【5】
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「ふっ、副団長ぉっ! 指を噛まれましたぁ!!」
「……はぁ」
検問所の最上階、牢獄部屋の前で副団長と呼ばれた老騎士は深くため息をついた。
―――――あの少女を捕らえたまでは良かった。あの時は何故だか混乱状態にあったのでふん縛って牢獄に入れるまでは容易であった、が。
いざ入れて尋問を行おうとすればどうやら意識が回復したらしく、近付く者近付く者、皆々に噛み付く始末。もうこの検問所に彼女の歯形が付いていない者はいないぐらいだ。
最後まで尋問をやっていない自分を除いて、だが。
「解った、私が尋問しよう。君は手当をしてくるように」
「か、甲冑をつけますか? 無意味だとは思いますが……」
「いや、結構だ……。鉄板でも無意味だったしね……」
老騎士は自身の指を失う覚悟をしながら、牢獄の中へと踏み込んでいく。
扉を抜けて、鉄格子向こうにいるのは椅子へ縛り付けられた一人の少女。四肢を鉄鎖で封じられたにも関わらず、堅固な白牙を煌めかせ、幾人もの指に噛み付いてきた少女。
立派な双角を携え、牙を剥く、明らかに人界の存在ではない、少女。
「……魔族、だね」
「グルルルルルルルルルルルル!!」
「魔族なんて初めてみるんだが、こんなに凶暴だったかな……」
「グルルルル……!」
「……飴、食べるかい?」
「良かろう、用件は何だ」
「えぇ……」
疲れた頭にレッツ糖分。
「ふん、妾の侵入を糾弾でもしにきたか? 元はと言えばラドなんたらとかいう御主等の主がアホな検問を強いたせいであろ。反省など述べぬぞ! オラ飴もっとよこせ!! 次は甘いがいい!!」
「ごめん、塩飴と昆布飴しか……」
「糖分はぁ!?」
疲れた体にレッツ塩分。
「……まぁ、君の言いたいことは解る。だがあの子をあまり悪く言わないで欲しい。あの子もあの子でね、可哀想な子なんだ。家柄の重責や自身の非才に押し潰されそうになって、それでも必死に耐えている子なんだよ」
老父は深く、ため息をついて。
「本当はもっと、周りの我々が支えなければならない。そうすればあの子の情念も良い方向に向くのだろうが……、どうにも、あの子のことを解って上げているのは本当に一握りでね」
「ケッ、名しか知らぬが貧相なやつよ。家柄も非才も妾には解らぬが、そんな繊細な根性で人の上に立てるものか。失敗したら次で取り返してやると息巻いて何度でも失敗しろというのだ。びくびくしながら成功して、次はどうすべきかと怯えるより余ほどマシよ!」
「……君のように剛胆なら、良いのだけれど。繊細なものだよ、人はね」
老父は後ろに引っ掛けてあった帽子を取って牢獄の鍵を開き、一歩彼女に近付いた。
そして皺枯れた手で彼女の頭に帽子を戻して、またため息をつく。
「しかし参ったな……、魔族なんて数十年前に書物で見たぐらいだ。勇者と魔王伝説だったかな。懐かしいなぁ」
「ギックゥ!! ……いや何のことか解らぬけど?」
「はは、人界と魔界が関わらなくなって久しいからね。……しかし魔族とくれば、これはもう天啓だ。見逃すわけにはいかない」
リゼラは口の中で塩飴を転がしながらどういう事だ、と問い返す。
塩飴美味しい。
「……我々がこの検問所を開いている理由だよ。邪教徒問題、暴徒問題は副次的なものだが、主な理由としてね」
「邪教徒……」
一瞬、何処ぞの馬鹿が頭を過ぎったが、気のせいだと首を振って否定する。
と言うか否定しないと意識的にヤバい。絶対やらかすわあの男。
「本当は喋っちゃいけないんだがね、君には聞かないといけないことがある」
老騎士は述べた。
――――聖堂教会の巫女が神託を受けた、と。
世界に勇者生まれ落ち、人界を混沌の渦に落とすであろう。万物を脅かす災禍となりて、その者は世界を喰らい貪るであろう。
彼の者、勇者でありながら勇者にあらず。魔なる者となり、魔なる者を従え、魔なる力を有すであろう。
故にその者、勇者でありながら勇者にあらず。その者、災禍なり。
故にその者、勇者でありながら勇者にあらず。その者、人ならざらぬ者なりーーー……。
「……聖堂教会はこの事から、恐らく勇者が魔王との取引を行い、世界支配に乗り出すのだろうという結論に到った。かつての魔王の中には世界の半分と引き替えに我が配下となれと取引を持ち掛けてきた者もいるというからね」
「…………」
「……うむ、君が呆気にとられるのも解る。だがね、人間というのは世界の半分という大宝を前にすると欲望に目が眩んでしまう生き物なんだ。きっと魔族よりも、もっと欲深いのだろう。そしてそんな人間だからこそ、世界の半分では済まない。世界の全てを手に入れようと乗り出すに決まっている」
「……世界の、半分」
「そう、世界のはん」
「そんなモンでなびいたら苦労しとらんわクソァアッッ!!!」
魔王、心からの叫びだった。
世界どころか宇宙よりもスライムな勇者です。
「なぁーにが災禍じゃ! ンなもんこちとら大災害中じゃボケェア!! 世界支配どころか魔族崩壊じゃダボォ!! 抑えるならもっと早く抑えろや!! と言うかそもそもアレ人間じゃねぇ!! 絶対人間じゃねぇ!!」
「そうだね、魔族を滅ぼす彼を人間のように見えないのは致し方ないと思う。しかし」
「御主に解るか!! 絶世の美貌を前にして『うるせぇそんな事よりスライムだ』と言われた気分が!! 伝説の邪龍を前にして『うるせぇそんな事よりスライムだ』と言われた気分が!! 森も火山も怪鳥も神魚も平原も『うるせぇそんな事よりスライムだ』じゃぞ!! いい加減トラウマになるわ!!!」
「……疲れてる?」
「かなり!!!」
差し出される昆布飴。
疲れた心にレッツ昆布。
「……うむ、君の混乱はよく解る。勇者と言えば人々を救い導き、如何なる困難にも挫けず、如何なる災いにも立ち向かう勇気ある者のことだ。それがまるで、こんな、世界の悪者のように言われるのは、幼い頃誰もがそうであったように、勇者伝説に憧れた私にとっても心外なんだ」
「えっ。欲望に導かれ、如何なる困難も如何なる災いも巻き起こすスラキチ野郎?」
「うん……、うん?」
「幻想見るなよ良い歳してェ!!」
「お嬢ちゃんの年齢でして良い眼じゃないよそれ」
現実って悲しいものなの。
「良いか!? 勇者なぞに幻想を抱くな! あの男に希望を持つだけ無駄だ!!」
「そんな事言わなくても良いじゃないか。きっと良い人だよ」
「ンなワケあるか!! 見ておれ、今にこの検問所を潰そうと火を放つか、騎士どもを一人一人暗殺していくぞ!! あの男は最悪の斜め上を行く!!」
「は、ははは、まさか……。それにその言い方だと、まるで勇者がここにいるような」
老騎士の僅かな希望さえ打ち砕かんばかりに、牢獄部屋の扉を打ち破って一人の騎士が叫びを上げた。
最早取り留めもないほど原形を留めていない狼狽の絶叫に、老騎士は急いで部屋を出る。椅子に縛り付けられたままのリゼラも体を跳ね上がらせながら、その後を追う。
いざ部屋を出てみると、老騎士は部屋の向かいにある窓に張り付いていた。最上階から平原を見下ろせる、その場所に。
リゼラもまた彼を押しのけて窓を覗いたーーー……、のだが。
「「…………」」
そこには確かに、最悪の斜め上の光景が広がっていた。
「「「ウ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ーーーーー!!!」」」
その様を、誰が、何と例えられようか。
地平線の彼方から迫る入道雲のような土煙。濁流のように蠢く影、影、影。
検問所全体を揺らがすほどの衝撃と咆吼。際限なく高まる熱気、迫り来る影、影、影!
「な、んーーー……」
老騎士がその様を確認した瞬間、彼は言葉を失った。
リゼラがその様を視認した瞬間、彼女は余生を諦めた。
当然だろうーーー……。暴走、爆走、激走で有名なババリグバッファローを駆る幾千の邪教徒とそれを率いる教組フォールがこの検問所に突っ込んできているのだから。
「助けに来たぞ、リゼラ」
「帰れェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエーーーーーーッッッッ!!!」
当然、彼女の叫びが猛牛と馬鹿に通じるはずはなく。
彼等の突貫によって検問所は大爆発。煙値を上げる暇もなく、兵士達が逃げ惑う暇もなく猛牛の蹄によって蹂躙されていく。
そこに跡形一つ残らなかったのは言うまでもない。
「……ねぇシャルナちゃん、アレさ」
「何だ、ルヴィリア……」
「救いに行くっていうか、殺しに行ってるよね」
「言うな」
遠方で眺めていたシャルナ取るヴィリアは、その惨状を遠い目で見つめ呟く。
――――ねぇこれ、ここから本当に僕達の出番あるの?
――――出たくないな……、心底。
なんて、現実逃避をしながら、ただーーー……。




