【エピローグC】
【エピローグC】
彼女は、膝を抱えていた。
木陰で、誰にも見られない場所で、独り。
何を言うでもなく、自身の胸に顔を埋めて、独りーーー……。
「…………駄目だなぁ、私」
「何がだ」
そんな彼女の隣に、男は腰掛けた。
けれど女は顔を上げない。相変わらず、俯いたままに。
「……リゼラちゃん達は?」
「向こうで出立の準備をしている。ここに長く留まるワケにもいかん」
「それもそうね……。にしても、孤独に悩むレディを見つけるとか、デリカシーの欠片もないわよ、フォール君」
「腹を光らせて何がレディだ」
「……乳首じゃなくてお腹が光るとは私も計算外だったわ」
「そんな事を計算するとは正気かルビーちゃん」
「貴方にだけは言われたくないわ」
フォールはそうか、と短く一言だけ返すと、そのまま木影を揺らす風に毛先を薙ぐ。
彼女もーーー……、ルヴィリアもまた、蹲ったまま、涼しげな風に、揺れて。
「……エルフ女王は、貴様の仕業だな?」
彼女は答えない。肯定の沈黙だった。
「……どうして、解ったの」
「別に確証があったわけではない。ただ、ルビーちゃんのリースに対する反応と……、エルフ達の贄とやらの話を聞けば自ずと解ることだ。やり方は過激だが、脅しとしては有効だろう」
「……何でこんな事をしたか、とか。聞かないんだ」
「別に興味もない。あるとすれば、貴様のその眼ぐらいなものだ」
ルヴィリアは少しだけ、顔を上げた。
――――泣きはらしたのだろう。目元は真っ赤で、鼻からは鼻水が垂れている。その様は世辞にも智将と呼べるものではなかった。
ただ緋色だけは、彼女の瞳に宿る緋色だけは、煌々と。
「この眼を語るなら……、私がどうしてあんな事をしたのかも語らなくちゃいけないじゃない」
「そうか。では語れ」
淡泊な様子に口先を尖らせながらも、ルヴィリアは語り出す。
魔眼と呼ばれる、その眼のことを。
「魔眼は、魔族の突然変異みたいなものよ。元来、魔力貯蔵の多い魔族の中でも飛び抜けて異質な魔力を持つ個体が変異的に得るものなの。……けど、魔眼は余りに凶悪すぎる。一通りの魔術や魔法なら魔力を込めるだけで発動できる、チート級の権能なのよ」
「……それで?」
「だから、ね。魔眼は危険過ぎるからこそ、所有者は王になるか、迫害されるかのどちらか。私はこの力で四天王という王になったけれど、まだ才無かった頃の幼少期はそりゃ酷かったわ。魔眼持ちはその権能と引き替えに体の何処かに不調を来す。私もそうだったから……」
「迫害、か。……つまりルビーちゃんはリースと自分を重ねた、ということだな」
「……まぁ、ね」
彼女はまた、膝に顔を埋め込む。
「『最智』を受け継ぎ、智将としての私の役目は様々だった。その中にはエルフとの交渉強行という役割もあったわ。私はエルフの集落に接近し、情報を掴む為に潜入しようとした……、けれど」
――――そこで、リースと出会った。出会ってしまった。
「あの子とは直ぐに仲良くなったわ。ううん、独りで危ないトコに行くから目が離せなかった……、と言うべきかしらね。でも、仕方ないじゃない? だってあの子には他に遊ぶ子がいなかったんだもの。ダークエルフだから、仲間内からも密かに迫害されて、それでっ……」
またしても、ルヴィリアは言葉を失って押し黙った。
そんな彼女の自身に押し潰された頬を、静かな風だけが吹き抜けていく。
「……やがて、リースは貴様に憧れて旅に出ると言い始めた。そうだな?」
「…………初めは、楽しい旅だったわ。だけれど迫害された者同士が傷をなめ合ったって、どうなるわけでもない。あの子が怪我をするのを見る度、否定されるのを見る度、苦しさで胸がいっぱいになった。私がいるからという思いで、心が締め付けられた。だから、私は」
「彼女の記憶から姿を消した、か」
「……私は、あの子を影から支えることにしたの。それが一番だったから。あの時の私にとって、それは」
それ以上。ルヴィリアが語ることはなかった。いいや、語ることができなかった。
彼女は蹲ったまま、微かに肩を奮わせて沈黙する。余りに痛々しいその様は、見ていられるものではなかった。
――――これ以上、過去に言及したとて、何がどうなるわけでもない。過去はどうしても変わらない。
だから、フォールは何も言わずにリースにバトンタッチして立ち去った。よし後は任せた、と。
「待て、おい。……待て」
「何だ、何故止める」
「いやフォール君? 普通ここでリースちゃん連れてくる? テメェここは何か良い感じのこと言って慰めて締めるトコでしょ? ちょっぴり悲しいハッピーエンドな流れでしょ?」
「悪いがルビーちゃんを慰める言葉などないし、憶えもない。そしてエンド云々など知ったことではないし正直面倒臭い」
「最後の最後に本音出やがったなテメェこの人でなし!?」
「勇者だからな」
「勇者も人でしょぉ!?」
抑えていた気持ちが、溢れ出す。
必死に、自分自身で、抑え込んでいた気持ちが。
「……ふざけ、るなよ」
ずっとずっと、抑え込んでいた、気持ち。
「ふざけんなよっ!! もぉ最悪だよ!! 君の所為で僕の計画はメチャクチャだ!! シナリオだってどれだけ頑張って考えたと思ってるんだ!? その為に魔眼駆使したり君との出会いを装ったりバレないように旅人だって装ったし、結界の罠だって丸一日掛けて仕掛けたんだ!! リースちゃんに会ってもバレないように必死に隠してた!! 彼女を悲しませない為に涙を呑んでお別れした!! それを、それを全部全部、ぜぇえええーーーんぶっ!! お前が、お前がぁっ!!!」
火山の爆発のような、叱責だった。嗚咽だった。
今までどれほど溜め込んできたのだろう。抑え込んできたのだろう。彼女は、いったい、どれほど。
――――だが、その嗚咽に声を荒げた彼女を押し止めるように、リースは彼女にぶつかった。
いや、その言葉を止めたのではない。違う、止めて欲しかったのは事実だ。けれど、その為に止めて欲しかったのではない。
フォールではなくて、自分を見て欲しかったから。彼ではなくて、自分と話して欲しかったから。
あの日のように。失われた、あの時のように。
「ルヴィ姉っ……」
彼女の上着を握り締める手に、力がこもる。
言葉はなかった。涙だけがあった。濁流のように溢れ出す感情だけが、そこにあった。
「……ムチャクチャだよ、もう。僕の描いたシナリオは、もう」
彼女を抑え付けていたものは、もう存在しなかった。
偽りの仮面も、言葉も、性格も、何もかも、そこにはない。
ただ涙だけが、自身の胸元で咽び泣くダークエルフと同じ、涙だけが。
「……世の中、上手く行くことの方が少ないものだ。ルヴィリア」
フォールは踵を返し、リゼラ達の元へ戻っていく。
誰の者かも解らない涙を背に、嗚咽を背に、何も言うことなく過ぎ去っていく。
ただその腹部に熱を感じながら。自身の指先に染み渡るような、何処か懐かしい感覚を感じながら。
何も言うことはなく、述べることもなく、ただ、彼はーーー……。
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