ。この男は、ボーゾッフ・マルカチーニョは、それを理解していない。手を伸ばした先にある宝石こそ価値がある、と。傲慢で暴食的な、その突き出た腹に相応しい、醜悪な価値観だった。
「何やら街が騒がしいなァ……」
自身の汗に濡れた指先を宝石に擦り付けながら、ボーゾッフは隣にある窓から山裾を見下ろした。
土煙があがっているが、この方角からでは邪龍の姿は見えない。精々、火事があったのかと思う程度だろう。
だが、街に白あれば、此所には黒がある。ボーゾッフの背後の、出入り口辺りの壁へ背を預けるその男は沈んだ漆黒の双眸を陽炎のように揺らかせ、口端から鋭利に組み合わさる牙を覗かせた。
違うな、と。その一言と共に。
「……ほぉ、先生。どういう事です?」
「あの煙の色は何かが燃えた色じゃねぇのは見りゃ解ンだろ。それに、煙の立ってる場所が妙に静かだ。何かが起きてるのは間違いねェ……」
頬端まで裂けるような笑みを浮かべ、白く尖った牙が空を食む。
くつくつくつ、と。喉を鳴らす、獣のような笑い声。半月が如く歪んだ眼は一種の悪寒を憶えさせた。ボーゾッフもまた、彼のそんな表情に脂ぎった唇を噛み締め、弛んだ顎に喉を埋め込んだ。
「まぁ……、先生。私は貴方にここさえ護っていただければ充分ですのでねぇ。お金は充分に払いますよ」
「ハッ、任せときな。仕事はするさ」
男は剣を引き抜き、細く鋭い視線を壁へと、否、邸宅の屋根裏へと向けた。
鼠がいるな、なんて決まり切った台詞を吐きながら、純粋過ぎるほどの殺意をその指先と刀身に宿し、踵を返す。歩む先は必然、鼠の尾が屋根裏の埃をなぞる場所へ。
「騒ぎの乗じた小悪党だろーが、この屋敷に侵入するバカ野郎だろーが……、俺の敵じゃねェ」
切っ先を床に擦って宝石を掻き分けるように、彼の姿は扉から消えていった。クツクツと相変わらず獣のような笑いを零しながら、暗闇に融け込むようにして。
そんな、不気味な後ろ姿を見送りもしない醜悪な肥満男。彼は汗染みた、いや、皮脂にヌメる指先を伸ばし、眼前の台座から奇妙な色合いの、自身の上半身ほどもであろう卵を胸元へと抱き寄せた。
大切な人形を抱える小娘のように、一種の安堵感に等しい、惚悦とした表情を浮かべて。
「誰にだって、邪魔させん……」
美しい。あぁ、どんな絶世の美女よりも艶やかで、どんな宝石よりも硬くて、どんな黄金よりも輝いていて、美しい。これの為ならば世界だって敵に回せる。どんなものだって手放せる。どんな奴だって排除してみせる。
この美しさに敵うものはない。これさえあれば、もう何も要らないのだから。
「うふ、ぶふっ。……ひひっ」
その外見に見合った、おぞましい笑い声。汗と脂で滑った唇から涎が飛沫して卵を湿らせた。
芋虫のような指がその涎を拭き取り、照った表面から己の顔を覗き見る。傲慢に暴食で、強欲な顔を。
「うひひひひひひ」
その様が随分と面白かったらしい。いや、それとも卵の美しさが笑うほどだったのか。
どちらにせよ、ボーゾッフは先程の男と同じように、然れどまた違ったように、ぐふぐふと沸き立つ湯が如く笑う。吐息を顎肉で押し潰しながら、陶酔の悦楽に絶頂しつつ、笑い転げる。
何にだって、誰にだって、くれてやるものかーーー……、と。
「ひひ、ひっ……ひーーっひっひっひひ!!」




