【2】
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「…………」
さて、国王暗殺中の勇者達から視点は飛んで農耕地区の自宅へ。
この家にいる者達は向けられている信頼とは裏腹に、かなり危険な状態に陥っていた。
しかし一軒家の中にいる者達はその危機に気付いていない。いいや、気付くことさえできない。
――――何故なら、彼女達を狙っているのは手練れの暗殺部隊なのだから。
「……」
暗殺者達の衣装は全員黒尽くめであり、この深夜の闇へ融け込むには充分なものだった。
いや、どころか星明かりさえも吸い込んでしまいそうな漆黒は音さえも消し去り、庭先の柵をこえ、芝生を踏み締め、扉を開くまでの動作に風の声色さえも赦さない。
ただただ、静寂。不気味なほどの静けさだけが、彼等に赦された息遣いなのだ。
「…………」
暗闇と彼等の俊敏な動きもあって、正確な数は掴めない。
しかし大凡、十人から十五人程度、この一軒家を囲み中の者達を始末するに充分な数であることだけは確かだろう。
暗殺者達もそれを解っているのか、数人の見張りを残して全員が中へと乗り込んでいった。
雫が家具の溝を伝うように、ぬるりと。
「…………。……」
踏み込み、暗殺者達は二手に分かれていく。
家の構造からして一階の居間と二階の私室に人手を割いたのだろう。
そしてその読みは見事、的中した。
「うひひ……」
居間には、間抜けながらもあくどい顔を晒す少女が一人。
お手洗いに起きたとか夜更かししているとか、どうもそんな感じではない。だが一人なのは好都合だ。
居間へ侵入した数人の暗殺者達は互いに頷きと視線で合図を交わし、一室の中へ散っていく。
闇に紛れ音もないその潜伏に、少女が気付くはずもなく。
「口うるさいシャルナは寝た。面倒くさいルヴィリアも寝た。……となれば後は妾の天下よのぅ!」
少女ことリゼラが向かう先は台所。どうやら目的は夜食の残りをつまみ食いすることらしい。
まぁ誰よりも何よりも最大の障壁であるフォールがいないのだ。当然の悪巧みと言えるだろう。
「フフフ、保冷庫に明日の朝食ばかりでなく、今日の夕食の残りを隠しているのは調査済み……。うひひっ」
――――思い返すだけでも涎が止まらない。今日の夕食は聖女が尋ねてきたこともあって、随分と豪華なものだった。
それを今から独り占めできるのだ。残りものとは言え一人分は優にある! 今から腹一杯食べるぐらいは、充分に!!
「にゅふふふ……」
保冷庫のある居間へ忍び寄る姿は言わずもがな隙だらけ。
しかし、暗殺者達は行動を起こさない。今すぐ後ろから仕留めることもできるだろうが、確実性のため完全に油断するであろう保冷庫を開ける瞬間を待っているのだ。
それが、最大の間違いであるとも知らずに。
「さてさて」
と、彼等が合図を交わしている間にも、リゼラは居間の食卓から少し離れた保冷庫へと辿り着いた。
しめしめとこそ泥のように手を擦り合わせながら、夢の扉の前で舌なめずり。この先に、美味しい美味しいご飯が待っているのだ。
「…………。……」
「……。…………」
しかし、そんな御飯こそ彼女が最期に目にするものになるだろう。
何故なら既に彼女の背後には一人の暗殺者が構え、後方にはさらに三人の暗殺者が控えているのだから。
そう、いつの間にかリゼラは居間へ集結した暗殺者に取り囲まれていたのだ。
無論、逃げ道などない。暗殺者達は互いにリゼラが保冷庫の扉を開けた瞬間、その華奢な首を撥ねると視線で確認し合う。
もう少し。もう少し、もう少し。次の、瞬間。
「よしよし、ごたいめぇえ~ん……」
――――今。
「と言うと思ったか馬鹿め!!」
瞬間、リゼラの頭がその場から消えた。彼女の首にナイフを突き付けていた暗殺者も消えた。
何が起こったのか、後方で待機していた三人でさえ解らない。一瞬、一瞬で攻撃を除けられ、攻撃されたのだ。
「……? ……!?」
「…………! ……!!」
気付かれたのか? いいや、違う。
そんな会話を視線で交わし合う暗殺者達は、ようやく事の全貌を理解し始めていた。
――――トラップだ。あの保冷庫にトラップが仕掛けられてあったのだ。
開けた瞬間、あの少女の眉間に突き刺さるよう弾丸が発射されるよう仕込まれていたのである。
無論、実弾ではないが、仲間が遙か後方の部屋まで吹っ飛ばされたのを見るに、半端な威力ではない。
いったい何を思って高が夕飯の為にこれ程の罠を仕掛けたのか? 正気かここの家主は!?
「ククク、そう妾が何度も同じ罠に引っ掛かると思うなよ……。この前の夜は眉間にたんこぶを作ったが、今回はそう簡単にいくものか。空になった皿を目の前に突き付けてやるわ……!!」
そうした場合、トラップの方が数段マシな目に遭うのだがそれに気付かないのが魔王様。
と、そんな楽観的な少女に好き勝手させている場合ではないと暗殺者達。
彼等は例え偶然であれ仲間がやられた事に危機を憶えたのだろう。
最早、形振り構っていられない、と各々が武器を取り出し、リゼラへと狙いを付ける。
これ以上被害が出る前に、狩り殺すのだ!
「えーっと、何処じゃー? 飯は何処じゃー?」
一方、狙われている当人は呑気に保冷庫へ頭を突っ込んで飯を探す始末。
これはチャンスだ。そう判断した一人の暗殺者が、天井から舞い降りるように少女の背中へ刃を突き立てた。
もっとも、その瞬間に横の壁から飛び出てきた丸太によって遙か彼方へグッバイする事になるのだけれど。
「……!? ……!!」
「…………!!」
――――ここの家主、明らかに殺意を持ってないか!?
――――馬鹿な! 仲間にここまでする奴がいるものか!?
だが残念。いるのだ。
「えーっと、これでもない。これでもない、これでもない……」
保冷庫に体を突っ込んだ魔王によって、ぽいぽいぽいと投げ捨てられていく缶詰の数々。
そんな転がる缶を踏みにじりながら、二人の暗殺者達が刃を構えてリゼラの背後へと忍び寄る。
最早、何が起こっても不思議ではない。だからこそ一人が犠牲になろうと、もう一人が確実に仕留める布陣を彼等は取ったのだ。
既に消え去った二人の仲間の為にも、ここで確実に仕留める。仕留めなければ、ならない!
「えーっと、あった! これじゃな!!」
リゼラは保冷庫の最奥から、ようやく夕食の残りを発見した。
だが、それが最期の合図。暗殺者達は彼女の背中へと刃を振り抜く、ことはしなかった。
いいや、できなかった。できるはずがなかった。
二人の足下で、ちくたくと嫌な音がしているのだから。
「…………」
「…………」
熟練の暗殺者達には解る。それが何であるのか。
小型の缶詰形状だが、これは間違いなくアレだ。そして針の音からして発動まで数秒という事も間違いない。
恐らく動いた瞬間に起動する仕組みだったのだろうが、もうそんな事を言っている暇など、あるはずもなく。
「……! ……!!」
どうする? 一人が身振り手振りで訴えかけた。
もう一人は何も言わず首を振った。仲間の肩を叩き、缶詰を拾い上げた。
「……ッ!!」
「…………」
一人の暗殺者が、開け放たれた部屋の窓から外へと飛び出していく。
一人の暗殺者が、声にならない絶叫でその後ろ姿に手を伸ばす。
――――こうして一人の暗殺者が星になった。任務に誇りを持った男の生き様であった。
具体的には隣の畑で花火が打ち上がったそうです。
「…………ッ!」
暗殺者は涙を拭う。そうだ、泣いている暇などない。
初っ端で吹っ飛ばされた隊長が言っていた。暗殺者に涙は要らないと。
丸太に殴り飛ばされた先輩が言っていた。俺達はどんな手段を使っても犠牲を払っても任務を遂行しなければならないと。
爆弾を抱えて走り去った同僚が言っていた。この任務が終わったら俺結婚するんだと。
「…………!!」
ならば、やらねばなるまい。彼等の犠牲の上に、任務を達成せねばなるまい!!
それこそが誇り高き帝国暗殺部隊の宿命なのだ! これこそが、矜持なのだ!!
「いただきまぁーーー……」
保冷庫を開け広げたまま、あーんと大口を見せたリゼラへナイフが振り下ろされる。
どうだ! この刃の振りおろしはッ! 勝ったッ! 死ねいッ!
「あ、やべっ、スプーン落とした」
「え」
呆気なく空を切る、ナイフ。
それだけなら良かった。そこまでならまだ次撃のチャンスもあった。
ただ不幸なことに、何と言うか、その、リゼラがスプーンを拾うために頭を下げたことによってーーー……。
保冷庫から出てきた機関銃の銃口が、暗殺者に向けられたワケで。
「…………えっ?」
リゼラの頭上で咲き誇る幾千の火花。
彼女が頭を上げる数秒間で、数百発の弾丸が暗殺者の体へと撃ち込まれた。
そして前を向き直した魔王はそんなモノに目もくれず、仲間達の後を追った暗殺者にも気付かず、やっぱり食事は席について、と満面の笑みで食卓へと登るのであった。
「……どうした? まだ任務は終わらないのか?」
と言う訳で数人の仲間が討ち死んだワケだが、そんな事も知らず、外で待機していた数人の暗殺者達は相変わらず見張りを続けていた。
その中でも一人、副隊長である男は未だ来ない報告に苛立ちを隠せず、深く眉根を顰め落としている。
いつもならとっくに仕事が終わり、自分達の後始末に入っている頃だ。だと言うのに今回に限っては仕留めたという連絡さえ来ない。
まさか奴等がしくじったはずもあるまいし、いったいどうしたと言うのだろうか。
「ふ、副隊長! それが……」
「どうした、仕留めたか」
「いえ、『眠りのゴリラに殺される。死神だ、あぁ、ダンベルが! プレロスが!!』という通信を最期に、連絡が途絶えました……」
「ねむ……、何?」
訳:寝惚けながら筋トレするゴリラに殺されそうです助けてください。
「副隊長、この家おかしいですよ! 精鋭であるはずの我々が突入から数分で壊滅状態です!!」
「狼狽えるな! ……何事にも例外はある、我々が敗北することもあろう。だがそれは相手も同じこと。我々に敗北の可能性があるのなら敵にもまた敗北の可能性があるということだ」
「で、ではどうするのですか!?」
「全員を一度この場に集結させ、戦況を建て直す。我々には暗殺だけではないということを見せつけてやろう」
「副隊長……!」
「よし、では早急にこの場所で総員、互いの手足を縛って兎跳びでコォルツォ第九席の元へ帰還するぞ! あの方に任務成功を報告せねばな!!」
「はい、了解しました! では全員を家から退かせますね! おーい、撤収だ、撤収ぅー!!」
「よくやった! これで帝国の平和は守られた!! HAHAHAHAHAHAHA!!」
「えぇ、我々の勝利です! HAHAHAHAHAHAHAHA!!」
突如、狂ったように大笑いを始め、自分達の手足を縛り出す暗殺者達。
そんな彼等の背後の闇には、星よりも妖しく輝く緋色の眼が二つ。乱れた衣類で小脇にエロ本を三冊抱えた四天王が、一人。
まぁ、息の荒さと露骨に不機嫌な様子を見るに、夜のお楽しみを邪魔されたのだろう。
となれば必然、容赦はない。
彼女は満面の笑みで気絶した仲間を回収し、夜空の月に向かって手足縛りの兎跳びで帰っていく暗殺者達に向かって、殺意を込めた中指を突き立てるのであった。
「ふんっ、やっぱり眼ぇ付けられてるじゃないか、フォール君め!!」
頭からぷんすかぷんすか湯気を立てつつ、家の中へ戻っていくルヴィリア。
――――まぁ、この程度の連中なら百人だろうが千人だろうが問題はないが、目を付けられていることが何よりの問題だ。
少なくとも十聖騎士の連中は油断成らない奴ばかりだし、第一席カインに到っては恐らく自分達と張り合えるだけの実力があるのは間違いない上に、ただならぬモノを感じるのも事実。
未だこの程度の騎士や暗殺者ならどうにかなるだろうが、一挙に押し寄せられると危ないし、うぅむ。
「……まぁ、無理もないと僕も思うけどさ」
思い返すのは、今日、いいや、先日の夜の出来事。
あの女装少年が口にしたことは嘘ではない。それは自分も確認している。
しているからこそ、尚更信じられないのだ。あの預言が、事実などと。
「フォール君、どうするんだろ」
今はいない男の事を夜空に思い、ルヴィリアは大きく息を零す。
彼ならば心配は要らないだろうけれど、万が一の億が一を想像してしまうのは知恵者の性だろうか。
嗚呼、願わくばどうか何事もーーー……、は無理だろうから、できるだけ静かに終わりますように、なんて。無理だと解っている願いを、星に捧げながら。
「みぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!!」
まぁ、そんな願いも最終トラップ、デス・オブ・激辛ソースに引っ掛かった魔王の悲鳴で打ち消されることになるのだが。
「……こりゃ静かになるのは当分先かなぁ」
叶うやら叶わないやら、たぶん叶わない夢を夢見て夜の果て。
ルヴィリアはまたエロ本の一ページを拡げて息を荒げつつ、寝室へと戻っていく。魔王は激辛ソースの奇襲に涙しながら台所で水を飲み干し、シャルナは未だ眠ったまま筋トレを繰り返していく。
そんな、誰が危惧するでもないほど何と言うことはなかった夜は過ぎていくのだ。
彼女達にとっても何気ない夜は、ただただ、ゆっくりとーーー……。




