【3】
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「ぅーぶぇっくしょい!!」
大クシャミと共に鼻水を垂らし、がぐぶるがくぶる肩を震わせる。
そんなルヴィリアに連れられて、リゼラとシャルナは橋を渡りきった先の街を進んでいた。
いや、街といっても商人が声を張り上げ、母親が子供の手を引き、老婆が庭先に水を撒き、人や馬車が道行き、幾人もが擦れ違うような煌びやかな大通りではない。
半分破れた手配書や広告が張り付き、ところどころにカビが這っているような壁に覆われた裏通りだ。足下は時折ネズミだの虫螻だのが通り過ぎ、たまに擦れ違う連中も視線さえ合わせないときた。
謂わば帝国の光にある影、とでも言うべき部分なのだろう。
「うーさぶさぶ……。ルビーちゃんこごえじぬ……。シャルナちゃんあっためてぇ~」
「上着を貸しているのだから文句を言うな! ……まったく、それに貴殿ならば炎ぐらい出せるだろう」
「出したら口実がなくなるじゃないか!!」
「やはり上着を返せ」
「やっだも~んんはぁすーはーすーはぁー良い匂いうへへへへへェエクセレンッッ!!」
「……全くもう! 仕方のない奴だ」
上着をくんかくんかして絶頂する変態に歩み寄り、シャルナは静かにその腰元へと手を伸ばす。
それはシャルナの優しさだった。口では魔族の為にそうすべきではないと言いつつも、しっかりフォールを救う為に準備を調えていた彼女への優しさだったのだという事はなく後方への無慈悲な破槌攻撃。
――――そう、後のバックドロップである。
「容赦ないのう、御主……」
「甘やかしてはいけないと悟りましたから。……それでルヴィリア、こんな路地裏を案内するのは構わないが、何処に行くつもりだ? まさか人目に付かないようここを歩いているわけでもあるまい」
「人の首へし折った直後に頼る鞭と飴……。シャルナちゃんはサドの素質があるかもだにゃん。まぁ褐色筋肉娘とか絶対ア〇ル弱いドMって決まってるんですけどね!!」
「リゼラ様、もう一発いってきます」
「よっしゃ手伝うわ」
――――後のハイジャックパイルドライバーである。
「で、何処に行くんだ?」
「げふっ……、ごめ、ちょ、首が九十度回って……」
――――後のチョークスリーパーである。
「うーんこの戻し方完全に殺しに来てると思うナ!」
「戻ったんだから良いだろう。で、何処だ?」
「うん、口で説明しなくてももうすぐそこだよ。そこの角を曲がって、ほら」
ルヴィリアの言う通り、曲がり角を曲がればそこには一件のバーがあった。
大衆向けの酒場ではなく、バー。こんな路地裏にあるところを見るに、殆ど常連向けにしか商売をしないところなのだろう。
いや、そうでなくとも紫と金色で彩られた妖しい看板や、外界と室内を隔てる重圧そうな扉は初めて見た者の足を後方へと引っ張らせる。
正直、ルヴィリアの紹介でも入りたくない店だ。もう表からぷんぷんと嫌な予感が漂ってくる。
「じゃ、入ろっか」
若干退き気味な彼女達の背中を押すように、ルヴィリアは息つく暇もなく扉をオープン。
そこから見える景色は、何と言うか、バーとか酒場とかスナックとかと言うより、完全に魔女の家だった。
看板と同じく妖しげな紫色の光、戸棚に詰め込むように並べられた数十種類の酒類、漆塗りの黒ソファに、同じく漆塗りのカウンター。
極めつけはそのカウンターに肘を突いて長煙管を吹かす、リゼラ四人分はあるかという途轍もなく巨大な、それこそ本当に魔女か魔物か化け物かというほど厚化粧を塗りたくった中年女性だった。
もうこの光景だけでリゼラもシャルナもいっぱいいっぱい。踵を返してさぁさようなら、といきたかったが。
「んママぁーーーっっ! ひーさーしーぶーりぃー!!」
「こら、飛びつくんじゃないよルヴィリア……、久し振りだね。そこの二人は連れかい?」
「うん! 私の恋人ぉ~♪」
「へぇ、アンタにも恋人がねぇ。……そうなのかい?」
「「イエ、チガイマス……」」
問答無用で飛び込んだ変態のせいで引くに引けず、入店することに。
いざ入ってみれば店内はやはり外から見えた通りの様子で、妖艶というか妖変というか、いるだけで頭がおかしくなりそうな雰囲気を受ける。あと何処となくエロい。
まぁ、つまりここはそういう店なのだろう。噂や書物でしか聞いたことがないが、女性が男性に酌をすることで金を稼ぐ店があるというではないか。雰囲気的にも、きっとここで間違いない。
成る程、こういう路地裏にあるのも近寄りがたい雰囲気なのも異様な店内の様子もルヴィリアが行き着けというのも納得だ。彼女なら女の子に酌をしてもらえてイチャイチャできるなら、全財産でも擲つだろう。
「それで、どうしたんだいルヴィリア。しばらく顔出さなかったじゃないか……。ウチの子達が寂しがってたよ」
「ごめんねぇママぁ。ちょっとヤバいのに捕まっちゃってぇ~」
勇者の。
「ふぅん……、まぁ前より良い顔になったじゃないか。悩みが吹っ切れたならそれで何よりだ」
ママと呼ばれた中年女性は煙管から口を離し、火山の噴火よろしくぶふぅと煙を吐き出した。
その煙を真正面から受けて涙目に咳き込むリゼラ。げほんげほん。
「取り敢えずあの子達に顔見せな。寂しがってたからねぇ」
口から離された煙管がこんこんと扉を叩くと、途端に階段がどたどたと慌ただしく揺れ動いた。
その直後、小さな扉からところてんよろしく五、六人の女性が慌てて飛び出てくる。
化粧がバッチリだったり化粧の途中だったり化粧をしてなかったりしているのを見る辺り、どうやらここの嬢らしい。
彼女達はルヴィリア達を目撃するなり、歓喜の表情を浮かべながら飛びついてきた。
「みんなぁーーーーーっ! ルビーちゃんが来たよぉおおおおーーーんっ!!」
「「「「「きゃあああああーーーーーーーーーっっ!!」」」」」
嬢達はルヴィリアへと一斉に飛びつく、かと思えば。
そのままシャルナに直行し、全身へと抱き付いた。
「すっごーい! 何これ筋肉ぅー?」「か、かったぁい……。うふふ……」「カッコイイ! ねぇお兄さん彼女はぁ?」「ちょっと今から上にいかなぁい? サービスしちゃうわぁ」「ちょっとあんた! お兄さんは私のだもん!!」「何よ、早い者勝ちよ!!」
「あ、わ、わ、わ、わ……」
「しゃ、シャルナちゃんに取られた……。これがNTR……? でもシャルナちゃんにNTRされると思うと興奮するっ、あ、新境地、新境地が開けるぅ!!」
「アホなこと言ってんじゃないよ。ほらアンタ達、そこの兄さんに構う前にルヴィリアに挨拶なさいな」
「と言うかそやつは男じゃなくて女じゃぞ」
リゼラの訂正に、店の中の空気が静まり返る。
嬢達は驚愕に眼を見開き、店主のママでさえ黙りきりーーー……、そして。
「「「「「もっと良いーーーーーーっっっ!!」」」」」
リゼラとシャルナは確信した。
――――あぁ、こりゃルヴィリアが常連になるわ、と。
「やだぁもう女の子なのぉおお!?」「あ、ホントだ……。ない……」「すごーいカッコイイ-!」「きゃああ抱いてぇえーー!!」「うっそ、この胸で……、でもカワイイわぁ」「やぁああん抱き心地も抱かれ心地もさいこーっ!!」
シャルナは見る見る内に女性達の華奢な体と黄色い歓声に埋もれていく。
心なしか先程より勢いが強いような気もするが、そんな様子を眺めながらリゼラはある事に気付いた。
きゃあきゃあとシャルナをもみくちゃにする彼女達について、気付いたのだ。
「……魔族か!? あやつら、全員!!」
「半魔族もいるけどね」
リゼラの気付きに答えるのは、ママ。
「ここはそういう店さ、魔族と勇者が争わなくなって久しいからね。魔族だって自分の生き方を見つけなくちゃいけない……。だからそういう連中が集まるのさ」
「成る程、人間の中に溶け込む為の隠れ蓑ということか……」
「そうだね、戦いなんかは別として娯楽や利便性は人間の方が圧倒的に上さ。……ま、四天王様や魔王様に知られたら怒られるだろうけれど、どうせこんな人混みの奥地さ。バレるはずなんかもないよ」
「…………ルヴィリア、何か一言」
「女の子と語り合うのはエロスだけで良いって心の中の私が言ってた」
減給決定である。
「……ま、そんな薄暗い場所だからこそ裏の情報も集まるからね、その為に来たんだろう? ルヴィリア」
「そ、そうなのよんママぁ~。実はさっき言ってた僕を捕まえたヤバい奴が帝国城に捕らわれちゃってね。そいつを助けたいんだけど、ちょっと準備と情報が不足しちゃってるんだにゃん」
「ほう、帝国城とはまた大きく出たね……。今が聖剣祭前って解って言ってるのかい?」
「うん、解っ……。え、聖剣祭前?」
「何だ、知らなかったのかい」
――――ママが言うには、例年に比べて聖剣祭の開催が数日遅れているとのこと。
嫌と言うほど規則に厳しい、城門開閉さえ徹底するこの国で予定の遅れは極々稀なことだ。
街でも王族に何かあったんじゃないかとか、まさか数年前の時のように侵入者が出たんじゃないかとか、聖堂教会の中でいざこざがあったんじゃないかとか、憶測妄想入り交じった噂が飛び交っているんだとか。
「この時期はただでさえ外から商人が来て忙しくなるっつーのにね……、そう何日も延ばされたんじゃこっちも商売あがったりだよ」
「何か原因があるんだね、原因……」
「…………………………原因」
勇者。
――――いやいや。
「……ま、聖剣祭が遅れてる程度の認識は表の連中ぐらいしか抱いてないさね。だが裏の連中はそうじゃない、明らかに異質な空気を感じてる」
「異質な空気? どういう事じゃ」
「さぁね、ただこんな店に来る連中は口を揃えて言うんだ。肌がざわつくとか、嫌な予感がするとか……」
再びママはぶふぅ、と煙を吹き出して。
「……ともあれ、助けに行くのは無謀だと忠告しとくよ。聖剣祭前は目玉の聖剣が運び出されることもあって、警備がかなり厳重になる。それはアンタ達が目指す牢獄も然りだよ。下手すりゃ聖堂騎士幹部……、十聖騎士だって出て来かねない」
「あの第何席とかいうやつか。……えっ、そんな名前なの?」
「十と聖を掛けてるんだってさ」
「ちょっとカッコイイじゃないか……」
「リゼラちゃん……」
「……まぁ、十聖騎士は第一席から第十席まである聖堂教会の統一者達さ。有名なのだと第一席のカイン・アグロリア・ロードウェイかね。ま、『光の騎士』なんて呼ばれて、街の英雄か象徴みたいなもんだね」
ママが首で示した先にあったのは聖剣祭のポスターだった。
そこには神々しさに溢れた少女ーーー……、恐らく聖女だろう、と、その隣にいけ好かないイケメン面な銀髪の男。
つまりあの男が、カインとか何とかいう第一席ということか。
「ふーむ、つまりあの馬鹿を助けるにはその聖堂第何席の連中を相手取らねばならんわけじゃな。……ん?」
「どうかした?」
「いや、何か忘れてるような……」
リゼラの中に湧き上がる、小さな違和感。
まるで小骨が喉に刺さったかのような、奇妙な感覚だ。何か、何かを忘れている。
リゼラはそれを思い出すべく、苦悩の表情を浮かべーーー……。
「まぁどうでもいいや!」
丸呑みにして忘れました。
「そう言えばあのイトウだがイトだが言う奴も第何席と言うとったの。アイツ、フォールと親しく森を探索してるフリして十聖騎士じゃったのか」
「四席だったよん。まー十聖騎士なんかは末席辺りは兎も角、上席になると自分の趣味を任務とか仕事とかにしてる連中ばっかりだからね、好き勝手しかしてないさ。イトウとかいう奴も調査だけはマジだったみたいだし……。でも、その点で言えばカインは結構珍しいかな。下町によく顔を出すし、巫女の力を持つ聖女サマの護衛もよくしてる。働き者だよねぇ」
「ふん、あたしゃいけ好かないね。あぁいう外面の良過ぎる奴は。人間味ってもんがない!」
「魔族が人間を語っちゃだめでしょ、ママ……」
「それもそうだね」
「と、も、か、く、じゃ!! あの馬鹿を助ける為には十聖騎士共が邪魔で、警備の厳しい帝国城の中に侵入せねばならんっ! その為にはどーするかっちゅー話じゃろーに!」
「やけ起こすんじゃないよ、お嬢ちゃん。こういう時こそ落ち着くもんだ……。それにアンタ達にゃ変態で頼りなく服装の趣味もアレだが、頭だけは回る仲間がいるだろう?」
「わぁーん! ありがとうママぁーっ!!」
「気付け。馬鹿にされとるぞ御主」
「何、ルヴィリアの頭脳には色々と助けられたからね。前も下着泥棒を捕まえてくれたろう? ほら、何故か犯人には逃げられちまったけど、しっかり下着だけは取り返してくれた……」
「いやそれの犯人ってルヴィリアじゃねむぐぐぐ」
「いやぁ難事件だったねアレはぁ! 名作推理小説で売れそうなぐらいだったよ、うん!!」
即刻発禁である。
「ま、今となっちゃ良い思い出話さ……。それよかあんた達こっからどうすんだい。まだ午前中だけど、流石に今から行くわけじゃないだろう? 簡単な食事ぐらいなら出せるし部屋もあるけど、少し休んでいくかい?」
言わずもがな、ママの気遣いに対して真っ先に反応を示したのはリゼラだった。
まるで大好きな骨玩具をちらつかされた子犬よろしく、ぴんと耳を立てて飛びついた、が。
「ノンノン。ナウから実行トゥデイなう!!」
ルヴィリアの無慈悲なる一言で出鼻を挫かれることに。
「今日の今からってあんたね……」
「まーね、明日に廻した方が確実なのは間違いないと思うよ。けどぶっちゃけ時間を起きたくないんだ。実はここだけの話、彼ってばでっち上げの罪で捕まってるんだよね。それもかなり悪意のある……。となればどうしても捕まえたかった、これ以上自由にさせたくなかったって事じゃない? そんな奴を一晩二晩置いておくとは思えないんだ」
「た、確かにそうじゃの……」
「しょーじきなトコ、奴等の目的が解んないのが一番怖い。彼と聖堂教会の面識はラドちゃんとの事があるけど、逆に言えばそれだけしかないんだよね。もし僕が組織の人間ならあれぐらいの事でここまで手は回さないよ。ぶっちゃけ最後は向こうに華持たせたしさ」
「だがのぅ、ルヴィリア。ここに来るまでにも何台か馬車と擦れ違ったであろ。アレこそ帝国城に入る商人ではないか? となればもうそろそろ昼時も近いし、帝国に荷物を届けるような仕事は終わっているのでは……」
「チッチッチ、違うんだにゃんリゼラちゃ……。チュッチュッチュ、違うんだにゃんリゼラちゃん!」
「おい何で今言い直した?」
「今は折角のお祭り前なんだよ? だったらこっちも目一杯それを利用させてもらおうじゃないのん!!」
「利用って、いったい何を……」
「にゅふふふ、この智将ルヴィリア、ただの馴染みってだけでここを選んだりしないんだにゃ~ん……?」
にたぁと笑むその顔の、何とまぁ悪いことか。正に今から悪行を冒す者の顔である。
しかし今から悪行を冒すということは、そんな事をするのだと確信させられるだけの自信があるという裏返しにもなる。
普段はド変態でしかないルヴィリアだが、いざここぞという時に頼りになる頭脳は正しく智将のそれそのものと言えるだろう。
「と言う訳でママ、帝国城のメイド服と何かエロい衣装貸して!!」
「はいよ」
頼りになると言えるだろう。
「あと女の子達も!!」
「ツケね」
頼りになると。
「極めつけはエロい香りのする香水で!!」
「任せな」
頼りに。
「これで僕ハーレム完成です!!」
ならねぇやこれ。
「シャルナ、今なら殺っても構わんぞ」
「ねぇシャルナさんこっちも触って~♡」「あぁんもうこの腹筋だけで熱くなっちゃうぅ~」「あ、あの、手、貸して貰ってもいいですか……?」「ちょっとあんた! 右手は私が使うの!!」「はぁ、ごつごつした指が気持ちいい……♪」「一回だけでいいからキスしない? 病み付きにしてア・ゲ・ル……♡」
「り、リゼラ様、たす、助け……」
「…………もう魔族ダメかも知れんね」
「リゼラ様ぁあああああああーーーーーーーーっ!!!」
店に響き渡った叫びは、それはそれは悲痛なものであったという。




