【エピローグA】
【エピローグA】
「…………」
男は木陰で涼んでいた。
口には煙草。エルフ産の薬草臭い煙草だ。
白煙どころか、黄色さえ含む色合いの煙を吐きながら、彼は腫れた片腕を押さえているのだ。
「エルフ煙草ですか。年代物ですね」
「…………誰だ」
「僕ですよ」
その者の前に歩んできたのは、ガルスだった。
彼は見慣れた、顔見知りにでも出会うように悠々と歩いてくる。
しかし後ろに組んだ手は汗でびっしょり濡れており、ついでに小刻みな震えを見せていた。
エルフもそれを易々と見抜いたのだろう、が、特に言及することもなくそうかと片づける。
「もう誤魔化す理由もない。……イトウ殿の助手、だったな。名前だけは聞いている」
「あぁ……、やっぱり貴方でしたか。先生にエルフ女王が行方不明であるのを話したのは」
煙草を嗜む男は、いや、ラヴィスはーーー……、煙の中で頷いた。
「ごめんなさい、部屋に忍び込んで色々と調べさせて貰いました。日記だとか、配置図だとか……。あ、で、でも、プライベートなことは何も調べてないので、そこは、その!」
「構わんさ……。どうせ、今何をされてもこちらに奴は止められない」
彼が軽く首を傾げて差したのは、数十メートル後方で起こる、逃げ回る蟻の群れを潰し回る獣の大騒動。
目が合うなり倒していく様など、獣というよりは猛牛のそれに等しいだろう。
「我々は敗北したのだ。……エルフの負けということさ」
「ですが、貴方と女王の勝利でもある。……違いますか?」
ラヴィスは少しだけ驚いた様子を見せた。
しかしガルスの穏やかな表情を見て、呆れるように微笑んで。
「……いつ、いや、何処で解った?」
「言ったでしょう、日記と配置図を見たと。貴方はダークエルフ……、リースさんを生贄にするつもりだった。けれどそれは見殺しにするという意味ではなくて、餌という意味だった。違いますか?」
「……その通りだ。リースを贄として捧げ、あの神魚が出現したところで仕留めるつもりだった。理由は何でも良かったがね」
――――過去、あの時。
約束したのだから。彼女との、悲願として。
「贄にリースさんを選んだのは……、ダークエルフだから。それも貴方と女王が変革すべき意志だと、そう日記には記してありました。エルフの人達が話していた、ダークエルフであることを利用するというのは、貴方が初めて、そして最後に犯した差別だった」
「そうだ。あの子は昔から少々元気過ぎてな、保守的なエルフには刺激が強すぎたのだ。それにあの肌の色のこともある。だから、私はあの子を……」
「差別の否定と、悪習の根絶。それが貴方の、いえ、貴方達の目的だったんですね」
「……私は仲間の血で塗り溜められた骸の上に立ちたくなかった。保守的なエルフを否定するわけではない、伝統を嫌悪するつもりもない。ただあの方の言葉通りに、……そう望んだのだ」
彼は、大きく息を吸い込んで。
「だからって神魚に挑むとは、何て無茶を……。ご存じでしょう? あの存在は魔に魅入られし神性を持つ存在。人間が敵うものじゃない」
「それでも、な。何もせず与えられ続ける未来に嫌気が差したのだ」
ふぅ、と白煙に混じらせて、空へと吹き消した。
「……僕とカネダさんの檻の見張りがいなかったのは、いえ、騒ぎを起こすような要因を放置したのは、集落の警備を態と一カ所に集中させたりしたのも、その為ですね? 贄にしたリースさんをどさくさに紛れて逃がすために」
「貴様等が来てくれたのは嬉しい誤算だった。もっとも、まさかあんな人質三文芝居を見せられるとは思わなかったがな」
「人質三文芝居?」
「……違うのか?」
「え、っと……」
――――もしかして、自分達の他にも誰かがこの集落に忍び込んだのだろうか?
だとすれば、いったいどんな人物だったのだろう。捕らえられた自分達は兎も角、エルフ集落に近付くなんて何と無茶をする人だろう。
「……ともあれ、もうこの騒ぎではリースは集落にはいられない。図らずも結末ばかりは同じ形になった、ということだ」
「……良いんですか? リースさんに誤解されたままでも」
「構わないとも、それが私の罪だ。……それに、まだ神魚も倒さねばならない。何、永きを生きる我々エルフだ。いつかは倒してみせよう。こんな伝統を認めないためにも……」
ともすれば、今回の騒ぎはこの伝統の中断という意味では好機だったかな、とラヴィスは冗談っぽく微笑んだ。
ガルスもそんな微笑みに釣られるように、肩をすくめてにへらと表情を崩して。
「……ともあれ、当面の目標は後ろで暴れているあの人間と女王、だが。問題は解決しそうだな。女王はリースが保護したと言っていたし、あの人間も貴様が止めてくれるのだろう?」
「え、いやそれは無理です」
「えっ」
「たぶん三日ぐらい暴れたら飽きると思うので……」
ラヴィスが木陰から恐る恐る惨状を覗き込むと、業火が爆ぜると共に巨大な樹木が彼の頬を擦って後方へ吹っ飛んでいった。
緩やかに戻された視線に慌てる様子はなかったが、震える手は隠しきれていない。
彼はそんな手で煙草を吸いながら、一言。
「……また、山積みだな。文字通りに」
「ですねぇ」
惨状から目をそらし、煙草を一服。
黄色を孕んだ白煙を見上げながら、ラヴィスは静かに微笑んでいた。
全く、上手くいくものではありませんなーーー……、と。誰に聞こえることもない、声で。




