【2】
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「参加ですか? はい、ではこちらにお名前とご同伴者の名前を……」
宿の一階。従業員達に凝視されながらもルヴィリアを引き摺ってきたフォールは受付でレース参加の申込用紙を受け取っていた。
その受付には木製の隔てがあり、隣は見えないようになっている。恐らくは個人情報を護るための措置だろう。
彼はそんな受付に少しだけ感心しつつも、無駄に豪華な洋紙を指で抑えてペン先をインクに浸けて名前を記していく。
まずは自分の名前から、フォーーーー……。
「申込用紙がないってのはどういうことだぁ!?」
バンッ!
幾ら隔てられていようとも、机は長く一つに連なっている。
途中まで記されていた文字は、隣にきた客だろう、彼が机を叩いた衝撃によって見事に歪みズレた。
フォールがフォレーに。ルヴィリアに到ってはレーーーに。誰だよ。
「も、申し訳ございません! 実はこちらにとどけてくれるはずの業者と連絡がつかなくて……」
「そうは言ってもアンタなぁ……。だってその参加用紙出さないと参加できないんだろ?」
「はい……、本当に、何とお詫びすれば良いか……。ど、どうにか他のところから参加用紙を受け取れないか調べてみますので……」
隔てで見えないが、どうやら隣では厄介なトラブルが起きているようだ。
聞く限りは参加用紙がないとのこと。成る程、どうやら自分で最後だったらしい。
隣人には悪いが、これは運が良かったと思って変な因縁を付けられないウチに退散するとしよう。
最後の一枚ということはアレなことになってしまった名前も書き直せないということだが、まぁ優勝に名前は関係なーーー……。
「む」
くしゃり、と。
ふと力を込めてしまい、参加用紙に皺ができた。
それだけなら別に問題はなかったのだがーーー……、用紙の下からもう一枚用紙がでてきたことが問題だった。
「…………」
フォールはその一枚を見るなり、仕方ないとペン先を弾きながら、隔ての底にある隙間へ用紙を滑らせる。
途端、隣から聞こえていた諍いの声がぴたりと止まり、歓喜の混じった困惑の声が零れ始めた。
「お、おぉう、良いのか、あんた。幾ら俺だって流石に悪いと思うぞこれは」
「こちらのと重なっていた。気にすることはない」
受付向こうの係員は隔たりを超えてそれぞれの用紙を確認すると、何度も頭を下げながら謝罪と御礼を繰り返し述べて下がっていった。
残されたのは隔て越しのフォールと向こう側の男。そしてついでに足下に転がるそろそろ三途の川が見えてきたルヴィリアばかり。
何とも生温い沈黙だ。浸るに冷たく、拭うに熱い、沈黙。
「あー、その、何だ。ありがとな。あんたのお陰で無事に参加できそうだぜ」
「……言っただろう、別に気にすることはない。当日のレースでは敵同士だ」
「ははは、そりゃそうだ。恩はあるが手は抜かないからな、よろしく頼むよ」
「こちらもな」
カリカリカリ、と。
ペン先が洋紙の上をなぞり削って。
「そういやあんた、馬車はあるかい? 馬車じゃなくても、馬とか。無いならレンタルしてくれるとこ紹介しようか?」
「結構だ。魔道駆輪がある」
「はー、魔道駆輪ねぇ。そう言えば俺の知り合いも魔道駆輪を持ってるんだが、あんた見たことないかい? 男一人と女三人の四人組なんだが」
「……ふむ、我々以外の魔道駆輪を見たことはないな」
「そっかー。いやな、ウチの仲間の一人がその集団の男を追ってるんだよ。いい加減諦めりゃ良いのにまったく、執念深いというか戦闘狂いというか」
「大変なのだな」
「本当にな! 俺としちゃぁもうそいつ等は疫病神だから関わり合いになりたくないんだけどさ。ひどいモンだぜ、大きな声じゃ言えないが、ある部族のトコに置き去りにされたりその所為で遭難したり……。ここに来るまでもそりゃ大変な思いをしたもんさ」
「悪魔のような連中だな、そいつらは」
フォールの言葉に激しく肯定しながら、男は聞くも涙、語るも涙の激動物語を愚痴に愚痴って愚痴り続けた。
そんな話に彼は段々と適当になる相槌を打ちながらもペン先のインクを落とし、用紙に名前以外の間違いがないことを確認して係の者を呼びつける。
そして係の確認も終わって提出完了。どうやら隣の人物よりかなり早めに書き上がったらしい。
まぁ、これだけぐだぐだと喋っていれば当然か。
「では悪いがこちらは先に失礼する。レースでまた会おう」
「あぁ、レースで」
フォールはそのまま、魂が七割ほど抜けたルヴィリアを引き摺って自身の一室へと戻っていった。
男はそんな彼を見送ろうかとも思ったが、終ぞ顔を合わせなかった事とこの隔てがあった事を考えて無粋だろうと参加用紙の記入に戻る。
――――とは言え、こちらも後は名前を掻き上げるだけだ。しかし記入要項の殆どが『自分はレースでどんな目に遭っても主催者側に金銭を請求したり抗議を行うことは決してなく、参加費の返金も求めません』という契約への同意な辺り、如何なものか。
端っこにちゃっかり『優勝賞金の半額を主催者であるマルカチーニョ家に返礼します』とかいう項目もあるし。隣の奴はまさかチェックしてないだろうな?
「よし、っと」
彼は自身の名と相棒の名をパパッと掻き上げる。
カネダとメタル。その二つの名前を、だ。
「あ、いたいた。カネダさーん!」
「おぉ、ガルス。どうしたんだ?」
隔ての隙間からひょいと顔を覗かせた金髪ガンマンこと、カネダ。
彼に向かって走ってきたのは元、彼とメタルへの依頼主であり、現在も何だかんだで行動を共にしている冒険者のガルスだった。
さて、そんなガルスだがどうにも慌てているようで、汗だくで息も切れている様子を見るに、カネダを見つけるためあちこち奔り回ったらしい。
そんな彼はカネダの元に駆け寄ると一先ず息を整え、そして戦慄した様子で説明する。
僕達の部屋が大変なことになってるんです、と。
「め、メタルさんが部屋につくなり、ルームサービスのメニューを七往復ぐらい注文しちゃって……! 部屋がもうお皿でいっぱいいっぱいになっちゃってるんです!! ぼ、僕も少し貰いましたけど、あれじゃあ料金が……!」
「はっはっは、なぁに心配すんなって。確かに今は多少の金を借りてる状態だが、レースで優勝すれば数百倍近い金になって返って来るんだ。しばらくまともなの喰ってなかったし、飯が食いたいならもっと喰って良いぞ。それにアイツにゃレースに供えて力を蓄えてもらわないと」
「蓄えすぎて爆発しちゃいますよ、あれじゃあ! それに、万が一負けたりしたらっ……!」
「落ち着けガルス。俺とアイツは伝説に名を刻む男だぜ? それに金を借りてるのはレース主催者でもあるマルカチーニョ家だ。これがどういう事か解るか?」
「あっ……!」
――――そうか、そうだ。自分は何を慌てていたのだろう。
この連日、確かに自分達は不運に見舞われた。しかしそれを乗り越えられたのは常人離れした彼等の力があったからではないか。
此度のレースも、伝説の盗賊と最強の傭兵がいれば何も心配はない。カネダはきっと、そう言いたいのでーーー……。
「逃走ルートは計算済みだ」
逃げる気満々でした。
「追っ手出すなら出してみろやぁ……。ぐへへへへ、死に際までいった人間の強さってモンを見せてやるよぉ……」
「カネダさん気を確かに! 盗賊の誇りは何処に行ったんですか!!」
「そんなモンあったっけ……?」
「何を言うんですか! あり……っ! ……なかったです」
「な?」
誇りで飯は食えないとカネダ談。
万が一の場合は埃でも食うとメタル談。
「……とは言っても、逃げるのは本当に最後の最後の最後の手段だ。リスクがないワケじゃないし、無駄な騒ぎは起こしたくはない。ま、それに盗賊は金や財宝を盗むが綺麗な宝は盗まない。汚れた宝だけがこの汚れた手を癒してくれる、ってな。……つってもまぁ、所詮はこだわりの範疇だ。もしもの時は破るさ」
もっともそれを破ったことがないから俺は伝説なんだがね、と鼻高くカネダは笑う。
「それに、まぁ、このレースは色々とキナ臭い。一晩掛けてルートを回る程度ならまだ常識の範疇だが、今まで優勝者が一人も出ていないというのはいただけないな。だから今回のパートナーに知識のあるお前よりも何があっても生き残るあの馬鹿を選んだんだ。馬車はレンタルできるみたいだし、俺の操作技術と頭脳にアイツの戦闘力までプラスされりゃ無敵なモンさ。な、心配はいらないだろう?」
まくし立てるように説明するカネダには、誤魔化しではなく絶対的な自信があった。
フォールだの何だの言う奴等のせいで散々な目に遭っているが、裏を返せば天敵は奴等だけ。
――――わざわざ帝国への道を離れてこんな辺境の村まで来たのだ。まさか彼等がいるわけはあるまい! となれば俺達は無敵である!!
「さーさー、要らない心配をするぐらいなら部屋に戻ろうぜ、ガルス。あぁ、それと受付、参加用紙の受理を頼むよ! それと部屋に散らばってる皿片づけて、メニューを頭から尻までもう一往復! 俺も腹ぁ減っちゃったしさ!」
「た、食べますね……」
「どーせ大半はメタルが喰うさ。飯は上品に喰わないとな。それが食事に対するマナーってもんだ。ま、一番のマナーは美味しくたいらげてやることだがね」
げらげらと笑う彼に連れられ、ガルスは階段を上がって部屋へと戻っていく。
どうにもカネダ、大金を前にしていつもより機嫌が良いらしい。それどころか絶好調だ。
いつもの彼なら今すぐにでもメタルのところへ飛んでいってボディーブローをかましながらまだ返品の可能性がある、吐け。とか言い出しそうなものだけれど。
――――いや、無理もない。これだけの大金を得られるチャンスを、実力ある者が前にすれば浮き足立つのは当然だ。現に頼り切りな自分だってわくわくしている。
けれど、その、何と言うか。この調子が悪いことに繋がらなければ良いのだけれどーーー……。
「心配すんなよ、ガルス」
笑みは、嗤いに。
「ツイてない時はツイてない。だけどツイてる時はとことんツイてるものだ。それを明日や明後日に延ばそうとするものはツキを逃す。今この時に賭けられる奴だけがツキを得る。今この時に全力になれる奴だけが、勝者になれる」
階段を上る足は跨ぎ足。
廊下を歩む足は勇み足。
「今の俺はツイてる。明日になんか送るもんかよ。明日になんか逃してやるもんかよ。今日だ。今日にだけ全てを賭け続ける。明日も明後日も、今日だからこそ……」
彼の背中は、いつもよりとても大きく見えた。
――――きっと、これなのだろう。彼やメタルを見ていると常々思う。彼等を伝説や最強たらしめているのは、これだ。
この、自信なのだ、と。
「……はいっ!」
大丈夫。彼なら、彼等ならきっとやってくれる。
信じよう。この大きな背中を、力強い言葉を。エルフに立ち向かってくれた意志を。
1千万ルグという大金だけじゃない、彼等とならきっと、あの事件のこともいつしかーーー……。
「入るぞ! メタル!!」
羨望の眼差しを受けながら、カネダは素早く自室のドアノブを廻した。
そこにいるのは運命共同体となるパートナー。レースを共に乗り越える盟友ーーー……。
ドンガラガッシャァアアアンッ!!
「おう、皿崩れるぞ。気を付けろ」
ではなく、皿の山。
白銀の濁流に呑まれながら、カネダは静かに息を引き取った。
そんな光景を前にして、ガルスは襟裾を直しながら静かに息をつく。
「……よし、落ち着こう」
ツイてようがツイてなかろうが何事も冷静に行動することが一番。
ガルスはそう心に強く刻み付けながら、白目を剥いた伝説を食器の山から引き抜くのであった。




