【1】
――――勇者、勇ましき者よ。聖なる女神より加護を与えられ賜うし者よ。
貴方は、決戦前哨の地へと辿り着きました。草木一つない死の荒野は如何なるものの命も赦さない拒絶の大地です。そしてそこには、巨悪なる邪龍に滅ぼされし街があるでしょう。
どうかご覧ください。それがやがて人類が置かれる邪悪なる世界の姿なのです。裕福なる者も貧困なる者も、老いた者も若き者も、男も女も善き者も悪しき者も、誰も彼もが滅んでしまったその街を。
そしてどうか、ご理解ください。貴方が戦うその意味をーーー……。
これは、永きに渡る歴史の中で、雌雄を決し続けてきた勇者と魔王。
奇異なる運命から行動を共にすることになった、そんな彼等のーーー……。
「…………」
ぷすんっ。
「初級魔法しかでねぇええええええええええええええええッッッ!?!!?!?」
激動の物語である!!
【1】
「良い景色だ」
曇天掛かる紅空に、残響喚く飛獣の咆吼。
木々一本生えず、草木一種さえない、荒れ果てた大地。そこには幾千の亀裂が走り、猛獣と形容することさえ躊躇われるほど凶悪なモンスターが魑魅魍魎の如く跋扈していた。
牙を剥きだし涎を垂れ流し、延々と続く地平線に黄土の眼光を這いずらせていく。動くものあれば同族だろうと喰い殺し、弱ったものあれば魔族だろうと喰い千切る。骨肉は極上の栄養であり、鮮血は至高の水分であるからだ。
その殺気は到るところに振りまかれており、無論、荒野にぽつんと立った、有り触れた衣類を身につけた者とだぼだぼの服を無理やり結んで纏っている者の二人組とて例外ではない。
もっとも、どのモンスターもその内の一人を見るなり、いや今日ちょっと用事あるんでとかお腹痛いんで早退しますとか言わんばかりにそそくさと去って行くのだが。
「見ろ……、アドレラタイガーがあんなに近いぞ。フフ、良い毛並みだ。ここまで近付いても逃げられないということは、やはりあの封印には効果があったということだな」
「…………」
「どうした? 顔を手で覆っては何も見えんだろう。ほら、あちらなどガロッソスネークの群れだ。鋼蠍もいるぞ」
「…………」
「嗚呼、早く荒野を抜けてスライムのいる『沈黙の森』までいきたいものだ。よし、少し急ぐと」
全ての元凶こと勇者フォールが歩き出すと共に、モンスター達の眼光が少女へ向けられた。
今でこそ何か明らかにダメなアレが近くにいるが、そうでなければあの小娘は絶好の獲物だ。さぁさぁもっと離れろ、あと一メートルとでも言わんばかりに。
一方、被害者こと魔王リゼラの耳に重圧な舌なめずりの音が聞こえてくる。爪が地面を擦る音や、喉元がご馳走に震える音も。
彼女はそんな様子に悲鳴を上げ、顔を涙や鼻水でぐちゃぐちゃにしながら勇者の服端へ飛びついた。
「置いてくな馬鹿ぁああああああああああああああああ!!!」
「着いて来れば良いだけだ」
「うるさいわぁああああああああああ! ちくしょぉおおおおおお!! もうやだやだやだやだやだやだやだぁあああ!!! どうして妾がこんな目にぃいいいいいいああああああああああああああっっっ!!! 魔力はスッカラカンになってるし魔法は雑魚初級しか使えないしぃいいいいいいいああああああ!!! いつもなら今頃はメイド達がお風呂入らせてくれて頭も洗ってくれて日課の角磨きしてたのにうわぁあああああああああああああああ!!!」
「そう喚くな。角は何処でも磨ける」
「やかましいわ御主のせいで妾がこんな目にぃいいいいいい!! 側近、あぁ側近! はよ妾を助けてくれぇえええええええええええええええええ!!!」
「その側近なら貴様のボディとアッパーからのスープレックスフィニッシュで気絶しただろう」
「いやアレは必要な犠牲だから良いんだよ」
「勝利の雄叫びをあげていた奴の台詞とは思えんな」
ちなみにその側近だが、どうしても目覚めなかったので王座に縛り付けて適当に服を着せ、かつらと棒きれを被せてきた。
傍目に見れば完全にカカシのそれだが、たぶん大丈夫だろうとフォール。隣に奴の辞表も置いてきたことだし、側近がいないことに関しては奴が勝手に実家へ帰ったことになるだろう、と魔王リゼラ。
この魔王も大概である。
「ちっ……、こうなった上は仕方ないから貴様に付いて行くが、解っておるだろうな!? 妾は魔王だ! 誇り高き魔王カルデア・ラテナーダ・リゼラである!! 尊敬の念を持って敬い、遵守せよ! 本来は人間であり汚らわしき女神の隷である勇者など目にすることも烏滸がましいのじゃぞ!!」
時間が経ってだんだんと慣れてきたのか、次第に魔王リゼラは調子に乗り始めてきた。
と言うよりは自信を取り戻し始めた、と言うべきか。そうだ、この男は自分のことを保険と言っていたが、それは裏を返せばまた自分に手を出すこともできないということ。保険を自ら排除するほど馬鹿ではないはずだ。
つまるところ、この男がどんなに恐ろしくたって怖がることなんかない。堂々と、魔王の威厳を保っていれば良いという事である。
「延いては服が欲しいな! この縮んだ体ではまともな服がない……、こんな、だぼだぼのを結んだのでは歩きづらくて仕方がないぞ!」
「……確かに、そうだな。旅の準備を魔王城で貰ってくれば良かった。外の景色見たさに事を急いたのは間違いだったか」
「ふぅーーーはははははは!! 考えナシの人間め、貴様等はそうやって自滅するのだ!!」
現在位置、魔王城より数キロ離れた、通称『死の荒野』。
足を踏み入れた人間は例え歴戦の兵士でも命を落とし、如何に屈強な獣でもこの過酷な環境では生き残るのは難しいと言われる、文字通り死の大地だ。故に、アドレラタイガーのような非常に強力で獰猛なモンスターばかりが生息しているのも道理と言えよう。
もっとも、このラストダンジョン一歩手前の苛烈な荒野、セオリー通りならば今までの旅で鍛え上げた力と頼れる仲間達と共に乗り越えていくはずなのだが、今の彼等にとっては始まりの平原ならぬ、始まりの荒野でしかない。薬草採取どころか草一本生えてねぇ。
「故に崇めよ讃えよ平伏せよ!! 貴様のような虫けらにも劣る脳味噌を持つ類人猿にこの魔王リゼラがありがたぁああああ~~~~い知恵を授けてやろう! さぁ、そうとなればまず我が身に感謝感激を祈って泣いて頭を垂れぇのぼふっ」
眉間に叩き降ろされるチョップアタック。
やかましい、アドレラタイガー達が怯えて逃げたらどうする、と。明らかに原因はお前の方だろうなんて叫ぶ間もなく彼女は激痛にのたうち回った。
何だ、今何をされた。巨大な鈍器でも振り下ろされたのか。ぺちんとかいう音じゃなかったドゴォとかいう音だった。顔面が割れるどころか粉砕されたかのような激痛が走る。角、角折れたかも知んない。いや、って言うか死んだかも知んない。と言うか死んだ方がマシだこの痛み。
「ぉぉぉ、おぉ、ぅぅうううぉおおおおおおお……!!!」
「何だ、大袈裟な。そこまで強く叩いてないが」
「わ、らわはいま子供なのだぞぉおおおお……!! い、ぅぅううう…………!!」
「確かにそうだったな。悪かった」
「き、さま! 悪かったなどと一言で赦されると思うなよ!!」
リゼラは眉間を抑えて喚きながら、ビシッとフォールを指差した。
土埃だらけな上に、だぼだぼな衣の端を踏んづけて立ち上がったことにも気付かずに。
「あー頭がいたい! これは明らかにいかんぞ!! 貴様、この高貴なる肌に傷がついたらどうしてくれようか! 慰謝料では済まんなぁ!! おぶれおぶれ、妾を歩かせるなどとそんな事が赦されようかァアン!?」
「チンピラか貴様。……それと、あまり動くと落ちるぞ」
「はッ! 落ちるのは貴様の威厳であ」
しゅるり。
転げ回ったせいで結び目が緩み、さらにそんな服裾を踏んづけたものだから、彼女が身に纏っていただぼだぼな衣類は容易く脱げ落ちてしまった。
現れるは薄紅孕む白色の幼さ残る肌と、将来に期待が持てる僅かな二つの希望。
ただし現在はただの絶望。エンド・オブ・ザ・カベ。落ちたのは魔王の衣服と威厳だった、というわけである。
「…………」
「…………」
「…………」
硬直する魔王リゼラ。首を傾げる勇者フォール。うわ可哀想と小さく鳴いたアドレラタイガー達。
そんな彼等の間を砂風が吹き抜けていった。半裸の魔王は飛びそうになった衣を掴み、抱え込んでその場に蹲る。
物言わず、蹲って、寝転がる。
「殺せ」
「いや死んで貰っては困るが」
「殺せ、もう。妾こんな変態じゃないもん。高貴な魔王だもん。勇者にいい様にされ、こんな荒野で辱めを受け……」
「さっきのは自分で」
「やかましい。……こんな姿では初代に申し訳が立たぬ。殺せ。もう殺しちゃえば良いだろう。妾、余生に未練などないし。多くの男侍らせて魔法石の風呂に入って魔王ならこんな事も出来るのだとか側近に自慢したかったとかそんな事ないし」
「スライム風呂はないのか」
「うるせぇ。……もういい、放っておけ。哀れ魔王はここで獣共に蹂躙されて死んでしまうのだ」
「モンスター達でさえ引いているようだが」
「だまれ。……はぁ、所詮は鬼畜な外道の人間じゃ。妾のように可憐で儚い少女とてこのような大地に置き去るのであろうなぁ」
チラッ。
「……あぁ! 美しく幼子となっても妖精のような妾はこんなところで!!」
チラチラッ。
「残酷非道な勇者に見捨てられて死んでしまうのだ!!」
チラチラチラッ。
「これが勇者のすることかぁあああああああーーーーーっっ!!!」
「別に勇者とかどうでも良いんだが。貴様がダメなら仕方ない、魔王城に戻って代わりに側近の奴を連れてこようか」
「え、ちょ、おま」
「ついに移動手段も取ってきて……」
「待て待て待て待て待て、解った、悪かった。解った。妾が悪かった。解ったから置いてくなやめろやめてお願いしますだってもう獣がこっち見て、おいやめろ獣ども妾を見るな妾は美味しくないやめ、お、や、おい待てその目は何だ哀れみの目は何だおい貴様ら待ておい胸を、胸を見、おま、胸を見るなこの雑種めがァーーーーッッ!!」
悲惨な叫び響き渡る荒野。平然と魔王城へ歩いて行く勇者と、これあげるからと言わんばかりに自分のところへ獲物の骨片と哀れみの視線を持ってくるモンスター達。
そんな奴らを前に、魔王リゼラはただ、コイツらぜってぇブッ殺すと悲歎な慟哭を叫ぶばかりであった。




