【8】
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「感謝して欲しいな」
彼等は路地裏にいた。煉瓦造りの家々が並ぶ街の外れにある、城壁と家が隣接するような行き止まりの場所だ。太陽が何処にあろうと日が当たることのない、薄暗く鼠や蝿が集るような、そんな路地裏。
未だしばしばと目をこする魔王リゼラと、そんな彼女を横目に壁へもたれ掛かる勇者フォール。そして、彼等の前でワインのそれだろうか、銘柄の書かれた空き樽に腰掛ける金髪の男。
彼は自身の名をカネダ・ディルハムと名乗った。金髪カウボーイハットの、如何にもガンマンと言った風貌だ。見るからにこの街の人間ではなく、彼自身もまた自分は旅人だと名乗った。
「あのままじゃお前達、牢獄にぽーんだぜ」
「……救助には感謝しよう。だが、貴様の目的が解らんな」
「ははっ、そう邪険にするなよ。ま、疑り深い奴は嫌いじゃないさ。……えっと、フォール、だったか。そっちの魔族は奴隷か?」
「似たようなものだ」
「違うわ阿呆!! 妾は誇り高きまぉぐぐぐぐ」
顔面を掴み挙げられ、口を防がれる魔王リゼラ。
流石に初対面で勇者だ魔王だと名乗るのは如何なものか。もっとも、その辺りを判断するだけの知能がこの男にあったのかと彼女は驚いていたり。
「……で、カネダ、だったな。用件は?」
「ククッ、察しが早くて助かるぜ。邪龍を引っ張ってきたお前らの腕を見込んで頼みたいのはな、この街を救って欲しいんだよ」
「ぬ、ぐっ……。街を救う? どういう事じゃ」
「あの邪龍、おかしいと思わねぇか? こんなトコにいてよ」
勇者と魔王の眉根が、僅かに動いた。
「実は俺がお前等に頼みたいのはそこなんだ。この街外れからもっと山奥に入ったところに、ボーゾッフ・マルカチーニョっつー金持ちがいる。一応はこの街の領主貴族なんだが、これがまた嫌な男でな、街の人々に嫌われてるモンだから山奥に邸宅を作るしかなかったんだ」
「……ふん、バカモノめ。山奥なぞモンスター達の狩り場ではないか。煙とバカは高いところが好きと言うが正にその通りだな!」
貴様も邪龍の背に乗りたがっていたが、という出掛けた言葉をフォールはのみ込んだ。
「そう、だがバカも力と金を持てば侮れねぇのが世の常さ。奴は金にモノ言わせて冒険者を雇いまくったり、邸宅にとんでもねぇ数の防衛魔方陣を張ったりしてるんだぜ」
「……それはつまり『護るものがある』ということだな」
「あぁ、ボーゾッフは珍品好品を収拾するのが生き甲斐のような奴で、そりゃもう世界中あっちこっちから良いモン集めててな。今回の邪龍ニーボルト出現も、それが原因なんだよ」
「邪龍の好物でも収拾したのか?」
「だったらどんなに良かったか。……野郎、邪龍の卵を盗んだのさ」
なっ、と魔王リゼラが喉を詰まらせる。
それは驚きであり、呆れであり、そして何より怒りだった。
「邪龍の卵だと!? 邪龍は、いや、龍はその長命から一生の内に一度しか卵を産まぬのだぞ! しかも卵の中で成長するから母親が常に付き添い、自身の息吹で温め続けて初めて産まれるのだ!! それを、盗むなど!!」
「詳しいねお嬢ちゃん。……そして温め続けられなかった卵は中身で死産し、ただでさえダイヤよりも硬い殻がさらに凝固して化石になるんだ。そうなりゃ見事なオブジェの出来上がり、ってな。ただの龍でも鱗一枚がネックレスなんかの装飾品になるってのに、邪龍の卵ともなれば国宝レベルか? ……それを人の嗜好でとは、かーっ、無残に非道だねぇ」
カネダの演技臭い動作など視界に入る由もなく、魔王リゼラは怒りに震えていた。
残虐な、余りに慈悲なき行為ではないか。子を奪い、それを生きる為や誇りの為、戦いの為ではなく、私利私欲の為に弄ぶとは、何と、赦しがたい行為か。
いやーーー……、違う。それだけではない。彼女自身が怒りに震えているのはまた、自分の無知さにもあった。あの邪龍は決して敵対しようとしていたわけではなかった。ただ、己の子を取り戻すために、あの場所にいたのだ。
それを、自身の邪な思いの為に。
「妾はっ……、妾は! 何と、愚かなことを……!!」
「仕方ねぇさ。あの邪龍はお前等が倒した……、んだよな? そっちは自衛の為だ、仕方ねぇ。だがあんな野郎を放っておいたら、この街はさらに厄災に見舞われる。次は何を持って来るやら……」
「くっ……、赦せぬ! 赦せぬぞ! 妾の無知も、その男の強欲も!! 犠牲になった邪龍がいたたまれぬわ!!」
「そういう訳だ。どうだ、邪龍を倒したお前らなら難しい話じゃないだろう?」
「ふむ、事情は解った。……邪龍は殺さなくて正解だったようだな」
「うぅ……、邪龍よ。御主の仇は……、いや待てお前今何つった?」
「……何って、当たり前だろう。折角、初めて触れ合えるモンスターがいたというのに、どうして殺さねばならん?」
その事実に、魔王リゼラとカネダの顔が一瞬で引き攣った。
えっと、それはつまり、どういう事かって、えっと、そうだ。信じられないが信じたくないが、要するに、言うべきか言わないべきか、つまり、あの、今、城壁辺りに、とんでもない爆弾を、置いてきている、という、こと、では?
爆発すれば城壁どころか、この街さえ吹っ飛んでしまうような、最悪の爆弾をーーー……。
「……嘘だろ?」
「嘘をついて何になる。今は気絶しているだけだろうから、そうだな、そろそろ目覚め……」
「いやいやいやいやいやそれはマズい! どう考えてもマズい!!」
「アホじゃろ御主!? いやアホだったわ狂ってたわもっとタチ悪かったわ!!」
ぎゃあぎゃあと喚き回る二人を他所に、フォールは相変わらずの平然さを浮かべていた。何をそんなに慌てる、と零して二人から中指を立てられるほどに。
しかし、大変なことになった。邪龍を置いてきているとなれば、いつ目覚めても不思議ではない。しかも暴れ出したりなんかしたあかつきには街の壊滅と大虐殺、大災害は確定事項となるだろう。魔王リゼラとしては憎き人間どもに魔族の驚異を見せつけられる事としては嬉しいが、今回ばかりは事情が事情だ。これではまるで、子を理由に邪龍を暴れさせる外道ではないか。
「くっ……、仕方ない。こうなったらお嬢ちゃんとフォールは邪龍をどうにかしてくれ。人々を避難させるだけでもいい! 領主の卵は後回しだ!!」
「ど、どうして妾が人間の命令など!!」
「頼む! この通りだ、なっ!?」
両手を合わせて頭を下げ、と。見事なまでのお願いポーズがそこにはあった。
魔王リゼラは思う。何だろうこの気持ちーーー……。あぁ、そうか。今日と昨日で地に落ちた威厳が復活していく気持ちだ。大切な何かが心の中で温まっていく、この感じ。嫌いじゃない。そう、そうではないか。下劣な虫螻どもは妾に隷属して然るべきなのだ。こう、こんな低身長でも見下せるぐらいに。いやぁ気持ちがいい。
「そ、そうかぁ? そうだなぁ! 仕方ない、人間風情にここまで頼まれては仕方ない! 受け入れるというのも? 器の大きさの証明だし? 妾、器ちょーでっかいし?」
「流石! よっ、太っ腹!!」
「太くねぇよぶっ飛ばすぞ」
「え、ごめん……」
とまぁ、斯くなりて、カネダは頼んだぞと声を上げながら街中へ走っていく。
その様子をドヤ顔で見送る魔王と、壁にもたれ掛かったまま軽く視線を流す勇者フォール。対照的な彼等にカネダは少し口端を絞りながらも、その姿を日向の中へと消えていった。
「フッフッフ、こう、頼られるというのは悪くないな。人間風情にというのが気に食わんが、フッフッフ……」
「…………」
「どうした勇者ぁ! ん~? 妾の方が頼られてたぞ、妾の方が!」
「クサいな」
「え、うそ。いやそんなことないじゃろこの服だって今はこんなのだけど汗か汗なのか待て待て妾はの汗はフローレンスの香り……」
「違う、あのカネダという男だ。……先程の閃光、明らかに普通の旅人が発すような魔法ではなかったし、どうしてただの旅人がこの街を救おうとする。……腹の底に何かを抱えている顔だろう」
こつり、こつり、と指先で組んだ二の腕を叩く。
こいつ勇者っていうか暗殺者なんじゃないか、と魔王リゼラの視線を受けながら。
「じゃ、じゃあ、どうするつもりだ、御主。あの男の誘いには乗らぬのか」
「いや、誘いには乗る。まだアレを手に入れてない。奴の誘いはアレを手に入れる為の下地として適している」
「だからアレって何だアレって!!」
「……この旅の、もう一つの目的だ」
勇者フォールはそれ以上を述べることはしなかった。
だからこそ魔王リゼラは嫌なほど不安になる。この男、いったい何を企んでいるのか。元々スライムをぷにぷにしたいとかいう巫山戯た理由で旅をしていたが、そこにもう一つの目的ーーー……、が、あるというのか。
いや、違う。むしろこちらがこの男の本筋ではないのか? (頭が)腐っていても、この男とて勇者なのだ。きっとその目的こそが本来のもので、スライムぷにぷにとかいうのは本来の目的を隠す為の口実なのだろう。そうだ。そうに違いない。もう一つの目的のアレとやらが、この男の真なる目的なのだろう。
「……それを暴けば、或いは」
「何をしている。行くぞ」
「あ、お、おい待て、こら! 妾を置いてくなぁ!!」
と、言い合いつつも、二人は再び邪龍のいる方角に歩き出す。人々をどうやって避難させるのか、とか。妾達が捕縛されたりしないか、とか。そんな質問に全て問題ないで返す勇者フォールと不安そうに怯える魔王リゼラの二人は。
煉瓦造りの屋根上から向けられる鋭い視線に、そんな金髪ガンマンの影孕む笑みに気付かない二人は。
ゆっくりと、また、街の光の中へと戻っていくのであった。
「しっかり騒ぎ立ててくれよ……、御二人さん」




