【プロローグ】
――――勇者、勇ましき者よ。聖なる女神より加護を与えられ賜うし者よ。
遂に、貴方はそこへ辿り着きました。幾多の苦難と犠牲を乗り越え貴方はそこへ辿り着いてしまいました。
やがて明かされる真実に、貴方は絶望するでしょう。それは何者にも抗えない災悪の枷です。
ですがどうか、挫けないで。貴方が貴方である限り、貴方の信頼する仲間達との絆がある限り、貴方は何度でも立ち上がれるのですからーーー……。
【プロローグ】
夜天に雲が懸かっていた。
月光は世界に降り注ぎ、星々の雨を祭り上げる。黒き獣が大翼を羽ばたかせて煌々なる輝きを遮り、刹那の影を彼等へと落とす。
剣を突き構える何の変哲もない男と、膝を折りて彼を見上げる双角の女。その、彼等に。
「…………ッ」
頬端を冷ややかさが駆け抜けていく。風は周囲の埃を巻き上げ、瓦礫の隙間へと消えていった。けれど嫌な冷たさはまだ、女の頬に残っていた。
対峙する彼等の周囲に拡がるは豪華絢爛な装飾の数々。いや、この状況からすればがらくた同然であろうが、それでもその場所が街角や村宿でないことを示すには充分だろう。
貴族の、いや、もっとーーー……、城。掻き回されたように荒れ乱れた、王の一室。
人間のそれではなく、魔なる者が座すべき王の一室。
「魔王よ」
男の声は低く鋭い、それこそ彼が構える刃のような声だった。
女はその一言一句を受ける度に口端を引き攣らせ、ごくりと生唾をのみ込んだ。
「契約しろ」
刃が彼女の双眸を隔て、砕け落ちた壁面から差し込む月光を反射した。
彼の表情はその光で黒く染まり、何を思っているかは解らない。
然れど、しかし、女ーーー……、否、魔王はただ怯え、彼を見上げることしかできなかった。
「俺を、弱くするために」
その一言こそ、全ての始まりであった。
双角を持ち絶世の美貌を誇る魔王と冷徹に冷静なる最強の勇者の、奇妙な関係。
月光囀る中で、夜天に白雲が懸かる中で、崩れ果てた魔王城の中で、彼等は。
その契約をーーー……、結んだのだ。
「……スライムをぷにぷにしたいんだ」
そう、それこそが奇妙な関係の始まり。
最強すぎた勇者と、不幸な魔王の、物語が始まる瞬間であった。