【2】
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「はぁああああああなぁあああああああせぇえええええええーーーーー!!」
リゼラは鼓膜が破れるんじゃないかというほどの絶叫を上げながら、甲冑越しに騎士の腕に噛み付くわ顔を蹴り上げるわ頭突きを構わすわと、それはもうとんでもない大暴れを見せていた。
両手に手錠が填められているとは言え、それだけ暴れられては騎士も堪ったものではない。彼は臭いものでも摘むかのように、必死に少女を遠ざける。
「こ、このガキッ……! いてっ!? この、やめろ! 他の二人を見習えってんだ!!」
「それはつまりリゼラちゃんが私同様にエロくなれという……!?」
「ルヴィリア、黙れ」
騎士の怒号に応えたシャルナ、ルヴィリア。二人もリゼラほど雑ではないが騎士に捕縛されており、その腕には鉄塊のような、奇妙な機器が備え付けられた銀色の腕輪が填められている。
三人の侵入者と三人の補導者。そしてそんな彼等の先頭を歩む、白衣纏いし一人の男。
普通、考えるのであれば彼女達が向かうのは牢獄だろう。或いは独房か、もしかしたら裁判所、最悪で死刑台かも知れない。
しかし今回に到ってはそんな事はなく、白衣の男に導かれてリゼラ達と騎士達が向かっていたのは、男の私室だった。
――――イトウ・エヴィル・ノーレッジの私室だった。
「……入れ」
扉を拡げる男に従い、シャルナ、ルヴィリア、そして二人についた騎士と、暴れるリゼラと彼女を必死に押さえる騎士が入室する。
その一室は異様なほど薬品臭く、踏み行った瞬間にリゼラ達だけでなく、騎士までも酷く眉根を歪めたほどだ。
別にそういったモノは見受けられないのに異臭がするのは、恐らくそこら辺に散乱した資料に染みついた臭いだからだろう。
そしてその散乱具合から解るように、恐らくかなり値が張るであろう調度品や本棚など、家具という家具は全て資料や研究道具、また妖しげな宝石だの骸骨だの、果ては生肉の袋詰めだのに埋め尽くされている。
世辞で言えば研究者の部屋、有り体に言ってしまえばゴミ屋敷だ。
「貴様等、もう下がって良いぞ。その三人は置いていけ」
「よ、よろしいのですか、イトウ第四席! 幾らこの手錠をしているからとは言え、仮にもこの者達は帝国城への侵入者でーーー……」
「二度も、同じ事を言わせるのか」
イトウの声は、酷く殺気立っている。いつもの気怠さはそこにはなく、純然なまでの憤怒があった。
騎士達もその声色と眼鏡の奥に潜む澱みの深緑に恐怖したのか、三人を放り出すと逃げるように退室していった。
そうなれば当然、イトウの私室に残されるのは部屋の主とリゼラ達ばかりとなる。
彼女達は目の前の男に対し、言いしれぬ重圧に思わず肩をすくめていた。
「の、のう、シャルナ、ルヴィリア? どう思う?」
「どうって、ねぇ……」
「申し訳ありません。私が覇龍剣を取れてさえいれば……」
――――思い返すのは、ほんの数分ほど前の出来事。
リゼラ達がカイン第一席を除く十聖騎士と遭遇した時のことだ。
あの瞬間、シャルナはリゼラとルヴィリアよりもいち早く反応し、覇龍剣に手を伸ばした。
しかしーーー……、それはコォルツォ第九席の長い腕によって阻止され、さらにはミューリー第三席によってリゼラとルヴィリアが制圧。
シャルナは素手で二人を救おうとするも、ヴォルデン第二席の鉄塊が如き肉体に阻止され、気付けばソル第六席の真剣が彼女の首筋に突き付けられていたのである。
「ぬぅ、良い拳撃である……! これ程のものを放てるのがカイン以外にいようとは!」
「ヒャヒヒヒッ、馬鹿言ってねぇでそのアマも拘束しやがれってんだ。ソル、気ィ抜くんじゃねぇぞ。その女、できるぜ」
「言われなくても解ってるっつーの! しかしとんでもねぇ奴等だな、俺たち十聖騎士に迷わず喧嘩売るたぁ……」
「我がぁ価値も見定められん者がアホ見るんは世の常っちゅーもんや。この者等みたいになぁ」
ミツルギ第八席がクスクスと嘲笑う。
「うむぅ、それでどうするのだ? 取り敢えず侵入者を赦すとは騎士の怠慢ということで訓練か?」
「黙ってなよ脳筋おじさん。会議で寝てたから知らないだろうけど、コイツらあの男の仲間だよ。大方、救出しに来たんでしょ?」
「ほう、成る程! そういうことか!! うむうむ、仲間想いは良いことである。その男は今地下牢にいるでな、気を付けて行くのだぞ!!」
「黙っていただけますかヴォルデン第二席。……しかし、如何しますか。カイン第一席は再び城外へ出られましたし、規律に則るところならば判断は第二席であるヴォルデン第二席が下すところです。しかし彼がこの様子ですしーーー……」
「は、判断って何の話だよ……、ですか?」
おどおどと質問したラド第十席にミューリー第三席は僅かな一瞥を向け、再び視線を彼女達へと戻す。
「この場で処分するか否か……、ですね」
「待ちなさい、ミューリー第三席。それは認めないわ」
ミューリー第三席の意見に誰よりも早く真っ向から反対したのはユナ第五席だった。
彼女は鋭くも悲しげな眼光を浮かべ、力強く反論する。
「会議で決定したように、彼女達から手を出さなければ対処はしないという方針だったはず。あの解釈は我々に危害を加えなければということであって、彼女達が今しようとしているのはあの男の救出でしょう。我々への加害ではありません」
「……では、どう為さると?」
「ここは帝国城への侵入罪として罪に問うべきだわ。その上、彼女達は件の重要参考人。投獄という選択肢はあっても、ここで処分という選択肢は出ないはずです」
「まぁ……、私もそうしたいところですが」
「おいおい待てよババアよぉ……、テメェ。ミューリー第三席もだぜ。テメェら女は女に甘すぎる。とっととブチ殺した方が良いんじゃねぇのか? あ? 救出だって立派な妨害、俺達への加害だろ?」
「ふ、ふざけんなよコォルツォッ! お前こそ横暴だ!! 言ってることはユナ第五席の方が理に適ってる!! お前こそ殺したくてテキトー言ってるだけじゃねぇのか、汚れ人め!!」
「あ? ンだとこのクソチビが」
「んー、なんや面倒なことになっとりますけど、うちとしては処分したらどないかなぁと思いますけどなぁ。取っといて損はあっても得はありゃしまへん。もしここであの男が我々の手中にないんなら考えもしましたけど、そうやないでっしゃろ?」
「むぅ……、難しいことはよく解らぬな!! ソル、ルナ、御主等はどうだ!!」
「うっさいってばオッサン……。僕らはパぁ~ス。強いて言うならカイン第一席の判断を仰ぎたいかなぁ。もう、あの人が会議が終わるなり足早に出て行かなきゃこんな面倒なことにならなかったのに……」
「まぁまぁそう言うなよルナ。……だけど、俺もルナと同意見だぜ。こんな女の子達を見捨てるようで心苦しいけど仕方ねぇだろ。あんな会議の後にコレだからなぁ」
「ふむ、ミツルギとコォルツォは処分。ミューリーとユナ、ラドは反対。ソルとルナ、儂は保留ときて……。イトウ、御主は先程から一言も喋らぬが、御主が処分であれば意見は割れるし、その他であれば決まる。御主はどうだ?」
ヴォルデン第二席の問いに、イトウは深く思案しているようだ。
いや、違う。他の十聖騎士からはそう見えただろうが、跪かされたリゼラ達からはその男の眼鏡の奥にある瞳がまるで汚物でも見下ろすかのように自分達を睨んでいるのが見える。
そこには嫌悪や憤怒ばかりでなく明確すぎる殺意があり、彼がどの様な答えを出すかは一目瞭然に思えた、が。
「……反対だ」
意外にも、彼の答えは反対だった。
「かァッ!? ンだよテメェもかよぉ!!」
「……得られる情報は多ければ多いほど良い。それにたった三人で城に来るような馬鹿共だ。別にここで見逃したとしても驚異には成り得ん」
「つまらへーんのっ。イトウ第四席はんなら人体実験の道具にでもする言う思うたのに」
イトウ第四席はミツルギ第八席の冗談を露骨に無視し、再び反射する眼鏡の奥に表情を隠す。
「うむ、でがイトウの意見で多数決は決定である! その者達は処分せず……、あー、投獄、後に尋問という形で良いかな!?」
「あ、それだったら僕と兄さんがやるよ。予行演習ってことで」
「いえ、認められません。私が行います」
「あ、そ、それなら私が!」
「わっ、私だって! 私なら顔見知りだし、尋問ぐらいっ……!!」
「ぬぅう、積極的だな御主達!! ではここは折角なので儂も立候補しておこうかのう!!」
「話がややこしくなるからやめてくれる? 脳筋おじさん」
「黙ってください死んで下さい」
「あの、ヴォルデン? 尋問という言葉の意味は解るかしら?」
「流石にねぇと思う」
「はっはっは、これは手厳しい!!」
やいのやいのと当人の魔族達を他所に騒ぐ十聖騎士。
リゼラ達はそんな様子を呆れ混じり、焦り混じりに眺めていたが、そんな彼女達を超えて一人の男が歩み出た。
そう、それこそイトウだったのだ。
「この者達の身柄は私が預かる」
「はぁ!? イトウ、テメェ……! あ、じゃなくてイトウ第四席さんテメェ!!」
「黙れ獣人」
「ひゃい……」
「……良いか。まずユナ第五席とラドッサ第十席は感情移入しすぎだ。だが逆にミューリー第三席とルナ第七席は尋問すれば最後、この者達を壊すだろう。ならばここは間を取って、私が請け負わせてもらう」
「むぅ、イトウよ! 儂は!?」
「論外だ」
「ぬぁっはっはっはっはっは!! イトウが言うなら仕方あるまい!!」
ヴォルデン第二席は咆吼のような大声で笑い上げると、騒ぎを聞きつけた騎士達に命じてリゼラ達の見張りとし、イトウ第四席の指示に従うようにと続けて命を下した。
その際にイトウは騎士達に自身の研究室にあるという特殊な手錠を持って来させ、それでリゼラ達を拘束する。これは魔力を封じ、合図一つで爆発する手錠らしく、彼はこれでリゼラ達の動きを抑制できると断言。
他の十聖騎士達は不満そうだったが、イトウのそういった行動や各々の成すべき仕事や任務があること、またヴォルデンにもその旨を突かれたこともあって、渋々退散すえうことに。
――――こうしてリゼラ達はイトウと騎士達に補導されて彼の私室へと到った、というわけである。
「ど、どう思う? ルヴィリア。あの男はどうして妾達を監獄ではなくこんな薬品臭い私室に連れてきた?」
「さぁ……、さっきから魔眼で覗こうとしてるんだけど、どうにも見えないんだよねぇ。魔力抵抗が高いってわけじゃなくて、何かで妨害されてるみたい」
「……さらりと言うが、貴殿の魔眼を妨害って可能なのか?」
「まぁ、膨大な魔力か僕も知らないような技術があれば可能かな……」
「魔力抵抗が高いわけじゃないって次点で後者確定じゃろそれ……。あれ、やばくね?」
地ベタに正座したまま、ひそひそと言葉を交わす彼女達の会話を遮る様にイトウは一室の奥へと歩んでいく。
薬品の異臭が染みついた資料に埋もれていて解りにくいが、どうやらそこには薬品瓶の中で湯気立つ珈琲があるらしい。
どうやって保温しているかは解らないが、こんな埃だらけのゴミが山積みにされたような部屋で湧いている珈琲だ。緊張で喉に渇きを覚えるリゼラでさえも、それを一滴だろうと飲みたいとは思わなかった。
そしてその予測通り、珈琲を口にしたイトウの眉根は、さらに深く沈んでいく。
「……私が嫌いなものが。この世に三つある。何だか解るか」
突如の問いに反応できる者は、いない。
「一つ、信じられないほど不味い珈琲……。二つ、貴重な研究資料をゴミのように扱う価値も解らぬ蛮人と部下……」
彼は珈琲から口を離し、汚物どころかこの世全ての邪悪でも蔑むかのように彼女達を睨み付けた。
そこにあったのは明確な憤怒だの殺意だのと、そんな次元のものではない。露骨に、ただただ露骨に、一つとして覆い隠すことなく突き付ける為の、侮蔑だった。
「そして三つ。貴様等のような無能者だ……!」
珈琲の杯を机に叩き付ける音が、リゼラ達の鼓膜に突き刺さる。
イトウは今にもその陶磁器の杯を割り砕かんばかりに腕を震わせ、眉間に青筋を立てていた。
怒りを通り超した侮蔑も、また過ぎれば無能への怒りに辿り着く。そう体現するかのように。
「下らん仲間意識や……正義感の為だけに……! この私の計画を潰すつもりかッ……!!」
「え、い、いや、す、すまぬ……?」
「黙れ役立たずの矮小魔族がッッッ!!」
イトウの怒鳴り声に、リゼラは嗚咽のような悲鳴を上げる。
――――今まで気怠げな、無気力極まりない男だと思っていたのにこれは何事だ。
激昂に任せて怒鳴りつけ、感情を隠そうともしない。何がフォールと似た男だ、全く持って別物ではないか!
「だから一定以上の思考活動を持つ生物は嫌いなのだ……! 元素活動のように、化学式のように、本能に従う獣やモンスターのように生きれば良いものを……!! 理念だ何だと下らぬ理由で計算を狂わせる!! 世の学者達が白衣を纏うのは何故だと思う? 貴様等のような猿と区別を付けるためだ!!」
「……それ、白衣奪われたら意味なくね」
「黙れッッッッッッッッッッ!!!!」
「ぴぃっ!?」
「……リゼラ様、ここは黙っていた方が」
「ブチ切れ相手に正論カマしちゃダメだと思うなぁ、僕……」
と、ひそひそ声で言葉を交わす彼女達の前で、イトウが力無くよろめいて椅子に身を投げ出した。
恐らく慣れない大声を張り上げたものだから頭に空気が回らなくなったのだろう。彼はそのまま虫の息のようにか細い呼吸を繰り返し、見るだけで解るほどの困憊を示す。
視界を隠すように覆い被された手など、もう勘弁してくれという白旗のようではないか。
「…………せ」
「え?」
「外せ、と言ったのだ……。そんな手錠を付けていて何になる……」
「だ、だがこれは魔力を封じていて、爆弾まで……」
「嘘に決まっているだろう、そんなもの。量産できるような品か……。これだから猿は……」
「な、何じゃと!?」
「まぁまぁリゼラ様……、っと」
シャルナが力を込めると、手錠は驚くほどあっさり破壊された。
魔力を封じるだの爆弾だの言っていたから何かあるのだろうと思っていたが、中身には本当に何もない。
イトウの言う通り、何かを固めて手錠の形をしているだけの、ただのガラクタだった。
――――と言うことは、初めからこの男は自分達をハッタリで捕まえたのだろうか? いいや、違う。
この男は初めから、まともに捕まえるつもりなんてなかったのだ。
「イトウ……、と言ったな。貴様……」
「え、待ってシャルナちゃんこれ外れない」
「これ、シャルナ、ちょっ……、どうやって外したんじゃ?」
「えっ、あれ? 普通に壊れませんか?」
「と言うか待ってシャルナちゃんこれ鉄だけど!? 合金だけど!? かなり頑丈なヤツだけど!?」
「御主これ破壊したのマジで!? 重さの割にびくともしねぇんだけど!?」
「…………おい、どういう事だ」
「猿は猿でも剛猿の類いだったということだろう。……ほれ、鍵だ」
シャルナは確信する。
――――この男、絶対に性格悪い。
「し、しかし解らぬな。イトウ……、御主は十聖騎士なんじゃろ? 聖堂教会のお偉方が、こんな勝手なことをして良いものなのか」
リゼラはルヴィリアに放り投げられた鍵で手錠を解除して貰いつつ、彼へと問い掛けた。
対し、イトウは信じられないほど不味い珈琲を一口。そしてまた深いそうな眉根に戻って、問いに答える。
「……その話をするには、そいつを加えるべきなんじゃないか」
視線の先、一室の重圧な扉が軋音を立てながら僅かに光を差し込ませた。
そこから現れたのは一人の、何処か冷たさを感じる美麗なメイドであり、彼女の手には銀盆とそこに乗せられた茶菓子、そしてまかない料理であろう簡単な軽食があった。
女はイトウの言葉に頷くことなく入室し、後ろ手で扉を閉めると物言わぬ歩みで机の上に茶菓子と軽食を置き、壁へと背中を預け置く。
――――無論、リゼラ達がその人物を知る由はない。リゼラとシャルナは首を捻り、ルヴィリアははぁはぁと鼻息を荒くしている始末だ。
「……貴様は敵ではなかったということだな、イトウ」
「あぁ、そうだ」
リゼラ&シャルナ、噴出。ルヴィリア、崩壊。
「幾つか疑問はあった……。まず貴様があの場で俺達を拘束した後の対応だ。あれだけ大掛かりな人数と手段で俺達を拘束したにも関わらず、リゼラ達は釈放。そして何故か俺だけを残し、それも杜撰な監視体制を敷いた。……脱獄させる為に」
「そうだ」
「そしてこれは推測だが、貴様が地下牢に来たのは様子を見るためではあったが、それは脱獄しているかどうかの様子を見るためだった。暗くてよく見えなかったのに違いはないが、貴様は脱獄に気付いていたはずだ」
「そうだ」
「次にその後の扱いだ。貴様は研究材料云々と口走っていたが、実際は常に処分に反対し続けていた。リゼラ達がここに解放された状態でいることからも考えて、貴様は初めから俺達をどうこうするつもりはなかったんじゃないか」
「そうだ」
「ならば何故、一度は捕らえるなどと回りくどいことをしたのか? ……それは他の者に捕らえられるよりも先に自身の手駒としたかったから、だ」
「……そうだ」
イトウは四度目の返事を終えると珈琲を机に置き、懐から煙草を取り出した。
煙幕などではない、普通の煙草をーーー……。
そしてその後ろではリゼラが茶菓子を頬張り、シャルナは窓から投身しようとするルヴィリアを必死に止めながら助けを求めていた。
「そこまで予測が付いているのなら、あの会議の内容もどうにかして知っているはずだな。……その通り、私はどのようにしても手駒が欲しかった。特に貴様のような、信頼できる手駒がだ」
「信頼できる? 随分な評価だな」
「できるとも。貴様は信頼できないことが信頼できる」
「……それは、良い評価だ」
「だろうな」
ルヴィリア、飛ぶ。
「ではここまで来ればその理由を話してくれても構わんだろう? 貴様が十聖騎士を裏切り、帝国に叛乱する理由を」
「……違うな。確かに私の行いは十聖騎士と帝国への裏切りだ。露見すれば厳罰は免れまい」
だが、と。
「そうしてでもやらねばならん事がある」
白煙を吐き出したイトウの双眸に、先程までの怒気はない。
代わりに純然な、燃えたぎるような覚悟があった。
気怠く、屍寸前のようで不健康極まりない男の表情に似つかわしくない、覚悟があったのだ。
「会議の内容を聞いているなら私の為人も聞いているだろう。詳しい説明は省くが、私は学者であり薬師でもある。……いや、元は薬師だったのがとある理由から学者にもなった、というべきか」
「どういう事だ?」
「この国の王族について現状を知っているか? 現国王と王妃は病に倒れ、全ての責務や権力が王女である聖女に……、いや、正しくは十聖騎士との折半状態にある。幾ら我々が支えているからとは言え、聖女への負担は計り知れないものだ」
「……それで?」
「私は王族に仕えて長い。個人的に国王とも王妃とも親交があり、だからこそ今でも専属の薬師として側に置いていただいている。……私はな、フォールよ。あの方々の病を治し、聖女の、エレナの負担を減らしたいのだよ」
決意の滾りは沈み、何処か懐かしむように彼は歯牙で挟んだ煙草を下げた。
「……責務を手伝え、と言うつもりではないな?」
「当然だ、私は学者であり薬師だぞ。病の患者に対して慰めの声を掛けるだけのような愚図ではない。病には必ず原因があり、治療法があるものだ。ならば根幹から治療するのが医者というものだろう」
ぶぢり、と。
煙草の根が喰い千切られ、唾液混じりの筒が灰皿の上に墜とされた。
濛々と白煙をあげる先端はやがて灰燼に沈み、イトウの口から吐き出された末端もその中へじゅうという音と共に消え果てる。
「端的に言おう。国王と王妃の体を蝕んでいるのは『呪い』だ」
「……呪い、と言うと、エルフのか」
「いや、つい最近だが私の元を訪れたエルフの友人がいてな。彼に症状を相談したがエルフの呪いと類似こそすれ、全くの別物だそうだ。恐らくエルフの呪術を改良したものだろう」
「つまり……、独自の呪術で王族に仇成す者がいて」
「それを始末する事が私の最終目的……、だが」
イトウの目的はただ、主君であり、親友であり、理解者である国王と王妃。そして、その二人の子であるエレナを救うことだった。
それだけならば忠義者だろう。彼はどうしようもなくこの国の為に生きる愛国者だ。
――――だが、彼は帝国への反逆者であり、十聖騎士の裏切り者なのだ。
そうなる理由が、ある。
「その犯人が十聖騎士の誰かであることもまた、確信している」
力強く、深く、傷口に突き立てられた刃の柄を差し込むようにイトウは吐き捨てた。
そう断言する彼の眼にあるのは自信や危機感ではなく、純粋な殺意。
先程リゼラ達に向けていた敵意に準ずるそれとは比べものにならない、激動の感情だ。
「故に、フォール。貴様に頼みたいのは十聖騎士の殲滅だ。一々犯人を断定するまでもない、全て滅ぼせば片が付く」
「……学者だ研究者だと口にする奴の台詞とは思えんな」
「時間がな、無いのだよ」
「時間……、か」
フォールは片目を閉じ、瞼の裏で思考を巡らせる。
自身の置かれている立場、帝国城で見たモノ、聖女である少年の存在、彼が持っていた剣。
その他諸々、全てを縫い合わせ、組み合わせ、溶かし合わせ、答えを出した。
詰め勝負のように徹底的な駒打ちをする男へ、答えを。
「良いだろう、協力する」
「……そうか」
「ただし条件がある。1つ、奴等の殲滅に必要な十聖騎士達の情報を寄越すこと。2つ、この街で行動できるだけの場所と金銭を用意すること。3つ、この帝国城からの脱出を手引きし、俺達の存在を隠匿、或いは多少の露出は可能なように誤魔化すこと……」
「解った、呑も」
「4つ貴様が所持するスライムに関する資料の閲覧を許可すること5つ城下町にある玩具屋モンスターハウスで全七種類に渡る超巨大スライム人形を買うこと6つ城下町下水道にいる下水スライムの観察と接触に協力すること7つスライムたんぺろぺろ同盟の財源になること8つスライム教を世界共通宗教とするため草の根活動を日々行うこと9つ十聖騎士を殲滅した後は神の騎士に改名させること10つ全てを終えた暁には国王と王妃に面会させこの世の真理はスライムにあると認めさせることーーー……、以上だ」
「調子に乗るなよ貴様」
「これでもスライム関連は90項目ほど減らしたのだが……?」
「フォール! 落ちる、ルヴィリアが落ちる!! ルヴィリアが落ちるゥ!!」
「リゼラ様もう無理です離して良いですかいやもう離しましょうルヴィリアは星になりました」
「諦めはえーよもうちょっと頑張れっておい女装野郎め早く助けろ言うとるじゃぽにかっ!!」
「り、リゼラ様ぁあーーーーー! あっ」
その日は、歴史を塗り替えるであろう密約が交わされ、幾つかの事件が連鎖的に勃発し、心と体に深い傷を負った被害者数名の悲鳴と絶叫が響き渡る、色んな意味で帝国にとって運命の日になるわけだがーーー……。
――――まぁ、それは別の話としておこう。
なおルヴィリアは後ほどフィッシングされたそうです。




