【1】
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「何がどうなってんのさ!!」
さて、所変わって、少年の甲高い叫びが一室を貫いた。
辺りの窓硝子や奇妙な術具が揺れるほど、部下の術士達が肩を跳ね上げるほどに、甲高く。
いや、彼が癇癪を挙げるのも無理はあるまい。自慢の結界術が役に立たないどころか、逆に利用されていたのだから。
「僕の結界が……! どうやってあの鎖を解除したって言うの!? 人間が触れられるようなモノじゃないのに!!」
《落ち着け、ルナ! 慌てるな!!》
水晶の向こうから声を掛けたのは、自身の兄。
彼等がフォール達の余りに呆気ないほど単純な策略に気付いたのは、数分前のことだった。
幾ら追跡しようと影も形もなく、その癖に反応だけはしっかりと着いて来る。従って騎士を動かせど返って来るのは困惑の声ばかり。
そう、ソル第六席とルナ第七席の指揮系統は既に追跡を撒かれ、その上で部下共々翻弄され続け、さらにはその事にさえつい今の今まで気付いていなかったという始末なのだ。
ソル第六席は兎も角、探知に全力を注ぎ、兄を誘導していたルナ第七席に取ってこれ以上の屈辱はないだろう。
《良いか? 一つ一つ状況を整理しろ! まず何故か結界の鎖は俺に付けられていた! 俺達はいつから……、いや、たぶん遭遇した時だな。フォールから熱烈な不意打ちをくらった時に鎖を擦り付けられたんだろう》
伝わってくる兄の落ち着いた声に、ルナ第七席は段々と落ち着きを取り戻していく。
――――その通りだ、慌てて何になる。兄さんがこんなにも落ち着いているのに、誘導役の自分が慌ててどうするのだ。
落ち着かなければ。落ち着いて、落ち着いて、落ち着いて。
まだーーー……、終わったわけじゃない。
「そ、そうだね……。うん、ごめん兄さん。慌てちゃった」
《大丈夫だ、心配すんな。追跡は裏を掻かれちまったが、その分だけ時間はこっちに有利なままだ。城の包囲は完了してるし、そろそろ他の十聖騎士も到着する頃合いだろう。時間を詰めれば詰めるほど俺達が有利ってことを忘れるなよ》
「……うん。解ってる」
ソルの言葉通り、既に帝国城一帯は騎士が封鎖し切っており、鼠どころか蟻の子一匹通さない包囲網が完成している。
幾ら素早い勇者や数百近い騎士の追跡から逃れ続けている盗賊でも、ソル第六席とルナ第七席の指揮により縦横無尽、臨機応変に変化するこの包囲網から抜け出ることはできないだろう。
無論、彼等が捕まるのも時間の問題であることに変わりはない。逃亡者達に取っては、制限時間がただ刻々と迫っているに過ぎないのだ。
「…………」
《よし、ルナ。このまま俺達は確実に奴らを追い詰める! お前はもう結界を解いて良い。これ以上は魔力が持たないだろう?》
彼の言葉通り、幾らルナ第七席とは言え帝国城一帯に結界を張り続けるのは容易なことではない。
先程まで利用されていたとは言え、発動し続けていた事に変わりはないのだ。既に魔力も限界が近いはず。
――――包囲が完成したのだからお前は一旦休め。それは、弟思いな兄の気遣いだった。
けれど少年は諦めない。自身の不備を取り返すべく、決断を下したのである。
「……ううん、もう一回発動するよ」
《なっ!? け、結界の再発動による帝国城一帯の探知はお前の負担がデカ過ぎる! このままじっくり時間を掛けて探すからお前はポーションで回復しつつ体を休ませろ!!》
「大丈夫だよ。もう一回……、発動してみせる」
《ルナ!》
「僕だって第七席なんだ。アイツ等に馬鹿にされたまま終われるもんか。これぐらいやってみせなきゃ兄さんの弟じゃない! ちょっと限界を超えるぐらい、やってみせるさ!! ……だけどその代わり、後でいっぱい褒めてね?」
《お前……。いや、そうだな。あぁ、勿論いっぱい褒めてやるさ!》
一瞬の逡巡に囚われながらも、ソル第六席は愛する弟を信頼し、託すことを選んだ。
その事が嬉しかったのだろう。ルナ第七席は額に大粒の汗を浮かべながらも、口端を引き締めて自身の水晶へと掌をかざす。
「……いくよ」
石煉瓦で覆われた薄暗の一室に、水晶と魔方陣の輝きが木霊する。
ルナ第七席の覚悟に当てられたかのように術士達も次々と詠唱に参加し、瞬く間に結界展開の準備が調えられていく。
それは帝国城にいる者たち全員が感じ取れるほどの魔力の波動となり、鳴動の産声と共に創造されるのだ。
「……嘘だろ、オイ」
無論、逃走している盗賊もまた産声を聞く者として例外ではない。
肌の産毛を焼くような振動に、彼は思わず頬から汗を伝わせる。
「間に合わなかったか……?」
現在、彼は幾百の騎士による追跡から逃れるため柱の陰へと隠れていた。
何か特殊な隠蔽を行っているわけではない。肩を揺らすほどの疲労の為か、ただ息を殺して柱に身を隠すばかり。
得意の身軽さも錆び付きが見え始めているという事だろう。
「ガルスと約束した時間も疾うに過ぎちまってる……。いや、まだこっちはどうにかなるだろうが、脱出の方がマズい。数年前に比べて動きが良いのが何人かいるな……」
ソル第六席の指示もあるのだろうが、他の騎士とは比べものにならないほど練度の高い騎士が何人か存在している。
奴等に見付かったとして、今の状態で逃げ切ることができるだろうか? いや、幾らソル第六席に比べて劣るとは言っても、今の自分では再び撒き切ることさえ難しいだろう。
全く、何という事か。十聖騎士以前に、あんな平騎士に警戒を払わなければならないとはーーー……。
「そこだな」
瞬間、カネダの背後に閃光が煌めいた。
流星が如き境界が壁面を切り破り、通路など無視した一本道を貫き通される。。
無論、そこから姿を現す者は述べるまでもあるまい。双対の白銀を構えた、一人の男のことを。
「……一般騎士どころか、十聖騎士がご登場かよ。ホモでストーカーとか洒落にならないぞ、お前」
「序でにブラコンとも付け加えておきな」
瓦礫から湧き上がる白煙に足下を攫われた気がした。
気付けば、カネダの視界は反転してーーー……、否、反転させたのだ。
彼は斬撃に転んだのである。瞬速に近い閃光に靴底を滑らせ、受けるのではなくいなしたのだ。
そんな曲芸染みた回避でなければ避けられなかった。着地など考えない体制で避けなければならなかった。
今の、一撃は。
「言ったろ。全速だってな」
上下した世界で交差する視線と双対の牙。
射撃か、斬撃か。速度の極地に到る戦いとなる、瞬間。
――――だが、確信してしまった。カネダはその瞬間、解ってしまった。
これは躱せない、と。
「何をしている」
がーーー……、その刃が彼の首を撥ねることはなかった。
刃は薄皮一枚を裂いた瞬間、あらぬ方向へソル第六席ごと吹っ飛んでいったからである。
勇者フォールの渾身の脚撃によって、だ。
「ふぉ、ふぉべしっ!!」
「……本当に何をしているのだ、貴様」
「うるえぇ着地できる状態じゃなかったんだよ! それよりフォール、よく来てくれた! 助けてくれた!! 今ならお前が幸運の女神にだって見えるぜもぉおおおおおおおお!!」
「そうか。ついでに土産は国王だ」
「死ねよ疫病神……」
驚きの速度で掌返し。
「で? 轟音に従って来てみれば、かく言う貴様が死に掛けだったときたものだ。先程のは何事だ」
「そ、そうだ! おいヤバいぞ、また結界が張り直された!! あの時ならまだしも、今張り直されるのはマズい!!」
「……何の問題がある?」
「だからーーー……」
振り抜かれる、斬撃。
会話の狭間か、意識の狭間か。或いはそのどちらもか。
白銀の双牙が二人の首根へ疾駆する。音さえ赦さぬ刃の軌跡が、描かれる。
「聖女が」
フォールの剣とソル第六席の双剣が交差した。火花と絶音が鳴り響き、秒の隙間に接撃の華が裂き乱れた。
やがて一つの時が過ぎた時、カネダはようやく現状を理解する事になる。
先刻、フォールが完全に不意打ちで蹴り抜いたはずの男が、そこにいた。
戦意に満ちた眼光を研ぎ澄ませながら、自身の負傷など意にも介さない一人の騎士たる男が、そこにいたのだ。
「…………」
「…………」
静寂。
銀の閃光が、弾ける。
「……熱烈な斬撃を受け取ってくれよ、仔猫ちゃん」
「断る」
そして、再び閃光の華は爆ぜ堕ちる。
斬撃の対は幾度となく煌めきを撃ち、白煙の沼を瞬く間に刻み殺す。
カネダの眼にさえ鞭のように映るほどの戟闘。双剣と唯剣の雷光ばかりが隔絶の狭間へと撃ち込まれていく。
空気が軋み、嘆き、悲鳴を上げたようにさえ思えた。鋼鉄の叫びが鼓膜を刻み、骨盤に無刃の撃が叩き込まれたようにさえ思えた。
――――然れど、この刹那の邂逅は、予期せぬ形で終わりを迎えることになる。
「……!」
フォールの剣が、空を舞ったのだ。
「良い反応だった。……お前が剣術を納め、愛おしく可愛らしい弟さえ持っていたのなら、俺の負けだったかもな」
剣が、一回転。
「世界に仇成す逆賊。呪われし預言の者」
二回転。
「……そして、俺が愛した男。フォール」
三回転。
「もし出会い方さえ違っていたなら、良い恋人になれただろうよ」
四回転。
「グッバイ。仔猫ちゃん」
五、回転。
それがフォールの魂へ刻まれた最期の時針だった。
眼前、視界へ差し込むように落ちてきた剣を喰らうが如く双牙が振り下ろされる。
刹那に永劫なる剣戟は終えられた、かのように思われた。
「……愛おしくも弟でもないが、こちらにも頼れる男は一人いる」
瞬間、フォールの手に剣が舞い降りた。
最期の時を刻んでいたはずの針が巻き戻り、訪れるはずだった最期の刻は、決して訪れない未来となる。
「……敗因は、だ。ソル第六席」
――――空を舞っていたはずの剣が、どうして。
ソル第六席の脳裏に浮かぶ疑問。しかし、それは直ぐさま解決した。
鼓膜を劈く発砲音と、剣峰に残る弾痕。そして鼻腔へ漂う硝煙の臭いによって。
「一人の男に熱中しすぎたことだ」
剣はソル第六席の正中へと振り抜かれた。
振り上げられた腕から股座まで、一気に、白銀を叩き付けるが如く。
「…………」
ソル第六席は崩れるように双剣を引き下げた。
先の一撃が勝敗を決したと判断したのだろう。自身の全力が、この男にはとどかなかったのだから。
この男達には、とどかなかったのだから。
「やっぱり良い男だぜ、お前は……。お前に負けるなら、悔いはねェ」
彼の双眸にはもう、戦意などない。腹底から除く敵意もない。
そこにあるのは一種の敬意だった。一人の剣士への、一人の男への、敬意だった。
「騎士として相応しい……、最期……、だぜ……」
そしてソル第六席の甲冑と衣服は弾け飛ぶ。
「………………」
「………………」
「………………」
「「「…………」」」
誰も口を開けなかった。
フォールもカネダも追いついた騎士達も、安らぎの笑みを浮かべながら全裸で立ち尽くす男に、何も言えるはずなどなかった。
「……フォールさん、一言」
「不殺だからな」
「死んだよ。騎士としては間違いなく死んだよ」
「あぁ、騎士としての最期ってそういう……」
「やかましいわ」
ソル第六席は、静かに佇まいを直し、両腰に手を当てて一息つく。
立派なソル第六席のソル第六席がソル第六席しようと構わない。それは最早、芸術的な美しさでさえあった。
彼は廊下から続く脇部屋の窓から見える夜空を眺め、一言。
「野外プレイも……、悪くないかもな」
その直後、彼が窓を突き破って湖へ叩き落とされた事は言うまでもない。
《に、兄さぁあああーーーーーーーーん!!》
「あ、弟も出た」
「水晶が喋っている……」
《どういう事だお前たち!! 兄さんの反応が城外に消えたんだけど!?》
「「星になった」」
《さっき不殺とか言ってなかったかなぁ!?》
「まぁあの男ならば魚程度どうにかなるだろう。と言うか個人的にはどうにかならない方が有り難いが」
「むしろ魚が可哀想なレベル」
《こ、この外道どもめっ……! ふん、兄さんの仇は僕が取ってやる!! 魔力がないからって甘く見てるんだろ!? でもね、もうとっくに兄さんが稼いでくれた時間で回復済みさ!! ポーションでお腹たぷんたぷんだけど、その分魔力はバッチリだもんね!!》
「「…………」」
《はははは、ブルっちゃって声も出ないんだ! だろうね、兄さんは剣術の達人だけど僕は魔道の達人さ!! お前達なんか、結界で追い詰めて僕が直接倒してやるよ! 覚悟してろ、倒したら捕虜として僕と兄さんの従順なペットにしてやるんだからな!!》
「……あー。まぁ、何だ。クソガキ」
《クソガキとか言うな! 僕はもう9歳だっ!!》
「あっそう。で、さっきの話聞いてた? お前達の敗因はーーー……」
「一人の男に熱中しすぎたこと、だな」
《はぁ!? いったい何のーーー……、ふみゃ゛っ!!》
水晶の向こうから悲鳴が響いたかと思うと、途端、糸が途切れたかのようにそれは沈黙の塊となった。
騎士達はその様にざわめき、コレが当然だと言わんばかりに居を直す男達へ恐怖の動揺を拡げていく。
そして二人が剣を拾い上げ、双銃を構え、闇に溶けるような凶器の笑みを浮かべた瞬間はーーー……、騎士達が敗走を喫すに充分過ぎる切っ掛けとなるのであった。
「……上手く行ったな」
「賭けだったけどな。お前がアイツに鎖を辿らせるって言い出した時はどうしようかと……」
「えー、マジぃ~? 誰だれぇ~?」
「誰って聖女だよ。ったく、要人に計画の要を任せるってどういう……」
二人の視線が集まるのは、瓦礫の上で寝転びながら楽しげに足をブラブラと揺らす一人の国王。
好きな子いるのぉと今にも聞いてきそうなほど、軽々しい感じで寝転がる、国王。
「でぇ、フォール君は好きな子いるのぉ?」
聞いてきやがった。
「捨てよう」
「捨てるか」
「おっと躊躇なぁい」
だが正しい判断である。
「これでも国王なんだがね? もうちょっと敬意というモノを払いたまえよ君達ぃ」
「ならば問うが貴様、いつから起きていた?」
「『……かなり、マズいな』辺りかな」
「それ最初か……、いや待ていつからだ!?」
「本当に最初からだな……」
具体的には司書室を出る辺りという。
つまりこの国王、最初から最後まで狸寝入りである。
「いやぁまさかソル第六席を倒すとはね。ルナ第七席を倒したのはエレナかい?」
「……そうだ。エレナには結界の鎖を逆追跡させてルナ第七席の場所まで行って貰った。注意を逸らすために俺とカネダが囮になり、エレナの鎖だけは食器を運ぶ台座につけて辺りに転がしておいたワケだ」
「お、おいフォール!」
「構わん、この男にだけは隠しても無駄だからな」
「そうかぁ、あの子がねぇ。しかし倒すのはいったいどうやって?」
「……俺の兵器を一つ貸したんだよ。発動したらトンでもねぇ音と光で相手を気絶させるブツさ。高いんだぞ!?」
「はっはっは、随分活発的になったなぁあの子も」
「おいコレ本当に国王か? 田舎の集まりで数年に一回ぐらい会う陽気なオジさんとかじゃないだろうな?」
「……違うと思うが自信はない」
威厳もクソもねぇや。
「兎も角、この耄碌ジジイは放っといてだ!」
「はい不敬罪」
「……こ、の、栄誉溢れる国王ネファエロ様には触れることは不肖なる私には烏滸がましいが故に僭越ながら黙言させていただくとして、だ!! さっさとガルスと合流するぞ! 早くエレナも回収しないといけないし、ソル第六席とルナ第七席を倒して騎士を追っ払ったからってまだまだやる事は山積みなんだ!! お前だって、リゼラちゃん達のトコに早く戻らないと!」
「……いや、既に手遅れだと思うが」
「手遅れって、お前!!」
「敵の方が」
「敵……、敵の方が!?」
うむと頷き返すフォールと、驚愕を隠せないカネダ。
そんな二人を見ながら、国王ネファエロは静かに微笑み、こう呟いた。
「信頼、しているのだね」
「……別に、そういうワケではない」
「いや、隠さなくて良いのだよ。信頼は恥ずべきことではない。君がその者達を信頼しているように、私もまた民草を信頼しているのだから……。例えば、そう、ソル第六席の斬撃の時に放り投げられて腰を痛めた私を君達が是非とも負んぶしていってくれるんだろうなぁという感じで信頼しているんだ……」
「フォール、国王様がソル第六席の後を追いたいらしいぞ」
「せーので行くぞ。せーのでだ」
「『の』? 『の』か? せー『の』っの『の』か? それとも『っ』? せーの『っ』の『っ』?」
「そこはせーのっ『。』だろう」
「馬鹿お前こここそちゃんと会わせなきゃいけないんだぞ何だその『。』って最早言葉ですらないじゃないかそういうトコの合わせが計画の重要性を示すんだぞ解ってんのか」
「おっ、これは仲間割れで私が助かるフラグかね!?」
「面倒だしもう投げて良いか?」
「だな」
「夢も希望もねぇや」
「「せー」」
「OK待とう待ってコレ洒落になんない待って待って待って」
なおこの後、仕方なく諦めた盗賊に叛して勇者が割と本気で投げようとしたのは言うまでもない。




