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「やらんぞ」
ランプの灯火だけが温かい、四つのベッドが所狭しと押し込められた安宿の一室。
リゼラは嫌にバネの強いベッドの上でびょんびょんと跳ね回りながら、ぶっきらぼうにそう言い放った。
一人、広告を持って無言のまま俯く男に向けて。
「だがだな……」
「ならん」
「……あの、リゼラ様。我々の当面の難題は資金面です。確かに目的はアレですが今回のレースとやらは降って湧いた好機なのでは?」
「なーらーんー!! 今回ばかりはフォールに味方禁止!! 魔王命令!! 以上ッッッ!!!」
どうにもこの魔王、今回ばかりは覚悟が硬いらしい。
そろそろこの男のスライム衝動に決着を付けねば我等の死因がスライムになるわ、と。
断固として動かない魔王、無言の抗議を続けるフォール、そんな二人の狭間で揺らめくシャルナ。
――――まるで夫婦喧嘩か、夫と娘の喧嘩を見守る母親の図のようだ。まぁ、言ったら絶対怒られるけどね、とルヴィリア。
彼女はそんな下らない事を考えつつも、フォールの手からクシャクシャになった広告を取り上げて、拡げてみる。
「なーになに、ルールは参加者2名以上、参加費に1500ルグ必要……、か。そりゃ相方がいるよねぃ」
「禁止じゃからな! 今回ばかりは御主ら手を貸すのきーんーしー!!」
「し、しかしですリゼラ様。宿での滞在費で所持金はほぼ底を突きました。明日の食事さえ怪しいほどで……」
「コツコツ働いて貯めれば良かろう! ほれ、さっき受付に頼んでバイト依頼持って来たわ!!」
「わぁお、悪の魔王の台詞とは思えないねぃ」
「何々……、飲食店、土木工事、レース受付、モンスター討伐、屋敷掃除、一日メイド……!?」
「はいはいはいはい!! シャルナちゃんは一日メイドで良いと思いまぅぶっ!!」
鉄拳制裁。
なお、ベッドのバネによりルヴィリアが天井を貫いたのは言うまでもない。
「……駄目か」
「ダメであぁーーーるっ! 今度の今度ばかりは妾も折れぬぞ!! スライム人形が欲しければコツコツと働いてだな!!」
「…………」
フォールはルヴィリアの手から転げ落ちた広告を拾い上げ、リゼラにちらりと見せつける。しかし彼女は首を振る。
彼の指は賞金を差す。しかし彼女は首を振る。
指がススッと落ちてその下の副賞『最高級リリーブ牛肉10kg』を指差す。しかし彼女は首をふ、ふ、ふ、振る。
「り、リゼラ様が耐えた!!」
「は、はーはっはは! どうじゃどうじゃ、妾がその程度で屈するとでも思うたか!? 妾はお肉なんかに絶対負けない!!」
「ステーキ食べ放題をやってやる」
「んほぉおおおおおおおおおおおおしゅてーきたべるのほぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「リゼラ様ぁああああああああああああああああ!!?!?」
即堕ちである。
「では参加費は残金から捻出することにしよう。そして同伴者は……」
涎ダラダラな魔王か、ワクワクそわそわな最強の四天王か、もう動かなくなった最智の四天王か。
「…………ルヴィリアでいいか」
「「この状況でそっち!?」」
ファイナルアンサー。
「優勝者が一度もないレースという話だ、何が起こるか解らんからな。応用力の高いルヴィリアで良いかと考えたのだが……。あと万が一の場合、何だかんだで生き残りそうだからな」
「理由の大半が後者じゃろうなぁ」
「まぁ確かに地獄だろうと煉獄だろうと何だかんだで帰って来そうではありますが」
「見たところ、レースは明日の正午から始まって一晩を超えるらしい。体力的な問題もあってリゼラには難しかろうし、シャルナはシャルナで速度が落ちかねん。と言うことでルヴィリアで決定だな」
「そ、くど、おちっ……」
ルヴィリアはハッとして自身の腹筋を撫でるが、いつもの硬い感触の中にぷにぷにとした柔らかさが。
前のピザ騒動がまだどうにも尾を引いているらしい。まさかの一番ピザを食べてたルヴィリアより太るとは。
「…………」
首を天井に突っ込ませた変態の胸で揺れる山二つ。ぷるんぷるん。
乳か。やはり乳か。乳なのか。
「…………リゼラ様」
「な、何じゃ……」
こっちは成長に持って行かれているのだろうか。
だとすれば自分はーーー……。
――――筋トレ、増やそう。
「よし、ではルヴィリアと俺の参加で決定だな。確かこの宿の受付でも参加は申し込めたはずだ」
フォールは息してないルヴィリアを天井から引き抜くと、そのまま首根を掴んで外まで運んでいく。
猫どころか荷物でも持つかのような運び方で廊下に出て行く彼を、リゼラとシャルナは止める間もない。
思い立ったが吉日どころか、思い立ったら即行動なあの男だ。はてさて、此度はいったいどのような騒ぎになるのやら。
「……シャルナ」
「えぇ、解っております。二人ならきっと……」
「生肉の刺身も食べたくなってきた……」
「リゼラ様……」
フォールのスライムより貴方様の食欲をどうにかした方が、という言葉を飲み込んで。
遠ざかる足音にシャルナは大きく息を吐き出した。何事もなければという、決して敵わないであろう儚き願いを祈るのであったーーー……。




